『関寺の霊牛、速記文字を描くこと』速記談5038
万寿二年五月のころ、関寺に材木を引くための牛がいた。この牛は、大津の住人たちが、迦葉仏の化身であるという夢を見たという。このことがうわさで広まって、貴賤上下を問わず、こぞって関寺に参詣し、牛を礼拝するようになった。この牛が、二、三日病気になった。六月二日、大いに具合が悪くなって、入滅が近くなったかと思われたころ、牛舎から出て、御堂の正面に歩み登り、御堂を二周して、仏前に伏した。参詣に来た者たちも涙し、関寺の僧たちは念仏を唱えた。牛はまた立ち上がって、僧たちに支えられて、御堂を一周した。木の下で伏し、首を何回か振った後、入滅した。まさに仏の化身だったのだろうか。何人かの僧が、牛が最後に振った首の奇跡が、仏という速記文字になっていたと言ったが、大方の者は気がつかなかったという。
教訓:何かの奇跡が速記文字になっていた、ということを信じるとすると、大抵のものは、速記文字になっていると思われる。