第四話:真実の弾丸
午後七時、主要ニュース各局が一斉に速報を流した。
『速報です。先ほど、都内の山林で身元不明の女性の遺体が発見されました。DNA鑑定の結果、この遺体は佐木島 玲奈氏——元私立探偵であり、現在行方不明となっていた人物と一致しました』
『また警視庁は、この件に関与した可能性があるとして、元公安捜査官で現在は警視庁捜査一課の刑事の月影 零容疑者を指名手配しました』
『関係筋によれば、月影容疑者は以前より内閣情報調査室と接点があったとされており、一部では“二重スパイ”の疑いも……』
玲奈はスマートフォンの画面を握りしめたまま、硬直していた。
「……嘘。こんなの……全部嘘よ……」
零はすでに報道が流れることを予期していたかのように、冷静だった。
「動いたな、日銀……そして内調」
玲奈が目を見開く。
「あなた、殺人犯にされたのよ……それだけじゃない。内調の工作員だなんて……どうして……」
「この一手で、俺たちが“真実”を暴こうとしてる理由がすべて嘘に変わる。やつらの狙いはそこだ」
スマートフォンの通知が止まらない。
SNSは零の写真と「偽・玲奈」の並列、さらには“内調の隠蔽者”としての憶測投稿で溢れていた。
「……ここまで来たら、もう止められない」
零は椅子から立ち上がった。
「一気に拡散する。どの媒体でも、誰にでも。やつらの情報操作より速く、広く」
玲奈も覚悟を決めたように頷いた。
「“本当の玲奈”が見たもの、残したもの。それを、私たちの手で広げる」
窓の外には、夜の静寂の中に不穏な影が蠢いていた。
すべてが動き出していた。
都内の民家を借りた一室。
玲奈はノートPCに証拠ファイル群をアップロードしていた。
VPNを三重に張り、匿名化ルートを確保しつつ、SNS、クラウド、ジャーナリストへの一斉送信を開始。
「進捗82%……。いける……っ」
零は窓の外を警戒しながら、拳銃に弾を込めていた。
その瞬間。
──ブツッ。
照明が落ちた。パソコンのモニターも、静かに暗転した。
「停電……? いや、違う……これ、狙ってきてる」
零が振り返った刹那。
玄関扉が爆音と共に吹き飛んだ。
「伏せろ!!」
閃光弾が炸裂し、白い光と共にサプレッサー付きの銃声が連続して響いた。
玲奈がノートPCを掴み、倒れ込みながらテーブルの裏へ。
「データが……止まった……っ!!」
零は射撃しながら、玲奈を抱えるようにして窓から飛び降りた。
裏路地に転がり込むと同時に、背後の家屋が二次爆発で吹き上がる。
咳き込みながら立ち上がった玲奈が叫ぶ。
「もう、アップロードのチャンスはない……!」
零は震える手でスマホを取り出した。
連絡先の中にある一人の名前を選択する。
『月影 一香』
電話が鳴る。コールは一度で繋がった。
「……こんな時間に何の用」
その声に、零はわずかに目を伏せ、静かに言った。
「姉貴……まだ、正義を信じてるか?」
一瞬の沈黙。
「日銀の連中が仕掛けてきたな。……場所は?」
「南新宿。もう追われてる。証拠も……未完だ」
「分かった。今すぐ公安部で動く。そこから動くな、すぐ拾う」
通話が切れる。
玲奈が驚いたように尋ねる。
「誰……?」
「……俺の姉貴だ。東京地検公安部の検事。一香」
玲奈は目を見開いた。
「あなた、検事の弟だったの……?」
「俺も知らなかったよ、あの人が日銀を追ってたなんてな」
夜の中、静かに遠ざかるパトライトの残響。
勝負の火蓋は、切って落とされた。
午前零時前、都内某所。東京地検公安部の地下駐車場に黒の公用車が滑り込む。
車を降りた玲奈と零の前に現れたのは、スーツ姿で背筋の伸びた女性。
月影 一香。東京地検公安部検事。
「ボロボロね」
「……悪いな。連絡したの、もう少しマシなタイミングにすべきだった」
「その前に来なさいよ。……言っとくけど、これはあんたのためじゃない。私の捜査の仕上げのためよ」
玲奈がそっと顔を上げる。
「あなたが……零の、姉……?」
「そうよ。優秀な弟。バカだけど、しぶとい」
一香は資料室の奥へ二人を案内しながら、言った。
「日銀絡みの金流れ、証拠の帳簿と玲奈のPCデータ。これが揃えば“完全な弾”になる」
「拡散はもう無理だ。だが、司法が動けば国会にも報道にも効く」
零はうなずいた。
「次は……黒幕に会いに行く」
「場所は、日銀本館。……明日の深夜、警備が切り替わるタイミング。そこを狙う」
玲奈が一歩踏み出す。
「……やるなら、私も行く。あの人が残した証拠、最後まで見届けたい」
一香は少しだけ微笑んだ。
「なら、一緒に行きましょう。“真実”を届けに」
部屋の壁に掛けられた時計の針が、午前0時を指していた。
静かに、最終作戦の幕が上がる。
午前三時。
東京の闇に溶けるようにして、二台の黒塗りの車が日銀本館の裏手に静かに停まった。
零、一香、玲奈。三人はヘッドセットを装備し、最低限の私服に拳銃と証拠ファイルを携えていた。
「監視カメラ、ジャミング開始」
一香が小声で呟くと、車内のノートPCに接続された機器が唸りを上げる。
「警備は2名。深夜帯の交代直前。今が最も緩い」
「中に“本命”がいる確証は?」と玲奈。
「ある。黒幕は、今夜“消去処理”を自ら指示するつもりだ。証拠はそこで揃う」
「じゃあ、一気にケリをつけるだけだ」
零が静かに言い、手にした銃を隠す。
三人は地下搬入口から侵入した。施設内の警備は最小限、だが自動ロックの扉とIDチェックは生きている。
「玲奈、頼んだ」
玲奈はノート端末を小型ハブに接続し、ログイン画面をハイジャック。
「数分だけよ。抜けるには運も要るわ」
「運なら今日、全部持ってきた」
零が笑うと、扉のロックが静かに解除された。
中枢管理室。煌々と照らされたモニタールームの奥に、一人の男が立っていた。
背広を着た初老の男。日銀理事会の中でも、最も影響力を持つ“影の頭目”。
「……来たか。君たちは、来すぎたんだ」
零が一歩、前に出た。
「いや、まだ来てなかった。“ここ”にたどり着くまでが正義だ」
玲奈が証拠ファイルを差し出す。
「あなたが捨てたもの。私たちは、拾ったの」
零が拳銃を取り出し、警告の構えを見せる。
「これ以上の抵抗は国家反逆罪。あなたがどう逃げても、法は追いかける」
男は目を細め、苦笑を浮かべた。
「では……一発で終わる銃声が、真実より重ければいいがな」
沈黙。
次の瞬間、男の背後で警報が鳴った。
モニターに、リアルタイムで拡散された証拠映像と帳簿スキャンデータが次々と映し出される。
「……玲奈?」
玲奈は端末を掲げた。
「さっきの部屋で、アップロード済みよ。“真実の弾丸”は、もう撃ったわ」
男の顔が歪む。
零が最後に一歩、踏み出して言った。
「もう止まらない。“お前たち”の時代は終わった」
「……お前は、一体何者だ? 正義か? 警察か? 民衆のヒーローにでもなったつもりか?」
「月影 零。警視庁捜査一課の刑事だ。……それ以上の肩書きはいらない」
男の手が、机の下に隠された端末に伸びた。
「君たちは……遅かったんだよ」
次の瞬間、建物の奥で重低音の爆発音が響いた。
床が揺れ、天井のパネルが軋む。
警報が鳴り、赤い非常灯が室内を染める。
「ここはもうすぐ消える。すべて灰になる。帳簿も記録も、私自身もな」
一香が即座に応じた。
「非常出口を確保! 証人を避難させろ!」
……だが、玲奈は動じなかった。
『日銀理事逮捕——国家ぐるみの金流れ、内部告発で発覚』
『警視庁・東京地検合同捜査、異例の強制執行』
そして国会では、証拠映像の公開と共に“日銀の構造改革”と“監視体制の見直し”が急遽審議入りした。
世論も政界も揺れた。
だが、もう誰にも真実を“なかったこと”にはできなかった。
玲奈の処遇について、議論は分かれた。
彼女は元々、佐木島 玲奈を騙っていた女詐欺師であり、日銀の機密にアクセスし多額の金を詐取しようとした疑いがあった。
だが今回の事件での功績が大きく評価され、「自らの危険を顧みず真実を明らかにした」ことが考慮されて、不起訴処分となった。
「ただの免罪じゃない。……その分、命は賭けたから」
玲奈はそう言って、静かに姿を消した。
一週間後。
零は元の職場——警視庁捜査一課に戻っていた。
書類仕事に埋もれながらも、どこか満たされたような静けさがあった。
「坂本、また銃刀法違反で引っ張ってきたのか?」
「いや、こっちは殺し屋だってさ。とびきりの女だったらしいぜ」
その言葉に、零はふと顔を上げた。
「……そうか」
彼の視線の先には、新しいファイル。
そこに記されていた名は、まだ彼にとって“ただの書類”に過ぎなかった。
だが、その出会いが、また新たな物語の幕を開けるとは──
このとき、誰も知らなかった。