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恋人達の幸せな日々の実感



 ランドルーヴェ魔術大学校への編入を祝してお姉様からいただいた懐中時計。

 わたくしの宝物が刻む時の移ろいを見つめながら、今日の逢瀬は短いだろうと悲しくなってしまう。

 最終学年の七年生ともなると受講する講義の数は減り、わたくしは極力四限目は空き時間にしている。

 テオ・ソトドラム、彼と会う約束をした日に先に食事を済ませるためだ。

 あんなにも食事食事と言っていたのがウソのように今ではすっかり簡易な補給食中心になってしまったわたくしの恋人が、不躾にも人の食事中の姿を熱心に観察してくることへの対処だった。


 ──あの方の瞳は本当に……あぁ、ようやく来てくれたわ!


「ティアさーん! お待たせしました!」

「テオ!」


 顔を合わせるのは三週間ぶりね。

 春の陽気の中を黒のローブの裾をはためかせてガゼボに向かって小走りで駆けてくる様子に、わたくしはいつも子どもの頃に抱きしめて眠ったくまのぬいぐるみを思い出す。

 口を閉じていると非常に近寄りがたい印象を与える大柄な殿方。

 表情が載っていないときの厳めしさを裏切る朗らかな笑顔がすてきだけれど……、わたくしシェレアティア・ルーゼンヴェルキスナールル・カサブランカが見逃すはずもない。


「テオあなた、休息を取っていないわね? 顔が土気色よ」

「いやあ……ちょーっとだけ、根詰めただけです。キミに会うのが心の支えだったんですよ~! ここの予約も取りにくくなってるし、今月は今日しかキミに会えないからさ!」


 律儀でまじめで、けれどはぐらかしがうまくなっている。

 テオが卒業をした年に、容易に会うことすら儘ならなくなるから今後は偽りを述べないでほしいとお願いしたのに、虚偽の申告をしない代わりに伝えないという選択を取るようになってしまった。

 恋人に心配をかけたくない感情は共感こそできるものの、己の健康を損ねることに精を出す恋人が心配でたまらなくなるから、彼は速やかに自省を覚えるべきだ。


「ティアさんは元気そう」

「己を顧みてつねに最善でいられるよう努力しておりますもの。それに……なんでもありません!」


 ──わたくしはどうしてもっとかわいらしく話すことができないのかしら。


 見るからにくたびれた様子のテオは目元も頬も口元も緩ませて、椅子に座ると背中を丸くした。

 わたくしが小柄なせいで最初こそ無作法にも身を屈めていたが、在学中の寮生活で行儀作法を仕込まれてずいぶんと見違えた。

 疲れているのだから今は姿勢への注意などしない。

 ここにいるのはわたくしに会うために都合をつけて急いできた恋人なのだから。


「なにがそんなに忙しかったの?」

「予定してなかった現場に急遽派遣要請がありまして」


 テオがランドルーヴェ魔術大学院魔導士課程に進学して一年半。

 在学中こそ講義と掛け持ちだった彼の人生の課題──魔力暴走と魔力核の研究において、年若い研究者のつねである雑用係の任期は皆無だ。破格の待遇だが実力によってプロジェクトチームの要となっている。

 わたくしも編入当時の中等部の頃は知らなかったが、魔導士課程に進めたからといって誰しもが国家の支援がつく研究を行えるとは限らず、まずは学院の教官の元で魔力の増幅をしたり己の開拓したい分野について視野を広めるために外部機関に研修に入ったりするそうだ。

 その点特例と例外だらけの極めて有能な存在であるテオは、まだ年齢だけで言えば見習いである序列で『先生』と呼ばれている。


「何人治してきましたの?」

「魔力消耗症患者五名、難治性魔力欠乏症患者一名」


 研究員でありながら、あなたは優秀なお医者様。

 わたくしの命を救ったテオの功績は我が国の誰しもが知るところで、彼が臨床の現場に在ることは賛否両論だ。


「あなたが治療しないことを前提としたプロジェクトだったのではなくて?」

「そうですよー! そうなんですけど……!」


 彼の突出した才能は、時に人の心を折ってしまう。

 奇跡の御業を事もなげに行えてしまうテオと己の格差に打ちのめされ、失意のうちに自ら職を辞した者もいたと聞く。

 テオは六年生の初夏を境に自分が他者と異なる生き物であると認識し始め、今では異形の化け物であることも納得しているとは、彼の友人であるクオジドォール王太子殿下、わたくしのお兄様の弁だ。


「見りゃわかるか。これがね、ティアさんの推定六歳のときの魔力核」


 ──無邪気なのよこの方、悪気はないの!


 急に体内の臓器を出現させるのも、姿すら知らない時期の魔力核をおそらく正確に写し取っているのも、どれほどわたくしを驚愕させるかまで思考が行き渡らない。

 考えて、わかろうとして、知ってはいるだろうけれど、剥製標本だって断りもなしに取り出されたら驚く。テオ・ソトドラムにとって魔力核とは美しいものだそうだから、グロテスクである認識も欠如しているのだ。

 まだ穿孔がなかったわたくしの魔力核を靄のような魔力が覆っている。

 テオ曰くグチャグチャの状態に眉を顰めてしまうと、彼は左手の上にも魔力核を現した。


「んで、こっちがうちのチームの人が作るんだろうなっつー疑似魔力核」

「なんですの……それは──っ、やめて、気分が悪いわ……!」

「でしょー! 気持ち悪いでしょー?! そうなんです、見た目似てるけど中身がぜんぜん違うんです!!」


 白い手袋を嵌めた指が閉じられるとどちらの魔力核も消失するが、胸の辺りの違和感が拭えず口を抑えてしまう。

 蘇る過去の記憶と、目にした強烈な違和感。

 テオは眉を下げて「ごめん……」と謝り、ガゼボのアイアンテーブルの上にグラスを載せ、わたくしの顔色を見てさらに小瓶も出すと一滴落とした。


 ──こういうときは気配りが行き届くのに、不器用な方。


「大丈夫よテオ──あら、これはトモルゥさんのお国の果物ではなくて?」

「気つけにいいかなって……ごめんね」

「いいのよ、お気になさらないで。──わたくしはこの程度で済みますけれど、小さな子どもには大きな影響があるでしょうね」

「本物そのままの擬似魔力核ですら泣く子は多いのに、見た目だけ似せてる波長がまーったく違う紛いモンみせられたらそりゃパニックですよ。……施設内がちょっとヤバいことになっちまったんでオレが呼ばれたんです」


 まず、テオの前提が大多数の人間にとって異常であることへの認識が足りない。

 魔力核はそう見たいものではないのだ、効率はよくても忌避感が強く本能的な拒絶感が起きては本末転倒だというのも伝わりにくい。

 可能な子には魔力核を含めた魔力を映し、難しい子には魔力だけを見せて──と想定しているようだが、具現化できてしまう相手に恐怖心を覚えることを研究チーム全体で無視しているのだろうかと訝しんでいる。

 しかし魔力や魔力核を愛おしむ感情こそが治療には不可欠で共存の真髄だと語るテオに、かつて魔力暴走児だったわたくしは傷ついた心を癒やし導いてくれる存在への救済と悲嘆を覚えてしまった。

 治療者への反発はわたくしにもあった。劣等感で視野狭窄なところに優秀な人が指導に来たら押し潰されて耐えきれず、余計に魔力は乱れてしまう。

 彼のように献身的且つ的確に制御補助をしながら支えてくれる指導者は得難く替えが効かず、光が強すぎた。


「また、周囲の反感を買ってしまうのではないの?」

「今辛い子どもに待ってろって言うのは酷なことです。泣いて頼まれて──、親御さんの気持ちを考えたら断れませんよ」

「テオ……」

「部下には『もうぜんぶソトドラム先生がすればよろしいのでは?』って言われましたけどね──そうだけどそうじゃなくってさあ! オレだって邪魔したいわけじゃねーよ! てめぇがオレの半分でもセンスがありゃできるだろって話!! つかなんでみんな疑似魔力核の創造の段階でつまずくんだよ!!」


 ──テオ、あなたはとても素晴らしい人だけれど、あなたの能力があなたの夢を遠ざけてしまうのね。


 テオ・ソトドラムの人柄を知らなければなんて傲慢な発言だと顰蹙ものだ。

 悲しいことに彼は、できないということがわからない。わたくし達と違って即時成功の結果が出る静観展開だからかできるという自覚も薄い。

 彼に平伏した海の如き魔力はいくらでも彼が望むままの現象を差し出す。彼が非常に温厚で繊細な人間性であるからこそ保たれる秩序なのだろう。テオとテオの魔力は友達であるということからも彼の穏健さが窺える。

 わたくしは、平民の少年が伴侶になると知った日の絶望をよく覚えている。それに比べたらこの溢れんばかりの才能に到底及ばない己への自己嫌悪など飴玉のように甘く易しいものだが、彼はこの些細な感傷にすら傷つくのだろう。


「魔力核に直接介入可能な人材は育てられそう?」

「いいや──まず、自分の魔力核にすらろくに触れないヤツが多すぎるんです。こう、グッていけないんすよねー」


 魔力保有者に通常備わる魔術展開は発動型。『展開せよ』という命令によって魔力が呼応する。わたくし達にとって魔力核とは脳であり心臓であり魔力の中心機構で熱の結晶体。魔力展開中にはさらに光を増すそれを容易く握れるところからしてテオは常軌を逸している。

 ……わたくしの疑似魔力核で百合の花を作ってくれたけれど、残念ながらわたくしはあれを直視するのも難しい。

 テオ・ソトドラムは感性や情緒的な側面も、凡百の人間とは異なっている──差異が広がっている気がしてならない。


「あなたの求める──他者への理想と、あなた以外の者が持ち得る技術に天と地ほどの差があるのね」

「ぜんぶオレがやって間に合うならオレがやります。……でも、オレの体は一つしかない。ぜんぶできない」

「ぜんぶやらなくていいのよ。あなたはわたくしのためにも自分自身を大切になさって」


 ──テオ・ソトドラムが行い、テオ・ソトドラムが補えばいいだなんて、彼の部下である研究員は軽々しく言ってくれたものだわ!!


 テオの稀有な力が肉体の酷使によって損なわれたら国家どころか人類の損失だ。

 彼を魔力暴走の治療分野以外に引き込みたい者は大勢いる。それこそ、シフィロソキア王国王家と我がルーゼンヴェルキスナールル家の後ろ盾がなければ、彼は消耗に継ぐ消耗を負わされて喪われてしまうに違いない。

 テオは人の役に立つことに喜びを感じる性質を持ち、それ自体はとても尊いことだが、求められるぶんだけ無理をしてしまう。


 ──許せないのよ。テオが自ら己をすり減らしていく姿など見たくはないの。


「古代魔術に人体複製ってのがあったらしいです。どーにもならなくなったら魔導士閣下(先生)に術式復活してもらって増やしてもらわないとですね」

「なんてことを言うの。わたくし夫は一人しか認めませんことよ。可哀想な存在を生み出すのはやめてちょうだい」


 以前よりは椅子の距離が近くなったが、テオは平民であることに固執し続けている。

 わたくしが準王族であり、年下であり、背丈が低いこともあって、テオはあまり弱みを見せてくれない。

 でも、今日はとてもショックを受けているのかテーブルに突っ伏してしまった。

 躊躇なく触れるわたくしをたしなめない。

 毎回一言口癖のようにお小言を言うのにその余裕もないのだ。

 

「オレ……トラブルの元です……」

「そうかもしれないけれど、人々の希望よ」


 見上げてくる嬉しそうに輝く双眸。

 あなたは甘えることもわたくしにはしたがらない。

 数多の畏怖と尊敬を集めるあなたが頭を撫でられると口元をムズムズさせてはにかむだなんて、わたくししか知らない。


「学院内中での派閥争いもホンットくだらなくて。テオ・ソトドラム先生すっげーって祭り上げたいヤツと、アイツクソ生意気ーって引きずり下ろそうとするヤツと。足の引っ張り合いじゃなくて研究に時間を費やせって思います。最近だと外部の狸ジジイまで接待に誘ってきやがって、これがまたすんげえ鬱陶しくて!」

「……テオ、接待というと女性とお茶をするお店に行くと聞いたことがありますけれど、行っていないでしょうね?」

「行くわけないじゃん!? ……オレは茶あしばくより魔力暴走児養護院(実家)でパン捏ねてたいっす」


 テオは大学院の寮に移り住んだが時折里帰りと称し忙しい合間を縫ってユミチカの家を訪ねている。報酬を受け取らずに職員の相談に乗ったり施設内の点検をしたり魔力制御について意見を交わしたりと、彼の原動力である空腹の子どもを助けたいという気持ちを発揮、もしくは発散していて、その行動は限りなく滅私奉公に近いものだ。


 ──正直に言うと、彼があの施設に通っていると愚かな準王女の胸が塞がる。


 彼は多くの子どもを救いたいと率先して行動に移し、ときどき、腹ぺこ時代というものを振り返ってか混迷している。

 ……わたくしの魔力核再生について講釈していたときなど頭痛がするほどわからなかった。殻つき生卵入りの分厚い皮をした揚げパンを、シチュー入り蒸し饅頭にしようとして、結局黄身が九割の殻なしゆで卵にしたと言っていた。

 伝わる人には伝わっていたけれど当人のわたくしには届いてくれなかった。

 魔術大学校に編入ができて理解力は一定の水準に達していると驕っていたが、彼の力説は難解だった。


 ──わたくし達、似通っていないところのほうが多いけれど、志は近くありたい。


「ねぇ、テオ──あなたのそうしたひたむきで真っ直ぐなところが皆の心を掴むのでしょうね」

「なんすか、いきなり……」

「先日お兄様のご一家と会食をしたのだけれど、お食事のあと、フィキディテート小父様からテオの話を聞いたお兄様がとても嬉しそうだったの。お兄様もお姉様も、テオを絹で包むようにして大事にしていらしたわ──。少し妬けてしまうくらい」


 わたくしに言いたい放題文句をつけて絶縁状まで突きつける厳しいお兄様は、テオに対しては肯定の嵐。

 テオは元魔力暴走児で彼の症状を恐れたご両親から手を離されてしまっているからだ。

 無邪気で強がりな少年を友人として支え続けるお二人にわたくしはけっして敵わない。

 皆は否定するけれど、テオのお姉様への尊敬は淡い初恋だと思っている。

 だって、そうでもないと、テオとクリスティアーナお姉様の仲を応援する者が現れるかしら!? ……どこのどなたかは存じませんし不問に付して差し上げるけれど、彼に平民と貴族の娘の恋物語を送りつけた者もいたというのだから実態は極めて悪質よ!

 でももう口にすることだけはぜったいにしないの……。お姉様に嫉妬してテオのことばかり考えて苦しい日々など繰り返したくないもの。


 ──あら、またペンダントに、触れて……今日は表情が曇っていないからいいけれど。


「どうしたの?」

「いや、なんでもねぇっす。……いや。疲れました」

「大変な中よく尽力しましたね。テオ、あなたは本当にがんばっているわ」

「うっす──……でもまだまだがんばんないと! クードとクリスティアーナ様の結婚式は待ってくれない。今のオレの身分じゃ式に参列できないです」


 やっぱり、口を開けばお兄様とお姉様と寮で親しくされていたお友達のお名前ばかり。

 テオの一番最初の夢がお二人の結婚パレードを見たいというものだったなんて、とてもずるいと思ってしまう。

 特別扱いが欲しくて『シェレアティアさん』『ティアさん』なんて呼ばせているのに、わたくし自体が三年前からあまり進歩がない。


「是が非でも、来年中に魔導士就任して結婚……あ…………ティアさん、クードと先生に会ったんなら魔力売買問題について聞いてるよな」

「ええ、そのお話が、本題だったもの」

「うん……。ああいうのホント……。……オレ当事者だったんだよなーって、やだな、思い出しちまって。あの持参金貯金、めでたいことに使いたくないです……」


 言葉を濁して俯いてしまったテオに加害者がなにを言えるだろう。

 他国で、魔力暴走児が被害となる重大犯罪が発覚した。子ども達から流出する魔力を得るために故意に不安症状を誘発する実験が組織的に行われていたのだ。

 わたくしもお兄様から話を聞いたときに臓腑が焼けるようだった。テオは尚の事憤り、辛く苦しく……本来の自分(過去)を思い出してしまうかもしれないと恐怖した。


 ──この方は、テオ・ソトドラム。わたくしの恋人。わたくしの将来の夫。誰も奪わないで。


「なんでフェリチェスカ様はあんな所在が怪しすぎる金をオレの口座に残したんでしょう? 入金時期だってキミへの治療の報酬っつーには時期ががずれてる」

「……あの当時、最もわかりやすい形でテオ・ソトドラムを称賛できたのがお金だったのよ」


 テオはお祖母様を苦手としている。

 とても厳しく王家出身の方だから非情なところもあり、じつをいうとわたくしも少し苦手なときがある。

 そして今は猜疑心を抱いてしまっている。

 今回の事件でわたくし達の出会いの本質は少年からの搾取ではないかという認識を強めてしまったのだ。

 彼の名は生まれたときに与えられたものとは異なっている。もしテオが国家のために犠牲になるべき生き物だと扱われていたとしたら──、テオの様子に変化があったら即時伝えるようにと仰ったお祖母様に真実を確かめることが、なぜできなかったのだろう。

 テオがご友人から受け取ったという童話すら、その人物が彼のお友達だったかすらも闇の中。


「テオに充分な自己肯定感が培われていなかった頃に、あなたの才能……いいえ、存在価値というものを示すには金銭が一番明快だったのでしょうね。あなたが多くの人を救った指標だわ」


 わたくしも、わたくしが通っていたグランウェルン女学院魔術科──魔力暴走児のための箱庭に集められた生徒達もあなたに救われていた。明日すら信じられなかった子どもの多くがあなたに光を見出した。

 でも──、わたくしの神様は慈悲の国におわす方ではなく、現実を懸命に逞しく生きられていた方だった。

 昨日、過去の後悔を映した夢を久しぶりに見てしまったと言ったらあなたは悲しむでしょう。独りぼっちのテオをわたくし抱きしめてあげたかったのに手が届かなかったのよ。


「たしかに外部に漏れてはいけない後ろ暗いお金で、あなたの魔力に染まっているわ。実情を知る者達の罪悪の証でもあります。あなたのためにと建前がなければ、お祖母様やお兄様はお心が潰れてしまっていたのかもしれないでしょうね」


 お祖母様のことだから入金時期だってどうとでもなるように処理をしているだろう。

 お兄様はテオのお友達だから痛む良心もあるけれど、元王女殿下には人を人として見る心があるのか不明だ。

 わたくしはお祖母様がわからない。わかっているのはお祖父様だけ。

 そしてそのお祖父様はテオがお気に入りで、毎回男性お二人でなにを話しているのだか。お母様はお祖母様とわたくしのことだと言うけれど、お父様の肩身が狭くなってしまっていることにどちらも気づいていないのよ!


「ティアさん! もう一杯飲む? べつのがいい?」

「あなたは心配症ね、テオ、わたくしのお医者様」

「キミが自分を責める恰好の理由になっちまうし、貯金は匿名で実家に寄付するかな。額減っちゃうけど魔導士就任の祝い金を持参金にして許してもらう。だから、さ、そんな顔しないで」


 ──あぁ、わたくしのテオ!


 あなたはいついかなるときもわたくしの不調に責任を持っているわ。大事にしてくださるの。

 あなたはご自身をもっと尊重するべきよ。


「テオ……、わたくしあなたが心から望むものだけを手にしていてほしいわ。社交にも政治にも煩わされることなく、悪意や好奇に脅かされず、純粋で善良な心を守ってくださる方だけに囲まれていてほしいの。あなたが誰かに利用されるなんてもう嫌……あなたにこそ美しいものだけを見ていてほしいわ。あなたにずっと心からの笑顔でいてほしい」


 あなたの疑似魔力核を見せてもらったとき、結晶の中で咲く白百合の姿に言葉を失ったわ。

 テオが見えているものはこんなにも残酷で神々しいのかと──わたくしは、人の世界にあなたを引き止めていられるか不安だわ。

 わたくしはあなたといると自信が失くなる。

 テオは、わたくしに掛け替えのない贈りものを授けてくれたのに、こちらからは一体なにを渡せるというの?


「きゃっ──もう、テオ! 真剣な話をしているのよ、リボンであやすのはやめてちょうだい!!」

「うう〰〰んっ! クッソォ、もー──! まえまえから思ってたけどさぁ! キミ、オレのことだいぶ好きだね!?」

「当たりまえでしょう? なにを言っているの」


 グレグリーさんがお持ちになっていた魔力波形感知装置に着想を得たらしく、テオはわたくしの感情が悪いほうへと揺れると講義中だろうとリボンを舞わせる。

 目に入ると嬉しいから、制服のリボンに非常によく似たものを五年生後期の最初で最後の進級試験合格時に贈ってほしいとお願いした。

 お姉様とお兄様以外はこのひらひらと踊るリボンが規定のものではないことに気づいていない。

 テオはいささか鋭さもある面立ちをしていて、笑顔を浮かべていない魔術展開中などは冷徹で怖さもあるけれど、わたくしのお友達に言わせるととてもピュアな方──落差の激しい方。


「オレの元患者さんがキミに突っかかっちまうときもうまく対応してくれてんだってね。──オレ達、愛し合ってるって……」

「事実でしょう。あなたはわたくしを愛していて、わたくしもあなたを愛していているわ。テオがわたくしを妖精や女王などと喧伝するから居丈高に振る舞わなくてはならないけれど、生涯の伴侶の流儀に則り、必ず打ち勝ち誇示して差し上げるの」


 テオに救われて魔術大学校に入学できた幸運な子が、月に一人はわたくしの元に直訴をしにやって来る。

 テオ先生を解放してあげてください──だなんて、また言われてしまうだろう。

 テオ・ソトドラムは皆の宝であるべきだ。


 ──でも、テオはわたくしに跪いたわ、わたくしのために生きると誓ってくださったの。


 彼に憧れている子は皆さんご存知だから、けっして敵わない相手と知らしめるように、不遜に高圧的に『大好きなテオ先生はわたくしのことをなんと言っていて?』と幼い恋心さえ摘んでしまう。

 わたくしは、わたくしの弱みなど誰にも悟られたくはない。


「テオの胸に白百合が咲いているのは周知の事実なのに、まるでわたくしの想いが不足しているかのように言われるのは我慢なりませんことよ」


 わたくしの涙を見たくないと言い張るの。

 わたくしに笑っていてほしいと訴えるの。

 わたくしがお弁当を渡したら感激して、教本を譲れば感涙したのよ。

 テオ・ソトドラムはシェレアティア・ルーゼンヴェルキスナールル・カサブランカを大切にしてくださっている。

 誰にも渡さない。彼の心を縛っていたいのはわたくしのほう。


 ──テオ、あなた、なんて顔をしているの?


「……オレ、寮にいたじゃないですか。当時からよく鉢合わせする後輩が、たまに教えてくれるんです。キミが──その…………、めっちゃくちゃにかっこよーく高慢ちきしてるってこと!! なんでオレ見れないのかなっーて、それは、ちょっと不満……」

「わたくしも、あなたが卒業してからずっと、校内で会える時間が減ってとても不満よ」


 ──わたくしったら本当にダメね、テオといるといつまで経っても子どもらしさが抜けないの。でも、あなたはそれを喜ぶ奇特な方だわ。


 人の話を立ち聞きしている人が、惚気話を本人にまで届けているのかしら……テオは、わたくしのことがもっと知りたいのね?

 お取り巻きと揶揄された方はいなくなって、少数の学友と、慎ましく、ときに大胆に婚約者や恋人について話すことはあるのだけれど、皆さんテオには少々辛辣なのよ、あなたのことはね、外見と学力と功績なら褒めてくださるの。

 皆さんあなたに対して『もったいない』とばかり言うの。見た目にそぐわない口調も表情も魅力的だと思うのだけれどわかっていただけないの。

 わたくしあなたの内面に強く惹かれているわ。

 だから、テオのよさが粗雑で乱暴で教養のない話し方や洗練されていない表情のせいで伝わらないのがもどかしいけれど、反面、わたくしだけが理解していればいいとまで思ってしまう。


「ティアさんさー、ホッントにもう、強いですよね……」

「いきなり貶さないでちょうだい」

「褒めてます! つか、参ってます……キミちょっと怖いよ」


 参るなんて……怖いなんて、どういうおつもり……?

 わたくしあなたに勝ちたくないわ。

 やはりあなたにはわたくしは不適当なの?

 容姿しか優れたところがないわたくしよりも、お姉様のように淑やかで優しく穏やかで美しく……女性らしい体つきの方のほうがあなたはお好きなのよね。


「ごめん、間違えた! かわいいから……っ、見た目も中身もかわいいんだよキミは! だからそういう顔されると……っとに。あと、何度も言いますけど、クリスティアーナ様とはぜんぜんそういうんじゃないから! オレを友達の花嫁さんを追い回すクズ野郎にしないでください。あー……っ、いい加減覚えろよ! 初恋もキミだっつってんだろ!!」


 リボンにこしょこしょとされて、盛大に溜息をつかれて、テオはまたペンダントに触れている。

 そちらこそ、そんな目でカサブランカに触れないでいただきたいわ。

 あなたはわたくしといるのに意識的に静けさを伴おうとする。冷淡になっていく眼差しに寂しい思いをしていることに気づいてくださらない。

 そうかと思えば柔らかな目をして見つめてくるの。


「五限目、多重魔術理論は、担当教諭の怪我により本日は休講です。繰り返します──」


 お互いの近況を話しながらようやく午後の穏やかな時間を過ごしていると、テオのお気に入りの場所だった時計塔の鐘から響く声。

 わたくし達は目を見合わせた。

 この全体連絡は滅多に使われることはなく、余程の急な事態だった。

 蓋を閉めてしまっている懐中時計の時刻はまだ知りたくなかったのに。


「マリグレイス先生の声だ」

「医務室から放送しているのでしょうか?」


 次の講義が多重魔術理論。

 二年前から定員超えになった人気科目だけれど、わたくしは今年で受講二回目。

 マリグレイス先生と、おそらく担当教諭のシャルシェ先生の押し問答が数秒流れ、わっと大声が裏庭に広まった。


「テオ・ソトドラムさん! まだ校内にいるかな?! もし時間があるならば私の代わりに教壇に立ってほしい! ぜひ三年前の奇跡を話してもらいたい!」


 突然名前を呼ばれたテオが渋面になってしまう。

 公私混同をするなんて幼稚な教員だわ。


「はぁ……? なんでオレ……」

「先生はタナ・ソトドラムのファンですから──あなたのファンでもあるのでしょう」

「……奇跡っつか……デマだし」


 初代魔導士タナ・ソトドラムとテオに血縁関係はなく、ソトドラムの末裔というのは我がルーゼンヴェルキスナールル家婿入りのための箔づけに過ぎなかった。

 けれど彼が多重魔術理論の講義で《雷落としのソトドラム》となって以来、理論提唱者の血筋だからこそ奇跡を起こしたのだとまことしやかにささやかれている。


 ……わたくし、その異名の由来を聞いたとき混乱しましてよ。だからあんなに感情が高ぶって、逃げ惑ってしまったの。


 毎回先生は講義の終わりにわたくしを見てくるけれど、テオの信奉者が増えるのは好ましくない事態だわ。

 それに、テオは、失恋をして雷を落としたのだもの。

 わたくし達は相思相愛なのに今さら蒸し返すのはマナー違反だわ。


「ティアさん、話、聞きたい?」

「わたくしは講義でなくとも聞けますから結構よ。あなたはお忙しいでしょう?」


 意地悪ね、そんなこと聞くの。

 聞きたいわよ、あなたとの順調な交際についても流布したいわ。

 けれどテオはお願いされたら聴講する者皆にあなたが見たという魔力核の中の景色を見せるのではないかしら。

 きっと、あなたならそれくらいできてしまうのでしょう?

 嫌よ、ぜったいにいや。

 わたくしだってなかなか会えないのに他の者に時間を割かせる義理はないわ。

 それに、やや長身すぎるとはいえ貴族の女性にとってテオがどんなに理想の男性に映るかを、この方まったくわかってないの。


 ……わたくし、あなたが落ちてきたときに、ともに恋に落ちたのよ。


 本当にずるいわテオって!

 気の抜けた笑顔と真剣なときの眼光が違いすぎるの。

 あまり、このローブ姿を見せたくないのよね。

 魔導士課程の者のみに許された装束ですもの、女性が簡単に湧き立ってしまうわ。


「ま、たぶん教室閉鎖されるから入れないですよ。──ティアさん、オレの研究室来ます? 紅茶くらいなら淹れられますよ」

「いいの!?」

「うん……また、落第しちゃったら可哀想だし」

「あなたのせいで実習にも点数がつくようになってしまったから単位を落としただけです! 不合格者が続出して……っ、わたくしだけではありませんことよ!」


 屈辱の、単位取得不可判定。

 あまりに取得できる者が少ないために来年からはべつの先生が赴任されるか、実習に採点がつかない方式に戻るかで揉めているらしい。

 天才にはなれないなら秀才になりたいと努力を惜しまなかったのに、よりにもよって唯一単位を落としたのがテオの代名詞にもなっている多重魔術理論だなんて──。

 テオの自覚的魔術展開において、魔力の水を広げながら魔力の雷を落とす感覚というのもぜんぜん理解ができなくって悔しいわ!!


「座学だけならともかく、キミにはちょっと向いてないよね、複式展開」


 立ち上がったテオがわたくしの鞄を携える。

 貴婦人にはハンカチーフと百合の花以上に重いものを持たせてはならないというお友達の教えに忠実ね。

 またあなたが後悔に陥ってしまわないように、差し出してくれない手ではなくて腕を取るのよ。

 

「魔力の総量が少なくなった代わりに、あなたと過ごせる時間が増えたから幸せよ」

「あぁ……うん……」

「テオのお部屋に行くのは初めてね! 楽しみだわ」


 体格差があると腕も組みにくくてテオの体が傾いてしまうわ。

 はしたないけれど、裏庭の門を境に魔術大学校と大学院は繋がっているから、ほんの少しだけ学校敷地内で恋人のようにくっつけるの。


「どうしたのテオ……、またお水を被って」

「スイマセン……」

「いいのだけれど──、体調が悪いの? 無理をしてはいけないわ。わたくしとお話するよりあなたは休んだほうが──きゃっ! テオ!? なぜ雷まで落とすの!」

「…………離れていかないで。一コマぶんだけ、お話ししましょ」


 頬を染めたままで無表情になりわたくしを引き寄せるテオは、男の人だわ。

 顔に触れたペンダントの鎖が、冷たく思えるくらい、わたくしもあなたも、恋をしている。


「行き先変更よテオ、医務室に連れていくわ」

「えっ、なんでぇ!」

「一コマぶん仮眠を取って、そのお顔の色をなんとかしてちょうだい。わたくしが講義に出るならその予定だったのでしょう?」

「あぁ、まぁ、そうですけど」

「ほらテオ、行きますわよ!」

「引っ張んなって、もー……」


 休憩することが下手になってしまったあなたには、多少の強引さが必要だわ。

 研究室や寮にいると自分のすべきことを考え、抱え込んでしまうのでしょう。

 本当にあなたってどうしようもない方よ。

 わたくしはその重責をともに背負えないけれど、安眠くらいなら守れるわ。


「ちゃんと手ぇ繋いでくださーい」

「結構です。参りましょう」


 あなたが毎回忘れずに手袋をなさる意味を、わたくしはもうずいぶんとまえから知っている。

 在学中から欠かさずつけているわね。

 わたくしがいないところでは素手であるのを知っているのよ。

 残り、あと一年半ね。


「ティアさん、学園生活楽しんでる?」

「えぇ、とっても。とっても楽しいわ! 講義を受けられて、魔術が扱えて、お友達がいて、あなたもいる。青春を送っているの」

「よかったです」

「心から感謝しております、わたくしのテオ・ソトドラム様」


 国家にも使命にも我がルーゼンヴェルキスナールル家にさえ、このてれてソワソワしているテオは渡してあげない。

 約束どおり、シェレアティア・ルル・カサブランカは家族とも友人とも楽しい日々を過ごしております。

 神様に祈っていた未来など到底起こり得るものではございません。

 ですからあとは、あなたがわたくしの元に駆けてきてくださるのを待つのみです。


無事完結しました

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