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『黒』を『白』に変える最後のカード

作者: サイド

稲見いなみ君、一つ『頼みごと』があるんだけど、いいかな?」

 急激に気温が上昇し始めた七月上旬。

 窓際、前から数えて三番目の席で大富豪をしていた俺こと、稲見港(いなみ みなと)へ一人の女子生徒が話しかけてきた。

 俺は思わずカードを取り落としそうになりつつ、

「え?」

 と間抜けな答えを返す。

 女子生徒こと、倉立千佳(くらたて ちか)は肩につく位のミディアムボブの髪先を揺らし、ちょっと苦笑した。

「ごめん、急なのは分かってるんだけど。聞いてくれると助かるんだ」

「あ、ああ……。『頼みごと』ね……」

 俺が曖昧に頷くと、倉立は一つ前の席を指差して見せる。

「どうぞ。見ての通り、空いてるから」

「うん、ありがとう」

 倉立はそう答えた後、椅子を俺へ向けて回し、腰を下ろす。

 エアコンが効いているとはいえ、初夏の日差しもあり、彼女の頬に一筋の汗が流れ落ちた。

「いやー暑いねー? 言葉にしても涼しくならないのは分かってるけど」

「スッキリはするし、言えばいいんじゃないか? 倉立の『頼みごと』ってそういうものだろ?」

 俺がそう指摘すると倉立は、「あはは……」とはにかみ混じりにまた苦笑した。

「初対面なのに自分の事を知られてるって、ヘンな気分かも?」

「去年の倉立は目立ちまくってたからな」

「そ、そんなにかな!? 色んな人に言われるけど、誰にも迷惑はかけてないし!」

「まあ、それはそうなんだが……」

 不服そうな倉立のリアクションを見ながら、俺は去年……高校一年目の出来事を思い出す。

 とは言っても、特別な出来事があったわけではなく、彼女は今のように『頼みごと』をして回っただけだ。

「『どうしようもないことにぶつかったら、誰かに頼る。そしてその誰かが困っていたら全力で助けになる』……か。そんなことを言い切れるなら、そりゃ有名にもなると思うが」

「あ、改めて言葉にされると恥ずかしいね!? そんなことは……まあ、言ったけど、みんな大げさだよ捉え方が!」

「大げさねぇ……」

 思わず俺の言葉尻が渋くなる。

 一つ助けてもらったから、一つ返しただけという話なんだが、その『一つ返した』が問題だったからだ。

 例えば倉立がバスケ部員に、『宿題で分からない部分を教えて欲しい』という『頼みごと』をした際、リターンとして、『バスケットボールを磨いて欲しい』という願いを受けたという話があった。

「で、ボールはおろか体育館の床まで鏡みたいに磨き上げた、と。……全然釣り合いが取れてない気がするんだが」

「だ、だってさ、全力で助けになるなら、できることを最後までやらなきゃだよ!」

「……本当にそれを行動にできるから有名になったんだと思うぞ? 忍び込んだ深夜の体育館でひっくり返ってたっていうのも含めて」

「う~……、それは言わないで。みんなにめちゃくちゃ怒られたから……」

 納得いかないという雰囲気で倉立は唸るが、だいたいこんな感じで困ったら遠慮なく『頼みごと』をして、『その代わりにどんな願いでも聞く』というのが彼女のスタイルだ。

 バスケ部の他、『図書室の掃除を頼んだら、全ての本がジャンル別に並び直された』、『卓球部の予算申請を頼んだら、三倍の額が下りた』など例を挙げれば切りがない。

 必然として名前が売れ、根っこの性格も知れ渡ったから、俺みたいな目立たない男子だって突然話しかけられても驚かないという訳だ。

 俺は一つ息を吐き、大富豪をしていたカードを手元でシャッフルしながら口を開く。

「で、何なんだ?」

「え?」

「『頼みごと』。あるんだろ?」

「あ……、うん。そうだね」

 俺の指摘に倉立は少し神妙な表情になった後、一つ深呼吸をしてから顔を上げた。

「ある女の子に伝言をお願いしたいんだ。ちょっと複雑な話になるから、受けるかどうかは聞いてから考えて欲しいんだけど――」

 そして倉立は一つ一つ状況を確認するかのような口調で、『頼みごと』を俺へ伝えたのだった。




///////




「えっと、校庭と食堂の間の……どこだっけ?」

 午後の授業を終え、日差しの鋭さが更に増す頃、俺は倉立の助言を思い出しながら校庭を歩く。

 耳をすませばグラウンドからは運動部、二階建ての部室棟からは吹奏楽を始めとする文化部の喧騒が届いて来るが、俺はそれらに背を向けて学校の裏側へ向かった。

 夏の暑さと陰りが生む湿気、そして鬱蒼とした校庭の草木もあり、不快指数はうなぎ上りだ。

「三枝有唯(さえぐさ ゆい)、だったか。ホントにこんなところにいるのか……?」

 つい疑いの言葉が出てしまうが倉立の、


『放課後は校舎裏にいると思うよ。……えっとね、食堂を背にして三本目のイチョウと四本目のクスノキの間かな』


 という妙に確信めいた指示もあり、足を運んでいるのだが……。

「立ってるだけで辛い場所だな……汗が止まらないし。安請け合いしたのはマズかったかなぁ……」

 俺はため息交じりに愚痴をこぼすが、視線の先の地面で本当に寝転がっている女子生徒を見つけ、言葉を失ってしまう。

 周囲を見渡せば確かに、『三本目のイチョウと四本目のクスノキの間』で、とてもじゃないが快適とは言い難い場所だ。

「え、えぇ……? 倉立はどうしてここが分かったんだ……? って、そうじゃなくて、おい、大丈夫か!?」

 俺は浮かんだ疑問を一度振り払い、女子生徒の近くへ走り寄る。

 寝ているというより倒れているようにしか見えなかったし、明らかにグッタリとしていたからだ。

 時期が時期だし、熱中症という可能性もありうるが――。

「……?」

 三枝と思われる小柄な女子生徒は閉じていた目を薄く開け、浅い呼吸を繰り返しながら顔を上げる。

「……だれ?」

 髪型は倉立より短いショートカットだが、あまり手入れをしていないのか毛先は荒れており、顔色も悪い。

 身体を横たえる土も湿り気を帯びていて、なぜこんな場所にいたのか気になるところだが……。

「同級生の稲見港だ。三枝有唯……だよな?」

 半身を起こした女子生徒が警戒心を隠さない声で答えた。

「……そうだけど。どこかで会ったこと、あった?」

「いや、初対面だ。『頼みごと』があって来たんだ」

 その言葉を聞いた三枝の表情が、目に見えて険しくなる。

 三枝について倉立から、「普段授業に出ていない子」と聞いてはいるが、マズい言い方をしていないかと緊張を隠せない。

 やがて三枝は刺のある口調で、俺に問い掛けた。

「『頼みごと』ってことは倉立さん絡み?」

「あ、ああ、そうだけど。その話をする前に、どこか体調でも悪いのか? 顔色が真っ青なんだが」

 俺の指摘を受け、三枝は右手で自身の頬に触れた後、口元だけで薄く笑った。

「気にしなくていいよ。体調が悪いのはいつものことだから」

 彼女はそう言い、クスノキを背もたれにして何とか立ち上がった。

 それだけで荒く呼吸を乱し、重いため息を吐いているが本人が気にするなという以上、深く突っこむこともできない。

「で、どうなの? 倉立さんからので、合ってる?」

「あ、ああ。実は――」

 俺がその内容を話そうとした瞬間、三枝は右手でそれを制し、言葉を被せて来る。

「待った。内容を聞く前に、私から一つ条件を出したいんだ」

「条件?」

 予想していなかった展開に俺は眉根をひそめるが、三枝はまた口元だけで薄く笑うだけだ。

「難しいことじゃない。倉立さんから、『頼みごと』を受けたのなら……ええと稲見君は、『代わりにどんな願いでも聞かせられる権利』を持ってるってことだよね?」

「あ、ああ。そうなるな。正直、使いどころもなくて困ってるけど」

「なら、ちょうどいい。『頼みごと』を引き受ける代わりに、その権利を私に譲って欲しいんだ」

「なんだって?」

 驚く俺へ三枝は青白い顔に意地の悪そうな笑みを浮かべて、頷く。

「『頼みごと』の内容を聞く前に受けると約束するんだから、悪くない条件だと思うけど?」

「そ、それはそうだが……」

 とはいえ、そう簡単に譲ってしまっていいものか、と流石に悩んでしまう。

「少し考えてもいいか?」

 そう問いかけると三枝は、「どうぞ」と淡々と答え、俺はブレザーのサイドポケットからトランプを取り出した。

 倉立から依頼を受けた時と同じように、手元のカードをシャッフルしながら頭の中で状況を整理する。

 少し不思議そうな表情を見せた三枝に、俺は答えた。

「気にしなくていい。考え事をする時の癖なんだ」

「へぇ。カードを触っていたら落ち着く、とか?」

「ああ。ルーティンみたいなもの」

「ふうん?」

 どうでもよさそうに頷く三枝を尻目に、俺は思考を整理する。

 思い返してみれば俺が倉立から頼まれたのは、『伝言役』だけで、内容に関してどうこうしろとまでは言われていない。

 もし、聞いた事件の解決は倉立と三枝がすべきことで、俺が立ち入る必要のないものだとするなら――。

「……分かった。そっちの方は好きにすればいい」

「ずいぶんと物分かりがいいね?」

 俺は両手でカードをリフルシャッフル……交互に重ねて混ぜながら答えた。

「よくよく考えてみれば倉立とは今日が初対面だし、して欲しいこともないしな。持て余すくらいなら人に譲った方が気も楽だ」

「ふーん、宵越しの銭は持たないって?」

「そんなカッコいいものじゃないって。……で、その条件なら三枝は話を聞いてくれるのか?」

 そしてその問いかけに対し三枝は、

「願ったり叶ったりだ。遠慮なく話していいよ」

 と悪い顔色を一層青くして頷いたのだった。




///////




「なるほど、登校したらいわくつきのアクセサリーが靴箱や机に入っていた……って類の事件が女子生徒の間で頻発している、と」

 倉立からの伝言を聞き終えた三枝は、他人事のような口調で呟く。

 俺もカードをシャッフルする手を止め、頷いた。

「今の所、実害はないんだけどな。いわくつきって言っても、絵の具で赤く塗られたイヤリングとか、ひび割れた指輪とかだし」

「血とか決裂とかそんなイメージかな。……とはいえ、いい気はしないでしょ。嫌がらせには変わりないし」

「まあ、確かに。ちなみに被害者の学年、部活なんかの共通点はなしだ。ついでに計画性も」

「……ふーん、じゃあ倉立さんは私に犯人捜しをして欲しいってこと?」

「そう……なんだろうな。伝えてくれってそういう意味だと思うし」

 俺の答えに三枝は怪訝そうな表情を見せるが、疑問だらけなのはこっちも一緒だ。

 事件はもちろん、二人の関係性が全然見えてこない。

 普段どういう接点があるのか?

 厄介事が持ちあがったら、いつも探偵まがいのことをしているのか?

 なら、なぜ俺を間に挟んだのか? など疑問は尽きない。

 俺は一つ、咳払いして話を続けた。

「とはいえ、ノーヒントってわけじゃない。倉立の方でそれらしい生徒を三人に絞ってくれたそうだ」

 その言葉を聞いた三枝は、驚いた様子で目を丸くして見せた。

「そんな状況からよくそこまで絞ったね」

「それこそ、人脈の成せる技だろ。朝早く登校する生徒にこっそり聞き込みをした、とか言ってたな」

 クスノキに背を預けていた三枝がずるずると滑り落ち、ぺたんと尻もちをつく。

 その顔に浮かんでいる表情は、呆れだ。

「それはさぞ胃が痛んだろうね。私なら絶対やりたくない」

「その意見には同意だけど、ヒントはもう一つある」

「?」

 三枝は小首を傾げ、俺は最後の伝言を告げる。

「倉立が直接、三人と話をしたらしくて。その時の証言があるんだ」

「はぁ?」

 三枝はさすがに素っ頓狂な声を上げ、俺も深く頷いて再び同意した。

 その行動力は大したものだが、明らかに使い方を間違っている。

 いきなりそんな大振りを当てにいくのか、というか。

「あー、ただ、倉立も直球で犯人かどうかを聞いたわけじゃない。会話しながらそれとなく同じ質問を全員へしたそうだ」

「同じ質問? それを参考に割り出せって?」

「だと思う。質問は、『今度の休日はどう過ごす?』だ。プライバシーに配慮するってことで、名前をABCに分けて聞いたんだが――」

 そう前置きして俺は三人分の解答を、三枝に伝えた。

 答えはそれぞれ、


A 買い物へ行く

B 図書館で本を読む

C 分からない


 の三つだ。

 ……正直言って、これで何が分かるのか想像もできないのだが、三枝は悩む素振りもなく即答した。

「『C』だね。倉立さんへ、そう伝えて」

「え?」

 迷いのない口調に俺は激しく動揺し、シャッフルしていたカードを手元から落としそうになってしまう。

「な、なんで!? 根拠は!?」

 つい語気が荒くなってしまったが、俺はそこでさっきまで青白かった三枝の顔色が、土気色にまで悪くなっていることに気付く。

「あ、す……すまん。だ、大丈夫か?」

 俺の声掛けに三枝は酷く苦しそうに眉根を寄せ、冷や汗を流しながら、身体を小刻みに震えさせていた。

 クスノキへ体重を預けながら何とか再び立ち上がるが、息も絶え絶えに絞り出すような声で答えた。

「義理は果たしたよ。『伝言役』は雇い主へ報告したら? ……今日は、ここじゃなかったみたいだ」

 そして動揺する俺へ謎の捨て台詞を残し、三枝はその場を立ち去って行く。

 真夏の猛暑を予想させる七月の午後。

 厳しい日差しの中を進む三枝の小さな背は、すぐに陽炎に溶け、跡形もなく消えて行った。




///////




「……そっか、じゃあ『C』が三枝さんの答えだったんだ?」

 翌日の昼休み、『頼みごと』を受けた時と同じく前の席に座る倉立が頷いた。

 思うところでもあるのか倉立の声音は少し低く、目も伏せがちだ。

 俺も何か意見を言うべきなのかもしれないが、状況が掴めていない以上、軽はずみなこともできない。

 やがて、倉立は無理に声を明るくして笑って見せた。

「うん、ありがと! せっかく協力してもらったんだし、後はわたしの方で何とかしてみる!」

「何とかって……具体的にどうするんだ? まさか、本人の後を付けて現場を押さえるとか?」

 俺の指摘に、倉立は慌てて首と手をぶんぶんと左右に振る。

「そ、そんなことはしないって! わたしなりのやり方で、だよ!?」

「いや、その倉立なりのやり方っていうのが一番怖いんだけどな……?」

 『頼みごと』のルール、ABCへの直接の質問など不安を上げれば切りがない。

「だ、大丈夫だよ! 誰にも迷惑はかけないつもりだし!」

「まあ、俺がどうこう言えることでもないけど……。あ、そういえば一つ、聞いてもいいか?」

「ん? なあに?」

 倉立が小首を傾げて見せ、俺は一番気になっていたことを尋ねた。

「この一件、どうして三枝を頼ったんだ? 時々、二人で探偵みたいなことをしてたとか?」

「え!? あ、あー……、それは」

 その問いに倉立は分かりやすく動揺し、視線を宙に泳がせる。

 予想できる問いだったと思うんだが、前しか見ないで生きてると案外気付かないのだろうか?

 やがて倉立は、しどろもどろに答えた。

「そっ、そのぅ、関係らしい関係はないんだけど、気になるっていうか?」

「気になる? なんで?」

「あ、でも面識がないわけでもないよ!?」

「お、おう……?」

 噛み合わない受け答えに、今度は俺の方が戸惑ってしまう。

 それを感じ取ったのか、倉立は口に手を当て頬を赤くして、「うぅ~」と唸るばかりだ。

「ま、まあ、答えられないなら別にいいぞ? あ、でもこれは教えてくれ」

「な、何?」

 俺は昨日、顔を真っ青にしてクスノキに寄り掛かる三枝の姿を思い出しながら問う。

「三枝、体調が悪いのか? 正直、放っておくのも不安なレベルなんだが……」

 すると倉立は、すっと表情を神妙なものへ変え、問いを返してきた。

「三枝さん、悪かったんだ? 体調」

「あ、ああ、大分。『今日はここじゃない』とかよく分からないことも言ってたし」

「……ここじゃない? ごめん、わたしも体調が悪いのを知ってるていどなんだ。なんなら、昨日直接会った稲見君の方が詳しいかも」

「俺の方が?」

 意外な解答に、今度は俺の声が上擦る。

 三枝は三枝で倉立のことを知っている様子だったし、親密じゃなくてもそれなりに交流があるものだとばかり考えていたからだ。

 ……白状すれば、その経緯に興味はある。

 けどこれ以上、『伝言役』が出しゃばるわけにもいかないと思い、間を持て余してしまった俺はカードを手に、シャッフルを始めた。

 するとそれに興味を抱いたらしい倉立が、不思議そうな表情を見せる。

「昨日もやってたけど、手慣れてるね?」

「ルーティンみたいなものだな。落ち着くんだ」

「へぇ……。ねえ、今度はわたしから聞いてもいい?」

「ん?」

 そして倉立は、「実は、ずっと気になってたんだ」と前置きした後、

「昨日はどうして、一人で大富豪をしてたの? みんなでやるゲームだよね?」

 と率直すぎる疑問を投げかけたのだった。




///////




 その問いに一瞬、俺の手が止まってしまう。

 けど、聞かれても仕方ないとも思っていたので、俺は正直に答えを口にした。

「確かに大富豪は一人でやるゲームじゃない。……俺がやっていたのは再現だ」

「再現?」

 倉立はまた不思議そうな表情をして、目を瞬かせる。

 俺は手に持っていたカードを四つに分け、机の上に配って見せた。

「プレイヤーは四人。最後に『革命』が起きて、大富豪と大貧民が劇的に入れ替わる……そういうシチュエーションだ」

「え、ええっ? ど、どういうこと!?」

 倉立はしどろもどろになるが、ここで止まると却ってややこしいので俺は構わず話を進めた。

「マンガであったんだよ、このシーン。プレイヤーは財産と命を賭けてさ。ここで勝負が決まったわけなんだけど」

「う、うん……?」

 そこまで言って俺は四人分のカードを開き、手札を確認する。

「要するに、マンガで見た超展開を再現できる確率はどの位なんだろ? って話だな」

「あ、あー……」

 ようやく状況が飲み込めたらしい倉立が頷く。

「再現ってそういう……。同じ手札になるまで繰り返してたってこと?」

「ああ。ついでに多少手札が崩れてても、何とか似た状況にできないかも考えてた」

「へ、へぇ……」

 一応、理解はしているみたいだが、倉立の表情は引き気味だ。

 ……まあ、そりゃそうだろう。

 なんでわざわざそんなことやってるの? と思うのは当然だ。

 俺は机の上のカードを回収し、一旦まとめた後、再び口を開いた。

「……俺のじいちゃんの言いつけなんだ」

「えっ?」

 唐突な切り出しに倉立の声音が少し上り、俺は一枚のカードを引いて、彼女の手元へ伏せた状態で置く。

 次に手の平で、「どうぞ」と促し、倉立の白く細い指先が開いたカードはジョーカーだ。

 それを見届けた俺は口を開く。

「『黒という結果が出た時は』」

 俺はそこまで言った後、倉立のカードをつまんで再度伏せ、人差し指をその上に乗せる。

 とんとん、と指先でカードを叩いた後、さっきと同じように倉立へそれを開くよう促した。

「わっ、ダイヤの3になってる!? なんで!?」

 倉立は驚きの声を上げた後、目を丸くして視線を向けて来る。

 ……カードを伏せ直す際、手の平に隠し持っていたカードと入れ替えただけなんだが、ここまで直球のリアクションをされると却って恥ずかしいな、と思いつつ俺は続けた。

「『どうやれば白という結果にできるか、考え抜け。それが出来て一人前』……だそうだ」

「ほ、ほぇ~……。じゃ、じゃあ、それでカードを触る癖がついた、とか?」

「そうだな。気が付いたらカードに限らず、白黒付くものがあったら逆を考える癖が付いてた。一番大切なのは再現可能なこと、次に具体的な方法、だな」

「えっと……その……」

 倉立は腕を組み、俯いて唸った後、何とか言葉を絞り出した。

「か、変わった一人前だね? 稲見君はそれを目指して頑張ってたんだ?」

 俺は思わず苦笑しつつ、頷く。

「そう……だな。言葉にすると恥ずかしいけど、そういうことだと思う。あと……」

「?」

「目指してるって言うなら一人前より、『透明』って言った方が近いかもしれない」

「『透明』?」

 唐突な言葉に倉立は、きょとんとする。

 けど、ここまで来たのなら全部話してしまった方が楽だと俺は判断し、三度口を開く。

「ただのイメージだけど。毎日カードに触ってあれこれ考えてたら、目指す先の印象は一人前って言葉の、ゴリっとした感じじゃなかったから」

「うーん……? ごめん、よく分からない。せっかく話してくれたのに……」

 倉立は肩を落とし、目に見えてしゅんとしてしまったので、俺はまた苦笑してしまう。

「いや、構わない。目標のイメージがそんな感じってだけだし、それを言葉に出来ない原因は俺の実力不足だしな」

「うん……。でも、そっか、だからわたしは稲見君に声をかけようと思ったのかも……」

「え?」

 ぽつりと倉立が呟いた言葉に俺は反応するが、彼女はまた首と手をぶんぶん振って見せるだけだ。

 ……とことん、嘘が下手というか吐けないんだなあと考えていると、不意に倉立は顔を上げ、俺を真っ直ぐに見据えて告げた。

「稲見君、その気があるならもう少しわたしに付き合ってくれないかな? ……今度は『C』を調べた結果を三枝さんへ伝えて欲しいんだ」

 その予想外の提案に俺は、「へ?」と間抜けな声を漏らし、目を丸くすることしかできなかった。




///////




「それでわざわざ結果報告に来たの? 倉立さんも人使いが荒いね」

 昼間の会話を経た、放課後の旧校舎にて。

 正確には現校舎と旧校舎を繋ぐ渡り廊下の二本目と三本目の柱の間に座っていた三枝が、口元だけで薄く笑った。

 座っていた……というより崩れ落ちていたという方が正しく、顔色も依然として真っ青なので俺はどうにもリアクションに困ってしまう。

「俺は昼と放課後の間でケリをつけて来た事に驚きだけどな……」

 倉立ってゲージ消費なしで超必殺を打てるのか……などと考える一方で三枝は目を閉じ、苦しそうに重い息を吐いた後、俺へ問う。

「で、結局犯人は誰だったの?」

「ああ、それは――」

 俺は一旦、青い中空へ視線を向け、倉立との会話を思い出しながら答えた。

「『C』で間違いなかったよ。……後は付けないと言った分、本人と直接話し合ったって聞いた時は、さすがに驚いたけど」

 ため息交じりにこぼしてしまった感想に、三枝は皮肉気な表情で小さく笑う。

「『わたしなりのやり方で』だっけ。……具体的には?」

「何か辛いことがあるなら話して欲しいって、『頼みごと』をしたんだ」

「『頼みごと』?」

「そう。で、その代わりに、『どんな願いでも聞かせられる権利』を『C』に与えた。どこの誰とも知れない生徒がそれをやったら警戒されるだろうけど」

 三枝は辛そうに顔をしかめながら腰を上げ、二本目の柱へ背を預けた。

「倉立さんには一年間の実績がある。悩みを聞いてもらえて、他人を自由にできる権利も得られるなら、断る理由はないね」

「ああ、これで嫌がらせも止まるはずだ。正に彼女なりのやり方って感じだな。……全部を聞いた訳じゃないんだが、『C』には家族関係のストレスがかなりあったらしい」

 その返答に三枝は大して興味もなさげに、「へぇ」と冷淡に頷くだけだ。

「相談できる友人もいなかったから、嫌がらせって形で爆発したって話だ」

「だから犯行が衝動的で被害者の学年、部活に共通点がなかった……計画性もってわけか。そういう人物に対して、『どんな願いでも聞かせられる権利』の効果はてき面だろうね」

「それなんだが……」

 三枝の見解を聞いて俺はサイドポケットからカードを取り出し、それを触りながら渋い顔になってしまう。

「大丈夫なのか? そんな簡単に、『頼みごと』をして」

 そのリアクションが面白かったのか、三枝は意地の悪い笑みを見せた。

「お優しいことだね、『伝言役』さん?」

「からかうな。倉立のやり方が危なっかしいのは、三枝にだって分かるだろ」

「まあね。けど、心配する必要はないと思うよ? 助けを求められたら、倉立さんは文字通り全力を尽くすだろうから」

「……? どういう意味だ?」

 三枝は軽く俯き、少し考えた後、答えた。

「彼女は他人に頼る事をためらわない。手段があるなら、あらゆるパイプを使って『C』の悩みを解決しようとするでしょ」

「あー……、みんなを巻き込んでいくってことか。それは……」

「正しい方法だけど、一人で秘密や悩みを抱え込んでグズグズしたい人間にとって最も避けたい手段でもある。『C』は自分にメリットがあると思って、『頼みごと』を受けたのかも知れないけど」

「結果的に選択肢を失ったのは『C』の方ってことか。無自覚にそれをやってのける辺り、やっぱ倉立って尖ってるんだな……」

 俺は思わずそう呟き、視線を向ければ三枝も憮然とした表情だ。

 夏の旧校舎は無風状態で、三枝のショートカットもピタリと静止しているせいか、奇妙に場の空気が重くなる。

 ややあって、三枝は口を開いた。

「さて、ならこれで事件は解決……でいい?」

「ああ、『C』の一件はこれで。けど、個人的にいくつか聞きたいことがある」

 そう俺が告げると三枝は口元だけで薄く笑い、「……ふうん?」と相槌を打つだけだ。

 改めて真意の読めない笑みを見せるな、と考えながら俺は本題へ入った。

「もったいぶってもしょうがないから、気になることは先に全部挙げるぞ?」

 三枝は時の止まったような静寂をまとったまま、答えない。

 俺は構わず続けた。

「まず一つ、どうして三枝は『C』が犯人だと分かったのか? 二つ、三枝と倉立の関係は? 最後に三つ目、どうして倉立には三枝の居場所が分かるのか? だ」

「――」

 立て続けに出た問いに、三枝は目を伏せるだけで何も答えない。

 言葉を探して逡巡しているようにも、まるで無関心のようにも見える。

 そして三枝はしばしの間を置いた後、俯いたまま、

「……まあ、そのていどは答えるべきかな。さて、どこから話そうか」

  と、小さく呟いたのだった。




///////




「じゃあ最初に、なぜ私はこの場所にいるのか? から話そうか。この間、初めて会った時、私がどこにいたか覚えてる?」

 渡り廊下の柱に背を預けたまま、三枝が放った問いに俺は戸惑う。

 意味が分からず眉根を寄せてしまったが、俺は記憶を探って答えた。

「えっと……『食堂を背にして三本目のイチョウと四本目のクスノキの間』だ。倉立が言ってた」

 そして今日は、『うーん、今なら現校舎と旧校舎を繋ぐ渡り廊下の二本目と三本目の柱の間かな?』と告げられ、ピンポイントの正解を得ている。

 なぜ倉立はそんな予言めいたことができるんだ? と俺は頭を悩ませるが、三枝は構わず話を続けた。

「そうだね。そして登校はしてるけど、授業に出たりはしていない。それも倉立さんから聞いてる?」

「あ、ああ。簡単にだけど。でも、それと倉立とどういう関係があるんだ?」

「それはおいおい分かるよ。……それだけ聞くと、私が問題児みたいだと思ったりは?」

 返答しづらい問いだが嘘を吐く方がよくないと俺は考え、口を開いた。

「正直言うと、少しは。今だって、人気のない場所に一人でいたわけだし」

「否定はしないよ。ただ、正解じゃない。……私がフラフラしているように見えるのは、その日生きていけそうな場所で生きているだけ、なんだけど」

「……? 生きていけそうな場所って、どういう意味だ?」

 俺の問いに三枝は肩をすくめ、更に顔の血色を悪くしてして答えた。

「言葉通りの意味だよ。……性根の歪んだ人間だからかな、ずっと頭から不安と緊張が消えないんだ」

「不安と緊張が消えない?」

「そう。変われるかもしれないと思って、一度だけクラスの明るい場所へ行ったこともあった。……けどダメだった。眩しく暖かい人が傍にいると、却って強く孤独を感じるだけだったから」

 三枝の口調は相変わらず冷淡で変化がない。

 けど、だからこそ、その現実に打ちのめされた三枝の落胆が伝わってくるような気がして、俺の心は強く揺さぶられる。

 三枝は能面のような表情で、頬と額に冷たい汗を浮かべながら続けた。

「だったら全部もういいやって思って、部屋に閉じこもってもみたけどそれもダメだったし」

「ダメって……どうしてだ? それこそ一人でいれば楽なんじゃないのか?」

 俺の指摘を受けた三枝はまた、口元で薄く笑って見せるだけだ。

「暗い場所にいても、それはそれで自分の薄汚さがはっきり見えて辛いんだ。……結局、私は明るい場所にも暗い場所にも自分の居場所を見つけられなかった」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 両方に居場所がないなら、三枝は今までどこで生きて来たんだ!?」

 思わず声を上げてしまった俺に対し、三枝は荒んだ視線だけを向け、皮肉気な声音で答えた。

「ないよ、居場所なんて。言ったでしょ、私はその日、生きていけそうな場所で生きてるだけって」

「……あ」

 その時、俺の脳裏に以前、三枝が口にした言葉が蘇った。

『……今日は、ここじゃなかったみたいだ』

 絞るように吐き出された言葉だったが、その真意はひどく切実だ。

 三枝は生きるために少しでも楽な場所を探していただけで、授業に出る余裕なんて最初から持ってない。

 第三者から見ればフラフラ過ごす問題児でも、本人は文字通り死に物狂いなのだ。

 不意に倒れ、常に顔色が青白く、冷や汗を流し、辛そうな口調で話す理由は単純だが、それだけに強い危機感と孤独を俺にもたらした。

 動揺する俺を尻目に、三枝は更に生気のない声で話を進める。

「物心ついた時から、ずっとこんな生活さ。……血だろうね、きっと。けど稲見君、大事なのはここからなんだ」

「ここから?」

「そう」

 そして三枝は薄い苦笑を浮かべ、俺へ語り掛けた。

「確かにこの一人ぼっちは私を傷付け、苦しめた。けど振り返ってみれば、卑屈になることで守られていた瞬間もあったと思うんだ」

「一人ぼっちが……守ってくれた?」

 俺が問うと三枝は一度頷き、そっと右手を左胸に当てて見せる。

「そう。形はどうあれ、私はこうして生きてる。今回の一件みたいに、私の感性じゃなきゃ解決できない問題もあるから」

「た、確かに俺や倉立じゃ無理だったかもしれないけど……」

 俺がそう答えると三枝は言葉を切り、目を伏せた。

「それでも、この不安と緊張が消えることはないと思う。けど」

 そして三枝は初めて夏の青空へ向かって顔を上げ、わずかに目尻を細めて見せる。

「いつか、この感情も何かに変わる……そんな予感がするんだ」

「予感?」

「だたの直感だけど。でも、私はそう信じたい」

 薄く色素を失った三枝の顔色は、変わらない。

 浮かぶ冷や汗も辛そうな口調も同じだが、どこか清々しい雰囲気を今の彼女はまとっていた。

「一人ぼっちの時間が私を育んだ。何も成し遂げられなくても、私はこのままでいい」

 その独白にも似た結論に、俺は何も言葉を返せない。

 ただ孤独を嘆くだけなら何か言えたかもしれないが、三枝はもう自分の生き方を見つけていたから。

 そう思い、今までの出来事を振り返ると理解できる点があったので、俺はゆっくりと口を開いた。

「さっき直感って言ったけど、それで犯人が『C』だと見抜いた……で合ってるか?」

 三枝は空へ向けていた視線を地面へ戻し、頷く。

「勘がいいね。衝動的な単独犯なら私と同類だから、すぐ分かったよ」

「……倉立の問いは、『今度の休日はどう過ごす?』だったか。確か答えは――」

 俺は手元で再びカードを切りながらその先を思い出し、


A 買い物へ行く

B 図書館で本を読む

C 分からない


 だったな、と心の中で呟く。

「で、正解は『C』だった……。なるほど、今日を生きるだけで精一杯の人間に、休日の予定を考える余裕なんて最初からないってことか」

 そう考えると倉立は全く意味がないように見えて、最も適切な質問をしていたということになる。

 買い物へ行くや図書館で本を読むは、明日がある人間の発想だから、そうでない人間をあぶり出すには最適と言えるだろう。

 俺がそう納得すると三枝は、ニヤリと口元だけで薄く笑って頷いた。

「推理をする必要もないでしょ? だから私に助言を求めたんだろうし」

「倉立は倉立の直感で生きてるからな……。三枝ならと思ったからこその人選か……」

 終わってみれば理屈もへったくれもない事件だったんだな、と肩を落としてため息を吐いてしまう。

 本当に俺は最初から最後までただの、『伝言役』に過ぎなかったわけだ。

 関わっているようで結局蚊帳の外だったんだな、と思うと流石にやり切れなくなり、それを見ていた三枝が瞬きを一つ挟んだ後、問う。

「これで少しは疑問に答えられたと思うけど。……私からも一つ聞いていい?」

「え、俺にか?」

「そう。ずっと気になってた。どうして倉立さんは稲見君に『伝言役』を頼んだんだろう? って」

 そうして三枝は、すっと細めた鋭い視線を俺へ向けたのだった。




///////




「俺を『伝言役』にした理由……?」

 おうむ返しに呟いた言葉に、三枝はいつもの淡々とした表情のまま頷く。

 その冷たい口調は試すもののようにも感じられたが、思い当たるやり取りがあったので俺は答えた。

「『大富豪』……かな」

「『大富豪』?」

「ああ、実は――」

 怪訝そうに眉根を寄せた三枝へ俺はクラスで、『大富豪』をしていた件を話す。

 さっき倉立も、


『でも、そっか、だからわたしは稲見君に声をかけようと思ったのかも……』


 と呟いていたから、引っ掛かってはいたんだが……。

 などと考えていると、どんどん三枝の笑みが薄ら寒いものになっていき、俺は内心で、「しまった」と思う。

「へーぇ、『大富豪』を一人で。なるほど、興味を持つ理由にはなりそうだ」

「ちょっと待て。ただぼんやりやってたわけじゃない。俺なりの目的だってあるんだし、そんな悪い顔をするな」

 俺は焦りながらそう訴えるが、三枝の口元は吊り上がるばかりだ。

「分かってる。『一人前』……『透明』の答えでしょ?」

「それはそうなんだが……。面白いオモチャを見つけた子供の顔してないか?」

 その指摘に三枝は、「クスッ」と悪戯っぽさの滲む笑みを見せた後、答えた。

「自分なりの目的意識を持ってるから気になって、ってことじゃない?」

「そう……か? 手ごろなヤツを捕まえただけだと思ってたが……」

「流石の倉立さんもそこまで見境なしじゃないと思うけど。ま、その辺りが落としどころか。……さて、もう大分話したし最後の話題に入っていい?」

「え? あ、ああ……」

 まだ答えてもらってない疑問はあるが、あまり食い下がるわけにもいかない。

 むしろ三枝の性格上、事情をここまで話してもらえただけで上出来だろう。

 俺は一つ咳ばらいを挟み、三枝に問う。

「で、最後の話題って?」

 その問いかけに、三枝は今までの中で一番冷たい微笑を口元に浮かべて見せるだけだ。

 ……何か、ひどい悪寒が背筋を走ったが、俺は三枝の言葉を待つ他ない。

「簡単だよ。私は最初に言ったよね? 『頼みごとの代わりに、どんな願いでも聞かせられる権利』が欲しいって」

「あ、ああ」

 そして、三枝はいつも通りの冷淡な口調で俺に告げた。

「私の願いは一つだけ。……倉立さんへ伝えて、『もう二度と、私に関わるな』って」

 予想外の願いに俺は言葉を失ってしまうが、一方の三枝は冷めた顔色のまま、続けるだけだ。

「じゃ、頼んだよ、『伝言役』さん。……これが最後の役目だ」

 そして三枝は、「用は済んだ」とばかりに背を向け、旧校舎を去って行く。

 陽が傾いた夕暮れの中、その姿が視界から消える頃、俺はようやく理解する。

 ただ生きる……そのことすら困難な三枝がわざわざ手間をかけて、倉立の『頼みごと』を聞いた理由。

 それは――。

「最初から倉立を拒絶するのが目的……だったのか? 三枝……」

 立ち尽くす俺はそう呟くが、薄暗い旧校舎に答えてくれる者はない。

 その問いはただ虚しく中空に響いて消え、俺は最後に与えられた役目の重さを痛感せずにはいられなかった。




///////




「どうしたの? 稲見君。怖い顔して」

 重い足取りで教室へ戻り、自分の席で頭を抱えていた俺へ倉立が声をかける。

 窓の外を見やれば夕暮れの赤は夜闇の青へとグラデーションを描き、下校する生徒達の影も多く見られた。

 その中にあってなお深刻そうな表情をしていたらしく、倉立の声音は心配げだ。

「あ、ああ、さっき三枝と話をしてきて――」

 顔を上げ口を開こうとするが、前の席で不思議そうに小首を傾げる倉立を見て、言葉を飲み込む。

 俺はただの『伝言役』だから、二人の関係に立ち入る資格なんてない。

 それは理解しているが、三枝の言葉をそのまま伝えるのにはやはり抵抗があった。

「あ、わたしが言った場所に三枝さん、いたんだね?」

 倉立はそう言い、周囲の耳を気にしながら声を潜めて続けた。

「……で、犯人について何か言ってた?」

「あ、ああ。これで解決かな……って」

 すると倉立は、ほっとしたような表情を浮かべて胸をなでおろす。

 だが、その佇まいがどこか寂し気にも見えてしまい、俺は口の中で下唇を噛んだ。

「そっか~! じゃあ、この一件はこれで安心だね! ちょっと強引だったかもだけど、丸く収まるならそれが一番だし!」

「は、はは……ちょっと、ね」

「む~、なに~? 何か言いたげ」

「い、いや。大事にならなくて何よりだ……うん」

「?」

 どうしても歯切れが悪くなってしまう俺に対し、倉立は頬を膨らませ、不満を伝えてくる。

 視線で、「他に何かあったんだよね?」と問いているが、カンベンしてくれというのが本音だ。

 もし三枝の伝言が単純な拒絶であったなら、反論だってできたかもしれない。

 けど三枝はもう自分の生き方を見つけていて、その上で違う道を行くと告げたのだから、返せる言葉が何もないのだ。

「おーい、稲見君ー?」

「え? あ、ああ。何?」

「何って……。急に黙り込んだの、そっちじゃん」

「そ、そうだな。すまん……ええと」

 何とか時間稼ぎを試みるが視線の圧に負け、喉の奥から言葉がこぼれ落ちてしまう。

「えっと……その」

「?」

 次の言葉を待つ倉立の表情に屈託はなく、その末に俺は――。

「く、倉立はどうして、『頼みごと』を始めたんだ? きっかけとかあったのか? 何か」

 と、苦し紛れの言葉を口にして、サイドポケットからカードを取り出した。

 なぜかは分からないが、何か大きな見落しをしているような気がして、記憶を懸命に振り返りながらカードを切る。

「え、きっかけ? どうしたの? 突然」

「ああ、いや、ほら俺の話はしただろ? 『一人前』……『透明』の答えを探してるって」

 言いつくろいながらカードを切り、必死に言葉を探す中、倉立は、「う、うん」と戸惑った様子で頷く。

「内容は全然違うんだけど三枝も似たような話をしてて――」

 と、そこまで言って俺は口を噤む。

 三枝が教えてくれた、『一人ぼっち』の答えを今ここで話すことはできない。

 それは三枝が最も大事にしている部分で、ほんの少しだけど見せてくれた彼女の真実だから。

 そしてその一方で、もしかしたら倉立にも何か経緯があったのでは? という疑問も浮かび、俺は改めて彼女へ視線を向けた。

 すると意図を読み取ったらしい倉立はまぶたを伏せ、少し沈んだ声でゆっくりと話し出す。

「……そうだね。人の名前を聞きたいなら自分からってこと、かな?」

「ま、まあ……。俺が聞いてもいいなら、だけど」

「ううん、わたしが巻き込んだ形だし、その位は……ね?」

 倉立は気弱に微笑み、一度、夜闇の滲む窓の外を見やった後、口を開く。

「『どうしようもないことにぶつかったら、誰かに頼る。そしてその誰かが困っていたら全力で助けになる』は物心付いた時からずっと変わらないよ。ただ今と違うのは……」

「違うのは?」

 倉立は目を伏せたまま、静かに長く息を吸って吐く。

「以前は全部、一人で頑張って解決しようとしてた。……結局、自分を立てるため、だったんだと思う」

「自分を立てるため?」

 そう言われ俺は倉立の、『頼みごと』の一連の流れをもう一度思い出す。

 要点だけ押さえれば、『一つ助けてもらったから、一つ返すだけ』という話で、自分のためという印象はあまりないが……?

 そんな俺の思考を読み取ったのか、倉立は俯きがちになって話を続けた。

「中学の頃はずっと、そうだった。めんどくさい子だったと思うよ」

「そ、そうか? どういう考えがあったにせよ、人助けだろ?」

 俺はカードを切るスピードを落とながら指摘し、倉立は左右に首を振って見せる。

「先走って失敗して、迷惑かけて。みんなが当たり前にできることもできない……そんな子だった。それが悔しくて全力でやるんだけどやっぱりダメで……」

「……それは」

 普段の振る舞いからは予想もできない過去に、俺は二の句を繋げられなくなる。

 だが、倉立は声音を少し柔らかくして回想を続けた。

「でもね、ある日気付いたんだ。……わたしは失敗すら、誰かに支えてもらってできている。だから」

 話す言葉に少しずつ力が戻り、伏し目がちだったまぶたも上がり始める。

「わたしはわたしのためじゃなく、貰ったものを返すために頑張ろうって思えた。きっとそこが、分岐点」

「分岐点?」

「そう。以前と同じことをしても、そう考えながらやったら上手くいくことが増えたんだ」

 そして倉立は軽く苦笑しながら、自分の頭を小突いて見せた。

「バカみたいに単純なだなーって自分でも思うよ? でも、そっちの自分の方が信じられるって気付いちゃったら、戻れなくなって……」

 言葉を紡ぐ倉立の表情が、少しずつ晴れ晴れとしたものへ変わっていく。

 ……その一方でとある事実に気付き、背筋が冷たくなっていく俺を置き去りにして。

「中学を卒業して、高校へ入学しても止まる事ができなかった。……後は稲見君の知ってる通りだよ」

「あ、ああ……。だから、なのか」

「うん、だから今のわたしがここにいる」

 そう呟いて左胸に右手を当てる倉立は、気付いていない。

 カードを切る手を止めた俺の『だから』と、彼女の『だから』は全く別の方向を指していることに。

 俺の、『だから』は倉立ではなく三枝へ向けられたものだということに。

 そして手がかりを探していた俺の脳裏に、一つの言葉が蘇る。


『変われるかもしれないと思って、一度だけクラスの明るい場所へ行ったこともあった。……けどダメだった。眩しく暖かい人が傍にいると、却って強く孤独を感じるだけだったから』


 それは何気なく聞き流した三枝の言葉だ。

 けどそこに大きなヒントが隠されていたんだと、俺は今更ながら気付く。

 旧校舎で俺は三枝に倉立との関係性を聞いたが、彼女は既に答えてくれていたのだ。

 ここまで来たら間違えようもない。

 『クラスの明るい場所』というのは――。

「でね、もう一つ分かったことがあったんだ」

 そう前置き、倉立は静かな安らぎと穏やかさを宿した口調で、自らが辿り着いた真実を口にした。

「わたしにとって、『頼みごと』を通じて生まれたみんなとの繋がりが、何よりの宝物なんだって」

 そして倉立は、祈るように瞳を閉じる。

 その姿を前に、俺は何も答えることができない中、ようやく理解した。

 三枝はこの真っ直ぐさと眩しさを、真正面から目に焼き付けてしまったのだ。

 結果として三枝はその場を離れることを選び、一方の倉立はその痛みと孤独を生んだ原因が自分だと気付けない。

 なぜなら――。

「その絆がわたしを育んだ。だからわたしはわたしの全部で、みんなの助けになりたい」

 その輝きが、人の心を壊すと想像もしないから。

 倉立の進む道の最果てに三枝の見つけた、


『一人ぼっちの時間が私を育んだ。何も成し遂げられなくても、私はこのままでいい』


 という答えはないから。

 倉立千佳は自分の望む道を進む限り、三枝有唯の苦痛を理解することができないのだ。

 そして言葉を失った俺は三枝の、


『もう二度と、私に関わるな』


 という伝言の……拒絶の真意をやっと悟ったのだった。




///////




 夜の帳は既に落ち、生ぬるい夏風が肌に張り付く中、俺は初めて三枝と出会った場所……校舎裏の三本目のイチョウと四本目のクスノキの間に立っていた。

 結局、倉立へ三枝からの伝言を告げることもできず、曖昧に場を濁して今に至っている。

「……はぁ」

 俺は情けなくため息をこぼし、その場に座り込んだ。

 中途半端に濡れた土と草の生臭さが不快指数を上げ、乱暴に頭を掻いてしまう。

「俺はただの『伝言役』……のはずなんだけどな……」

 そう割り切って伝言を告げればお役御免、後の事は知った事じゃない、と思えればいいんだがここまで来たらそうもいかない。

 交わした言葉は短くて少なく、中途半端だけど、俺は二人の生き方の深いところに触れてしまったから。

 だからこそ、普段手にしているカードのように簡単に切ることができない。

「けど、倉立と三枝は正反対の道を進み始めてる……。今更俺にできることなんてあるのか……?」

 ぽつりと弱音を漏らし、星の瞬き始めた夜空を見上げた。

 改めて今回の出来事を思い返してみるが、最後にたどり着くのは二人の見つけた対照的な答えだけだ。


『一人ぼっちの時間が私を育んだ。何も成し遂げられなくても、私はこのままでいい』

『絆がわたしを育んだ。だからわたしはわたしの全部で、みんなの助けになりたい』


 俺は思わず眉根を寄せ、サイドポケットからカードを取り出し、努めて冷静にそれを切りながら考える。

「やっぱり最後はそこ、か。倉立千佳と三枝有唯は――」

 見上げた夜空に星が一筋流れ、俺は辿り着いた結論を呟く。

「同じ人間だけど、全く別の生き物なんだな……。どうして出会っちゃったんだか……」

 細い線と細い線がほんの一瞬、交わっただけ。

 けどそこから全てが始まって、今に至っている。

 運命というには脆く頼りないはずなのに、複雑に絡み合い、結果として強いしがらみになってしまった。

「いっそ、断ち切ってしまった方がいい気もするんだけど、なんか引っ掛かるんだよな。なんだ、この違和感は……?」

 俺はそうこぼし、カードを切る手を速めた。

 情報が込み合っているのは確かだが、大きな何かを見落としている気がするのだ。

 それは感傷的なものではなく、単純な事実のはずなのに俺はその正体を見抜けずにいる。

「……現状は『黒』だな。じゃあ、それを『白』にするためには、どうすればいい?」

 俺は下っ腹に力を入れて語気を強め、地面にジャックとクイーンのカードを置く。

 順に三枝と倉立を見立て、指先を順番に置きながらこれまでの出来事を振り返った。

「『大富豪』をしていた時、倉立に話しかけられたこと。この場所で三枝と出会ったこと――」

 そうしてやり取りを思い出す中、ふと一つの違和感を抱き、ジャックのカードに置いた指先が止まる。

「俺は三枝に三つの質問をしたはず。確か……」

 思考を更に加速させながら、その時の問いを反芻して口に出す。

「なぜ三枝は『C』が犯人だと分かったのか? 三枝と倉立の関係は? どうして倉立には三枝の居場所が分かるのか? の三つ。けど、最後の問いに三枝は答えていない……?」

 単純に『C』の事件と関係がないからとも考えられるが、それが意図的なものだったとしたら……?

 そうして俺は指先をクイーンのカードへ移動させる。

「倉立は倉立で、場所が分かる理由を話してない。そこがお互いの急所だから……か?」

 俺はそう呟き、ペン回しと同じ要領で人差し指、中指、薬指、子指の間でジョーカーをくるくる移動させる。

 かつて三枝が倉立と出会い、離れ、何を思ったのか。

 逆に倉立が三枝と出会い、やはり別れ、何を感じたのか。

 その感情の流れを読み取るように。

 ……そして得た結論に、俺は心にピリッとした痛みを覚えながら、一つ大きな息を吐いた。

 どの位時間が流れたのか、星の位置は大分変ってしまっていたけれど。

「考えられる答えは一つ、か。なら、俺も腹を決めないとな……」

 立ち上がろうとすると、長く地面に座っていた腰が悲鳴を上げたが、構わず力業で立て直す。

 ただの『伝言役』である俺が、あの二人にこれ以上関わるなら相応の覚悟が必要になるはずだ。

 だから、弱音なんて言っていられない。

 これまで振り回されるだけだった自分を振り回す側に変えたいなら、どんな『黒』でも『白』に変えて見せるカードが必要だから。

 それは一見、ひどく困難なことに思えるけれど――。

「『黒』と『白』、『一人前』……『透明』。この一件を通して、俺にも得られるものはあった。……散々振り回された分、こっちの要求にもこたえてもらうぞ。倉立、三枝」

 そうして俺は顔を上げ、一瞬の光を引いて消えて行く流れ星を見つめながら、決意を告げたのだった。




///////




 翌日の早朝。

 時計の針は朝のホームルーム開始を告げているが、俺と倉立はそれに構わず食堂の隅……校庭との渡り廊下の階段二段目に座っている三枝の前に立っていた。

 食堂でも校庭でもない曖昧な境界線で青白い顔をしている三枝の表情は、ひどく険しい。

 単純に体調が悪いのか、予想外の展開に対する不満かは分からない。

「……両方だよ。聞き分けの悪い『伝言役』だね」

 三枝は俺と一緒に姿を見せた倉立へ視線さえ向けず、俯いたまま不機嫌そうに返答する。

 倉立は倉立でこの場所を言い当ててはくれたものの、事情を知らないまま連れて来られたせいか、その表情には強い不安が浮かんでいた。

 ふと、視線を移せば夏だというのに朝露が校庭の葉から零れ落ち、奇妙に静かな時間が流れている。

 俺は心の中で、「さあ、ここからだ」と気合を入れ、ゆっくりと口を開いた。

「俺もいっそ、言われたことをそのまま倉立に……って思ったさ。けど、全部の質問に答えてもらっていない以上、はいそうですかってわけにはいかないだろ」

 俺の台詞に対し、ずっと黙っていた倉立が不思議そうな表情を見せた。

「言われたこと? それに、質問って?」

「それに関しては順に説明するから、少し待ってもらっていいか?」

 倉立は俺の答えに、「う、うん」と戸惑いながら頷く。

 そして俺は一度大きく息を吸い、吐いて、三枝と向き合った。

 一つずつ、一つずつ先の展開を予想しながら、『黒』を『白』に変える最後のカードへたどり着くための言葉を選ぶ。

「答えてもらってない質問は、『どうして倉立には三枝の居場所が分かるのか?』だ」

 その問いに三枝はいかにも煩わしいという調子で答えた。

「それ、『C』の事件と何か関係ある? ないと思ったから黙ってたんだけど」

「そうだな、ない。あるとしたら倉立と三枝の関係に、だ」

 ぴたり、と三枝の呼吸が一瞬止まり、倉立も、「え?」と驚きの声をこぼす。

 俺は膝を地面に落とし、昨日と同じようにジャックとクイーンのカードを並べて見せた。

「始まりは三枝が一度だけ、倉立のところへ行った時。それがいつで、一緒にいたのが一時間だったのか、一日だったのかは分からない。けど、三枝にとって」

 俺は話しながら、ジャックのカードに指先を置いた。

「倉立がどういう人間なのかを判断するには充分な時間だった。……だから、離れて生きる道を選んだ」

 背中越しにカードを覗き込む倉立が、「えっ」と息を飲んだが、一方の三枝は呆れたようにため息をつくだけだ。

「それ、今さらでしょ。ここで言わなきゃいけないこと?」

「ああ、そうだな。今、重要なのは三枝じゃなく、倉立にとってその出来事はどんな意味を持っていたのか? だから」

 俺は言いながら、指先をジャックからクイーンへ移動して見せる。

「倉立から見れば、いつも教室に来ない生徒が自分を頼ってくれた後、理由も告げずに姿を消した形になる。……その時、倉立が何を思ったのか? それが鍵なんだ」

 そして俺は後ろへ振り返り、俯いたまま視線を落とす倉立の姿を見た。

 その様子から彼女が心に強い痛みを抱いたことは、簡単に想像できる。

 それでも三枝は苦い顔のまま、頑なに倉立を見ようとしない。

「三枝、俺が伝言を告げず、ここまで食い下がった理由はこれなんだ。倉立が何の根拠もなく三枝の居場所を当てられる原因は、直感なんかじゃない」

「……じゃあ、何だっていうの?」

 口調にわずかな苛立ちを滲ませる三枝へ、俺は『黒』と『白』の間を行き来して得た結論を告げた。

「罪悪感だ。倉立はただ、三枝を助けられなかった自分を責め続けて、ここまで来た。もし三枝が自分の生き方を貫きたいって言うんなら、そのしがらみを洗い落とす必要はあるんじゃないか?」

「――っ」

 そうして息を飲んだのが倉立だったのか、三枝だったのかは分からない。

 だが一つだけはっきりしているのは、今回の事件で倉立が原動力としていたのは持ち前の明るさじゃなく、本当は不似合いな自責の念だったことだ。

 倉立は三枝との関係修復を望んで俺に話しかけたが、一方の三枝は伝言を頼むことでその繋がりを断とうとした。

 どうにかしなければいけないのは『C』の事件ではなく、二人のすれ違いの方だったのだ。

 俺はもう一つ、息を吐いて更に続けた。

「よくよく考えてみると倉立の直感が一番、歪だったんだ。万能すぎる。……いっそ最初から、困っている人がいたらすぐ分かるんだ、とでも言ってくれたら俺も気付かなかったかも知れないのに」

 記憶の糸をたどってみても、倉立がこの直感に関して言及したことは一度も無い。

 普段はアクセルベタ踏みの生き方をしてるのに、急にブレーキをかけられたかのような不自然さ。

 その違和感が最後の最後に、伝言をためらわせた。

 ……それが幸か不幸かは、分からないけど。

 三枝は沈黙したままだったが、やがて後ろに立っていた倉立が顔を上げ、弱々しく微笑む。

「あ、あはは……罪悪感、かあ。結局、わたしは自分のエゴで動いていただけ、だったんだね。少しは成長できたつもりでいたけど、根っこは変えられないのかなあ……」

 その声音は学校で評判の倉立千佳のものとは思えないほど、危うげで頼りない。

 そうじゃない一面も知っているはずなのに、俺の口からは何も言葉が出て来ない。

 言える言葉がない、なら俺にできるのは――。

「倉立、三枝。きっとこれ以上言葉で話しても、解決はできない。だからそれぞれの生き方を賭けて、『大富豪』をしないか?」

 手にあるカードをいつも通り、切るだけだ。

 それこそが、ここへ来る前に用意していた俺だけの解決手段。

 一つずつやり取りを重ね、行き詰まった時に使うと決めていた、『黒』を『白』に変える最後のカードだ。

「『大富豪』……?」

 倉立と三枝が異口同音に怪訝な声で問い、俺は心の中で、「さあ、ここからが本当の勝負だ」と気を引き締め直す。

「ああ、もし俺が勝ったら二人には」

 そうして俺は地面のカードを手元に回収し、一度夏の朝空を見上げた後、告げた。

「朝のホームルームが終わるまで、今回の一件の振り返りをしてもらう。逆に俺が負けたら――」

 最後まで言い切る前に、三枝が疑問の声をもらした。

「待って。振り返るって、どういう意味?」

「言葉通りだ。事実をそのまま。俺は二人の間を行き来してたからいいけど、お互いに見えてない部分もあるだろうし」

「……」

 俺の答えに三枝は黙り込んでしまったが、お互いの知らなかった言動を確認するだけも何か発見はあるだろう。

 一緒に居なくても倉立は三枝を、三枝は倉立を強く意識していた。

 それを理解した上でなら、この先の別れ道を納得して進むことができるはず。

 そんなことを考えていると、倉立が小さく手を上げた。

「そ、それで稲見君が負けたら……?」

 声こそ控えめだが三枝と話すチャンスがかかっているせいか、倉立の瞳には少しずつ力が戻りつつあった。

 俺は手元のカードを切り、倉立、三枝の順に配り始める。

 そして俺は、最後の切り札を使った。

「『一人前』……『透明』の答えを話す。そうすれば、二人の背負うリスクに見合うだろ?」

 予想外の解答だったのか二人の口から、「えっ?」という驚きの声が届く。

 俺はここが勝負時だと判断し、カードを配る手を止めず、一気に畳みかけた。

「どうして俺がずっと一人で『大富豪』をしていたのか、二人には話してあったと思うけど覚えてるか?」

 その問いかけに、倉立がゆっくりと記憶をたどるような声音で答えた。

「えっと、『黒という結果が出た時は、どうやれば白という結果にできるか、考え抜け。それが出来て一人前』……だっけ?」

「ああ。で、その『一人前』こそが――」

 言いかけた俺の言葉を、三枝が繋ぐ。

「『透明』。……その答えが分かったってこと?」

「そうだ。二人の間を散々行ったり来たりして、影響を受けたんだろうな。今ならはっきり言葉にできるし、賭け金代わりにはちょうどいいだろ?」

 俺はカードを配りながら、努めて落ち着いた口調で続ける。

「物心付いてから、ずっと向かい合ってようやく出せた答えだ。二人にとっても聞く価値はあるはず」

 そう告げると二人の手がゆっくりとカードに伸び、その直前で俺は鋭く、「ただし」と付け加える。

 手を止め、こちらを見上げた二人へ俺は、ニヤリと不敵に笑って告げた。

「『大富豪』で俺に勝てたら、だけどな?」

「――っ!」

 すると二人は息を飲み、表情に明らかな変化を見せた。

 倉立は強い動揺、三枝はわずかな険しさを顔に浮かべ、今までの中で一番のリアクションだなと思わず笑ってしまう。

 二人の視線は地面のカードと俺の顔の間を何度も往復し、惑い、揺れる。

 やがて三枝が小さく下唇を噛みながら、言った。

「なかなか大きく張ったね。文字通り、人生を賭けるってこと?」

「そうだ。二人も分かってると思うけど」

 そうして俺は一旦言葉を切り、目を閉じて続けた。

「俺達はみんな、生き方も感じ方も違う。今は顔を突き合わせてるけど、この一件が終わったら、きっとまたそれぞれの道へ戻って行く」

「――」

 倉立と三枝は、答えない。

 代わりに俺はカードを配る手の動きを再開させながら、口を開いた。

「最初で最後の勝負だ。お互い好きなものを与え、奪って行こう」

 そして、カードを配り終える。

 俺は自分のカードを手に持ち、二人は授業の始まりを告げる本鈴が鳴る間だけ迷った後、カードを取った。

「よし、じゃあ――」

「ちょっと待って」

 ゲーム開始と言おうとした俺を制すように、三枝が口を挟む。

「その前に一つ提案なんだけど」

「提案?」

「そう。稲見君に頼んでた伝言を撤回したいんだ」

「え?」

 今度は俺の方が驚いてしまうが、三枝はいつもの冷淡さを少し取り戻した様子で頷く。

 そして初めて倉立の目を真正面から見て、告げた。

「『どんな願いでも聞かせられる権利』を行使するよ。……倉立さん、今回に限り二対一で稲見君を倒そう」

「え……ええっ!? きゅ、急にどうしてっ!?」

 あまりに唐突な提案に倉立は素っ頓狂な声を上げ、俺も内心の動揺を隠せない。

 すると三枝は不敵に口元だけで薄く笑い、答えた。

「事情はゲームを進めながら話すよ。悪いけど、倉立さんに拒否権はないから。……その上で一つだけ、私から言えるのは」

 三枝は自分の手札に視線を戻し、いつも通りの淡々とした表情で告げる。

「『どうしようもないことにぶつかったら、誰かに頼る。そしてその誰かが困っていたら全力で助けになる』……倉立さんはそれを最後まで貫いて。……本当は自分で気付くのが一番いいと思うから、距離を取ってたけど」

「――」

 その言葉に三枝が何を込め、倉立が何を受け取ったのかは分からない。

 ただ一つ確実に分かるのは倉立が手元のカードを確認した後、三枝に一度だけ大きく頷いて見せたことだけだ。

 そして倉立は俯くことを止め、真っすぐに前を向いた。

「稲見君、わたしは三枝さんの提案を飲むけど、いい?」

「ああ、二対一のケースを想定したことはあるし、ここまで堂々とイカサマされるといっそスッキリする」

 俺はそう返答した後、一度小さく息を吸って吐いた。

「ルール確認は終わったな? じゃあダイヤの3は俺が持ってるから、そこからスタートだ」

 そして俺は手札のダイヤの3に手を沿え、二人が息を飲む。

 早朝の澄んだ空気に緊張が走り、鼓動の高鳴りを感じながら俺は素早くカードを切った。

 さっきは偉そうに啖呵を切ったものの、やはり二対一という展開に動揺は隠せない。

 時計回りに倉立、三枝と手番が続き、容赦なく高まっていく焦燥の中、俺は『透明』の解答を改めて思い知らされる。

 どんなに苦しい状況へ陥っても尽きることのない、目指す先への飢えと渇き。

 その『渇望』こそが、『透明』の答えだ。

 俺はそれを体現しながら生きている二人を、苦い表情でちらりと見やった。

「ま、倉立と三枝はとっくに知ってることだけどな。……言葉で意識してないだけで」

 俺は二人に聞こえない小さな声で言い、改めて不利な手札へ視線を落とす。

 倉立千佳と三枝有唯を相手に、この『黒』を『白』へどう変えるか。

 絶望を通り越して滑稽な状況に、俺の心は砂漠のように飢え、渇いていく。

 それと同時に狂暴な『渇望』を覚え、痛いほど胸が高鳴るのを改めて感じてしまう。

 俺はそんな自分につい笑ってしまいながら、ポツリと呟いた。

「ああ……楽しいな」

 ふと、こぼれ落ちたその言葉は、誰の耳に届くこともなく夏の朝空に浮かび、解けるように消えて行く。

 そして倉立と三枝が手札へ向ける真剣な眼差しを見届けた後、最後のカードを切る瞬間まで、『黒』を『白』に変える『渇望』を貫こうと決心したのだった。

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