第四話 ユニークスキル
ようやく物語が動きはじめます。
「お待たせしました、こちらが現品になりますのでどうぞご確認ください」
「これが……」
氷川さんがうやうやしく差し出したビロード張りの小箱。
中身が見えるように蓋が開けられている小箱には今さっき購入したスキルオーブが収められている。
濃い赤色に淡い青色を溶かし込んだようなバイカラーの、菱形の宝石。
僕に相棒を授けてくれる魔法のアイテム。
これで僕の夢を叶えるのに一歩前進したはず……なんだけど。
どにうもさっきから、ぽっかり胸に穴が開いてしまったような感覚に僕は襲われていた。
「どうかなさいましたか? なんだか浮かない様子ですが」
そのなんとも言えない心境が表情に出ていたのか氷川さんに目ざとく気付かれてしまった。
「いえ大丈夫です。すみません心配させちゃって。……ただ、ちょっと」
「ただ?」
「なんていうのか、遂にスキルオーブを買ったんだなぁって興奮と、買っちゃったんだなぁって後悔が自分の中でせめぎ合っているといいますか」
くしゃっと右手の中で潰れた茶封筒の中には、さっきまで銀行から下ろしてきた僕の全財産が入っていた。けど今となっては数枚を残すばかりだ。
元々は18歳で孤児院を独り立ちする時のために長いことコツコツとバイトして貯めたお金だったけど、それがこんなにあっさりと無くなっちゃうなんて。
右手から失われた重みに自分が存外に愛着を抱いていたことに気付いて驚いた。
「なるほど、そういうことでしたら私にも覚えがあります」
「氷川さんもですか?」
「ええ。少しお恥ずかしい話なのですが。以前に趣味で異界産の珈琲豆を輸入したことがありまして。異界で家畜化されたモンスターにコーヒーの果実を餌として与えて、その排泄物から取り出したコーヒー豆には独特な香りを持っているんです。その香りの虜になった愛飲者は多いのですけど、産出量が限られるので非常に高価なんですよ」
「あぁ~、なんか前にテレビで見たことあるような気も」
たしか元々同じような作り方が地球にもあってそれを異界に持ち込んだんだっけ。
有り体に言うならウ〇チからコーヒー豆を取り出す製法で、当時うへってなりながら見た記憶がある。
「届く日をいまかいまかと楽しみにしていたのですが、いざ飲んで見ればこれでまるで口に合わなくて。あの時は三日ほど購入したことを後悔して落ち込みましたね」
「うわぁ、悲惨だぁ」
その手の嗜好品で、しかも異界産とくれば下手したら数十万円とかしたんじゃないか?
「高い勉強代を払うことになった私ですが、その時に悟ったのです。人間とは失敗して学んでいく生き物なのだ、と」
「え。あっ、ちょ」
突然、ぎゅっと手を握られた。
僕のとはまるで違うしなやかでほっそりとした手。
氷川さんはドギマギしている僕の手を引いて、白い小箱まで導いた。
「失敗を恐れていては人間は前には進めません。ーーそれに、久我様は間違ったお金の遣い方はされていないと思いますよ」
氷川さんに導かれるままにオーブに触れると、温かいような冷たいような不思議な感覚が指に伝わってきた。
感覚が分かるってことは、コレが画面の中にあったドットの塊じゃなく間違いなくここに存在しているということで。
その時ようやく僕はスキルオーブを買ったんだなって実感できたのだった。
***
「ところで久我様。登録は本日中にしてしまいますか?」
「登録?」
ケースを持ち上げてオーブを色んな角度から眺めていると氷川さんに訊ねられた。
あれでも登録書ってさっき渡さなかったっけ?
「先ほどのはオーブを購入したことについての登録書ですね。私が言っているのは発現したスキルの登録です。購入者とオーブの使用者が同一人物とは限りませんから」
そういうことか。
う~ん、書かなきゃならない書類ばっかり多くなるのは本当お役所って感じだなぁ。手続き上仕方ないんだろうけどさ。
「ちなみにですけど、それって今じゃないとダメですか? 孤児院の子たちにもコレを見せてあげたいなって思ってたんですけど」
スキルオーブというアイテムは使用すると無くなってしまう。
正確には使用者と一つになる、らしい。
らしいといのは実際にスキルオーブを使用する場面を僕は見たことがないからだ。
「勿論今すぐにと強制するものではありません。ただ購入契約が完了した時点でオーブを紛失・盗難などされても全て自己責任となりますので、当ギルドは一切保証等はしかねます」
「そっか。それはちょっと危ないか」
紛失はともかく盗難はとくに。
スキルオーブは値段相応に貴重なアイテムだ。
もし盗難被害に遭った場合、警察に届け出たところで転売目的ならともかくオーブを使用するのが目的だったら物理的に取り返せなくない。
つまりお手上げってわけだ。
「それに今なら探索者の登録も一緒に出来ますよ。もう一度ここに来るのも手間でしょう?」
「あっ、たしかに! ……ってあれ? 僕、探索者になるって言いましたっけ?」
「バルカイン氏の話であれほど目を輝かせていたじゃないですか。一目瞭然ですよ、ふふっ」
クスクスと笑われて顔が熱くなっていくのを感じる。
仕方ないじゃんか、だってバルカインは僕の憧れなんだからさ。
「失礼しました、他意はありませんのでご容赦ください」
「……別に怒ってないですぅ~」
「ふふ、そうですか」
ぷくっと頬を膨らませたままそう答えると、氷川さんは柔らかく微笑んだ。
なんだかその顔、去年卒院した姉さん(孤児院では年上を兄・姉、年下は弟・妹と呼ぶ風習があるのだ)が僕を見るときにしてた顔と似てるような。
絶対子供に見られてる。……まあ間違ってはないんだけどさ。
「実のところスキルオーブを購入した方は、少なくとも一度は探索者登録を済ませるケースが多いんですよ」
「へぇ。それはやっぱり、『レベルアップ』目当てで?」
「ええそうです。スキルさえあればダンジョンの浅い階層は初心者でも潜れますからね」
レベルアップといういかにもゲーム的な用語を持ち出したのは、それが実際にこの業界で使われている言葉だからだ。
なにせまさにロールプレイングゲームよろしく、ダンジョンの中で一定数のモンスターを倒すと筋力や知力、容姿に寿命までもが《《レベルアップした》》としか言いようがない不思議な現象が起きるのだ。
レベルが一つ二つ上がった程度じゃレベルアップの恩恵は微々たるものだけど、これが十や二十も上がると同じ人類とは思えないほどのステータス差が生じる。
ならダンジョンに潜ればいいじゃないかとは誰もが思うだろうし、氷川さんが言ったように実際そうする人は多いんだけどーーそんな欲深い人間の末路を氷川さんは沈痛な面持ちで付け足した。
「もっともそうして探索者になっても大半が中階層に辿り着く前に辞めるか、もしくは辞めざるを得ない状況に追い込まれます。ダンジョンは決して生易しい場所ではありませんから」
レベルアップには一つ厄介な点がある。
それは一度倒した敵からはもう経験値が入らないというところだ。
つまり安全マージンを確保して雑魚狩りをしても経験値稼ぎすることは出来ない。
さっきも言ったけどレベルが一つ上がったところで普通の人と大差ないので、それ以上の力を求めるなら新しいモンスターが出現するダンジョンのもっと深い階層へと降りないといけない。
だけど浅い階層を抜けると初心者のスキル頼りのゴリ押しじゃ通用しなくなる、というわけ。
そして氷川さんが言った辞めざるを得ない状況ってのはそうして通用しなかった人が引退するほどの大怪我を負ったか、もしくは……そういうことだろう。
「じゃあ今日中に探索者登録もお願いします」
「……本当によろしいのですね?」
「はい。もう決めてたので」
「……そうですか」
きっと氷川さんの問いかけには、僕に危険な探索稼業をして欲しくないという心配も含まれていたんだと思う。
だけど孤児の僕には他に取れる上等な選択肢なんてものはない。
選んだならもう突き進むのみだ。
氷川さんもそれ以上何か聞いてくることはなかった。
「ところでスキルオーブってどうやって使えばいいんですか?」
早速スキルを覚えようと小箱からオーブを取り出して僕は首を捻った。
ゲームなら『このアイテムを使用しますか?/YES・NO』って感じでウインドウが現れるところだけど、手に持ってもうんともすんとも言わない。
「オーブを直接胸に触れさせてみてください。ちょうど心臓の上あたりに。そうすれば石が応えてくれますよ」
ほうほう、なるほどね。
じゃあ早速、と制服のワイシャツのボタンを外し胸元をはだけようとして、僕はハッとして顔を上げた。
「あの、見られてると恥ずかしいんで。ちょっとあっち向いててくれますか?」
「? 私はとくに気にしませんよ?」
「つっ~! 僕が気にするんですっ」
「そう仰るのでしたら……」
くるりと後ろを向いた氷川さんの背中を見てほっと溜息。
なんか少し残念そうにしてたようにも見えたけど、気のせいだよね?
ともかく気を取り直した僕は言われた通り、胸板の少し左側にそっとスキルオーブを触れさせてみた。
すると、どくんどくんと拍動する心臓に合わせるみたいにオーブの内側から仄かな光りを放ちはじめる。
そしてーー
「おおおおおお~っ」
その感覚をどう表現したらいいだろう。
よく練ったセメントに手を突っ込んだらこんな感じなのかもしれない。
ズブズブと緩やかな速度で、スキルオーブが胸の中へと埋まっていく。
不思議と痛みはなく、代わりに温かいナニかが入り込んで全身に広がっていくのが分かった。
(これは……もしかしてこれがオーブに篭められてた力……?)
数秒か、数十秒か、それとも数分は経ったのか。
我に返ると手のひらの中に菱形の宝石の姿はなかった。
ソレが入り込んでいったはずの肌には傷一つ付いてない綺麗なもので、まるで今の出来事がすべて白昼夢だったかのよう。
でも間違いなく今のは現実だ。
だって自分の中に今まではなかった『力』が芽生えているのを僕は自覚していたから。
「おめでとうございます。無事にスキルを発現されたようですね」
「あ、ありがとうございます」
パチパチパチと拍手の音がした方を見ると、氷川さんがいつの間にかこっちを向いていた。
いやまぁ、もう服はだけてないからいいんだけどさ。でも一応外れたままのボタンは掛け直しておこうっと。
「差し支えなければどのようなスキルが発現したか教えていただけますか。登録書に記載しなければならないので」
そう訊ねられて、知らないはずなのにそのスキルの名前は勝手に口を突いて出てきた。
「『図画工作スキル』、だと思います」
「図画工作スキル……初めて聞く名前ですね」
「そうなんですか?」
「はい。少なくとも私がギルドに勤務してから同じ名前のスキルを目にした記憶は無いかと」
正直に言うと僕がこのスキルの名前を自信を持って答えられなかったのは、探索者オタクを自称している僕にとって初めて知るスキルだったからだ。
とはいえスキルは今まで千種類以上が確認されていると言うし、僕が知っているようなメジャーなスキル以外にもマイナーなスキルはたくさんある。
だからてっきり氷川さんなら心当たりがあるだろうと思っていたんだけど……。
「ギルドのアーカイブを検索してみましょう。該当するスキルがあるはずですから」
「はーい、じゃあお願いします」
「では少々そのままでお待ちください」
それきり氷川さんは押し黙ると、手元の端末でなにか調べはじめた。アーカイブを検索しているんだろう。
すっかり手持ち無沙汰になってしまった僕は、飲みかけのままだったコーヒーを一口啜った。
「……ぬるっ」
ひんやりとしていたはずのアイスコーヒーは時間が経ったせいですっかり温くなっていた。
あんなに美味しく感じたのに、氷も溶けて水っぽくとてもじゃないが美味しいとは言えない。
それでも残すのは失礼だろうし顔を顰めてチビチビと飲み進めていたら、バンっと机を叩いたみたいな大きな音がした。
何事かと思って見れば、そこには両手をカウンターについて端末を覗き込む氷川さんの姿があった。
「そんな……これは、まさか……」
「あのー。どうかしたんですか?」
「いえ、そう考えれば説明はつく……しかしこんなこと本当に……?」
「氷川さん?」
「国内での前例は今までない。見落としの可能性は? いえ、有り得ない。そうだとするならアーカイブの検索システム自体に問題がある」
ブツブツと自問自答を繰り返す彼女には僕の声は届いていないみたいだ。
その姿は明らかに普通ではなくて、大きく目を見開き驚愕に満ちた表情にはどこか鬼気迫るものがある。
そこまで来たら流石に僕でもおかしいと気付く。
だって彼女が調べていたのは僕のスキルについてだったんだから。
何か問題でもあったのか?
もしかして僕の時だけスキルオーブがバグを起こしたとか。
そんなの聞いたことないけど、氷川さんの様子はただ事じゃない。
途端に不安が心を支配して足元がおぼつかなくなる。
永遠にも思われる長くて短い時間が流れて、ようやく氷川さんは重たい口を開いた。
「久我様。落ち着いてよく聞いてください」
「は、はいっ!」
一言一言、僕が聞き逃さないようにはっきりと。ゆっくりと。
「貴方の目覚めたスキルは、未だ暫定ではありますが」
その怜悧な美貌に隠しきれない興奮を滲ませて。
「ーー世界で六例のみ確認されている、『ユニークスキル』かと思われます」
僕にそう告げたのだった。
作者の宮前さくらです。
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