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第1話

 仕事のあと、人に会うから帰りが遅くなる――そう彼女には伝えてあった。

 ただ、()()()()()が待ちきれなかった僕は、仕事を早めに切り上げていたため、帰りもいくらか早くなった。


 けれどまさか、あの見覚えのある黒い高級車がマンションの駐車場に止まっているとは思ってもいなかった。僕の心臓はドクドクと荒打ち、耳は詰まったように熱くなる。


 震える手でエレベーターのボタンを押し、階上へ向かう。真っすぐ立っていることができず、壁の隅にもたれ掛かる。やがて目的の階へ着くと扉が開く。僕は壁に手を突きながら502号室へと向かう。


 静かに鍵をあけると、玄関には男物の革靴。

 靴を脱ぎ、日が落ちたのに暗いままの廊下をゆっくりと進むと奥の部屋から喘ぎ声が聞こえてくる。あんな声を上げる女性はこの家には居ない。居なかったはず……。


 僕は寝室の前に立つが、中に踏み入ることができずにいた。



「いいかげん、芳潔(よしき)とは別れろ。俺の女になれ」


 聞き覚えのある声。


「あの人を愛してるの。だから、んっ……」


「じゃあ何で俺に跨ってるんだ。口だけじゃないか」


 本当にその通りだよ真琴(まこと)……。


「それでもっ……あっ……私にはっ……あの人だけなのっ……」


 妻の真琴は扉の向こうで息も絶え絶えに僕への愛を語っていた。まだ彼女に僕への想いが残っているのだとしたら、何とかして彼女を取り戻したい。僕は寝室での音声だけ証拠に録音したら、ここを離れようと思った。これ以上この声を聴いていたくなかった。


「このまま孕んだら諦めもつくか、真琴ちゃん。慰謝料くらい払ってやるぞ」


 あいつまさか!


 興信所からは証拠だけ集めて弁護士を雇い、直接手を出さない方がいいとは助言されていた。だけど僕は声の主、叔父の光彦の言葉に完全に頭に血が登っていた。


 僕は扉を開け放つ。

 そこには、背中を抱きかかえられるように叔父に跨り、叔父を受け入れている真琴の姿があった。


「ひっ」


 瞬間、真琴は悲鳴と共に叔父から飛び退こうとするも、叔父は強引に真琴の腰を引き寄せ、真琴は短い嬌声をあげる。


「やだっ! 離して! やだやだっ!」


 真琴はそこそこ背が高く運動もできるが、腹が出てきたとはいえ叔父はもともと筋肉質でとても女の真琴には振りほどけない。叔父はむしろ喜んでいるようにも見えた。


「真琴を離せ!」


 僕は震える手で握りこぶしを作り、叔父に迫るとようやく彼は真琴を離した。

 ただ僕は見てしまった。ベッドの上に滴り落ちたものを。

 頭が真っ白になった僕は、跳ね起きた叔父にいつの間にか殴り倒されて床に尻もちをついていた。


「芳潔!」


 裸の真琴が僕に駆け寄るが、僕は悲鳴をあげて後退ってしまう。


 叔父はにやにや笑っていた。

 何がおかしいんだよ。

 おかしいのはお前だろ。


 僕は立ち上がると手ごろな得物が無いか見回した。

 ガラスのトロフィー――高校のころ、彼女と一緒に獲ったデザインコンペの最優秀賞トロフィー――それを手に取ると、手を振り上げて構える。


「ダメよ」


 彼女が叔父を庇うように立ちはだかる。

 

「何でだよ……何でそんな奴を庇うんだ」


 彼女の行動に涙が溢れ、トロフィーを手放した僕は逃げだした。



 ◇◇◇◇◇



 その後、無我夢中で走り、駅近くのビジネスホテルに逃げ込んだ。

 ベッドに腰掛けると両手が震えているのに気づいた。ぷるぷると小刻みに震える手はいつまで経っても止まらないでいた。自分の手ではないような感覚に陥る。


 あの後、二人はどうしただろう。

 真琴はあの男を庇った。

 そしてスマホの着信は無い。

 邪魔者が居なくなった二人はあのまままたベッドで盛っているのだろうか。



 ◇◇◇◇◇

 


 僕は真琴の最近の不審な行動に興信所を雇っていた。


 彼女はもともと潔癖症気味なところがあって、男が苦手だった。

 結婚前はもちろん、結婚後の生活でも、夜の営みでは声を押し殺して、ただされるがままが多かった。僕はそれでもよかったし、彼女も満足していた。


 彼女は大手でデザイナーとして働いていた。彼女の勤めている会社は叔父の会社とも付き合いがあった。彼女は叔父が良くしてくれていると、よく話していた。遅くまで打合せしていることも多かったが、叔父の会社には親族も多いため、僕も安心していた。



「慰安旅行に誘われちゃって」


 一年近く前になるだろうか。彼女がそんな相談をしてきたことがある。

 

「会社が違うのに?」


「私が居ないと会社も成り立たないから感謝の印だって。断るのも悪いし……」


「へえ、そんなに」


 僕はそれほど気にしていなかった。まあ、一泊だし、たまにはいいんじゃないかな――そう言って送り出した。それから半年ほどは何事もなく過ごした。



 真琴の帰りが遅い――半年を過ぎた頃から立て続けにそんなことがあった。仕事で遅くなることは珍しくなかったが、時期的に忙しいときは前もって話を聞いていた。けれど今回は違う。


「今日もちょっと遅くなりそう……」


 二人でゆっくりできるねと話していた週末の夜にもそんな電話があって、彼女は日が変わる時間まで帰ってこなかった。


「そんなに忙しいの?」


 帰ってきた彼女に尋ねるが――先方から急な変更が入って――と、真琴は返した。


「仕方ないけど、心配だからあまり遅くならないようにね」


 彼女は頷くと、すぐにシャワーを浴びに行った。



「その、久しぶりに……どう、かな?」


 シャワーから出てきた彼女に尋ねるが、彼女は目を逸らして唇を噛む。


「ごめんね、疲れてるよね。いいよ、ありがと」


 僕は先にベッドに入った。

 彼女とはしばらくしていない。仕事が忙しくなったのが理由だけれど、結婚後、まだ二年も経っていないのに二カ月以上もレスは辛いし、最近では肌も見せようとしない。



 真琴が心配だったため、仕事が早めに終わったある日、彼女を迎えに叔父の会社まで足を運んだ。知り合いも多いため以前はよく気軽に顔を出していたが、久しぶりに顔を出したためか皆、余所余所しい。


「よかった。今日は早く帰れるからどこか食べに行きましょ」


 真琴がやってくる。


「打ち合わせの方が大変そうだね。デザインしてる暇無いんじゃない?」


「デザインって言ってもアーティストじゃないからね。お客さんとの打ち合わせがほとんどだよ」



 僕がようやく異変に気が付いたのはその次の週末だった。この日も彼女を迎えに行こうと、会社が上がってから叔父の会社へ向かった。今日も遅くまで打ち合わせをしているらしい。


 やってきた叔父の会社の事務所には常夜灯しか灯っていなかった。わずかに社長室のあたりに明かりが見えた。胸騒ぎがした僕は、今いる場所を駅――ここから10分ほどの――だと、真琴へメッセージを入れる。


 まだかかりそうかとの問いに、少し間をおいて()()()()()()と返事が返ってくる。


 やがて社長室の明かりが消えて、真琴が出てくる。

 その隣には叔父が居て施錠をしていた。



 僕は二人と会わないように、路地を抜けて駅へと走った。

 真琴が駅にやってくる。


「ごめんね。迎えに来てくれるって知ってたらもっと早く上がらせてもらったのに」


「いいよ、大変だもの。ところで、打ち合わせって何人くらいでやってるの?」


「えっと、四人かな。社長の叔父さんと、三坂さんと田沼さん」


「ふぅん」


「えっ、なに?」


「三坂さんってあのカッコイイ人だよね」


「えっ、疑ってるの? 私が男苦手なの知ってるでしょ?」


「冗談だよ」


 僕は作り笑いを浮かべたが、上手く笑えていたかわからない。

 翌日から僕は、仕事終わりに興信所を訪れることになるのだった。



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