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俺は夢を見ていた。
ハッと夢の中で目覚めた俺は、小さい頃から見慣れた館のベッドに寝ていた。目を開けると一番に目に入る天井の景色も見慣れたものだ。
「ジャッジ様。お目覚めになりましたか?お食事ができていますよ。もう陛下も王妃様も席に着かれてジャッジ様をお待ちですよ!」
フラーがいつものように扉を開けて、室内に入ってくると叱るような口調で俺を急かす。
どうもフラーはいつまでたっても俺の事を子供扱いして困る。もう成人を迎えたのだから一人前だというのに。…まぁ、確かに朝は相変わらず弱くて起こしてもらうことの方が多いけど。
さて、父上と母上をいつまでも待たせておくのも申し訳ないから、さっさと準備して朝食の場に向かうとしよう。
…………ん?母上?……なんかひっかかるな。
「ジャッジ様!ほら、早くお着替えになってください」
疑問を抱いた俺だが、着替えを手に迫ってくるフラーの勢いに押されて、着せ替え人形のようにあっという間に着替えさせられると部屋から追い出された。
「私は部屋の掃除をしておきます。ジャッジ様は朝食をお食べになってくださいね。今朝は陛下のお好きなオムレツなのでお急ぎにならないとまた食べられますよ」
なに!?今朝はオムレツなのか。オムレツは父上の大好物だからな。この前俺が寝坊したときは、遅れて朝食の場に行くともう父上が俺の分のオムレツを平らげた所だった。ハハハと笑いながら「遅れたお前が悪い」なんて言っていたが、父上として、国王としてもどうなんだ?
いかんいかん!今は急がなくては!
まだ眠っているようにボーッとする頭を左右に振ると、俺はいつも食事を摂る部屋に急ぐ。
部屋の扉を開けると、ちょうど侍女達によって朝食が配膳されている時だった。俺がいつも座る場所にも全種類の食器が並んでいる。
よかった。俺のオムレツはまだ無事だ。
「おぉ。ジャッジか。おはよう」
俺の姿を見て父上が朝の挨拶を投げ掛けてくる。
毎朝の事のはずなのに、その声や姿がとても懐かしく感じる。その表情はニコニコと笑顔で上機嫌だ。きっと朝食のメニューがオムレツだからだろう。食事ひとつでこんなに喜ぶ国王なんて珍しいんじゃないか?
「おはようごさいます。父上、母上」
そう挨拶を返しながら父上、母上の順に視線を移す。
「おはよう。ジャッジ。今日も寝坊したのね。またフラーに叱られたでしょ?フフフ」
そう可笑しそうに口許に手を当てて笑う母上。
元々美人の母上だが、そうやって笑顔になると周りがパッと明るくなるような華やかな空気になる。父上もそんな母上を笑顔で見ている。
そんな母上の笑顔を見ながら、俺はいつのまにか涙が頬を伝っているのに気付き、慌てて袖で拭うと席に着いた。
……なんで朝の挨拶をしただけで泣くんだ?変なやつだな俺は。きっとさっき欠伸した時の涙が目尻にでも残っていたんだろう。
そう決めつけると、「それじゃ、頂こうか」との父上の言葉を合図に俺も朝食を食べ始めた。
しばらくオムレツをメインとした朝食に舌鼓をうっていたが、父上が俺に声を掛けてきた。父上の前にある食器はオムレツのみ綺麗になくなっている。
「ジャッジ。今日もウィルと剣の稽古か?」
「はい。まだまだ父上やウィルには遠く及びませんが、毎日の継続した稽古が大事とウィル師匠に言われています」
「そうだな。ウィルの教えなら間違いはないだろう。お前もいずれはこの国を治める立場だ。国民に頼りにされるように、少しでも体を鍛えておくのが大事だな」
そう話す父上の体が分厚い筋肉で覆われているのを俺は知っている。たまに誘われて一緒に風呂に入るからだ。剣で斬られたような古傷もいくつかあるし、父上も若い頃は遠くまで旅をしていたと聞いたことがある。
父上が俺に王位を譲られて、隠居したあとならゆっくりその頃の話を聞く時間もとれるだろう。そのときは俺とラミィの子供と一緒に父上の武勇伝を聞くのもいいかもしれないな。
…………ラミィ?ラミィって誰だ?
「ジャッジ。体を鍛えるのもいいけど、ちゃんと勉強もするのよ。貴方の父親は勉強が嫌いで勝手に国を飛び出して旅に出ちゃったらしいから」
「おいおい。そんなこと言うなよ。男たるもの一度は世界を見たくなるものさ。それにそのおかげでお前と出会えたんだからな」
母上の言葉に父上は焦ったように口を挟んできた。
一国の王だが、家庭内では母上に頭が上がらないのが父上だ。俺にはよく分からないが、侍女達の話では惚れた弱みというやつらしい。
そんな風に朝から仲良く話す二人を見ながら、俺は母上に返事する。
「大丈夫です。ちゃんとフラーに教えてもらって勉強しています」
こう見えて俺は勉強はちゃんとやっているのだ。フラーは少し口うるさいが、先生としては優秀で教え方もとても分かりやすい。質問すれば大概のことは即答してくれるし、その場では答えられなくても翌日には調べてきたのか完璧な答えをくれる。きっちり時間を決めて教えてくれるから自由な時間も確保できるし、理想の先生ではないだろうか?
それに俺には魔法の訓練もあるしな。魔力のコントロールの訓練は毎日続けないと意味がないとラミィも言っていた。早く繊細なコントロールができるようにならないと。
………ラミィ?さっきから何度も出てくるラミィって誰だ?
…ラミィ、…魔法、…魔力、………母上?
………………………はっ!そうだ!俺はこんな所でのんびりしている場合じゃない!早く戻らなければ!国が!皆が!
靄がかかったようにはっきりしない頭の中で、ぐるぐると色々な物事が浮かんでは消えていたが、ある瞬間その物事が一本の糸で繋がった。
「父上!母上!私はもう行かなくてはなりません!大切な仲間や国民を守るために戦わなくてはならないのです!」
勢いよく椅子から立ち上がると、さっき入ってきた扉に向かって走る。この夢の世界から現実に戻る方法なんて分からない。しかし、このまま俺だけ幸せに過ごすわけにはいかない。今この瞬間にもハートランド王国の仲間達は必死に国を守るために戦っているはずなんだ。
俺が扉の取っ手に手を掛けようとした時、後ろから父上の声がした気がして、俺は振り向いた。
「ジャッジ。……行ってこい!お前も男なら自分の手で愛する者達を守るんだ。わしとノエルはいつでもお前を見ていよう。これからもずっとな」
そう言う父上は誇らしげだ。堂々と胸を張り、俺が小さい頃から憧れ続けた立派な王の姿だ。
「……ジャッジ。私も陛下と一緒に貴方を見守ってるわ。貴方の体には私達の血が流れているのよ?どこよりも幸せな国を作れるわ。自信を持ちなさい」
そう話す母上の表情はまるで女神様のようだ。美しく、神々しく、慈愛に溢れている。それでいて笑顔になると幼さも垣間見える。どことなくラミィの笑顔にも似ている気がする。
俺ははっきりと頬を流れる涙の感触を感じながら、自分を産んでくれた二人の顔をしっかりと脳裏に焼き付けた後、口を開いた。
「……行ってきます。父上、母上。……どうか見守っていてください」
そう言うと、名残惜しい気持ちを吹っ切るように、取っ手を持つ手に力をこめ勢いよく扉を開く。
その瞬間。扉の向こうから目を開けていられないほどの眩しい光が差し込んできて、俺は思わず目を瞑ってします。そして体から急に力が抜けたかと思うと、ぐるぐると眩暈の時のように世界が回る感覚がやってきた。
次に俺が目を開けると、目の前には心配そうに俺を見つめるラミィの可愛らしい顔があった。