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ベッド上で苦しそうな呼吸を続けるジャッジに向かい、そう静かに話しかけるラミィ。その優しげな口調とは違い、ラミィの目には明らかに怒りの炎が灯っていた。
と、その時、
バタバタッ!ドンッ!
「お待たせしました!タゴサックさんを連れてきました!」
普段なら絶対にしないであろう、床を踏み鳴らし、ドアを激しい音を立てて開けながらエマが戻ってきた。
その後ろには、革の鞄を抱えたタゴサックが必死な顔をしてついてきている。2人とも顔は真っ赤で額には汗の粒が浮かんでいる。
「おぉ!タゴサック殿!ジャッジ様はこちらです。ちょうどラミィ殿が毒を特定してくれた所だ」
「そ、そうですか!お、おらは……。ん、んぐ…。ンダ族が昔から使っている毒に効く薬草を持ってきました」
息を整えながら、タゴサックはそう言うと抱えてきた鞄を前に突き出した。
「ちょっとタゴサックこれを見て。この毒だと思うんだけど…。効く薬草ってあるのかしら?」
「……こ、これは初めて見るカエルですね。おら達の暮らした場所にはいませんでした。……ですが、この症状は毒蛇のものに似ています。それなら……」
と、早速ラミィとタゴサックは、ジャッジの症状に合う薬草について相談を始めたようだ。毒矢や、本を見ながらああでもない、こうでもないと話し合っている。
いつもは無口なタゴサックがラミィ相手に必死に言葉を紡いでいるのを見ると、やはりジャッジのことが心配なのだろう。
ウィルがそんな2人に圧倒されるようにその場で見守っていると、少し落ち着いたエマが声をかけてきた。
「もうすぐ父も駆けつけるはずです。帰りにほんの少しですが家に寄って話をしてきました。すみません」
「……いや、よく伝えてくれました。イーサン殿もこの状況を把握していた方がいいでしょう」
そう申し訳なさそうに話すエマに、ウィルは優しく返事した。
明日には戦場にて指揮を執らないといけないイーサンには、今夜のうちにジャッジの状態を知ってもらっておく必要があるだろう。出陣直前になって指揮官が動揺することは、ハートランド軍全体の士気にも関わる。
しかし、まさか出陣前夜に国王が狙われるとは…。これでは明日は私かラミィ殿のどちらかは戦場に赴くことはできないだろう。こんな状態のジャッジ様をお一人にしておくことはできない。まったく、タイミングの悪いことだ。
………いや。もしこれが敵の狙いだったとしたら?有利に戦に進めるための姑息な手段だったとしたら?
そういえばもう一人同じような格好の侵入者がいたな…。もしやもう一人狙われていたのか?敵が狙うとしたら戦力になりそうな私かラミィ殿だろう。
ラミィ殿も首筋に毒矢を放たれたと言っていた。ということは、狙いはジャッジ様とラミィ殿?
暗殺者の狙いや所属は未だ不明ながら、状況証拠からおおよその推測を固めていくウィル。その推測が進むにつれて、ウィルの表情には怒りが顕になってきた。
「…………我が身を省みず、必死にこの国を再建させたジャッジ様と、将来その国の跡継ぎを産むであろうラミィ殿を狙うだと?………許せん!卑怯者め!」
思わず頭の中で考えていることが口に出てしまったウィルからは、誰も近づくことができない程の圧倒的なオーラが漂っていた。色で例えるなら紅蓮の赤のように、怒りのオーラを迸らせるウィル。
おそらくこの場に子供がいれば泣き出し、立っていることすら出来ないであろうそんなウィルの姿を、エマは恐怖の思いで呆然と見つめていた。
そんな時、またもバタバタと足音を盛大に響かせながら、今度はイーサンが部屋に入ってきた。
「じ、ジャッジ様!ご無事ですか!?ウィル殿!ジャッジ様のご容態は……………ひっ!」
部屋に入るなりジャッジの容態を訪ねるイーサン。ベッド脇ではラミィとタゴサックがなにやら治療中のようだと見て、少し離れた場所に立つウィルに状況を尋ねたのだが。こちらを振り向いたウィルの形相や、その体から溢れる怒りのオーラに圧倒され、思わず尻餅をついてしまった。
「う、ウィル殿。少しその怒りを納めてください。隣にいる娘も倒れてしまいます」
先ほどからウィルの隣でそのオーラに当てられていたエマは、恐怖で足が震え立っているのがやっとの状態だった。
イーサンの言葉で自らの状態と、それに当てられて恐怖に震えるエマに気付いたウィルは、意識して怒りの感情を心の奥深くにしまいこむ。……決して消え去ったわけではない。必要なときに再び燃え上がらせ、敵を粉々に粉砕するために。
「……すまない。少し感情的になっていたようです。エマ殿申し訳ありません」
「……い、いえ。私は大丈夫です」
そう言うエマだが、圧倒的強者の怒りのオーラは一般女性に過ぎないエマには堪えたようだ。
フラフラと後ろに下がると、その場にあった椅子にストンと腰を下ろした。
「そ、それで?ジャッジ様のご容態はいかがなんですか?」
イーサンが立ち上がるなり、再びウィルに尋ねる。
すると、それに返事したのはウィルではなくラミィだった。
「もう大丈夫だと思うわ。タゴサックの持ってきた薬草を、毒矢を撃たれた患部に塗り込んだから。まだ呼吸は苦しそうだし、口から水や食べ物を摂るのは無理だけど、明日の朝には落ち着いているはずよ。それにさっきウィルには話したけど、ジャッジには魔力があるわ。私達の国王はこんな程度じゃ死なないわ」
そう自信満々で話すラミィ。
医者でもないラミィが話すことだが、その言葉には不思議と皆を安心させる何かがあった。
その後、少し皆が落ち着いてきたタイミングで、ウィルはイーサンとともに倒した黒装束の持ち物などを確認しに行ったが、手裏剣の他には身元を特定できる物は所持していなかった。
真っ暗闇だった外の景色が僅かに白んできた頃、ジャッジの荒く苦しそうだった息づかいも穏やかになり、その寝顔もまるで幼い子供のもののように無邪気なものに変わっていた。
ジャッジの眠るラミィの部屋では、一晩中主の容態を見守っていた5人が、眠そうな素振りも見せずにじっとそれぞれの場所に座っていた。
「……そろそろ兵達が集まり始める頃です。私は様子をみてきます」
イーサンは外の様子を気にかけながらそう話すと、椅子から立ち上がった。それにつられたように皆も座っていた場所から腰を上げ、それぞれの準備に取りかかろうと動き始める。
しかし、そこでジャッジの一番近くで寝顔を見守っていた、ラミィの話す言葉に皆が動きを止めた。
「……アンタ達にお願いがあるわ。今日の戦いは私一人に行かせてくれないかしら。アンタ達はここでジャッジの様子を見てて欲しいの」
「……なっ!?ラミィ様!それはどういうことですか!?」
「ラミィ様!?」
ラミィの突然の発言にイーサンとエマは驚きの声を上げる。
ラミィは先ほどから姿勢を変えることなく、相変わらずその手でジャッジの頬を優しく撫で続けている。
その表情はまるで寝ている子供を見守る母親のような、穏やかな表情だ。
しかし、その言葉には絶対に譲らない決意のようなものが感じられる。お願いなどとラミィは言っているが、実質これは命令と同じだろう。
ラミィを将来の王妃として遇してきたイーサンやタゴサックには、逆らうことのできない響きがそこには含まれていた。
ラミィの事をジャッジを巡る恋のライバルと認めながらも、王妃の座は最初から諦めているエマも同様である。
そんな中、この場にいる中では唯一ラミィに対して対等に意見を言うことのできるウィルが、静かにその口を開いた。
「………ラミィ殿。一人で行くことはきっとジャッジ様もお許しにならないでしょう。私もご一緒します」
そう話すウィルの全身からは、昨夜イーサンに尻餅をつかせたときよりも、もっと静かで重い、怒りのオーラが立ち昇っているように見えた。