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ウィルはイーサン宅で明日の打ち合わせを済ませた後、館に向かい歩いて帰る途中だった。
「イーサン殿やジャッド族が味方になり頼もしい限りだ。今後は軍として剣の指導も行って行った方がいいのかもしれんな」
今回ばかりではなく、正式にハートランド軍として発足したのなら、ある程度皆が戦えなければいけない。今でもその身体能力に任せた戦い方でその辺の国の兵士よりは優秀だが、これが技術を身に付ければより頼もしくなるだろう。
「いくら軍が強くなろうと、ジャッジ様の治世ならば侵攻などとは無縁の平和な国でいられるだろうからな。強力な武力は相手の侵攻を抑える抑止力にもなるはずだ」
ウィルはジャッジが他国に攻め入ろうなどとは絶対に言い出さないと確信していた。
共にハートランド王国がロンベルに侵攻を受けた惨状を見ていた。ということもあるが、5年もの間一緒に暮らし、ジャッジのある意味王族らしからぬ優しさを側で見続けてきたからだ。
そんなジャッジだからこそ、ウィルは生涯一番近くで支え続けようと固く決意したのだ。
「今夜は早く休むとしよう。まだ風呂の湯は冷めていないだろうか?…………ん?あれは?」
館の明かりがはっきりとウィルの目にも見えてきた頃、館を囲むように植えてある生け垣の隙間に、動く人影が見えた。
まだ十分に成長していない生け垣には隙間が目立ち、館を人の目から隠すには十分とはいえない状態だが、この時はそれが幸いした。
この時間に館の周囲をこそこそと動き回る人物など怪しくないはずがない。もしや、ジャッジに危害を加えるつもりなのでは?
その考えに辿り着いたウィルは、その脚力を活かし飛ぶような速さで館への道のりを走りきると、人影の見えた場所へと駆けつけた。
「何者だ!」
「……!!?」
ウィルが怪しい人物の背後から誰何すると、全身真っ黒の衣装で顔を隠した人物は驚いたように振り返った。
ウィルに見つかったことを悟った黒衣装は、黙ったままおもむろに懐に手を入れると、素早く何かをウィルに向かい投擲してきた。
ヒュッ!シュルルッ!
するどく風を切りながら飛んでくる何か。暗闇の中で放たれた複数の物は常人ならば、避けることも受けることも難しいだろう。
しかし、ウィルは常人ではない。暗闇を飛ぶ物の姿をはっきりとその目に捉え、正体が両刃の手裏剣だと確認したうえで剣を抜き、2つとも叩き落とした。
そして黒衣装がジャッジの脅威になるであろうと判断したウィルは、大きく数歩踏み込み、黒衣装が反応する間も与えない速さで首を斬り落とした。
「しまった。何者か吐かせるべきだったか…」
頭と体が別々になった死体を見下ろしながら、自分の下した結末を反省するウィル。
何か手がかりはないものかと、地面に落ちた手裏剣や黒衣装の懐を探ろうとしていると、
ドンッ!
という音とともに、館の2階からなにか重いものが落ちてきた。
その方向を目を凝らすと、どうやら人が2階から落ちてきたようだ。その部屋の壁も大きく崩れているのが確認できる。
あの部屋はたしか……ジャッジの部屋だ!
そう確信したウィルは手裏剣をその場に投げ捨て、急いで館の入り口から中に入ると、階段を駆け上がりジャッジの部屋の扉を壊さんばかりの勢いで開けた。
ジャッジを窓ごと大きく壁が崩れ風通しの良くなった部屋から、ラミィの部屋のベッドに移したウィルは、エマとともにベッド脇でラミィが帰るのを待っていた。
「くっ…。私が側を離れなければ…」
「ウィル様はもう一人の侵入者を倒して下さったのです。今はラミィ様を待ちましょう」
先ほどまでの扇情的な寝巻きから、普段着ている服に着替えたエマは、ウィルにそう声をかけながら自身も露天風呂での行動を悔やんでいた。
エマが露天風呂でジャッジを誘惑するようなことをしなければ、また、後で部屋を訪れるということを言わなければ、ジャッジは油断しなかったのかもしれない。
これはあくまで結果論だが、目の前に苦しそうな呼吸で横たわるジャッジを見るたびに、自分自身を責める気持ちを抑えきれなくなる。
「……!!もしかしたらタゴサックさんならなにか毒に効く薬草を知っているかもしれません!私聞いてきます!」
「そうか!確かにタゴサック殿なら可能性はある!……頼んでもいいですか?私はここでラミィ殿を待ちます」
「すぐに戻ります!」
そう言うとエマは部屋を走って出ていった。これから夜道を駆けてタゴサックの家まで向かうのだろう。本当ならばウィルが代わりに行くべきなのだろうが、今だけはジャッジの元を離れたくはない。ジャッジの命を狙う者が二人で終わりとは限らないからだ。
「まだか…?ラミィ殿、急いでくれ……」
流行る気持ちを隠しきれず、刻一刻と呼吸が荒くなっていくような気がするジャッジを見つめながら、ウィルはそう呟いた。
ラミィはエマが部屋を出てからさほど経たず帰ってきた。その腕には数冊の分厚い本が抱えられており、ラミィはベッドサイドにその本を置くや否やページをめくり始めた。
「……えーっと、呼吸は出来てるわね。…いや、苦しそうだからこの場合は…。えーっと……」
などと、何度も本に記述された内容とジャッジの症状とを見比べながら、原因となった毒を特定していく。
また、ラミィに向け放たれた毒矢の矢じりに塗られた毒の、色や匂いも毒を特定する貴重な材料となった。
「……わかったわ。多分これで間違いないと思う。ここに書いてある、この毒カエルから抽出される毒ね」
ラミィがそう言いながら差し出してきた本のページには、不思議なことに動く絵でカエルが描かれてあった。
そして、その下にはその毒に関する記述が細かい字でびっしりと書いてある。
「色々書いてあるけど、要するに熱が上がって徐々に衰弱していく毒みたいね。意識も戻らず、食事も水分もろくにとれなくなるらしいわ。塗られた毒の量にもよるけど、2週間も保たずに死ぬことが多いって書いてあるわ」
「2週間!?ならばそれまでに解毒すれば良いということですか?」
ラミィの言葉にウィルは質問する。2週間もあれば解毒する方法は見つかりそうではある。
「……それが解毒薬はまだみつかってないみたいなの。そのせいで、多くの人は不治の病だと勘違いすることが多いって書いてあるわ。……もしかしたら、自分達の仕業だと思わせないようにこの毒を使ったのかもしれないわね」
「くっ…。卑怯な…」
不思議とラミィはジャッジが助からないかもしれないというのに冷静だ。いつものラミィなら大騒ぎしていてもおかしくはない。
そんなことに気付かない位動揺しているウィルに向かい、ラミィは本をサイドテーブルに置くと声をかけた。
「さっきこの本を調べていて気付いたんだけど、……おそらくジャッジはこのまま何もしなくても死なないわ」
「………?そ、それは、どういうことですか…?」
ラミィの言葉に疑問を隠しきれないウィル。
本に記述された内容では、2週間しか保たないのではなかったのか?実は未発見の解毒薬でも持っているとか?
そんなウィルに向かい、ラミィは再び口を開いた。
「…実はね。私達魔女は全身に魔力が循環しているせいか、老いも極端に遅いし、病気にもほとんどかからないの。そしてこの本に書いてある通りなら、毒や薬の効果もかなり軽減されるみたいなの。ジャッジも私達と同じように魔力が全身を循環しているわ。それも普通の魔女よりもずっと多い量のね。そう考えると、毒の効果もかなり薄まるはずよ」
そう話すラミィは確信を持っているような口ぶりだ。
ベッドに横たわるジャッジは、相変わらず荒い呼吸を繰り返している。そのジャッジの頬を愛おしそうに優しく撫でながら、ラミィは小さく呟く。
「大丈夫。すぐによくなるわ。アンタは安心して寝てなさい。……………仇は私がとってやるわ」