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黒衣装の話した内容は衝撃的だった。
ハートランド国王の仲間には、あの伝説と言われる魔女がいるらしい。しかも従者には6000人をたった一人で殲滅させるほどの剣の使い手もいるとのことだ。
実際イーストエンド王国のアルフレッド王などはジャッジ王に脅され、以前の強気な態度はすっかり鳴りを潜め、現在では領土を広げるなど考えられないほど弱気になってしまったらしい。
「ほ、本当なのか!?あんな小国にそんな強大な戦力があるというのか?」
「私の情報に間違いはない。故に、このままだと負けると言ったのだ」
黒衣装は堂々とした態度でそう言いきった。いつのまにか、さっきまでとは話し方さえも変わっている。
確かに黒衣装の話には筋が通っていた。最近のイーストエンドやマフーンの動きなどは、ゲールも国を主導する立場として情報は得ていた。そして、黒衣装の話が真実だとすると、色々と辻褄が合うこともまた事実だった。
「まさかそんなことが……」
「信じられないのも無理はない。しかし、これが現実だ」
ゲールはこのまま軍を率いて、ハートランド王国に攻めいった場合の結果を想像して顔から血の気が引くのがわかった。
このままだと前回とは違い、手酷く反撃を受けて逃げ帰ることになる可能性が高い。…いや、全滅しないまでも相当の被害が出るのは避けられないだろう。絵物語に語られる魔女とは、それほどまでに恐ろしい存在だとゲールは認識していた。
それにたった1人で6000人を殲滅する男だと?しかもあの剣聖ウィリアムの弟子というではないか。馬鹿げた強さだ。
自分の言葉に動揺するゲールをじっと見つめていた黒衣装だったが、おもむろに懐から1枚の紙を取り出すと、ゲールに向かい口を開く。
「……そこでだ。私から提案がある」
「……提案?」
「そうだ。今後私達に協力を約束するなら、ハートランド国王を暗殺してやろう」
「暗殺だと!?」
黒衣装の言葉通りジャッジ王を暗殺することができるのならば、ハートランド王国の戦力は大分落ちる。しかも後継者のいない小国のことだ。そのまま国が瓦解することも十分考えられる。
……しかし、魔女とその従者の目を掻い潜っての暗殺など可能なのか?もし捕まり私との関係がバレれば、その怒りがダポン共和国に向かうことにならないか?
「……そんなことが可能なのか?魔女や、強いという従者が側にいるはずだろう」
ゲールは決してその提案に心が惹かれていることを気付かれないよう、言葉を選びながら黒衣装に質問する。
これは議員として、数々の修羅場を潜り抜けるうちに身に付けた技だ。相手に弱みを見せることほど愚かなことはない。
黒衣装はそんなゲールの心の内を読み取っているかのように、再び暗い笑い声を漏らすと質問に答える。
「……フフフ。私たちは入念に準備をしてきた。ハートランド王国へ忍び込み、ジャッジ王の寝室の間取りまで把握している。密かに息の根を止めるなど容易い事だ」
自身ありげな黒衣装の態度に、ゲールば困惑の表情を浮かべる。
「お前達はハートランド王国に恨みでもあるのか?そこまで準備しているなら、何故私の元を訪れる?」
「さっきも話しただろう。あなたの協力が必要なのだ。……将来的にだが」
そう言うと、再び手に持った1枚の紙を差し出してきた。
ゲールはその紙を手に取り、ランプの明かりにかざして内容を確認する。そこには、「誓約書」と銘打たれた短い文章が書かれていた。
内容は今回のジャッジ王暗殺が成功した暁には、近い将来現れる黒衣装達の組織への協力を惜しまない、というものだ。
一番下にはゲールが記入するための署名欄があり、ご丁寧に血判まで押させるつもりのようだ。
「……もし、ジャッジ王の暗殺が可能ならば協力してもいい。しかし、お前達の組織とは一体なんだ?どこかの国に所属しているのか?」
「それを今話すことはできない。そもそもあなたにこの提案を拒否することができるのか?できないだろう。断れば軍の敗北とともに、あなたの議員生命も終わりだ」
確かに黒衣装の言う通り、ゲールは今回のハートランド王国との戦争には負けるわけにはいかなかった。そもそもが前回の失態を取り返す為の軍の派遣だ。ここで再び失敗しようものなら、さすがのゲールと言えども責任を追求されるだろう。
「………わかった。署名しよう」
ゲールはそう言うと誓約書を持って机に向かい、愛用のペンで自らの名前を署名し、封筒を開封用の小型のナイフで右手親指を薄く傷つけると血判を押した。
そして署名が終わった誓約書を手に持ち、黒衣装の目の前まで歩く。
「それで?いつ暗殺してくれるんだ?明日には私は出発する予定だ。早ければ3週間後には到着するぞ」
黒衣装に誓約書を手渡しながら、ゲールは期日の確認をする。
黒衣装は誓約書を受けとると、中身を確認し懐にしまった。そしてその後でゆっくりと口を開く。
「あなた達が到着する前には実行しよう。その方が混乱するだろう」
「くれぐれも私たちの仕業だと分からないようにしてくれなければ困るぞ」
「分かっている。しかし、タイミング的に無関係だと言い張るのは無理があるだろう。……そうだな。サービスで魔女か従者のどちらかも暗殺してやろう。それならさすがにあなた達でも勝てるだろう」
協力な3つの戦力の内、2つが機能しないとしたら確かに勝てるだろう。今回の目的であるジャッド族、ンダ族を連れ戻すことも可能かもしれない。無理ならば皆殺しにしてしまえば良いと思っていたが、連れ帰り奴隷として働かせることができれば、ゲールの議長としての功績となる。
ゲールがそんなとらぬ狸のなんとやらな考えに辿り着いて、顔を上げると既に黒衣装は部屋を去っていた。
部屋に入ったときも気付かなかったが、去るときもまた無音だった。
「……今回は失敗するわけにはいかないのだ。必要なリスクだと考えよう」
そう誰に聞かせるでもなく、自分に対して言い訳のようなことを呟きながら、黒衣装の登場により中断していた帰り支度を始めた。
「ねぇ、おかーさんこれも!これも!」
「あら?これもおいしそうね。これは何が入ってるの?」
「奥さんお目が高い!これはここよりはるか南の地で取れるパインという果物を使ったお菓子ですよ!乾燥させてあるので日持ちもします。ひとつ試してみてはいががですか?ほら、お嬢ちゃんもひとつ食べてみな。甘くておいしいぞ」
いつもはジャッド族の男性が相撲場として使っている広場には、今日は多くの女性や子供の声が賑やかに響いていた。
「みんな楽しそうだな。やっぱり娯楽に飢えてたのかもな。ほら、ラミィも行ってきたらどうだ?友達ができるかもしれないぞ?」
「友達って…。アンタ私を子供だと思ってたのね!キィー!!」
「ハハハ。冗談だよ、冗談。しかしサニーも約束より大分早く来てくれたもんだな」
俺達がファイスの街でサニーと行商について話してから、まだ2週間も経っていない。あのあと数日のうちにはサニーはファイスの街を発ったということだ。
大した儲けにならないのは分かっているのに、約束より早く沢山の商品を抱えて訪れてくれたサニーに悪い印象を持つはずなどない。たとえそれが商売人としてのサニーの戦略であろうと、俺達もこの国の人々もサニーの店を今後も贔屓にしていくだろう。
「さて。俺達も見に行ってみようか。少しは王らしく見えそうな、威厳のある服とかないかな?」
「私はやっぱりお菓子がいいわ!」
「私は武器の類いがないか聞いてみようと思います」
俺達はそれぞれの目当ての商品への期待を膨らませながら、広場を3人でぺちゃくちゃ話しながら進む。
まわりにいる人々もお菓子を食べる者、買ったばかりの服を自慢する者と様々だ。皆に共通しているのは笑顔ということぐらいだろう。
その日、ハートランド王国は再興以来の賑やかさだった。