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俺はダポン共和国の南にある、ジャッド族とンダ族が住む自治区に向かって走る馬車の中にいる。
俺の隣には笑顔のエマが座り、向かいには目を決して合わせてくれないウィルと、喰い殺しそうな表情で俺とエマを睨むラミィが座っている。なんか物凄く居心地が悪い。
……なぜこんなことになったんだ。
セカーニュの街を出発したのは3日前だった。
どうしても街を離れることが出来ないケイレブ伯爵は、せめてもとケイレブ伯爵家の紋章の入った馬車を貸してくれた。増えるのがエマ1人くらいなら魔車でもよかったのだが、ラミィがエマを乗せることを嫌がったのだ。
おかげで自治区まで約5日間の馬車の旅が始まったのだが、出発早々に問題が発生した。
誰がどこに座るかでラミィとエマが揉め始めたのだ。
「ジャッジ様の横には私が座ります。自治区までの道案内や、ジャッド族についても道中お話したいことがありますので」
と、エマが言い出すと、
「な、なに言ってるのよ!隣は私って決まってるのよ!それに、道案内も会話も向かいの席でも出来るじゃない!」
と、ラミィは言い返す。
「あら?あなたには聞かれたくないお話だってあるでしょう?ねぇ、ジャッジ様」
「ちょ、ちょっと!腕を組むのを止めなさい!ウィル!アンタからもなんか言ってよ!」
「……わ、私は、ちょっと荷物の確認をして参ります。し、失礼」
と、ギャーギャー騒ぐ2人からウィルは逃げていった。
そんな調子でしばらく揉めていた2人だったが、見送りに来ていたケイレブ伯爵の提案で、1日交代で席を替わることになった。
そして今日は4日目、エマが俺の隣に座る番だ。
「ジャッジ様。ずっと馬車に揺られてお疲れではないですか?もし、よろしかったら私の膝の上で少しお休みになられてはいかがですか?」
自分のスラッとした形の良い脚を撫でるようにして、エマがそう言ってくる。
確かに膝枕をしてもらえば気持ち良さそうだ。と、チラッとエマの太ももを見るが、その途端ラミィの怒りの声が飛んでくる。
「な、なに言ってるのよ!うちの国王はこのくらいじゃ疲れはしないわ!ほら!アンタもはっきり断りなさい!」
「……えっ?う、うん。エマ、俺は大丈夫だ。エマこそ慣れない馬車でお尻が痛くならないか?俺も初めて馬車に乗った時は振動で腰とお尻を痛くした覚えがある」
俺はちゃんと膝枕を断った後、そうエマを気遣う。
魔車とは違い、いくらケイレブ伯爵の高級馬車といえども結構な振動がある。慣れないエマには辛いはずだ。
「……実は昨日から少しお尻が痛かったんです。申し訳ありませんが、少しジャッジ様の腕をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「腕?あぁ。腕くらいならいくらでも貸すけど…」
と、申し訳なさそうに上目遣いで話しかけるエマに、俺が答えると、
ギュッ!
と音がしそうなほどの勢いで、その豊満な胸をエマが俺の左腕に当てつつしなだれかかってきた。
そして、俺の耳元で囁くようにこう言う。
「こうしていると大分楽です。しばらくこのままでいてもよろしいですか?」
「あ、あぁ。し、仕方ない」
俺は突然の感触に驚いたが、これは断れるものじゃない。
…というか、エマのお尻の痛みを和らげるために仕方なくこうしているだけだから。決して別の意味で断らないわけじゃないから。
そう自分に言い聞かせながら、向かいの席の様子を伺うと、さっきまでとは比べ物にならない、明らかに殺意の籠った視線でこちらを睨み付けているラミィがいた。
「ち、違う!これは……」
と、俺が焦って言い訳を口にした瞬間、
「ヘルファイア!」
というラミィの声が聞こえ、俺とエマは怒りの炎に包まれた。
その後急いで水魔法で消化し、事なきを得たが、おかげで馬車の内部が俺達を含め水浸しになってしまい、しばらく馬車を止めて乾かす羽目になった。
その夜、ラミィに魔法のテントから追い出された俺は、ウィルと同じテントで途方にくれていた。
「……はぁ」
「どうされたのですか?ため息なんかついて」
そんな俺を見かねてか、ウィルが声をかけてくる。
「ウィルも見てただろ?ラミィとエマの事だよ。なんで仲良くできないのかな?」
「そうですね…。そこは女同士の相性もあるのでしょう。そして一番の原因はエマ殿のあの態度でしょうね」
「そうだよなぁ…」
ウィルが言うように、エマはこの旅が始まった時から妙に積極的だ。俺への純粋な好意からくるものならうれしいのだが…。俺も国王と名乗った以上、エマの好意を単純に受けとることはできない。国王というブランドに興味のある女性など、この世の中にいくらでもいるのだから。
明日からもこの状態が続くのかなぁ。そういや、明日はラミィと隣同士で座るのか。かなり怒ってたし口も聞いてくれないかもな。気まずいなぁ…。
などと考えた俺は、今夜のうちにラミィと話してこようと決意した。
「ちょっとラミィと話してくるよ。先に寝ててくれ」
と、ウィルに言い残すと俺はラミィのいる魔法のテントに向かった。
テントに入ると、リビングにも台所にもラミィの姿はなかった。風呂場からも物音はしないため違うだろう。
もう寝たのか?と思い、寝室に向かうとこちらに背を向けて横になるラミィの姿が見えた。
「ラミィ。寝てるのか?」
小声で声をかけるも返事はない。どうやら眠っているようだ。
俺は足音を立てないように、ゆっくりとラミィの寝るベッドに近づきベッドサイドに腰かけた。そのままラミィの寝顔を見つめる。
相変わらず整った顔だ。少女のような儚さもあり、大人の女性のような妖艶さもある。総じて言えるのは可愛いってことだ。
そのまましばらく寝顔を見つめていると、突然パッとラミィが目を開けた!
「いつまで見てるのよ!」
と、言い放つとバッとベッド上に起き上がった。どうやら寝た振りだったらしい。
「何しに帰ってきたの?アンタはもうこのテントには出入り禁止って言ったでしょ!それとも何?私と離れて寝るのが寂しいから帰ってきちゃったの?」
そう少し馬鹿にしたような態度で話すラミィ。どうやら今回は本気で怒っているらしい。いつものラミィとは様子が違う。
参ったな。これは俺もちゃんと謝らないといけないな。今日のエマに対する俺の態度も確かにいけなかった。
…だがなぁ。エマの真意がわからないうちは露骨に拒否もできないんだよなぁ。何かエマがそういう態度をとらざるを得ない理由があるかもしれないしな。
例えば、王である俺を籠絡することで、ジャッド族への支援を確実なものにする為とか。……そんなことしなくても、俺はジャッド族とンダ族を見捨てることはしないつもりだが。
色々と考えはしたが、結局はちゃんとラミィに謝っておこうと、俺はラミィに向かい謝罪の言葉を口にする。
「ラミィ。昼間は曖昧な態度をとってすまなかった。しかし、エマも何か理由があってあんな態度をとっているかもしれないんだ。それは分かってやってくれ」
「理由?アンタの事が好きなんじゃなくて?」
俺の話した言葉に首を傾げるラミィ。
俺は自分の考えをラミィに話した。
「………というわけだ。だからエマは嫌々あんな態度をとっているんだろう。どうか許してやってくれないか?もちろん一番悪いのは、はっきりと拒否しなかった俺だ。なんでも言うこと聞くから機嫌直してくれ、ラミィ」
そう懇願すると、ラミィは渋々ながら頷いてくれた。
「ま、まぁ。そういうことなら仕方ないわね。この旅の間だけは我慢してあげましょう。この天才美人魔女ラミィちゃんの心の広さに感謝しなさいよ」
と、偉そうに話すラミィを見てほっと胸を撫で下ろす。
……なんで俺は妻でも恋人でもないラミィにこんなに気を遣わなきゃいけないんだ?と、いう疑問も頭をもたげてくるが、まぁいいだろう。とにかく今はラミィの機嫌を直して、無難に旅を続けることこそが重要だ。
そんな風にほっとしていた俺に向かい、ラミィが再び口を開いたかと思うと、
「そ、そのかわり。今夜は私と一緒の、べ、ベッドで寝ること!」
などと、真っ赤な顔で言ってきた。
今夜は仕方ないか。断ったら、またラミィの怒りの導火線に火がついてしまうだろう。
「……わかった。一緒に寝ようか」
俺はそう言うと、枕元のランプを消しラミィの隣に潜り込んだ。
てっきりそういうことをするのかと覚悟はしていたのだが、ラミィは手を握って寝るだけでいいようだった。
もしかしたら、前に俺がこの寝室で眠るラミィに「もう少し考えさせてくれ」と言った言葉が聞こえていて、守ってくれているのかもしれない。
そう考えるとラミィの事が急に愛おしくなり、俺はラミィを後ろから抱き締めた。
ラミィは急に抱きついてきた俺に驚いたようで、体を強ばらせていたが、
「…フフッ」
と、小さく笑うと身を委ねてくれた。
後ろから抱き締めたラミィの体は、とても小さくて柔らかかった。そして、ちょうど俺の鼻にかかる髪の毛からは石鹸のいい匂いがして、そのまま俺はゆっくりと夢の世界に落ちていった。