20
ラミィの運転する魔車は順調に島の中を走っていた。
スピードも俺の時のように速すぎることもない。それでも馬車とは比べ物にならないくらいのスピードが出ている。
「へぇー。森を抜けると草原があるのか」
気楽な同乗者の俺は気ままに景色を眺めている。さっきまでの森の中と違い、辺りは見渡す限りの草原だ。季節は秋から冬に移り変わろうとしており、草原はまるで黄金色の絨毯を敷き詰めたようだ。
しばらくその景色を楽しんでいた俺だったが、小高い丘をいくつか超えると、前方の景色の中に青色が見え隠れするようになった。
「もうすぐ海よ!」
隣で運転するラミィが風の音に負けないように叫ぶ。
そうしている間にも、前方の景色の中で青色が占める割合が増えていく。
魔車が停車した。
少し疲れた顔のラミィが鉄の棒から手を離して俺に言う。
「さあ、着いたわよ。これがアンタの見たかった海よ!」
魔車を降りた俺の目の前には、綺麗な青がどこまでも広がっていた。手前に広がる白い砂は、砂浜と呼ばれるものだろう。そこに絶え間なく波が打ち寄せて、波の形も砂浜の形も刻一刻と変わっていく。
なにより、その奥に広がる海だ!なんて大きいのだろう!どこまでいっても青一色だ。
父上やウィルから話は聞いたことがあったが、話で聞くのと実際目で見るのとは大違いだ!
と、感動している俺の横にラミィが並ぶように立つ。
「どう?初めてみたんでしょ?感動した?」
そう言いながら俺の方を向くラミィ。
「あぁ。すごく感動したよ!やっぱり自分の目で見るってことは大事なんだな。連れてきてくれてありがとう。ラミィ」
俺は笑顔でそうラミィに感謝の言葉を伝える。
その言葉を聞くラミィも、少し顔を赤くしながら笑っている。
「そうだ!確か海の水はしょっぱいって聞いたんだ。ちょっと舐めてくる」
父上に聞いた話を思い出した俺は砂浜を抜け、波打ち際まで歩く。そして打ち寄せる波が最も近づいたタイミングで、その波を両手で掬った。
両手の中の水は、海は青いのになぜか透明で透き通っている。
「川の水と同じにしか見えないな」
そう呟き、少しだけ舌先で舐めてみる。
……しょっぱい!?すごい!本当に塩水だ!目の前に広がるこの海全部が塩水なのか!?
感動して動きが止まっている俺を心配したのか、ラミィが後ろから駆け寄ってきた。
「ちょっと、アンタ大丈夫?」
俺はラミィを振り返り、初めて海を発見したかのように報告した。
「すごいぞ!ラミィ!水がしょっぱいんだ!これ全部だぞ!信じられん!」
興奮した俺は、無意識に駆け寄ってきたラミィを抱き締め、抱え上げた。
そのまま少し俺より目線の高いラミィに向かって俺は続ける。
「ラミィと出会ってから初めてのことばかりだ!まだまだ世界は俺の知らないことだらけだった!ありがとう!ラミィ」
抱え上げられているラミィは、真っ赤な顔で口をパクパクしている。…だけどそんなことはどうでもいい。とにかく今はこの感動をラミィに伝えたい。もちろん感謝も。
どれくらいそうしていただろうか。抱え上げた腕が疲れてきた俺はラミィを下ろした。
興奮が冷めてくると、子供みたいにはしゃいでいた自分が少し恥ずかしい。
「どう?少しは落ち着いた?」
ラミィが大人びた態度でそう聞いてくる。だがその顔は依然として真っ赤なままだ。
「あ、あぁ。取り乱してしまった。すまん」
なんか俺も気まずい。
「仕方ないわよ。私も初めて海をみたときは圧倒されたわ。生まれたのは海のない場所だったから」
そう話しながら顔色が徐々にもどってきたラミィは、砂浜に打ち上げられた大きな流木に座る。
そうか。ラミィも俺と同じ海の無いところで育ったのか…。そう思った俺は、この3日の間にラミィに聞こうと思っていたことを聞くのは今だと思い、ラミィの隣に座る。
「なぁ、ラミィ。イヤなら答えなくていいんだが…。もしよければ、俺と出会うまでのラミィのことを教えてくれないか?」
俺がそう言うと、ラミィは一瞬ピクッっと反応したあと、黙りこんでしまった。
会話のなくなった2人の間には、規則正しい波の音だけが響く。俺は波打ち際で自然の力に翻弄され、進んだり戻ったりを繰り返す木の枝をなんとなく眺めていた。
きっとこの枝も、俺が行ったこともないような遠い国から旅してきたんだろう。
そんなとりとめもないことを考えていた。
「私が生まれたのは…」
深く息を吸い込む音が聞こえ、そのあと静かな声でラミィが話し出した。
俺は視線を波打ち際からラミィに移す。
「私が生まれたのは、東の大陸の端っこにある小さい村よ。もう村の名前も国の名前も忘れちゃったわ。」
そう話すラミィは小さく震えているようだった。俺は相槌を返すでもなく、じっとラミィを見たまま動かない。
ラミィは続ける。
「普通の両親がいて、友達もいたわ。あんまり裕福じゃなかったけど幸せだったと思うわ。私が10才の誕生日を迎えてすぐ、村に1人の女性がやってきたの。その人は、独りであそんでいた私のところにまっすぐやってきて、こう言ったの」
「おまえは魔女だ、村の他の人たちとは違う。もう一緒には暮らせない。って」
そこまで話したラミィは、1度大きく深呼吸をした。 そして話を続ける。
「もちろん、最初は信じなかったわ。何言ってるんだろこの人?って感じね。でも、その人の話を続けて聞いていくと、自分が魔女だとしか思えなくなっていったの。……両親には相談できなかったわ。だって!もし、私が魔女だと知ったら両親がどんな反応をするか分かんないもの!」
昔を思いだし、10才のラミィの感情が蘇ったのだろう。俺の顔を懇願するように見るラミィ。
俺は真顔のままひとつ頷く。
「結局私はその女性と一緒に村を出たわ。両親にも、友達にも、誰にもなんにも言わずに。……今になれば分かるわ。私は怖かったのね。両親や友達、村の皆に魔女だとしって嫌われるのが」
そこまで話したラミィの目には涙が光っている。
俺はそんなラミィを強く抱き締めたくなる。
…が、ぐっと堪えて姿勢を変えない。
「連れられて行った先でその女性と一緒に暮らしながら、魔女に必要なことを教わったわ。…あぁ、その女性はラーナっていうの。私の師匠でもある魔女よ。ラーナは私にとてもよくしてくれた。きっと自分も同じような経験をしてきたからね」
ラミィの大きな目に光る涙はそのままだが、顔には笑顔が浮かんでいる。きっと楽しい思い出を思い出しているのだろう。
「ラーナと暮らして5年がたった頃、私は独り立ちしたわ。ラーナが言うには私は天才らしいわ。たったの5年間で、それまでラーナが長年培ってきた魔法に関する事全てを吸収できたの。もう教えることはないって。まぁ放り出されたようなもんね」
よくラミィが言う「天才魔女」というのは、ここからきてるのかもしれない。そう思いつつ話の続きを待つ。
「正直ショックだったわ。連れられてきてからラーナのことは姉のような、母親のような存在だと思ってたから。でも、ずっと一緒には暮らせないってことも分かってたの。だから、独り立ちしたときに住む場所は遠い西の大陸を選んだのよ」
そこまで話すと、ラミィは一度視線を海の方に向けた。そして再度俺の目をしっかり見つめて話し出した。
「ラミィ島を見つけてそこに住むことにして、家を建てたり、新しい道具を開発したり。結構楽しかったわ。たまには街に行って買い物もしたわ。そこで出会った人と話したりもした。…でも友達にはなれなかった。…だって私は魔女だから」
そう言って笑うラミィ。俺はこんなに寂しい笑顔をみたことがなかった。笑っているのに今にも泣きそうな、少し触れるだけで壊れてしまいそうな。そんな顔をした少女がそこにはいた。