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その日、ファイスの街に住む一人の老人はたった一人しかいない息子を戦争の為の徴兵に送り出した。既にその息子の上の兄2人は数年前の戦争で亡くしており、妻もいない老人にとっては唯一の家族と言える息子だった。
ここ数年戦争とは無縁だったイーストエンド王国も、王が代わり再び他国への侵略を企んでいるようだった。
今、老人は失意の中息子を送り出す為に訪れた街の門から自宅へととぼとぼと歩いていた。
「……なぜ戦争なんてするんじゃ。もう十分広い領土は持っとるじゃろう…」
間違っても国軍の兵には聞かせられないような内容の独り言をつぶやきながら老人は歩く。
もし息子が帰ってこないようなことでもあれば、老人は天涯孤独となってしまう。働くことも難しい年齢でもあり、蓄えを少しずつ切り崩しながら生活するしかないだろう。
……いや。もう残りの人生に楽しみなど無い。潔くこの世に別れを告げるのもいいかもしれない。
そんな風に人生自体に悲観しながら歩く老人だったが、どこにでも悪いことをする人間というものはいるもので、老人が路地に入った途端周りを4人組の若者に囲まれた。
「おい!じじい!命が惜しかったら懐にある金を置いていけ」
「あぁ、後その手に持ってる袋もな」
よく切れそうなナイフをこれ見よがしに見せびらかしながらそう言って脅す男達。
老人が大事そうに手に持つのは、さっき息子から渡された袋だ。一人きりになる父親の心の支えになるようにと、出発直前に自らの蓄えを全て渡してくれた。
街の清掃を領主から委託されて行う仕事についている息子が、少ない給料からこつこつ貯めた物だろう。あまり多くはないがこれは息子の努力の結晶だ。決してこのような者達に渡すわけにはいかない。
「……………」
老人は袋を懐に大事に仕舞い込むと、自らの体を自分で抱き締めるようにぎゅっと身を縮めた。
逃げてもすぐに捕まるのは分かりきっている。もちろん抗っても一緒だろう。それならばせめてこの命がある限りは息子と共にあろうと決意したのだ。
「なんだ!?おい!じじい!」
「かまわねぇ、やっちまおうぜ!」
男達は徴兵の知らせを無視した所謂無宿者だった。決まった家がないから定職につくのもむずかしい。安定した収入が無いから家を借りることもできない。という悪循環にどっぷりハマり、こうして悪事に手を染めているのだ。
痺れを切らした男達が老人に向かって一歩、また一歩とその足を進めていると、男達の後ろから一人の少女が急に姿を現した。
「……あれー?おかしいわね。確かこのあたりだって聞いたんだけど…。あれぇ?」
「だから一体誰から聞いたんだ?お前の情報源は不思議すぎるんだよ。なぁウィル」
少女に続いて二人の男性も少女に声をかけながら現れる。どこかで見たことのあるような三人組だが、最近物忘れの多くなった老人には思い出せない。
しかし、これは暴漢から逃れる千載一遇のチャンスだ。と思った老人は意を決して精一杯の大声を張り上げた。
「た、助けてくだされ!暴漢に襲われています!」
その声に真っ先に反応したのは、襲ってきた4人組だった。
「ちっ。余計なことを…。仕方ねぇあいつらもやっちまえ」
「女はどうします?」
「あんなガキどうしようもねぇだろ。ほっとけ」
そう言い放つリーダー格の男。
老人の訴えも4人組の言葉もはっきりと聞こえていた少女は静かに激昂する。
「……ガキ?ガキって私の事?……ねぇどう思う?ねぇ?」
そう後ろの男性に問いかける少女。問いかけられたと思われる青年は少し焦った様子で答えた。
「ま、まさかラミィは立派な大人の女性だ。な、なぁウィル、そうだよな?」
「もちろんです。素敵なレディですよ」
その答えに満足したように頷く少女だが、眉間にはまだくっきりと青筋が浮かび上がりその怒りは収まっていないようだ。
「……どうやらアンタ達は目が腐ってるみたいね。しかもお爺さんからお金を奪おうなんて性根まで腐ってるのね。……仕方ないわね。お仕置きね」
そう言うと右手を前に出しながらゆっくりと4人組に向かって歩を進める少女。圧倒的な強者の雰囲気がその体からは溢れている。
もちろん4人組の暴漢も黙っているわけではない。
「ふん!ガキに何ができる。黙っていれば生かしてやろうと思ったが、こうなったら仕方ねぇ。先にそのガキをやれ!」
「へい!」
リーダー格の言葉に背中を押されるように、一番手前の男がナイフを手に少女に走り寄る。襲われる少女との体格差は圧倒的だ。
「あぁっ……!」
老人は自らの言葉が招いた悲劇に思わず声を上げる。老い先短い自分の為に、まだ若い少女が犠牲になる事などあってはならない。
こんな事になるなら助けを求めるんじゃなかった…。そう後悔するがもう遅い。襲いかかる男はもう少女の目前まで迫っているのだ。
「………ファイア」
ナイフを持つ男が正に飛びかかろうとした瞬間、少女が何か呟くように口を動かした。
すると、突然男の体から火の手が上がり、あっという間に男は火だるま状態になる。
「う、うわぁぁ!!た、助けてくれ!」
全身を炎に包まれながら地面をのたうち回る男。投げ捨てられたナイフが転がるカキンという音も聞こえる。
突然の惨劇にあたふたと慌て始める残りの男達。一人は自らの上着を火だるまになった男に叩きつけ、火を消そうと試みている。もちろんそんなことで火は消えるはずもなく、引火した上着が一着増えるだけであった。
「くそっ!!てめえの仕業か!」
リーダー格の男はキッと少女を睨み付けると、先ほどの男とは比較にならない速さで少女に走り寄る。どうやら暴漢の中でリーダー格を張るだけあって多少は荒事に心得があるようだ。
あっと言う間に少女の目前に迫る男だったが、何故かあと一歩というところでその動きを止めた。いや、正確には止まったのは下半身だけで腕は必死に少女に向けて伸ばされている。
見ると、男の下半身はいつの間にか透明な氷で地面に縫い付けられていた。さらに徐々にその氷は上半身にも上がっていき、遂にはリーダー格の男の全身を覆い尽くした。氷に全身を覆われた男は、驚愕の表情をつくりながらも未だに少女に対してその両手を伸ばし続けている。
「な、なにがおきとるんじゃ…」
老人が目の前で起きている事態を理解できないままそう呟いている間に、残りの二人の男もあっさりと凍り付けにされていた。
「おじいさん。大丈夫ですか?」
少女の後ろから青年が歩み寄ってきて老人にそう声をかける。青年は途中やっと火が消えた男をなんでもない顔で跨いで歩いてきた。
老人は少し怯えながらも青年に答える。
「……は、はい。助かりました。ありがとうございます」
「それならよかった。突然ラミィが暴れだしてすみませんでした。もしよかったら家まで送りましょうか?」
老人は青年の問いかけにしばらく逡巡したが、また暴漢にあってもいかず、更には今の騒ぎで心臓の鼓動が激しかったため、青年の好意に甘えることにした。
老人の自宅に着くまでの間、歩きながら話す青年達からは信じられないような言葉がポンポン出てきた。
曰く、自分達は隣国の王族であり、さっきのは少女の魔法によるものだとか。実は国王である青年も魔法を使えるだとか。今日は買い出しの為に訪れたのだが、少女が隠れ家的な店に行こうとした結果、迷子になりあの路地に迷い込んだとかであった。
平凡な人生を歩んできたと自認する老人にとって、まさか他国とは言え国王とこうやって話をする機会が訪れるとは夢にも思わなかった。しかも歩きながらの立ち話だ。
ジャッジ王と名乗るその青年は、国王だとは思えないほどとても気さくで終始老人に対し敬語で接するなど丁寧な態度を崩さなかった。
「……それではお気をつけて。息子さんも無事に帰ってこられるといいですね」
「ありがとうございました。このご恩は生涯わすれませんぞ」
「ハハハ。そんな大袈裟な。それじゃあ」
自宅前まで送ってくれた青年達と別れて自宅に入った老人は、ふと以前聞いた話を思い出した。
今朝見送った息子が職場の同僚から聞いてきた話だったと思うが、イーストエンド王国の前王であるアルフレッド王が侵略戦争を止めるきっかけになったのは、どうやら他国の王に圧倒的な武力で脅されたからであるという話だ。
確かその王の仲間には少女としか思えないような小柄な魔女と、凄腕の剣士がいると言っていた。もしかするとさっきの青年達がその王と仲間なのかもしれない。
老人は息子の蓄えが入った袋を大事に大事に戸棚に仕舞い込むと、ふうっとため息をつく。
「あんか立派な王もいるというのに、何故我が国の王はボンクラばっかりなんじゃ…。あの青年の国で息子と暮らしたいのぉ…」
そう呟くと老人は疲れきった体を休めるために寝室に向かった。
老人は近い将来さっきの青年の国に息子と共に移住することになるのだが、これはまだ先の話だ。それに老人が息子から受け取った袋には、こっそりと青年によって小粒のデーヤモンドが入れられているのだが、これもまだ誰も知らない話だ…。