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「いや、俺も今きたところだ。昼間はすまなかったな、さすがに部下に聞かせるわけにはいかなくてな」
男はそう言いながら2杯目と思われるグラスを一気に飲み干した。どうやらかなり酒には強いようだ。
ロック兵長も同じ種類の酒を注文したが、こちらはちびちびと口に含んでその味を楽しんでいる様子だ。
「…で?どうなんだ?なんか知ってるのか?」
ロック兵長は話し出すきっかけを待っていたのか、男に3杯目のグラスが届いたタイミングで本題に切り込んだ。
男は届いたばかりの酒を一口呷るとロック兵長の方をチラッと見て、再びグラスに視線を戻した。
「……これは俺も人伝に聞いた話だから確証はない。それでもいいか?」
「あぁ。それで十分だ。こんな田舎街で燻ってる俺には、王都での人脈があるお前の情報が頼りだ」
そんな風に自分を卑下して言うロック兵長だが、実際ファイスの街には王都での情勢はあまり伝わってこない。それにロック兵長が聞く頃には大分遅れた情報になっていることがほとんどなのだ。
「人脈というほど立派なもんでもないんだがな…。まぁ俺にとってもサニーは古い悪友だ、どうにかしてやりたい所ではある」
そう語る男の名はホースといった。母親が馬の背に乗っている時に産気づいたことからその名が付けられたそうだ。まぁ変わった由来ではある。
ロック兵長やサニーと同じくファイスの街で生まれ育ち、小さい頃は共によくいたずらをして怒られた。
大きくなり運良く国軍の兵士になることができ、それ以来王都でその任務に着いていたが、先日ファイスの街に赴任してきた。それもファイスの街では一番偉い役職という出世ぶりだった。
ホースはそう前置きをすると、改めてロック兵長に向かって話を始めた。
「陛下に活気が無いのはお前も知っているだろう。マフーンへの遠征失敗以来、公務にもあまり顔を出されず専ら奥へと籠りきりだ。そして、主に公務を取り仕切っているのが時期国王と目されているアルト王子だ」
ロック兵長もその話は聞いたことがあった。
マフーンへの遠征失敗の理由は公には明らかにされていないが、ほぼ全ての国民はその原因がハートランド王国のジャッジ王にあると知っている。ジャッジ王の武力に恐れをなして逃げ帰ってきた臆病者の王だと専らの噂だ。
実際その噂は真実なのだが、ジャッジの魔法に加え魔女であるラミィや剣聖を超えるとまで言われているウィル強さを目の当たりにして、軍を退いたアルフレッド王が臆病者と言われるのは若干可哀想だろう。
ロック兵長が頷くのを見て、更にホースは話を続ける。
「そのアルト王子だが、最近何やら怪しい組織と繋がりを持ったらしい。常に黒装束を纏っているその組織の連中に唆されて、特に対外政策について以前とはガラッと姿勢を変えたそうだ」
「……というと?」
ロック兵長は初耳だったその情報の詳細を知りたいと、身を乗り出しながら相づちを打つ。
「陛下ははっきりと他国への侵攻はもうしないと明言されている。……しかし、アルト王子は軍を丸め込んで秘密裏に遠征の準備を進めているらしい。実際俺にも兵力を増強するよう命令がきている」
「まさか!?それがハートランド王国への侵攻の準備というわけか?」
ホースの言葉に驚いて思わず声を荒げるロック兵長。しかし、ホースは首を横に振ると静かに話しだす。
「そこまでは言っていない。しかし、侵攻する目標がハートランド王国である可能性はもちろんあるだろう。…まぁ、占領した後の旨味を考えるとマフーンあたりが妥当だとは思うがな」
ハートランド王国とは因縁があるとは言え、アルト王子は直接ジャッジ達と対峙したことはない。その点マフーン国とは長年領地を巡って争ってきた歴史があるだけに、まずはマフーン国が最有力と考えていいだろう。
「そ、そうか…」
とりあえずハートランド王国が戦争に巻き込まれる可能性は下がったと、ロック兵長は胸を撫で下ろす。
「……しかし、それなら何故サニーの申請は却下されたんだ?」
今日ホースを呼び出してまで聞きたかった答えはまだ得られていないことに気付き、ロック兵長は尚も不思議な顔で呟く。もちろん目の前のホースにもその声は聞こえており、3杯目のグラスを空にすると口を開いた。
「あぁ。俺にもそこはよくわからん。…だが、対外政策というのは何も侵攻戦争だけじゃない。今まで友好外交を行ってきた国に対して厳しく対応することもあるだろう。……お前の言うハートランド王国とは外交があったのかは知らないがな」
「…うーん。おそらくだが、ハートランド王国とはまともな外交など無かっただろうな。となると、他国への移住自体を厳しくしたということか?」
「まぁそう考えるのが妥当だな。アルト王子やその後ろにいる黒装束の組織がハートランド王国に恨みでも持っていれば別だが、もしそんなことが耳に入ればさすがに陛下も黙ってはいないだろう」
アルト王子はともかく、黒装束の組織とはジャッジ率いるハートランド王国には浅からぬ因縁があるのだが、そんなこと知るはずもないロック兵長とホースは、今回のサニーの一件はアルト王子による対外政策の路線変更の弊害のひとつだととったようだ。
ロック兵長は今回の一件がサニー個人に対する嫌がらせではなかったことに少し安心はしたものの、それでも納得がいかないのか、今までちびちびとしか飲んでいなかった酒を一息に呷った。
ロック兵長があまり酒に強くない事を知っているホースは、その様子を笑みを浮かべて眺めていたが、冗談めかして話しだす。
「お前の権限でこっそり出国させてやればどうだ?サニーとサンの二人くらいどうにかなるだろう?」
ロック兵長は慣れない酒でボーッとしてきた頭でその言葉を聞いていたが、唇の端を歪めると憎々しげに返事を返す。
「…ふん!俺程度でそんなこと出来るものか。お前と違って俺には上にまだ何人もいるんだ。そんなことしたら一発でクビだ」
嫌みな上司を思い出し更に気分が悪くなったロック兵長は、酔いざましの水でも頼もうと店員に向かって手を上げた瞬間、あることに気付いた。
「…………そうだ。クビになる前に辞めちまえばいいんだ」
「……ん?」
突然顔色を変え、目を輝かせて何かを呟くロック兵長。その様子をホースは不思議そうな表情で見ている。
ロック兵長は上げていた手によって招かれた店員に、水ではなく更に酒を頼むとホースに向かって身を乗り出し小声で話しかける。本人は小声のつもりだが、酔っているせいか実際はいつもと変わらない位の声量だ。
「ホース。俺が老後ハートランド王国に移住しようと思っている事は話したよな?」
「あぁ。前に聞いたな。お前にしては珍しくジャッジ王とやらに惚れ込んだみたいだな」
ホースがファイスの街に赴任してきてすぐ、ロック兵長は歓迎会と称してこの店で二人で飲んだ。その時にジャッジとの経緯などは既に話してある。
ロック兵長は、少年の頃のいたずらを思い付いた時のような表情をしたまま更にホースに向かって話を続ける。
「そうだ。あの方が作る国で俺は暮らしたい。こう言ってはなんだが、アルフレッド王よりずっと魅力的で、何より国民のことを第一に考えている。今時そんな王など稀有だろう」
そこで一度頼んだ酒を一口舐めるように飲むと、再び話し出した。興奮しているのかロック兵長の声量はもう内緒話の域を超えている。
「…そこでだ。老後などとは言わず、この際俺はサニーと一緒に移住しようかと思う。クビを覚悟すればサニーの出国位ならどうにでもなる」
ロック兵長の話を聞いたホースは最初驚いた顔をしていたが、徐々にその顔にはロック兵長と同じく小さい頃の悪ガキの笑みが浮かんでいき、終いにははっきりと笑いだした。
「ハハハ!それはいいな!俺もできることは手伝おう。……しかし、お前にそこまで慕われるジャッジ王とやらに俺も会ってみたくなったよ。よほど魅力的な王なのだろうな」
「おう!お前も国軍のお偉いさんなんか辞めてハートランド王国に移住してこい。自分の生まれた国を悪く言いたくはないが、こんな国なんかより絶対に面白い国になるはずだ」
「わかった、わかった。まぁとりあえず飲もう。もしかしたらこれがお前との別れの酒になるかもしれないからな」
酔っぱらい興奮してもうハートランド王国民になったつもりのロック兵長に、そう言って酒を勧めるホース。
本来であれば、立場上不法に国を抜ける者を許すわけにはいかないはずなのだが、そこは旧友というやつだ。少し位なら目を瞑ろうとホースは考えていた。
それにホース自身も、アルフレッド王やアルト王子の政策に満足しているかと言われれば、首を傾げざるを得ない。
俺もハートランド王国に移住しようかな?などと考えつつも、やはり今まで世話になった軍や国を置いてはいけないな。と考えながらホースは更に酒を呷っていた。
目の前ではいつになく酔っぱらったロック兵長が、ジャッジ王とウィルとの思い出を嬉しそうに語っている。その表情はまるで恋する乙女のものだ。
ここまで慕われる王などこの世にいたのか…。この様子ならきっと移住後も幸せに暮らしていけるだろう。
ホースは友の門出を祝うつもりでもう何度目か分からない乾杯をロック兵長としようと、水滴の滴るグラスに手を伸ばした。