第二章 不思議な出会い
第2章 不思議な出会い
その年アランはまもなく15歳、ヨエルじいちゃんからもうすぐ従騎士になるアランには錬磨が必要と言い、時には部下と共に用事をこなすのを同行させていた。あの日はものすごく熱かったのを覚えている。太陽はまるで溶けた水銀のように輝き、外に出ると血管の中の血まで蒸発されているようだった。蝉は狂ったように鳴き、熱さで苛立つ人たちをさらに苛立たせた。
太陽が西の山のほうに傾け始めた頃、アランはサムおじさんとともに東領の森との区界の村で用事を済ませた。その村は果香りの村と呼ばれるほど、村のほとんどの住民は無花果農家を生業にしていた。アランたちの仕事はその年の収穫を視察することだった。二人は炎天下の中、一日中村の農家を尋ねては無花果の背丈の低くて、木陰にならない畑を視察していた。終わる頃には喉から火が噴き出しそうで、服には汗が乾いて塩のざらざら感が分かるほどだった。
暑さですっかり元気がなくなっていた馬に揺られながら、二人は村を出た。
「今日無花果をたくさん食べたけど、水たっぷりな蜜桃の方が喉の渇きに良いね」アランはなんだかもはや塩で固まっているような襟をぱたぱたさせながらサムおじさんにいった。
「果物よりも、井戸の水で歯に滲みる程冷やした黒麦のビルを息が出来なくなるほど、こう、ぷはぁーって喉に流し込みたいですな!」サムおじさんは喉に入る冷たいビルを想像しながら,ゴクリと唾を飲んだ。
「それじゃ、酒場でも行こう!」アランはサムおじさんの答えを既に予測していた。
サムおじさんは酒場という単語に一瞬うれしそうな表情になったが、即座に頭を横に振った。「いっけね、そんな所に若旦那様を連れてったら、旦那様の雷が飛んできまっせ。」
「大丈夫だよ、今日ヨエルじいちゃんは領主たちの集まりで夜帰って来ないよ。それに、前ウィルとアリソンには「さざめき亭」に連れてってもらったことあるよ。」アランはさりげなく従士の二人を裏切った。
「あのガキども、若旦那様をそんな所に連れてくなんて、帰ったら皮をひん剥いてやる。」サムおじさんは顔をしかめ、歯をぎりぎりさせながら言った。そんな恐ろしい顔をしているサムおじさんを見て、アランは吹き出しそうになった。サムおじさんがそんな事を絶対にしないって分かっていたからだ。
たしかに、まるで小さい岩山のような巨体で、古銅色の肌、ひげもじゃもじゃのサムおじさんはよく暗人の岩山の民の末裔と勘違いされた。ヤルデン東の村では馬に乗っているサムおじさんを見て、子供や婦人方が「獣人―獣人が襲ってきたー」と一目散に逃げていくこともあった。しかし、サムおじさんは見た目こそ恐いが、根は優しくて、部下をまるで自分の子供のように大事にしていた。みんなもそれを分かっていて、従士たちはサムおじさんのことを慕い、親父と呼んでいた。
「まあまあ、ヨエルじいちゃんもそんなに怒らないさ、だって俺もう15歳になるんだよ?」アランは悩んでいるサムおじさんに拍車をかけた。「それに、俺の教育係って事は、大人がすることもアランおじさんが教えてくれなきゃ。」
「じゃ、今回だけですよ」サムおじさんの眉はまだ固い結びのままだけど、口では折れた。
「さすがサムおじさん、おすすめの酒場は?」アランはガッツポーズをした。
「この近くだと「ルカクばあさんの宿」の黒ビルと炭火焼きのソーセージはうめぇんですよ。」ちょっと考えてから、サムおじさんは口の端を袖で拭きながら言った。
ルカクばあさんの宿はヤルデン森西領と東領の区界にあるロルセンという村にあった。
ロルセンはヤルデンの壺口という森から平原の出口に近いため、村の中には市場があり、商人や山から採れた特産品を売り捌く農民などでいつも賑わっていた。そしてルカクばあさんの宿も夕方になると、冷えたビールで働いた一日の疲れを発散しょうとする人で溢れかえっていた。
遠目から屋根から道路に向かって突き出した横木に掲げている、太っちょの婦人を描いている看板が見えてきた時点で、もうすでに今日の客の多さが分かっていた。三階建て宿屋の一階の大屋根の下には人だかりが出来ていた。みな身を乗り出して、相争って窓から中の様子を見ようとしていた。
「なにか揉め事かな?」アランはサムおじさんに尋ねた。
「心配なさんで大丈夫でっせ、恐らく道化の一行が来ているか、それか遊吟詩人でも来ているでしょう。」サムおじさんはあんまり心配そうではなかった。そりゃ、誰が揉め事を起こそうと、サムおじさんの背中に背負っている、まるで小舟のような重厚なロングソードを見れば、自然と避けるだろう。さもなければ間違いなくボロ切れのように揉まれる側になるからだ。その剣はもはや物を切る物ではなく、たたきつぶすためのものだろうとアランは常に思っている。
二人は馬を馬舎の者に預けた。入り口付近で屯っている人たちはサムおじさんを見ると自然に道路を空けるから、酒場に入るのにそんなに苦労はしなかった。酒場の中は思ったより涼しくは無かった。外の蒸し暑さと入れ替わって、人の体から発する熱気や食べ物の熱気が混ざり、なんとも言いがたいものだった。外の明るさが中に入ると代わり、一瞬目の前クラっとしたアランはすぐに酒場の中の様子がみえた。思った通り、酒場は人混みでがやがやしていた。しかし、みんなカウンターの方に注目していた。カウンターの長いすの上に、道化でも、遊吟詩人でもなく、小さい炎を左手にまとっている人が立っていた。
先まで気軽だったサムおじさんは瞬時に気勢が変わった。手を背中のソードの取手にかけ、小さいが黒く光っている目はカウンターの人をとらえていた。しかし、警戒の体制はすぐに解かれた。元素師は酔っていて、ただ単に周りの酒場の客たちに元素の手品を見せていたのだ。
アランの中での元素師は華麗なマントを着て、ひげはしっかり整えてあって、そして厳格で、堅苦しくて、近寄りがたい存在かと思ったが、目の前の光景で元素師に対するイメージが一気に覆した。カウンターの上に立っているみすぼらしい油染みや酒染みまみれの、もはや元の色が分からない旅行マントを羽織っているおっさんは、一見では乞食にしか見えなかった。何かの爆発に巻き込まれたようなぼさぼさの白髪交じりの茶髪。肌色は汚れているのか、黒いのかが判別が付かない色をしていた。ひげも髪と同様で、頭だけもげたら、どっちが髪か、どっちがひげかですらわからなくなる。右手にはもうほぼ周りにこぼして、ほとんど残ってないビールジョッキを小指で引っかけ、左手からパチパチっと火花を出して周りに披露しながら、おっさんは豪快に笑っていた。カウンターの周りには酔っ払いたちが集まり、良いぞ、もっとマジックを見せろと騒いでいた。威厳も何も無く、これがアランの初めて見る元素師の姿だった。
元素師の見た目はともかく、アランは元素師の左の手の上で踊っている火の蛇に視線を奪われた。そして、酒場に入った瞬間から、元素師の目線はなんとなく自分のほうに向けてきたようにアランは感じた。最初は隣のサムおじさんを見ていると思ったが、その視線の先は明らかに自分だった。
サムおじさんは取手から手を下ろし、カウンターの方を睨みながら「元素師め,こんなところで…西領の領内なら追い出してやったのに…」とぶつぶつ言った。
「あんなの見るもんでないでっせ」と元素師から目が離せないアランを目立たない角のテーブルに連れて行き、お酒を注文した。サムおじさんは黒ビルを、そしてアランはまだその大人の味に馴染めないので、冷やしたりんご酒を注文した。もちろん、ここ自慢の炭火焼きポークソーセージとおつまみのブルーチーズの蜂蜜がけも忘れるわけがない。
サムおじさんお酒は大好きだが、めっぽに弱かった。1ジョッキ目を一息で飲み干し、すぐにお代わりの二杯目を頼んだ。そして油滴るジューシーなソーセージをつまみながら、いつものようにヨエルじいちゃんの若い頃の武勇伝とアランのお母さんの若いときの話しを語ったが、そのうち呂律が回らなくなってきて、顔の皮膚から赤い色が浮かび上がってきた。そして二杯目が飲み切れないうちにどでかいおでこをテーブルにつき、いびきをかき始めた。
アランはサムおじさんの話を聞きながらも、目線は元素師のほうから離れなかった。
元素師は次々と炎でいろんな動物を空中で作り出し、そして炎の輪っかを幾つも作って、テーブルに置いている誰のか知らないウイスキーを口に含み、輪っかの真ん中めがけて噴いた。ウイスキーは引火して、まるで火の輪っかを矢で射貫いたようだった。それには周りの野次馬は声を上げて喝采した。
「もう今日はおしまい、ほら、散った散った。」大技を披露した元素師はヒックとひゃっくりをして、集まっている人々に手を振った。
そして、元素師はカウンターを降りて、場の中に一周見回り、そしてなんと
アランのテーブルに向かってふらふらと歩き出した。
間違いない、こっちに向かってきている。突然の事態にアランの心臓の鼓動が早くなった。
サムおじさんをチラッと見ると相変わらずいびきかいて寝ている。アランは少しパニック状態になった。
元素師は隣のテーブルから椅子を一脚引き、椅子の上に座っている元の主は急に尻の下が空気になり、床に尻餅付いたが、どうやらサムおじさんと同じぐらい酔っ払っているようで、尻餅付いたまま寝始めた。元素師はそのままアランの向かい側に座り、挨拶もなしにアランに声をかけた。
「小僧、ずっとわしを見ていたな、手品はおもしろかったか?」元素師の口からの酒気はひどかったが、口調は意外としっかりとしていて、まるで磁石のような人を引きつけるような声だった。
「は…はい…あっ、いいえ、そんなこと無いです。」はいと答えたアランはそれだと失礼だと気づいて、慌てて答えを換えた。生まれて初めて元素師を前にし、緊張して拳に力を入れながら、アランはチラッと元素師をみた。
元素師は汚れていて、顔もしっかり見えるわけじゃ無かったが、その目だけは不思議に輝き、人の心を洞察するようだった。
「そんな緊張することもなかろう、隣の連れはわしに敵意むき出しだったけど、どうやらおぬしらは元素師に偏見を抱いてるようだな」元素師はジョッキを口に付けて、ごくと最後の一口を飲み干した。
「そういう風に言われているけど、実に言うと僕は分かりません。」たしかに子供の頃から、ヨエルじいちゃんからずっと元素師はろくでなしと言われてきたが、アラン自体はむしろ元素師にはすごく興味や憧れを抱いていた。
「まあ、目や口の数あるだけ、見方や考え方は違ってくるからな」元素師はうんうんとうなずいた。
「ところで、おぬしが入ってきた時から気になっていたが、どこの出だ?」元素師はアランの紫色の瞳をじーっと見て、聞いてきた。
「いいえ、ヤルデン森西の村ですが…」アランは元素師がなぜ自分の出身を聞くのかが不思議だった。
「ほう、それはそれは、わしの見間違いか…」元素師は汚れている手でひげを撫でた。
その手ではひげが汚れるとアランは思った、どっちにしろ、ひげも手も汚れているから変わらないか。しらずのうちに、アランの緊張は和らいできて、元素師を直視出来るようになった。
「母も父もどっちも森西の出身か?」あきらめてないように元素師はさらに聞いてきた。
「母は森西の出身ですが、父はわかりません。生まれてから一度も会ったことがないですから」アランは正直に答えた。
「そうかそうか。」それを聞いて元素師はまた一人でうなずき、なにかを考えているようだった。
「まあ、父親はそんな良いもんでも無いぞ、居れば居るで幻滅するだけだからな、わしの父親なんて、居ない方が良かったとわしは今でも思う。」
「けど、一度も会ったことも無いので、せめてどんな人かは知りたかったです。」不思議と初対面なのに、アランは元素師に親近感を感じた。「それに、元素師だったみたいです。」
その単語を聞いて、元素師はアランをさらに見つめた。「ほう、通りで!」
「何がですか?」アランはその言葉の意味が分からなかった。
「いや、なんでもない、ところでおぬしは…元素を感じたことはないか?」元素師はさらにアランのわけがわからないことを聞いてきた。
アランは一瞬ポカンっとしたが、よくよく考えれば、確かに小さいときから自分の周りは不可解のことはよく起きていた。
小さい時はよく空気の中で踊っている綺麗なキラキラが見えると周りに言ったが、みんなそれは小さい子の幻想であると言われていた。実際それは今もたまには見える。そして母の死んだ年、まだ死ぬとはどういうことか理解できなかったけど、もうママとは会えないんだと言われて、母の霊堂に閉じこもって泣いてたら急に一瞬爆炎に巻き込まれて、幸い一瞬の出来事だったから、アランは奇跡にも無事だったが、周りは黒焦げになっていた。それにはみんなが驚き、だけどいまだに理由は分からなかった。だけどアランは分かっていた。アランは空気の中のキラキラを怒りでぶつけたからだった。それをもう一回やれと言われてももう出来ないが、間違いなく覚えていた。
「どうやら身に覚えは有りそうだな」アランの表情を見て、元素師はずるがしそうに笑った。
「じゃ、僕も元素師になれるということですか?」アランは元素師の言葉を聞き、何となく血管の血が沸いてきたが、すぐにヘコんだ。もしヨエルじいちゃんに知られたら、間違いなく怒られる。いや、下手したら家から追い出されるかも知れない。それを考えたらアランは頭から血の気が引いてきたのを感じた。
「まあ、そればかりは縁で、わしもなにも言えん。だけどこのまま素質のある苗を見捨てるのも忍びないからな」元素師は物惜しそうに言った。
「素質を発揮出来るかどうかは自分次第、わしは炎の元素師の端くれだが、今日ここで会ったことも縁だし、おぬしに炎の元素と共鳴する言霊を伝授しよう、ただし、お主は炎の元素と共鳴できるかどうか、ましてや炎の元素師の素質があっても共鳴に至るまで出来るかどうかはわからん。それでも知りたいか?」
アランは冷静になって、考えた。たしかにヨエルじいちゃんにばれたらまずいけど、できるかどうかも分からないし、なににせよ、ばれなきゃ良い話しだし、そして横をチラッと見たら、サムおじさんはまだ熟睡している。
そう考えたら、なんだかまた気持が高ぶってきて、アランはいまだに名の元素師の顔もなぜかきれいに見えてきて、思わず元素師を熱い視線で見つめてうんうんと頷いた。
「まあそんな熱い視線で見つめるな、ところで、おぬしは気が利かないな」元素師はアランの情熱あふれる顔を見て、首を横に振りながらため息ついた。
「先からこんなに喋っているのに、わしのジョッキがすでに空なのを気づかんのか?人に知識を伝授してもらおうっていうのに…まったく…それに、わしはもう腹がぺこぺこじゃ、そんなんでは喋る気力もないわい」元素師はアランのことを見て、さらにわざとらしいため息ついた。
アランはそんな元素師の顔を見て、思わずその腹が立つ顔にパンチを繰り出すところだった。大の大人がまだ子供っていても過言ではない青年にお酒をねだるなんて、もし最初にこのおっさんが元素を使っている所を見てなかったら、アランはこのおっさんのことをインチキな酒をだます人としか思えないだろう。
こみ上げてくる感情を押し殺して、アランは元素師にビールを奢り、そして元素師は得意げな顔しながら、ジョッキのビールをがぶ飲みをして、まるで前世は餓死鬼のように、冷えたソーセージとチーズを平らげた。そのあと、その食べっぷりを見て口が開きすぎてアゴが外れそうなアランに火と共鳴する言葉や元素を感じ取る瞑想を教えた。
「さらばよ小僧、まだ縁があれば会おう。げふっ」
大きいげっぷをしながら、満足げに二杯目のジョッキを持って帰るその背影にアランは強い不信感を抱いた……このじいさん、本当にインチキじゃないだろうな…
その後、アランは元素師の言われた通り、瞑想をして、元素を意図して感じ取れるようになったが、いまだに火の元素とは共鳴できずに居る。
そして、何よりも幸いなことに、サムおじさんは始終爆睡し、自分が嫌いな元素師が大事な若旦那様に禁断なものを伝授したのも知らなかったのだ。
あの元素師のじいさん…そう言えば名前も聞かなかったな…もう会うことも無いだろうな…
あれこれといろいろ考えているうちに、アランは強い眠気を感じた。元素を扱った後、疲れはいつも水を吸った海綿のようにじくじくと体の内部で膨らんでいた。頭は鉛が詰まったように段々と重くなり、アランは深い眠りに入っていた。