表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウーランルシア大陸物語  作者: 流浪のツキ
3/7

第一章 元素師の真似事

第1章 元素師の真似事

深夜、空は雲一つなく、澄んだ山間の冷たい空気で満月の柔和な光はより綺麗に輝いているように見えた。

町の住処の煙突から薄い煙だけ細々と上空に昇っていき、そして夜空の闇に紛れていった。

一羽の鴉がどこからとなく飛んできて、青石の壁に囲まれた、町奥の丘に建つ、要塞のような邸宅の庭にある樫の木に止まった。枝に残っていた残雪はその勢いで霧状にパラパラと落ちていった。

周りは静粛だった。鴉の視線は暗闇の中を見渡した。暗闇の中、庭に面している二階の端にある部屋の窓は開いていた。そしてかすかなろうそくの光が部屋から漏れていた。

壁炉の中の火は既に消えかかっていた。部屋の中心には古いオーク材の机が置いてあり、机の上に置いてある青銅のろうそく立てには垂れた蝋が溜まっていた。火は窓から時折に吹いてくる肌寒い風によってゆらゆらと踊っていた。しかし机の前に座っている青年は揺れている灯火を気にしていなかった。

青年は机の真ん中に置いてある麻布の切れ端を両手で覆うようにして、布を穴が開くほど見つめていた。あんまりの集中さに額にうっすらと青筋が張り、肌寒い空気の中でも、青年の筋通った鼻筋にはうっすらと汗珠が浮かべていた。独特な紫色の瞳は布を突き刺すように見つめ、微動に動かないその姿は、まるで石像のようだった。しばらくその状態が続き、ついに彼は空気の中に漂っている元素を感じ取れた。わずかだが、それは間違いなく元素の振動だった。意識をして元素の存在を感じ取ることが出来たのはこのような練習が始まってから、ごくわずかな時しかなかった。興奮によって青年の顔は赤くなり、彼は無意識に歯を食いしばった。

 空気中にサラサラした砂のように漂っている元素を意識で両手先の布の周りに集め、元素が増えるにつれて布はまるで何か見えない糸で操られているように空中に浮き始めた。ろうそく台と同じぐらいの高さで、青年は意識で集められる元素の量に限界を感じた。小心翼々に元素をキープしながら、青年は食いしばった奥歯にさらに力を入れ、唇だけ動かして火の元素と共鳴する言霊を囁いた「アナー・フォスティア」。期待感の高まりとともに、心臓の鼓動が早くなり、周りの一切の音が彼の耳から消えた。

しかし、静謐が続き、浮いている麻の布には何の変化も現れなかった。青年の顔から失望の色が現れ、軽い吐息が漏れた。気を取り直して、青年は麻の周りの元素をろうそくの炎に纏わり付かせると、ろうそくの炎は元素の軌道に乗り、小さい蛇のように空中で舞い踊った。さらに炎を麻に触れさせると、ポッという音と共に,麻は空中で激しく燃え、そして灰になって机の上に舞い散った。

 青年はしばらく窓の外の暗い夜空をぼーっとしながら見続けた。

 「やっぱだめか…あのじいさん絶対騙したな…」青年はぶつぶつと独り言をつぶやきながら、背伸びをした。

 青年の名前はアラン。ヤルデン森西領の領主ヨエル・ノルメンの一人孫であり、唯一の継続者でもある。帝国の規則で、継続者はかならず騎士の封号を持ってないと認められないため、アランは騎士にならざるを得ないのだ。そしてこのヤルデン森東領の領主ポーレット家でアランは15歳から従騎士生活を送っている。まもなく18歳になるアランはこの規定を作った者を実に骨から憎んでいる。

ポーレット家とノルメン家は旧交で、両家の初代家主がそれぞれこの地の領主になってから、お互いの家の男性継承人を従騎士として三年間預け、そして騎士として封じる古き伝統なのだ。

 二年間半の雑用、いやアランとしてはもはや奴隷のような従騎士生活を過ごし、か細い体型のアランもいくらかはたくましくなってきた。しかし生まれつき争い事が好きではないアランにとって、戦うことは好きではなかった。そして、何よりも、このポーレット家一家はまるでウジ虫のように自分を忌み嫌っている。アランは三年間の奉公期間が経っても、家主のイーゴンは何かと理由を付けて、自分に騎士の封号をくれないんじゃないかと常に思っている。

イーゴン・ポーレットはアランにとって本当に悪夢のような存在である。初めて会ったときからアランはその事実がはっきりと見えた。そして3年間の地獄の日々を覚悟した。

 ポーレット家に出発する前夜、ヨエルじいちゃんはアランを書斎に呼び、何時になく丁重にアランに語った。

「我々ノルメン家とポーレット家は二百年に以上の深き付き合いである。お互い継続人を育て合い、一族を守ってきた。今のポーレット家の家主のイーゴンも若い時はわしの元で三年間従騎士をし、わしがこの手で騎士として封じたのだ。」ヨエルじぃちゃんはいつもの癖でツルツルの頭を片手で滑らせながら、アランに話した。

 「しかし、お前も噂を聞いていようが、今では我々の関係は以前のように親密では無い、そしてわしはポーレット家、いや、イーゴンには頭が上がらんのだ。ある意味わしらのせいで、イーゴンは今ああいう性格になったのだ。お前がそっちではつらい目に合うのがわしは目に見えている。だからお前の騎士修行を他のわしの旧友に預けても良いが、そうすることで、わしの手で伝統が破られ、我々このヤルデンの森の口を守る二つの家族は完全に決裂する事になる。わしはそういう未来を断じて見たくないのだ。」ヨエルじいちゃんはそう言いながら、さらに力強く頭を撫でた。ろうそくの光に反射して、頭はまるで脂を塗ったようにテカテカしている。

 アランはよく分かっている。ヨエルおじいちゃんが頭を触るときは極度に怒りの状態か悩んでいる時だけだった。

「心配ないよ、じいちゃん。どんな状況だろうと、三年間だけだから、僕はうまくやるよ。」アランはそこまで心配しているおじいちゃんを見て,気軽に答えた。

しかし、そんなアランはすぐに後悔する事になる。

 次の日、護衛隊隊長のサムおじさんとともに東領に向かう途中、アランはサムおじさんに昨日ヨエルじいちゃんに言われたことを話した。

 サムおじさんは神妙な顔持ちになった。普段豪快で、そんな複雑な表情を見せたことのないサムおじさんは苦笑いをしながら答えた。

「それは…、複雑な話で…」珍しくサムおじさんは言葉につっかかった。

「もったいぶらずに教えてよ」まるでナメクジでも食ったかのようにモゴモゴしているサムおじさんを見て、アランは呆れて催促した。

「あの嫌われ野郎のイーゴンが三年間旦那様のとこで世話になったとき、お嬢様にぞっこんだったんだ。そらぁもう魂が抜けたようで、なんでもラナ様とでなければ一生結婚しねぇって誓ってたほど…」サムおじさんは言いづらそうだった。

 アランはそれを聞いて、あんまりの驚きに馬から落ちそうになった。

「しかし、お嬢様は気がねえで、礼儀もって接してたんが、ヤツ騎士になったとたん、求婚してきやがって。」サムおじさんはそのことを話すと今度はまるでハエでも飲み込んだような嫌な顔をした。

「古くから両家は婚姻関係を結んだ事もあるから、旦那様は許した。お嬢様はその気がねーが、旦那様の判断を断ることはできなかった。そんで、お嬢様は結婚する前に自由都市にある光神像を一目見てぇって旦那様にお願いしてぇ…」そこまで言うとサムおじさんの声は低くなっていた。

 この話し、アランは知っていた。

 お母さんが自由都市に行った事で、おそらくこのノルメン家の有史以来最大なスキャンダルが起きたんだ、そう、アラン自身がそのスキャンダルだ。

 本来であれば、結婚前に遠出は許される事では無いが、若くして妻を亡くして、最愛の娘を男手一つで育ててきたヨエルおじいちゃんにとって、ラナは自分の目玉より大事な存在だった。だからこそ、ラナが結婚して、実家を出る前の最後の願い事を断ることが出来なかった。

 サムおじさんや他の従士が護衛としてお母さんとその仕女に同行して、自由都市の年に一回の光神祭典の見物に行ったが、その時に王を暗殺するという帝国創始以来の大きい事件が起き、お母さんと仕女がサムおじさんたちと混乱の中ではぐれてしまい、お母さんは行方不明という事態が起きた。町のはずれで仕女は見つかったが、人混みに踏まれてもうすでに虫の息だった。そしてお嬢様は元素師に連れ去られたという言葉だけ残して、仕女は息絶えた。

 この出来事をサムおじさんは全て自分の責任だと思い、いまだに自分を許していない。

 そして消息を聞いて発狂しそうになったヨエルじいちゃんは動かせる関係や金を全て使って、自由都市を探したが、まるで海に沈んだ針のようにラナの消息はなにも得る事ができなかった。

 半年が過ぎ、もう金もなにもかもが尽き、ヨエルじいちゃんはあきらめるしかなかった。ポーレット家との婚約も取り消され、その後3年間、ヨエルじいちゃんにとっては地獄の日々だった。これも、ノルメン家では元素師という言葉が禁句になった理由でもある。

 しかし、3年後の収穫祭の朝、失踪したラナはまるで時空を裂いたように急に家の前に現れたのだ。みんなは驚き、喜んだが、ヨエルじいちゃんは複雑な気持ちだった。なぜならラナは一人では無く、その懐にはかわいい男の子をしっかり抱きかかえられているのだ。

 未婚で子を産むことは女性にとっては最も恥ずべき事であり、ましてや由緒ある領主様の家の一人娘など、家名に泥を塗るような事だった。紙で火を包むことができないように、噂はすぐに広まった。

 「そんでぇ、お嬢様が子供を連れて戻ってきた噂を聞いても,ヤツはまた婚約を結び直したいと来たが、お嬢様はもう最愛を見つけて、ほかの人を愛することは無いと言って断ったんだ。それでもヤツは何年もお嬢様を待ち続けていたが、領主の座を引き継ぎ、世継ぎがいつまでもいないわけにゃいかんから、そのうち結婚したとの話しだ。」サムおじさんは段々と一人で話しを続けていた。

「性格も元からひねくれてんのに、さらにひどくなったってうわさだ、、、そして、お嬢様が亡くなって以来、もうこっちとはずっと連絡を取ってねーんだ。この際、若旦那様にぜってぇ昔の恨みを晴らすにちげーね…旦那様も旦那様だ、従騎士修業ならほかにいくらでも宛てはあろうに…」

 ラナが再び家に戻ってから、どこかと寂しげで、笑顔を見せることがめったになくなっていた。そして三年前に自分と同行したせいで命を落とした仕女の墓参りを定期的に行く以外、ほとんど家で小さいアランと一緒にいるか、裏庭でスターチスの花畑の世話をしていた。

 そして、元気にすくすく育っていくアランとともに、ラナの体も日に日に弱っていた。とうとうアランが8歳になる年、ラナは秋風に吹かれて散る小雨とともに逝った。その後、ヨエルじいちゃんがアランは唯一の家族になった。

「じゃ、もしかしたらそのイーゴンっていう人が僕のお父さんになったかも知れないという話?」サムおじさんの独り言を遮って,アランは聞いた。生まれた時から父親という存在に会ったことがないアランはなんだか不思議な気持になった。

 しかし、この気持もポーレット家の暗い大ホールに立った瞬間泡のようにはじけ飛んだ。

 高くて太い鼻、下唇に何か重りがぶら下がったようなへの字の口。まるで太い毛虫の眉の下から伸びる毒蛇のような陰湿な目線で頭からつま先までなめ回され、アランはなんだか肌がむず痒く感じた。見た目だけでこんなに嫌な感覚になったのははじめてだった。

 この人が父親なら、今みたいに父親がない方が百万倍マシだ。アランは思わず心の底から喜んだ。そして母親がこんな人のお嫁さんにならなかった判断に光神に感謝した。

 「結構だ、人は確かに預かった。君はもう帰って良い」目の前の男は視線を隣のサムおじさんに向け、見た目通りの夏雨のような陰湿な声で命じた。

 「ポーレット…言っとくが、若旦那様に…」先から鼻で音を立てながら呼吸しているサムおじさんはついに我慢出来ずに荒々しい声でイーゴンに向かって言った。

「君に注意される筋合いはない、口をつつしみたまえ。」イーゴンはサムおじさんの声を遮った。その声の陰湿さはさらに増した。

 サムおじさんはまるでイーゴンを丸呑みする形相でしばらく睨み、そしてアランに「何かあったら、鳩を寄越してくだせぇ、すぐに兵を率いて迎にくる」と言い、ホールをでた。

イーゴンはサムおじさんの後ろ姿を見て鼻で笑った。

イーゴンと二人きりになって、場は沈黙になった。アランは急にサムおじさんと一緒に帰りたくてしょうが無かった。

「どこの骨の馬だか知らないお前を三年間預かるのは癪に障るが、伝統だからしょうが無い、これから三年間焼くなり煮るなり私の好きなようにさせてもらう。」

イーゴンの声はまるでアランの冷えた心にカビを繁殖させた。三年間の地獄の生活はこうして始まったのだ。


長い間神経が張り詰めた状態で椅子に座り続けて、アランは背中からしびれを感じた。汗に濡れた綿のシャツが寒さで鳥肌立った背中に張り付き、嫌な感触が伝わってきた。

 緊張がほどけてくると部屋の寒さにも気づき、アランは急いで窓辺まで歩み寄り、窓を閉めた。

 そして何かを思い出したように、アランは机に降りかかっている麻の灰を拾い集め、再び窓を開け、外に灰を落とした。前回テーブルに灰をうっかり残して、使用人のマーガレットばあさんがイーゴンに告げ口したせいで、危うく追い出されるとこだった。

「私の大事な家を燃やすつもりかね?え?小僧?」イーゴンは極太の毛虫のような眉を繋げられるんじゃないかというぐらいにひねらせて、唾を飛ばしながら怒鳴りつけてきた。

 本当に家を燃やせるぐらいに元素を使いこなせたら、その願い事を叶えてやりたいとアランは下を向きながら悪意を込めて思った。

隣でまるでとんでもないお手柄を立てたように得意げにこっちを睨むマーガレットばあさんの顔をチラッと見て、アランは腹立たしいと思ったが、どうすることも出来なかった。

何度もマーガレット婆さんに自分の部屋は自分で掃除出来るから勝手に入らないでほしいと頼んでいるが、その度トマトの薄皮より薄い唇からその年には合わないような甲高い声で「あたしはこの屋敷の安全をイーゴン様に任されていますわ、あなたの言うことを聞く義理はないのです。閣下」という彼女の顔が思い浮かんでくると、アランはベッド沿いに座り、ため息ついた。そう、この家には自分の秘密の隠し場所は無いのだ。

そして何よりも、もし自分が元素を使えることをこの家に知られたら、先ずヨエルじいちゃんの元に知らせが行くはずだ。普段優しいヨエルじいちゃんは元素師という言葉を聞くだけで人が変わったように怒り出すからな。下手すれば家を追い出されるかも知れない。ヨエルじいちゃんが本気で怒り出す場面を想像すると、アランは思わず身震いした。

そんな事よりも、なぜいまだに一番簡単な火つけですら出来ないかとアランは冷たいベッドに横たわり、薄暗い天井を見ながら思った。そしてぼんやりと3年前にサムおじさんに連れてもらった森東領の村の酒場「ルカクばあさんの宿」で偶然に出会った、元素のことや炎の言葉の言霊を教えてくれた変な炎の元素師を思い出した。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ