盲目魔女のもらい事故 ~勇者パーティは引退したので放っておいてください~
プロローグ
五年前。
ディンファルト大陸に『魔王』が復活。魔族による人間領侵攻が開始された。
人類存続の危機に際して各国は協力を決定。三カ国戦争の終戦と同時に国家を越えて人材を集めた特務戦部隊、いわゆる『勇者パーティ』を選抜した。
選ばれたのは人類至高の五人。
異世界より導かれた『神導』の勇者。
死者すら蘇らせたという『奇蹟』の聖女。
あらゆる攻撃を防ぐ『絶対防御』の戦士。
すべてを見通す瞳を持った『千里眼』の賢者。
そして。
わずか12歳でありながら。目が見えないというハンデを負いながら。それでも勇者パーティに選抜された少女。
たった一つの魔法で地平線の彼方までを焦土に化したと伝わる『盲目』の魔女。
勇者たち五人は少数精鋭として魔族領に潜入し、数々の激戦に勝利した後……見事、魔王を討ち取ったという。
今からわずか三年前の出来事である。
◇
深い深い森の中。
王国の端にあるその森に、一軒のあばら家が存在していた。
手入れもされず雑草が生えた屋根。ひび割れの放置された壁。防寒に必須となる窓ガラスこそ割れてはいないが……それ以外ではどう考えても廃屋にしか見えない一軒家であった。
この家に住む魔女は『盲目』だ。
だから家の手入れができなくてもしょうがない。
無理強いをする者には人の心がない。
と、そう言い訳して家屋の手入れを放置している辺り、住人の面倒くさがり屋な性格と腹黒さが透けて見えるかのようだった。
「……人はなぜ食事をしないといけないのかしら~♪」
今夜の晩ご飯となるシチューを煮込みながら家の主・レーナは無駄に美しい声で何とも調子外れな歌を歌っていた。
なぜ食事をしなければ死んでしまうのか。
なぜ眠っているだけでお腹がすいてしまうのか。
それは常に『盲目の魔女』レーナを悩ませる一大テーマであった。
ちなみに今作っているシチューは一抱えほどもある寸胴鍋で煮込まれていて、この後一週間は保存魔法を掛けたシチューと黒パンだけの生活を送るつもりであるとここに追記しておく。
さらに言えばレーナがやっているのは火魔法の火加減だけで、具材たっぷりの鍋をかき混ぜているのは全身鎧に身を包んだ使い魔なのであるが。
使い魔であるマオが呆れ果てた口調で注意する。
「……ご主人様よぉ。人間なんだから、せめて食事と睡眠くらいは面倒くさがらずにやるべきだと思うぜ?」
口調は乱暴。
台所にフルフェイスの鎧姿で立つ非常識。
ではあるが、言ってることはごくごく真っ当で常識的な使い魔であった。
「大丈夫よ、今やっている魔法の開発がうまくいけば空気中から必要な栄養素を取り出せるようになるから。つまり、息をしているだけで満腹状態よ」
「…………」
それはもはや東方の伝説にある『仙人』じゃないのか、とか、どんだけ面倒くさがり屋なんだよ、とか。色々突っ込みたいことのあるマオであったが、とりあえず一つだけ指摘しておくことにした。
「空気中に栄養なんてあるのかよ?」
しかも人ひとり動かすほどのカロリーだ。普通に考えれば不可能だろう。
「あるんじゃない? 知らんけど」
「…………」
テキトーである。
あまりにテキトーすぎて鍋をかき混ぜながら頭を抱えるという器用な真似をしてしまうマオであった。
盲目の魔女、レーナ・エーデルフィルト。
誰もが認める大陸最高の魔女。
魔王討伐の功績として宮廷伯になったお貴族様。
だというのに、やっている研究はこれである。
……いや分かる。食事の必要がなくなれば庶民の間から飢えがなくなり、数多くの人々を救うことになる偉大な研究であることは。
だが、いくら偉大でも実現できなければただの妄想だ。
そもそもレーナにそんな高尚な考えなど微塵もない。
怠惰な生活を送るために全力を注いでいるだけ。
そして研究の公算と言えば『あるんじゃない? 知らんけど』である。マオでなくとも頭を抱えるしかないだろう。才能の無駄遣いも甚だしい。
何とかしてこのものぐさな性格を直さなければ。
その第一歩として、せめて今日こそは風呂に叩き込もう。いくら浄化の魔法で綺麗になるとはいえ、17歳の少女なのだから最低限の身だしなみは整えさせなければ。
もはや使い魔を越えた母親の思考でマオが決意を固めていると――
「――あら?」
レーナが可愛らしく小首を傾けた。
彼女、両目部分が革製の眼帯で覆われているが、それでも『美少女』と分かる美貌を有しているので動きだけ見れば可憐である。
が、今までさんざんレーナの「あら?」に振り回されてきたマオとしては嫌な予感の寒気で凍死しかねなかった。
「おい、また何かやらかしたのか?」
「失礼な使い魔ね。私がいつやらかしたのよ?」
「やらかしてない日があるのか? 平穏な時間など一日も持たないが?」
「ご主人様への態度をじっくりと教えなきゃいけないようね……まぁそれはともかく、馬車が近づいてきているわね」
「馬車ぁ?」
この家は一応馬車が通れるほどの道に面している。だが、森の中なのでこの家に物資を届ける商人か魔物退治の冒険者くらいしか使わない道だ。馬車が通るのなんて一週間に一度あるかないか。
そしてわざわざレーナが口にしたのだから商人や通りすがりの冒険者というわけでもないのだろう。
「なんか怪しいのか?」
「怪しいというか……夜とは思えないほどの速度で走っているわね?」
レーナは眼帯をしているので外の暗さは認識できないが、夕食の時間なので夜であろうことくらいは分かる。
レーナに言われたマオは探知魔法を発動させ、件の馬車を捕捉した。
正確には爆走する馬車と、それを追う騎馬の人間十人を。
馬車一台に対して十人という襲撃者は過剰である。盗賊という可能性もないではないが……暗殺者と考える方が自然であろうか。
魔王討伐から三年。
表向きは平和になったとはいえまだまだ政情は不安定で、貴族や富豪の命が狙われることもそう珍しいことではない。
「はーん。この調子じゃあもうすぐこの家の前を通り過ぎるな。で? どうするんだご主人様? もちろん助けるんだよな?」
「え? 助けなきゃダメ?」
眼帯で表情は見えにくいが、それでも「面倒くさ~い」と顔に書いてあった。
魔王討伐の英雄様が、追われている人間を助けることを面倒くさがる。何というか世も末であった。魔王は討伐されたというのに。
「助けなきゃダメだろ人として」
「あなたが『人』を語るとか笑うべき場面かしら?」
「はいはい笑ってもいいから助けるぞ」
マオが背中を押すとレーナはぶーぶーと文句をたれる。
「私知ってるわよ。こういうのは助けた人が実は偉くてその後色々と面倒くさいことに巻き込まれるんだわ」
「…………」
小説の読み過ぎだろ。とは、ツッコミしがたいマオだった。なにせレーナの場合そういう自分の意志に関係ない『もらい事故』が非常に多いためだ。この前もどっかの国の権力争いに巻き込まれていたし。
ちなみにレーナは盲目だが、本のインクに魔力を通わせ、それを読み取ることで『読書』することができる。
「まぁいいじゃねぇか。偉い人なら謝礼も期待できるんだから。ここはさくっと助けてやろうぜ」
「……ずいぶん乗り気ね? 久しぶりに暴れられそうだからワクワクしてる?」
「ま、それもあるな。だってお前との契約に『悪人』は含まれていないだろう?」
一般人はなるべく殺さないようにしましょう。
その約束を律儀に守っているマオであるが、逆に言えば悪人に容赦するつもりはない。大義名分。勧善懲悪。罪悪感がないとは素晴らしい。
人助けを面倒くさがる英雄と、常識はあるが容赦は無い使い魔。
良くも悪くも似たもの同士というか、普通とはかけ離れた主従であった。
◇
――油断していただろうと問われれば、その通りだとしか答えられない。
追っ手から逃げる馬車の中。婚約者の肩を抱きながらステイルは奥歯をかみしめた。
この国の第二王子である彼は、第一王子と次期王太子の座を賭けて争っている最中だ。
しかし(周りの貴族はともかく)実兄である第一王子とは良好な関係を築いていたし、最近体調を崩しがちな兄からは継承権の放棄もほのめかされていた。
そもそも優しすぎる第一王子は弟との権力争いを望んでいない。だからこそ次期王太子、つまりは次の国王の座はステイルでほぼ決まりであったし、国王も王妃も承知しているはずだった。
形ばかりの継承権争いを続けているのは反対派の貴族を纏めてみせろという国王(父親)からの試練であったはずであり。だからこそ次期国王としての『器』を示す一環として地方への視察を決めたのであるが……。
(まさか兄上の策略? 病気がちというのもニセ情報という可能性が……。あるいは貴族の暴走か?)
疑いだしたらキリがないし、それ以前にまずは暗殺者をどうにかしなければならないだろう。
王族であるからこそステイルの保有魔力量は一般人を圧倒している。それだけを考えれば暗殺者たちを蹴散らすこともできるかもしれない。
しかし実戦経験の無いステイルが『本職』の暗殺者相手に勝てるとは思えないし、婚約者も同行しているのだから彼女のことも守りながら戦わなければならない。確実に勝てると言えないのだから、戦うのは最後の手段にするべきだろう。
(……いや、せめて彼女だけでも)
ステイルは胸から下げた赤いペンダントを握りしめた。赤い宝石には緊急時用の転移魔方陣が刻み込まれており、一度だけだが即座に王宮へと避難することができる。
だが緊急避難できるのは一人だけなので婚約者と御者(馬車の運転手)は置き去りにしなければならない。
「そんなこと、できるものか」
国王になるからには切り捨てるべきなのだろう。
しかし、そんなことをしたらステイルは自分自身を許せないし、婚約者を見捨てることを第一王子も許さないだろう。下手をすれば本気で王太子の座を争う事態になるかもしれない。
「殿下……?」
ステイルの呟きに婚約者である公爵令嬢、ディアナが首をかしげた。
泣き叫んでもおかしくない状況なのに、彼女は手の震えを必死に押さえながら気丈に笑おうとしている。
せめて、彼女だけは。
「……ディアナ。ここに緊急転移のためのペンダントがある」
「っ! で、では、早くお使いください! このままではいつ追いつかれるか――」
「キミに使って欲しいんだ」
「!? しかし、そんなわけには――っ!」
「家の決定とはいえ、キミを巻き込んでしまった。好きでもない男と婚約させてしまった。その罪をこんなことで償えるとは思わないが、どうか、使って欲しい」
「なりません!」
ペンダントを譲ろうとするステイルと、断固拒否するディアナ。二人がそんなやり取りを繰り返していると、
「――やぁやぁ。美しいねぇ。自分のことより相手の心配か。うんうんいいねぇ善人だねぇ」
どこか馬鹿にするかのような第三者の声が響いた。
ここは疾走する馬車の中であり、中にはステイルとディアナ以外はいない。御者も操縦で手一杯な中、そんな声を掛けられる存在はいないはず。
だというのに確かに聞こえた声の主を探して周囲を見渡したステイルは、見つけた。窓のガラスから馬車内を覗き込む鎧姿の男の姿を。
一瞬刺客かと腰を上げたステイルであるが、すぐに思い直した。刺客であれば声などかけずに襲撃してくるだろうし、暗殺者があんなにも目立つ白銀の鎧を着込んでいるとは考えがたいからだ。
混乱するステイルを揶揄するように鎧の男が笑う。
「はっはぁ。こりゃまた大物を釣り上げたもんだなぁ。ご主人様の巻き込まれ体質もここまで来るとゲージュツテキだな」
鎧の男が気安く問いかける。
「よぉ、美男美女。お困りかい?」
「あ、あぁ。困っているね」
「追ってくるヤツらは悪人かい?」
「……おそらくは暗殺者だ。護衛の騎士は奇襲を受けてやられてしまった」
「なるほど、なぁるほど。困っている人がいて。悪人が追ってきているのなら。そりゃあ容赦する必要はないわいな」
兜で表情はうかがえないが、男が獰猛に笑ったようにステイルには感じられた。
「俺のご主人様は乗り気じゃないが、まぁ気にするな。ここに来たってことは≪縁≫があったんだろう。申し訳ないと思うなら謝礼をはずんでやってくれや」
鎧の男の姿が消える。
そして数秒後、馬車の後方から争うような音と悲鳴が聞こえてきた。
ステイルは状況がどうなっているか知りたかったが、暗闇の森の中、窓から顔を出すのは自殺行為でしかない。
とにかくこのまま馬車を走り抜けさせて――、そんな考えを否定するかのように馬車の速度が下がっていった。
争うような音はまだ鳴り止まない。速度を落とすのは早すぎる。
ステイルは車体の前方についている小窓から御者を問い詰めた。
「なぜ速度を落とす?」
「も、申し訳ありません! しかし、馬が急に言うことを聞かなくなりまして!」
「馬が……?」
第二王子の馬車の御者を任されるほどなのだから、この男の腕前は王国でも最上位であるはずだ。そんな彼からしても理解不能な理由で馬が走らなくなった……?
ステイルが訝しく思っている間にも馬車は完全に停止してしまう。
後ろから響いていた音はいつの間にか消えた。悲鳴も、馬の足音も聞こえない。
御者は何度か馬を操ろうとしていたが、奇妙なほどに馬が静止しているのを見て取ってステイルに頭を下げた。
「殿下はこちらでお待ちを。自分は後ろを確認してきます」
「いや、危険だ。まずは様子を見た方がいい」
「……もしものときは大声を上げます。そうなったら自分に構わずお逃げください」
「しかし……」
止めようとするステイルをあえて無視して御者は御者席から降り――
「だ、誰だ貴様!?」
後方ではなく、前方に鋭い詰問をした。
「――ご安心を。怪しい者ではありませんし、追っ手の『処分』も終わっています」
鈴を鳴らしたかのような、暗い森には相応しくない可憐な声だった。
殺意はない。敵意もない。
この状況にあまりにも相応しくない柔声に思わずステイルも窓から顔を出した。
道端にある一軒のあばら家。
その家から漏れる明かりによって道に立つ女性の姿が浮かび上がっていた。
魔術師としての最高階位を示す刺繍が入ったローブと、つば広の三角帽子。
身長より高い杖は国王直属の魔術師にのみ与えられる最高級品。
闇夜にあって光り輝くような銀髪。何者にも汚せぬような純白の肌。そして――両目を覆う革製の眼帯。それでもなお隠しきれない美貌。
ステイルには見覚えがあった。
3年前。まだ12歳だった彼は魔王討伐の記念式典において『彼女』の姿を目の当たりにした。その後、王宮のエントランスホールに掲げられた似顔絵を幾度となく目にしてきた。
狂気の求道者。
殲滅の魔術師。
盲目の魔女。
数々の異名で呼ばれる才女、レーナ・エーデルフィルトは困ったように小首をかしげていた。
「失礼ですが、盲目なので確認ができません。お怪我はありませんか?」
鑑定魔法を使えば状態どころか氏名やレベルなどもを知ることはできるが、さすがのレーナにも初対面の人間に使わない程度の良識はあった。
突如とした『盲目の魔女』の登場に泡を食ったステイルだったが、なんとか落ち着きを取り戻し返答することができた。
「は、はい。怪我はありません。……『盲目の魔女』殿ですよね?」
「あら? 私をご存じでしたか?」
「えぇ。三年前。王宮での記念式典の際にご挨拶を」
その答えを聞いてレーナが眉をひそめた。あの式典で主役だったレーナに挨拶ができたのだから最低でもお貴族様で、最悪王族である可能性もあるのだ。
そして。
こういうとき。狙ったかのように最悪を引き当ててしまうのがレーナという少女であった。
「改めてご挨拶をさせていただきたい。自分はレンブルト王国が第二王子、ステイル・ヴァン・レンブルト」
王族でありながらも礼を尽くしたステイルの態度にディアナも慌ててカーテシーを行う。
「お、お初にお目にかかります。ファダット公爵が長子、ディアナ・ファダットでございます」
二人の自己紹介を受け、念のため虚偽ではないかと『鑑定』したレーナは挨拶を返すことも忘れて星空を見上げた。
「またかぁ……」