7.満開
マノンはリュカをアトリエへ入れた。
店先で降霊術式の付与された花を育てさせる訳にはいかないからだ。
「本来、降霊術は専門の魔術師や巫女以外が扱うのは禁じられている。アタシはあくまで、魔術具製作者だからな。バレたら店は潰される」
「……あの、今更ですけど、そんな花を作ってくれて、ありがとうございます」
マノンはリュカからの感謝の声に戸惑って、頭をガリガリと掻く。
「アタシに感謝する前に、植え付けをしっかりやれ。"花言葉の花"は正直で、敏感な術具だ。鉢に入れる土の用意から心を込めてやらないと、成功率は下がる。それを念頭において、準備しろ」
「……はい」
リュカは真剣に、丁寧に鉢の準備をする。
その横顔を見ながら、マノンはミアの事を思い出していた。
"花言葉の花"が、丁寧に世話をしてやらなければ育たない事を最初に見つけたのは、ミアだ。本当の想いを込めて、用意すればするほど、成功率は高くなった。
けれど、本当の想いを抱え込んで居たからこそ、あの事故は起きたのだ。
「……店長さん、次は何を入れたら?」
「そこの肥料の入った土を鉢の半分くらいまで入れてやれ」
「はい」
サラサラと滑り落ちる土の音は、あの事故の時に毒にやられて崩れるように消えた花たちを思い出させる。
ミアの心に抱え込まれた毒が回って、毒霧を振り撒く花にやられてしまった花たちを。
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ミアは、マノンにとっては"トリックスター"だった。
いつも、いつも、マノンが迷い込んだ袋小路を、突き破るような方法を示してくれたのは、ミアだった。
けれどミアは、その方法を取るせいで、学舎では、外道の魔術師として捉えられていた。
『真実を捻じ曲げてはいけない』
学舎では、それを全ての学問の基礎として学ぶ。
真っ直ぐで、整っているからこそ、術式は美しいとされる世界で、ミアはその反対を行く。
あんなにも魔力が豊富で、四女か五女だとしても名家の出で、幼い頃から学舎に入っているのに、ミアはいつまで経っても真っ当な魔術を行わない。
幼いうちは、子どもの遊び心で済まされていても、成長していくにつれて、学舎の大人たちだけではなく、仲間たちの目は厳しくなる。
学舎は国が運営する施設。
国の役に立たない者は、出て行くのが決まりだからこそ、大人たちも、仲間たちも、自分が学舎で生き残る為の手段を得る為に、必死で研究に時間を費やす。
真実を曲げずに、真っ直ぐに。
だから、大きな壁が立ちはだかった時、袋小路を抜け出せなくて焦る。
その横で、彼らの信条を捻じ曲げて、袋小路を突き破り、まわり道をして楽に実績を取っていく奴ミアがいる。
まるでイカサマだ。ズルだ。フェアじゃない。
そんな怒りが、焦りと共に吹き出す。
その矛先として、ミアは、格好の餌食だった。
研究室に籠るマノンの元へやって来るミアは、毎日、沢山の悪意の的になりながらも、マノンとの研究を続けて、マノンと一緒に食事を取った。
マノンの前では、ミアは笑っていた。
だから、気がつかなかった。
ミアの心に溜まって行く毒が、たった一つの花にだけ、作用してしまった事に。
ミアが丹精込めて育てたからこそ、花は毒を振り撒いてしまった。
気がついた頃には、研究室の横に作った温室の中は毒霧に支配されていた。
けれどミアが花の異常に気がついて、温室の外に空気を出さない方法を取ったから、学舎には大きな被害は出なかった。
それを学舎側は、温室と、未熟な魔術師が一人犠牲になっただけで済んだと報告した。
学舎は、ミアを切り捨てた。
マノンはたった一人の親友を失った。
何もできなかった自分にも腹が立ったが、それ以上に、ミアの事をただ切り捨てるだけの学舎にはもっと、腹が立った。
マノンは研究結果とこれまで学んだ全てを詰め込んだデータベースを作成して、その全てを学舎へ明け渡す事なく、学舎を自ら出て行ってやった。
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「店長さん、まだ土は入れますか?」
「いや、そのくらいでいい。真ん中に、指で種を入れる窪みを作れ。あんまり深いと芽が出ないから、浅めにしておけ。そこに種を置いて、上から土をかけたら、あとは、この成長促進剤入った特製の水をかけてやれば、よく育つ。水をやる前に手を洗え、この水に肥料が入って、間違った効果が出るとやばいからな」
リュカはマノンの指導のもと、鉢植えの用意を終えて、手を洗う。
いよいよだ。
水やりは、種に定着した"花言葉"を起動させるための最初の条件だ。
リュカは深呼吸をすると、成長促進剤入りの水が入っているジョウロを、今植えた鉢植えに丁寧にかける。
お母さん。
お母さん……。
お母さん…………。
土にたっぷりの水が染み込んだ瞬間。
"花言葉の花"は、起動した。
土と水に含まれた栄養を全て吸い取って。
想いの力を魔力へ変えて。
種の中の術式は、マノンの設計通りに起動した。
鉢植えが淡く輝いて、成長を促す魔術式も発動する。
「店長さん。これで、いいんですか?!」
「わからん!アタシもこんなものを見るのは、初めてだ!!」
水をやった途端に、種が成長を始めるだなんて、何年も"花言葉の花"を育てて来たマノンでさえも、見るのは初めてだ。
まるで目の前で早送りされる映像を見せられているかのように、種は芽吹き、真っ直ぐと上へ伸び、葉が付き、茎は太くなり、蕾が付く。
そして、ゆっくりと花開くと、暖かな春の日差しのような光と一緒に、バターの香りのような、ミルクたっぷりのカフェ・オ・レのような、暖かい豆のスープのような香りが漂う。
《……リュカ》
リュカとマノンが顔を上げると、そこには、リュカによく似た瞳と髪の色をした女性と、その後ろに、いたずらっ子のように隠れて笑うミアの半透明な姿があった。
「……ミア」
「おかあ、さん」
リュカの驚いた目から涙が溢れる。
リュカの母親はそれを拭いたくても、拭えないもどかしさで、寂しそうに、それでも息子を元気付けるために、笑う。
《泣かないで、Mon trésor(私の宝物)。強い男の子でしょう?》
「だって、お母さん……僕、僕……家だと、一人ぼっちなんだよ。お父さんは、毎日お母さんの事で泣いていて、僕のことを見てくれない。……叔父さんと叔母さんが、毎日夕飯のために来てくれるけど、みんな、その事で怒ってる。だから、僕、僕、お母さんが、生き返ってくれれば、お母さんが家に戻って来てくれれば、元に戻ると思って……」
《ねぇ、リュカ。よく聞いてね》
ふわりと少年の側に舞い降りる女性は、少年を抱きしめたくても、抱きしめられない。髪を撫でてやりたくても、撫でてやれない。
それでも、生前のように優しく包み込むように、女性は透き通った身体を少年の側に寄せる。
《お母さんもね、急にリュカとお父さんお別れする事になって、とても悲しい。……でもね、お母さんはもう前みたいに、リュカたちと一緒に居られないの。今日はこうやって会えたのは、本当に奇跡。本来なら起きちゃいけない事なの》
「それでも、僕、お母さんに会いたかった」
《そうね。お母さんも会えたのは嬉しい。でもね、もう二度としちゃいけないわ。リュカも、お父さんも、もうお母さんがいない毎日を進まなきゃ行けないの。……どんなに悲しくてもね》
オリヴィアはわかっていた。
たとえどんなに美しい花であっても、こうして呼び寄せられた事は、危険な事だ。どんなに家族を愛おしく思っていても、どんなに側に居たくても、彼らの側に居続ける事は出来ない。
だから、息子にはわかってもらわなきゃいけない。自分が居なくても、前を向いて生きていかなければならないことを。
《リュカ、悲しまないで。お母さんは、これからもリュカのことをちゃんと見守っているから。リュカに見えなくても、ちゃんと。だから、前を向いて、大きくなって、お母さんにその姿を見せて?》
リュカは腕でゴシゴシと涙を拭うと、お母さんの方をしっかりと見て、強く頷いた。
もう、リュカは前を向いて行ける。
《ねぇ、リュカ。お母さん、この花が鉢植えで咲いているとね、ここから動けないの。このままじゃ、お父さんに会えないわ》
「僕、鉢植えを家に持って……」
《ダメよ。この花は外に出すべきじゃない。そうでしょう?えっと、魔術師さん?》
マノンは、頷く。
「申し訳ありませんが、禁忌に触れかけている代物ですから、外へは、出せません」
《わかっているわ。でも、鉢植えから花を切ってしまえば、この花はただの花になるし、わたしも花から離れて自由に動くただの亡霊になれるはず、なのでしょう?一緒に来た、魔術師さんから、そう聞いたわ》
「……ミア」
ミアは生前と変わらない笑顔でマノンを見る。
《マノンもようやく、まわり道のやり方がわかってきたんじゃない?》
嬉しそうに笑う親友だった亡霊に、マノンはため息をついて、頭をガリガリと掻くしかなかった。
「アタシの想いまで、花に乗ったってことか」
《半分正解で、半分不正解。マノンは確かにミアを思い出していたけど、呼ぼうとはしてない。でしょう?だって、学舎の教えに反しているもの。でも、ほんの少しだけ、本当に少しだけ、ミアを思い出してくれたから、ミアは、この人を案内する役割をもらえたの》
「……花を切れば、ミアはその人を案内できるのか?」
《それが、役割だから》
嬉しそうに笑う、向こう側が透けて見える親友を見つめたマノンは、一度アトリエから出ると、手に園芸用のハサミを持って戻ってきた。
そのハサミを、マノンはリュカに渡す。
「お前の花だからな、お前が切れ」
「え、でも、お母さん隣にいる人は……」
「ミア。一つだけ、頼まれてくれないか?」
《なぁに?》
「……この人を案内するついででいい。もし、ヴァンを見つけたら、ごめんって伝えといてくれないか?」
ミアは、それを聞いて腕を組んでマノンをちょっと睨む。
《また喧嘩したの?どうせ、マノンがヴァンに偉そうな事を言うなって、言って喧嘩になったんでしょう?》
「……ハハッ。よくわかってるじゃねぇか」
ミアの答えに、マノンは本当に目の前にいる霊が、本物の親友である事が嫌というほどわかった。
ミアは、そんなマノンに意地の悪そうな笑顔で返事をする。
《ミアもヴァンに会いたいから、マノンが謝りたがっている事は伝えてあげる。でも、ごめんはちゃんとマノンから言って。それが約束できないなら、ミアも頼まれてあげない》
マノンは仕方がないと、苦笑して頷く。
ミアにはそれだけで、十分伝わった。
ミアは案内してきたオリヴィアに微笑んで、ハサミを握る少年の方を見て頷く。
オリヴィアも、もうリュカの側を離れて、ミアの隣に並ぶと、息子に向かって微笑む。
《お願い、Mon p’tit cœur(私の小さなハート)。花を切って。お母さん、お父さんに会わないと》
リュカは震える手で、ハサミを開いて鉢植えに伸びている茎へ添えると、最後にもう一度母の顔を目に焼き付けて、ハサミを入れた。
鉢植えから花が離れる。
春の風のような柔らかい空気の流れが、アトリエに生まれる。
《そうだ、マノン。マノンが好きな豆のスープだけどね。あれって、トマト入ってるんだよ?知ってた?》
いたずらっ子のようにクスクス笑うミアに、マノンは呆れて鼻で笑って返事をする。
「……そんな事、ずっと前から知ってたよ」
ミアはちょっと驚いた顔をしたけれど、それでも笑って、マノンの前から消えていく。もう聞こえないけれど、その言葉がなんなのかはマノンにもわかった。
オリヴィアも最後に息子の頬を一撫でする様に手を滑らせると、ミアの後を付いて行く。
「さようなら。……ありがとう、ミア」
春のような、温かな風がアトリエから去って行き、夏の茹だるような暑さが、アトリエに戻って来た。
残された二人は、静かにそれを受け入れた。
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ねぇ、マノン。
もし"花言葉の花"の研究が学舎に認められなかったらさ、ミアと一緒に花屋さんを開こうよ。
"花言葉の花"はきっとたくさんの人に幸せを運んでくれる。
だからさ、研究として成立しなくても、いろんな人が幸せにできるって証明しようよ。
約束だよ。マノン。
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魔術、錬金術、科学。
3つの力がそのまま、付かず離れずの関係で育って伸びた世界の街に、その全ての力を使って生み出される特別な花の種を販売している花屋がある。
その花の種は、人の想いを"花言葉"という名前の魔術で、咲かせて、幸せを運んでくれる。
花屋のドアを開くと、ドアにつけられたベルが鳴る。
ベルが鳴ると、店内で花の世話をしていた男の子と、店の奥からゆったりと歩いてくる女主人が現れる。
窓の外では、魔導バイクに乗った配達員が嬉しそうに笑ってその様子を見守っている。
「"花言葉の花屋"へ、ようこそ」
「お客様。本日は、どのような花をお求めでしょうか?」
"花言葉の花屋"は今日も注文を受けて、注文主の元へ種を届ける。
人々の想いを込めた花の種を。
そんな訳で、これにて完結です!
Pixivで何度終わる終わる詐欺をしたやら……
反省が多かった作品でした。
ここまでお読みいただきありがとうございました!