4.摘芯
花屋の時計は、今時珍しい振り子が付いたぜんまい仕掛けで、30分に一度鐘が鳴り、時間になれば、時間の数だけ鐘が鳴る。
時計は5回鳴った。
花屋は閉店の時間で、それは同時にリュカが家へ帰らなければならない時間だ。
リュカはため息を吐くと、会計カウンターの椅子から飛び降りて、近くにあった木箱を持って店の外に出る。
木箱を踏み台にして、表の看板をひっくり返して「閉店」へ掛け替えたら、木箱を抱えて店へ入る。
会計カウンターの下へ木箱を押し込んで、リュカはそうっと、マノンのいるアトリエへ入っていく。
帰るときは報告しなくちゃいけないのだから、悪いことはしていないはずだ。
けれど、リュカはそっと息を殺して、なるだけマノンに気がつかれないようにアトリエへ滑るように入り込む。
アトリエでは、3つのうち2つの機械が忙しなく動いている。
一つはもう種が出来上がっていて、コロリと転がるビー玉ぐらいの大きさがある種は、近所の赤ちゃんがしているおしゃぶりに似ている形をしていた。
どうやったら、こんな不思議な形の種が出来るのだろう。
見たことのない種に夢中になっていると、頭にズンッと、重たい衝撃が降ってきた。
痛みに頭を抱えてしゃがみ込むと、その上から凍りつくような声色の叱責が降ってくる。
「何度言ゃわかるんだ。ここは、アタシのアトリエだよ。一般人は基本立ち入り禁止!こっそり覗き見するなと、昨日も言ったはずだぞ」
「……ごめんなさい」
リュカは、痛みから出てきた涙を袖でごしごしと拭くと、マノンへ報告をする。
「あの、今日も5時になったから、僕、もう帰ります」
「あぁ」
「えっと、表の看板、閉店に変えておきました。あと、水換えと水やりも、やりました」
「ご苦労」
「あの、あと、お花が、バラの花がどうしても欲しい人が来て……あの、1本だけだったので、リボンとか、紙とか巻いて、僕が渡して、売りました」
「そりゃあ……何だって?」
マノンの顔がモニターからリュカの方へと向く。
「お前が、花を売った?」
「は、はい」
「ラッピングまでして?」
「えっと、はい」
「……どうやって?」
「え、えっと、お花をちょうど良い長さに切って、お水につけた綿を切り口に当てて、白い紙で巻いて、ピンクのリボンで結びました」
リュカの答えに、マノンは開いた口が塞がらなかった。
「あ、あの。やっぱり、ダメでしたか?で、でも、店長さん、あの時、何回呼んでも気がついてくれなくて……」
マノンは頭をガリガリと掻くと、椅子から立ち上がる。
リュカはまた拳骨を落とされると思って頭を抱えたが、鈍く重い痛みはやって来なかった。
顔を上げると、マノンは店へ出る方へ向かっていた。
「……あ、あの」
「どんな風にやったか、見せてみろ」
「は、はい!」
リュカは慌ててマノンの後を追った。
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バラの花を試しに1本、リュカにラッピングさせたマノンは、その手付きの良さに驚かされた。
水切りは上手く出来ていたし、脱脂綿の当て方も悪くなかった。
ラッピングは少々不恰好だが、酷すぎるということもなく、バラの花を1本手渡すのなら、むしろ少し不恰好な方が、愛嬌があっていい。
「あの……店長さん?」
「……お前、どこでこれを覚えた?」
「えっと、あの、花の切り方を教えてくれたのは、お母さんです。……お母さん、花が好きだったから、買い物に行くと、いつも花を買うんです。家に帰ったら、花瓶に活けていて、その時、こうしたらお花が長持ちするって教えてくれました」
「脱脂綿とラッピングは、今までの見様見真似か?」
「あの、はい、そうです……」
マノンは、リュカのラッピングしたバラをくるくると回して考え込むと、急にアトリエへ戻って行って、リュカが、アトリエへまた入るかどうかを迷っている間に帰ってきた。
帰ってきたマノンは、少し分厚いアルバムを手に抱えていて、リュカの前までやって来ると、それをずいと差し出した。
「え、えっと、何ですか、これ」
「見本だ」
「見本?」
リュカが受け取ったアルバムを開くと、そこには、形式は様々な花束の写真が綴じられていた。
「最初は5本までだ。それ以上になるならアタシを呼べ」
「何がですか?」
「花束のラッピングだ。アタシは正直、お前の注文で忙しい」
「……ごめんなさい」
「謝るくらいなら、働いて返せ。そもそも料金だって、まだまだ払い切れる目処も経ってないんだからな、お前」
「はい……」
「だから、働け。普通の花のラッピングなら、まず5本までをまとめられるようにしろ。組み合わせ方や、包み方、リボンの掛け方は見本をよく見て真似したり、工夫しろ。そうすれば、水換えよりも駄賃を増やしてやる」
「は、はい!ありがとうございます!」
マノンは適当な花を15本ほど選んで、包装紙と残りが少なくなっているリボンを一巻き丸ごとリュカに押し付けてやる。
リュカは、両手いっぱいにそれを抱えなければいけなかったが、仕事を任せてもらえる事が嬉しくて、笑顔だった。
去り際、マノンはリュカへ質問をする。
「おい」
「はい、なんですか?」
「……母親を生き返らせて、何がしたいんだ?」
「え?」
「また一緒に暮らしたいとか、手料理が食べたいとか、そういうのだよ。何が目的で、生き返って欲しいんだ」
リュカは、両手に抱えた荷物を強く握りしめた。
「……お母さんが居ないと、ダメだから、です」
「だから、なんで……」
「ご、ごめんなさい。あの、遅くなると、家で怒られちゃうから、あの、もう、帰ります。今日もありがとうございました」
リュカはそこから逃げ出すように走り去った。
マノンはその背中をため息を吐きながら見送ると、また頭をガリガリと掻いて、店のドアに鍵をかけてアトリエへと戻った。
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辺りから夕食の準備が整っていく、いい香りが漂っている。
リュカは、そんな家々の間の細い路地を進んで行く。
きっと今頃、うちの台所では、マーゴ叔母さんがリュカの夕飯を作りに来ている。
リュカは別にマーゴ叔母さんが特別嫌いな訳じゃないが、特別好きな訳でもない。
どちらかと言えば、リュカがいつも通りの動きをしていないと、何かあったのではないかと勘繰って、しつこく聞かれるので、面倒な相手だ。
心配してくれているのはありがたいが、今はしつこく聞かれると答えられない事が多すぎる。
"花言葉の花屋"で、"お母さんを生き返らせて欲しい"花を注文した事は誰にも言えない。
うっかり言いかけた時、リュカにだけ見える魔力の鎖が首のあたりをキュッと締め付けて来た。
その鎖が、魔術契約を交わした代償である事は、リュカにもすぐにわかった。
リュカが新聞配達や犬の散歩、花屋での店番をして、花の料金を稼いでいる事は、家族にも、誰にも言えない、秘密だ。
それなのに、両手いっぱいに花と包装紙とリボンを抱えたリュカが帰ってきたら、マーゴ叔母さんは間違いなく、リュカを問いただす。
リュカはこっそりと門を潜り抜けると、庭を横切って、自分の部屋の窓の下まで、早足で滑るように進む。
マーゴ叔母さんは、エアコンが苦手だから、絶対に家中の窓を開けて、自然の風を通している。
おかげで内緒にしたい物を、先にリュカの部屋に入れられる。
リュカは開け放たれている窓から少しずつ、音を立てないように、両手に抱えた物を落として入れていく。
最後にリボンが巻かれた筒が少し音を立てて落ちたが、マーゴ叔母さんは気がつかなかったようだ。
両手がすっかり空いたら、また急いで門まで早足で行って、今度はわざと音を立てて門を開けて、玄関から家へ入る。
「ただいま」
リュカの声に、台所から丸いマーゴ叔母さんの顔が覗く。
「おかえり、リュカ。今日は随分と帰りが遅かったね」
「え、そ、そうかな?」
「時計をご覧よ。もう午後の6時半を過ぎているよ。一体、どこで何をしていたんだい?」
どうやら花屋の店長に、ラッピングをして見せていたら、いつもよりも帰る時間が遅くなってしまったようだ。
リュカは、一生懸命にマーゴ叔母さんが納得しそうな嘘を考える。
「え、と、図書館で、本を読んでいたら、気がつかなくて」
「図書館の閉館は午後5時じゃないのかい?」
「ぼ、僕、ほら、小さいから、本棚の隙間で読んでいたら、誰も、気がつかなくて」
「閉館になったら、鐘が鳴るだろう?」
「本に、夢中で、気がつかなくて……」
こんな嘘を、マーゴ叔母さんが信じるだろうか。
リュカは、ギュッとズボンを握りしめて、マーゴ叔母さんが、何かを探ろうとしている視線に耐えた。
「本に夢中、ね」
嘘だと言われる。
と、身構えていたリュカに、マーゴ叔母さんは大口を開けて笑った。
「なるほど!血は争えないね。オリヴィアの息子なだけあるよ」
「お母さんの……?」
マーゴ叔母さんは、リュカの頭を撫でながら、亡き妹の事を、甥に教える。
「あんたのお母さんもね、あんたぐらい小さい時は、しょっちゅう本に夢中になって、図書館から帰って来なかったもんさ。ある日、日が暮れても帰って来なかったもんだから、誘拐されたんじゃないかって、みんな大慌てで探して居たら、警備員の人に連れられて帰ってきてね。今までどこにいたんだって、聞いたら、図書館がいつの間にか閉館してしまって、出るに出られなくなったんだって聞いた時には、みんなくたくたに疲れていたもんだよ」
「僕、その話、聞いた事ない」
叱られるとばかり思っていたのに、意外な母の姿を知る事ができて、リュカは嬉しくなった。
「他にも、ある?」
「……あるさ、オリヴィアは、それはそれは、すごい子だったんだから」
マーゴ叔母さんの顔が、一気に萎れていく。
その顔を見て、リュカは、また余計な事を聞いてしまったと、後悔した。
「……ごめんなさい。余計なこと、聞いちゃって」
「叔母さんに聞くのはいいよ。でも、アシル……お父さんに、聞くのはやめなさい」
「……お父さんは、今日も?」
マーゴ叔母さんは、黙って首を横に振る。
「リュカ。時間がかかる事なんだよ。今は、そっとしておいてやろう。……さ、晩御飯だ。今日は、ラタトゥイユにしたよ。荷物を部屋に置いて、手を洗っておいで」
リュカは強く縦に頷くと、急いで自分の部屋へ走る。
途中、通りかかった両親の寝室を覗くと、父は今日も項垂れて、何も刺さっていない花瓶を見つめていた。
リュカはそんな父の背を見つめて、ギュッと拳を握り込む。
やっぱり、お母さんが居ないと、この家は元に戻らないんだ。
リュカはそっとその場を離れると、自分の部屋にこっそり入れた物を全部ベッドの下へ隠してから、晩御飯を食べに向かった。
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鍵を締め切って、閉店した店の奥。
アトリエでマノンは、錬成機ではなく、データベースの入っているパソコンのモニターの前に座っている。
『"トリックスター"の研究』
それは研究というよりも、観察日記のようなデータで、一番古い記録は、マノンが学舎へ入舎して間もない頃から始まっている。
"トリックスター"とは、マノンが勝手に親友だった存在の少女に付けていた呼称だった。
まるで、物語のトリックスターの様に。
彼女は、魔術の根底にある神秘の力の秩序を破るようにして、マノンと無理難題だと思われた研究を、実験を、展開させていった。
マノンは記録を読みながら、古い、古い自分の記憶を掘り起こす。
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マノンが学舎へ入舎したのは、7歳の時だった。
マノンの両親は、ごくごく普通の人間で、魔力もなければ、錬金術を志してもいない。科学が生み出した文明の利器を使って生活する。そんな、普通の人たちだった。
けれど、その両親から生まれたマノンは、新生児用の魔力計が振り切れるほどの膨大な魔力を持ち、4歳の頃には読み書きも計算も出来て、家にある機械たちを分解しては、その詳細を書き留める。やけに優秀な子どもだった。
幼稚園までは、ちょっと変わった子どもだったマノンも、小学校へ上がればその優秀さが、他の子ども達よりも際立って見える事になる。
明らかに周りよりも優秀な成績を収めて行き、履修速度の先を行く理解力。膨大な魔力を持ちながらも、それを暴走させないだけの精神力。教師が答えられない質問ばかりをする子ども。
正直、学校側からすれば、マノンは手に負えない生徒だった。
だから、学舎を紹介された。
学校の授業に飽きていたマノンは、学校よりも絶対に面白いと言う大人たちの言葉を信じて、学舎へ入った。
そして、出会ったのが"トリックスター"。
ミアだった。
年頃が近いこともあって、ミアはいつもマノンに付いてくる。
一見、学校に居た子どもたちと変わらないその言動に、マノンは正直がっかりしたものだった。
結局、名前が違うだけで、集まる子どものレベルは変わらない。
ミアがそれを覆したのは、初めての実習の時だった。
『水の中に、火を灯せ』
そんな課題が出された。
マノンはその言葉通りに、術式を作ろうとして、何度も失敗した。
何回目かの失敗の時に、それを見ていたミアが、クスリと笑った。
「マノンの魔術式は真っ直ぐ過ぎるよ。それじゃあ、いつまで経っても課題はクリアできないよ」
「ならアンタなら出来るって言うのか!?」
「出来るよ」
「嘘つくなよ」
「嘘じゃないもん!見ててよ!」
ミアはそう言うと、マノンの書いた術式の上から、複雑でデタラメなような式を上書きしていった。
「これで、出来たら、わたしの事はちゃんと、"ミア"って呼んでよ?」
「ハンッ!出来たら呼んでやるよ。好きなだけな」
「へぇ、じゃあ、好きなだけ呼んでもらうよっと!」
ミアは出来上がった術式に魔力を流して発動させて見せると、浮かび上がる水球の中で、煌々と燃える炎が灯って居た。
マノンはその光景に空いた口が塞がらなかった。
「一体、どうやって……?」
「水の"中"で、火が灯っていればいいんだから、水そのものの中に火を灯さなくてもいいんだよ。あの丸い水の中を空洞になるように指定したの。あとは、その空洞に火が灯るようにするだけ。ね、簡単でしょ?」
「……馬鹿げてる」
「馬鹿じゃないもん。賢いやり方よ」
ミアはいたずらっ子のように笑っていた。
「正直に真正面からぶつかる方が、魔術式は綺麗だし、正確だって言う人も居るかも知れない。だけど、別にそうじゃないとダメな訳じゃない。真っ直ぐがダメなら、まわり道を探すの。曲がりくねって、くねって、魔術を騙してやるの。そしたら、ほらね、成功したでしょ?」
「……アンタ、めちゃくちゃだな」
「アンタじゃないよ。ミ・ア。ミアよ。好きなだけ呼んでくれるんでしょう?」
意地が悪そうで、それでも花のように可憐で愛らしい笑顔が、マノンを見ていた。
「……わかったよ。ミア」
その日からミアはマノンの親友だった。
その日から、マノンはミアの起こす"トリックスター"的な魔術を観察してまとめて行っていた。
ミアの考え方は、マノンにはない考え方ばかりだった。
その中の一つが、『万病に効く薬草を生み出したい』研究から生まれた、"花言葉の花"だった。
マノンは、その時も馬鹿正直に、とにかく全ての薬効を持った薬草を生み出そうとしていた。
組み込む遺伝子は数えきれない程になり、それぞれの効能を邪魔しないように作用させる魔術式は膨大な量になり、錬成機は巨大化していた。
研究で日に日にやつれていくマノンに、食堂の豆のスープを持ってきたミアは、とある提案をした。
「"花言葉"ってあるじゃない?」
「……それがどうした」
「あれって、人が勝手に、花に意味を持たせるためにつけた言葉なんだって」
「……だから?」
「魔術の詠唱もさ、同じだと思わない?」
マノンが、スープを吸ったバゲットを噛むのに忙しくしている間に、ミアは研究のまわり道をマノンへ語る。
「詠唱って、人が魔力を詠唱っていう式に当てはめて、魔術を使いやすくするためものでしょう?この時大切なのは、魔力よりも、詠唱っていう使いやすい形を統一する事で、魔術を使いやすくするところだと思うの。だからね、その詠唱の部分を"花言葉"にして、"花言葉"っていう式に当てはめて、魔術を通した花を作れば……」
「……万病に効く薬草も、作れなくない?」
ミアのイタズラっぽい顔が、満開になる。
「これなら、魔術も騙せるでしょ?」
❀・❁・❀・❁・❀・❁・❀・❁・❀・❁・❀・❁・❀
あれから、6年経ったのか。
マノンは、モニターから目線を外す。
"花言葉の花"を生み出す研究は、結果的に大成功を収めた。
禁忌や、反意に触れない限り、"花言葉の花"は、組み込んだ"花言葉"の式通りに開花する。
けれど、その研究を、マノンは学舎で発表する事も、残す事もしなかった。
何故なら、学舎という組織のせいで、マノンは親友を失う事になったからだ。
マノンは、開いた"トリックスター"のファイルを閉じると、またデータベースの奥に眠らせた。
「……今日はもう、仕事になんねぇな」
マノンは、店の2階にある自宅へと引き上げて、硬くなったパンを、レトルトのスープでふやかして食べた。
あの日の味は、もう、何処にも存在しない事を噛み締めながら。