3.発芽
"永遠の愛を誓う"の花の錬成が終わったのは、あの日リュカという少年と、口封じのために配達員のヴァンを含めた魔術契約を結んでから結局、5日後のことだった。
エラーの吐き出される回数が多過ぎて、納期を伸ばしてもらうより他なかったからだ。
客の男は約束と違うと怒り狂って怒鳴り散らしながら電話に出たが、出来ていない物はどうしようもないので、ラッピングのサービスを追加する事で、納得させた。
そうして、ようやく出来上がった種は、ゴロリと大きく、歪な形をしている。
まるで、なりたい形になる事ができなかったかのように、捻れて、歪んで、種皮は尖っていた。
マノンはそれを大きさに合う脱脂綿を敷き詰めた箱に入れると、生育補助が付与された植木鉢と肥料が混ざった土も一緒にして、ギフト用の箱にセッティングして、ラッピングする。
ラッピングの指定も、けばけばしいハート柄のホログラム加工がされた赤い包装紙に、金色のハート柄が入ったピンクのリボン、極め付けにはハート型のメッセージカードまで添える。
メッセージは男がわざわざメールで送ってきた文章を、カードの大きさに合わせて印字しなければならなかった。
「……割に合わねぇ、仕事だよ。全く」
植木鉢に合わせたギフト用の箱は一抱え程もある。
箱を抱えてアトリエから店の方へ出ると、ここ最近よく見る光景に出くわす。
「お前、今日も来たのか」
「はい。あの、新聞配達のお手伝いを、やっているので、この辺りも、配達範囲だから……」
「昨日も聞いた」
マノンは会計カウンター上に、ラッピングした箱を置く。
「……すごく、大きな箱ですね」
「どうせ、今日も一日中ここにいるんだろ。ヴァンが来たらこの箱、持っていくように言っとけ。お前は触るなよ。中身は割れ物も含むからな。アタシは他の仕事を片付けにアトリエにいる」
「はい。あの、またお客さんが来たら……」
「アタシが気がつかなかった時だけ呼べ。それ以外の時は、絶対にアトリエへ入るな」
マノンはそれだけ言うと、アトリエへ引っ込んで行った。
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リュカが注文した"お母さんを生き返らせて欲しい"花は、リュカの全財産だという貯金箱の中身、歯の妖精のコインを持ってしても、全料金の5分の1にも満たなかった。
リュカは残りの足りない料金を、新聞配達のアルバイトや、近所の犬の散歩、そして、この花屋での店番などで、補う事にした。
リュカとしても、いつ出来上がるかわからない花の種を待つのに、花屋で店番ができるのは渡に船のようなものだった。
それに、時折作業に集中し過ぎているマノンを呼びに、アトリエへ入る事ができるのも、リュカの楽しみだった。
アトリエでずっと動いている錬成機は、リュカの持っている図鑑や、教科書にも載っていない、見た事のない物で、マノンに叩き出される直前まで、リュカは錬成機を目に焼き付けては、出るを繰り返していた。
花屋の店番として、ただ会計カウンターに座っているだけでは落ち着かないリュカは、花が入っているバケツの水を変えたり、鉢植えに咲いている花に水をやったりもしている。
やっておくと、マノンは店番のお駄賃を少しばかり増やして、足りない料金に当ててくれる。
マノンとしては、リュカにさっさと支払いを終えさせて、店、特にアトリエに出入りするのをやめて欲しいというのが本音だが、リュカはそれに気が付いていない。
今日も、店の花が入っているバケツの水を全て変えて、鉢植えの土が乾いていれば水をやる。唯一水をやらないのは、"花言葉の花"が生えている鉢植え達だけだ。
"花言葉の花"は、"花言葉"を込めた人間が水をやらなければ、枯れてしまうか、変質してしまう。
それだけは触るなとマノンにキツく言われているリュカが"花言葉の花"に出来ることは、話しかけることくらいだ。
『花は話しかけてやればよく育つ』と、本で読んだからだ。
リュカは、"リラックス"の花を目の前に置いて、話しかける。
「"リラックス"のお花さん。“リラックス"って言う言葉の通り、お花さんはとても落ち着く匂いがするね。僕はね、朝のカフェオレボウルからするあったかい牛乳の匂いが好き。それとね……お母さんがよく作ってくれた、ビスケットの焼ける匂いも好き。お花さんも、誰かに買われたら、その人の好きな香りをたくさんさせてあげられるといいね」
"リラックス"の花を戻すと、次は"小さな幸せ"の花。"怒りを抑える"花。"悲しみを癒す"花。
……。
…………。
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お昼頃になると、必ず魔導バイクの近づいてくる音が聞こえてくる。
配達員のヴァンが、集荷にやって来たからだ。
花屋のドアにつけたベルが鳴ると、笑顔の配達員の男が店に入って来る。
「よう、少年。今日もここで手伝いか?」
「こんにちは、ヴァンさん。はい。今日もお手伝いしながら、種が出来るのを待っています。あの、今日は、カウンターの上の箱を持っていって欲しいそうです。えっと、店長さん、割れ物だって言ってました」
「了解。了解。……しっかし、趣味の悪いラッピングだなぁ」
「客の注文だ。アタシの趣味じゃない」
ベルの音に気が付いたマノンは、アトリエから他にも今日発送して欲しい種の入った箱や封筒を持って出てきた。
「ヴァン、どうせ今日もここで飯食ってから局に戻るんだろ?サンドイッチはトマト抜き、カフェ・オ・レは砂糖なし。……それと、そこのガキの飯もついでに買ってこい」
マノンはレジから紙幣を数枚取り出して、ヴァンに手渡すと、店の看板をひっくり返して閉店へ変えると、すぐにアトリエへ引き返した。
ヴァンはそんなマノンをため息を吐いて見送る。
「やれやれ、まーた、根詰めてやってるな」
「……あの、それって、僕のせい、ですか?」
リュカは心配そうな顔で、マノン消えて行った扉を見つめる。
ヴァンは、そんな少年の頭を少し乱暴に撫で回す。
「大丈夫、大丈夫!マノンちゃんが根詰めて作業するのは、学生の時から変わんないから!まぁでも、気遣ってやりたいなら、サンドイッチだけじゃなくて、豆のスープも買って行ってやろう。マノンの好物だから」
ヴァンはリュカの背を押しながら、昼食を買いに出た。
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もはや接客スペースで、ヴァンを含め、リュカともランチを取るのが当たり前になりつつある状況に、マノンはため息を吐く。
さっさと種を錬成して、この少年とおさらばしたい。
だが、そんなマノンの思いも虚しく。リュカの注文した種は、全く成功しない。
花の設計はすんなりと終わった。
だが、やはり"お母さんを生き返らせて欲しい"と言う"花言葉"を組み込む魔術式が上手くいかない。
死者を生き返らせる。
それは魔術でも、錬金術でも、医学でもなし得ないこと。
禁忌とされるそれが、何故禁忌となったのか。
もちろん倫理観の問題もある。弔った死者を呼び起こすだなんて、死者への冒涜とも受け取られる。
けれど、何よりの問題は、その術を追い求めるがあまりに、それ以外に手を付けられなくなって、最終的に追い求めた者が、時に自死を選び、時に発狂をするところにある。
それほどまでに、死者を蘇らせる事は難しい術なのだ。
それを、"お母さんを生き返らせて欲しい"という言葉だけで成そうとしている。
マノンはよく、自分の正気が失われないものだと、思いながら豆のスープを口に入れる。
「……これ、どこのスープだ」
「お、気に入った?ピエールのパン屋よりも先の通りにある定食屋のやつなんだけど、俺が食べて来た中で一番、学舎の食堂のやつに近いと思うんだ」
"学舎"、という言葉に一瞬、マノンの手が止まるが、すぐに手を動かしてもう一口食べる。
「……学舎の婆さんのスープの方が、美味い。塩味が足りない」
「そうかー?俺、婆さんのは、塩辛過ぎると思うんだけど」
「ヴァンは、スープそのまま食ってたからだろ。バゲット突っ込めば丁度良くなったんだよ、あれは」
「え、そんな裏技あったの?なんで在学中に教えてくれなかったんだよ」
「アタシとミアが言う前に、ヴァンがスープもバゲットも、腹の中に納めちまってたからだよ」
今度は"ミア"の名前を聞いたヴァンの手が止まる。口へ運ぶはずだったサンドイッチが、ゆっくりとテーブルへ戻る。
思いがけない沈黙に、リュカは口一杯に頬張っていたサンドイッチを飲み込むと、聞いた事のない単語について、質問する。
「あ、あの、"学舎"ってなんですか?学校とは、違うんですか?」
「……あぁ、少年は学校に通っているのか。学舎ってのは、学校みたいな、家みたいなところ、かね?」
ヴァンの曖昧な答えに、リュカは思わず首を傾げる。マノンは仕方なく、リュカの質問に答えてやる。
「学舎ってのは、国が作った実験場だ。優秀そうな子どもを集めて、そこで共同生活させながら、魔術、錬金術、科学。全てを学ばせて、ゆくゆくは研究と実験を繰り返させて、国や世界の発展を促す技術を強制的に生み出させる。逆に役に立たない奴は、膿のように切り捨てられる。……クソみたいなところだ」
「……マノン、言い方が悪い」
「事実だろ」
マノンはサンドイッチの残りを一気に口へ入れると、カフェ・オ・レでそれを流し込んだ。
「アタシはアトリエに戻る。パン屑、掃除しておけよ」
マノンは、またアトリエへと引っ込んで行った。
リュカは、その後ろ姿を目で追ってから、目の前に座るヴァンの顔を見る。
いつもの調子の良い、笑顔が咲いているような男の顔が、まるで萎んだ花のように、沈んでいた。
「……あの、ヴァンさん。僕、余計な事、聞いちゃいましたよね」
余計な事を聞くな。
リュカが何度も、何度も、大人たちから言われているのに、直せない癖。
その悪い癖が、またここで出てしまった。
リュカは、目の前の大人が怒る前に、口を開く。
「……ごめんなさい。……本当に、余計なこと、聞いて。ごめんなさい」
ヴァンは目の前の震えている少年の頭を、やはり少し乱暴に撫で回す。
その顔は、先程までの萎んだ顔とは打って変わって、いつもの晴々しい笑顔だった。
「余計なことなんかじゃないさ。少年は、何かわからない事だから聞いたんだろう?それは、とてもいい事だ。俺は学舎で、そう育てられた」
「でも、店長さん、すごく機嫌が悪そうで、ヴァンさんも……」
「マノンの顔が機嫌悪そうなのは、いつものことだろ?あいつは、学生の時から……学舎で会った時から、いっつも不機嫌な顔だったよ。俺と会う時は特にな」
ヴァンは今でも覚えている。
マノンと初めて会った日は、ヴァンが初めて学舎へ足を踏み入れた日の事だ。
地元の少し年上の先輩と悪さをして、免許もないのに魔導バイクを走らせて、近所を駆け回っていた悪童。
それがヴァンだった。
風の魔力が強いヴァンに目をつけたのか。
それとも、本当に子どもを導くためだけだったのか。
学舎で教師をしていると言った恩師は、12の悪童だったヴァンを、学舎へ招き入れた。
『ここでなら、好きなだけ魔道バイクをいじっていいし、走らせても構わないよ。その代わり、同じ研究室の子たちとは仲良くするんだよ』
そう言って恩師がヴァンへ引き合わせたのが、当時から仏頂面でいつも不機嫌そうな顔をしたマノンと、満開の花のように笑顔を咲かせた愛らしい少女、ミアだった。
「……俺は、マノンちゃんたちみたいに優秀な子どもじゃなかったから、基礎修学と魔導機械工学をちょっとかじっただけで、学舎を出なきゃならなかった。それでも、魔導バイクの免許を取るまで待ってもらえただけ、ありがたいけどな」
おそらくは、恩師の計らいだったに違いない。
学舎は、国が、国の金で動かしている魔術師、錬金術師、科学者の養成機関。出来の悪い子どもにかける国費はないと言うのが、無慈悲ながらも、現実だ。
成績が振るわなければ、強制退舎。
学舎を家として暮らす誰もが恐れた不変のルール。
「ま、学舎出たおかげで、食いっぱぐれる事もなく、こうして好きなだけ魔導バイクに乗る仕事に就けて居るんだから、儲けもんだよな」
ヴァンは食べかけのサンドイッチを再び口に運んで片付ける。
ヴァンが食べ終わらせるのを見て、リュカも急いで口にサンドイッチを詰め込むと、テーブルの上のパン屑を綺麗にするために、布巾を取りに駆ける。
ヴァンはパン屑が一つも残っていない事を確認してから、会計カウンターに積み上げられた荷物を持って、店を出る。
魔導バイクに、軽く魔力を流してやれば、すぐに宙に浮く相棒を、軽く撫でる。
「……さて、午後も一丁やりますか」
まずは集荷した荷物がすぐに相手に届くように、ヴァンは配達局を目指した。
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エラーの吐き出されたモニターと睨めっこをしているマノンは、霞んできた視界をギュッと閉じては開いてを繰り返していた。
アプローチを変えても。
組み込み箇所を変えても。
設定を大きく変更しても。
何度やっても。
何度やっても。
何度やっても。
錬成機は"お母さんを生き返らせて欲しい"という"花言葉"を読み込んでくれない。
出されるエラーは、"不可能な式です"ただ一つ。
「……そんなの、わかってるってーの」
"花言葉の花"は、万能の願望機ではない。
錬成する機械は、基本的に既存の魔術式と、登録されたゲノム式を"可能な式"として判別し、種の錬成を行う。
禁忌である、死者を蘇らせる"花言葉"を魔術式として組み込んだなら、"不可能な式"としてエラーが吐き出されるのは当然だ。
それでも、"お母さんを生き返らせて欲しい"花の種の錬成をやめる訳にはいかない。
魔術契約が、マノン達を縛り付けているからだ。
リュカには、口止めと商品受取人としての縛りが、
ヴァンには、口止めと見届け人としての縛りが、
マノンには、製造者としての縛りが、
それぞれに付いている。
誰か一人でもそれを破れば、魔術の縛りはたちまち、契約者たちを文字通り縛り上げる。
親指一本だけでなく、身体を。
良くて骨折。
最悪は、死。
「……アホらしい」
死者を蘇らせるつもりで、自分たちが死んでは、元も子もない。
マノンは、エラーの出ているモニターから一度目を離して、データベースを格納しているパソコンの前に座る。
別のやり方を探るためだ。
マノンのデータベースは、マノンが学舎へ迎え入れられた7歳の頃から積み上げて来たありとあらゆるデータが保存されている。
初歩の魔術式の構築方法。
古い錬成器の扱い方。
化学反応式の一覧。
マノンの全てがここに保存されていると言っても、過言ではない。
マノンはデータベースの検索バーへ入れる単語を考える。
"不可能"
"禁忌"
"死"
"生"
……。
…………。
思いつくままに、とにかく複数条件ヒットででるように、検索でワードを打ち込み、エンターキーを押す。
そうして、一番頭に出てきたデータは、さほど古いものではなかった。
「『"トリックスター"の研究』……」
『マノンは頭が硬いんだよ。だから、式が真っ直ぐで、魔術も真っ直ぐになっちゃう。そうじゃなくてね、もっと大回りしてでも、たどり着く方法を試すの。大回りして、魔術を騙すのよ』
「……ミア」
ちょっと意地が悪そうにニヤリと、けれども花のように可憐に笑う、学舎で一緒に暮らしていた親友だった存在の名前を、マノンは思い出した。