2.水やり
アトリエでは、種を錬成する機械が3台。フル稼働で動いている。
マノンは老夫婦の注文した"これからも一緒に"の花を錬成中の機械の調子を見る。
老夫婦はフジの花をベースに、茎や葉がつる植物のように垂れ下がるように設計した。あくまで、自然のままの花がいいと言う老夫人の意見があったためだ。
おかげで、設計後のバグも少なく、魔術式の追加も早めに終わった。種の錬成まで、あと2時間ほどだろう。
生育も、夫人の方がどうやら魔術師だったようなので、成長促進補助が付与された鉢植えや土もいらないとの事だった。そのくらい自前で出来てしまうのだろう。
「……栄養剤の一つくらいは、おまけしておこう」
マノンは老夫婦への発送用の箱へ、花の生育を多少なりとも促してくれる3本パックの栄養剤を入れておく。
機械から、エラーの吐き出されたブザーがなる。やはり、音の元はあの若いカップルの注文してきた"永遠の愛を誓う"の花だ。
バラとアネモネ。系統の違う花をミックスして、その上、葉のベースも別の植物だ。これだけでも難易度が高いのに、花弁はグラデーション。花粉と棘を取り除くようにする仕様。
エラーが吐き出されない方がおかしいだろう。
吐き出されたエラーを一つずつ検証しては、変更、削除、追加、実行を繰り返す。
「……チッ!クソ面倒臭ぇ。倍額にしてやれば良かった」
倍額にすれば男は断っただろう。
もし断られなくとも、それだけの金額が掛けられていれば、マノンだって嫌々でも、錬成に集中出来ただろう。
"永遠の愛を誓う"の花のエラーをまっさらにして、再度全体の構築と実行を行う。
またこの花のエラーが出る前に、お得意様の"安眠"の花の種を錬成する。何度も注文されていて、仕様変更などもないので、前回に使用したコードをそのままコピーして貼りつけて、実行する。
数は半ダース。そこだけ間違えなければ、問題ない。これも2時間で錬成は終わるだろう。
またエラーアラート。今度は老夫婦の注文の方だが、さほど複雑ではないので、修正を加えて実行する。
エラーアラート。やはり、あのカップルの種だ。グラデーションの式と棘なし処理の式に問題があるらしい。もう一度、変更を加えて実行する。
……。
…………。
「……の。……あの。……あの!すいません!」
モニターと睨めっこしていたマノンに、声がかけられる。
声の方を見ると、今朝やってきた少年がマノンに声をかけたようだった。
「お前、しつこいな」
「でも、あの……配達屋さんが待っていて……」
「配達屋だぁ?」
マノンは集荷の時間に合うように種を錬成している。なのに、集荷予定の老夫婦の種も、お得意様の種もまだ錬成が終了していない。
おかしいと思い時計を見ると、集荷時間には少し早い時間だった。
「……チッ!ヴァンのやつ、たかりに来やがったな」
マノンはガリガリと頭を掻くと、店の方へ出る支度をする。
少年は、見たことない機械などが珍しいのか、辺りを見渡している。
だが、ここはマノンのアトリエ。
他者には伝えない、マノンの生み出した術式や技術が詰まっている宝物庫だ。たとえ相手が子どもでも、マノンは少年を叩き出す。
「こら、お前もここから出るんだよ。ここはアタシのアトリエだ。一般人立ち入り禁止。とっとと出な!」
少年は名残惜しそうにアトリエを見ていたが、箒を取り出したマノンに叩かれる前に、その部屋を出た。
❀・❁・❀・❁・❀・❁・❀・❁・❀・❁・❀・❁・❀
店の接客スペースに馴染みの集荷担当の男は、我が物顔で座っていた。
マノンはその様子に舌打ちをして、男を睨め付ける。
「ヴァン。うちはカフェじゃねぇ!そのテーブルはうちの接客用のだ。てめぇに飯を奢るためのテーブルじゃねぇんだよ!」
マノンの暴言を、ヴァンはニカニカとしながら受け取る。
「まぁまぁ、そうカッカなさんなって。俺はちょっと配達が早めに終わったから、花を愛でに来ただけさ」
「花を愛でに来ただと?ハンッ!馬鹿言ってんじゃないよ。こんな子どもまで使って、アトリエに入り込ませておいて」
「俺が行けって言ったんじゃないさ。その子が気を遣って、お前を呼びに行ったんだ」
ヴァンはのらりくらりとマノンの怒りの矛先を躱していく。
次第にマノンもヴァンに向かって怒ることが面倒になって、ガリガリと頭を掻くと、店の表にかけた看板を閉店へ変える。
「集荷予定時間まで、錬成は終わらない。飯をここで食いたいなら自分で買いに行け」
「えーマノンちゃんの手料理とかないのー?」
「コーヒーなら出してやるよ。毒薬入りの」
「おぉ、怖っ!いいさ。丁度、ピエールのパン屋のサンドイッチが食べたい気分だったのさ。マノンは、いつものクロワッサンサンドでいいか?ハムとチーズの」
「サンドイッチはトマト抜き。それとカフェ・オ・レ。砂糖なし」
どうせ行くのだから、ついでだ。
マノンは遠慮もなく、いつものセットをヴァンに頼んで、再びアトリエへ戻る。
またエラーアラートが鳴っているからだ。
❀・❁・❀・❁・❀・❁・❀・❁・❀・❁・❀・❁・❀
吐き出されたエラーを解消して、再び実行する頃には、老夫婦の注文した種と、"安眠"の花の種は錬成が完了していた。
フジの花をベースにした老夫婦の種は豆のような形をしている。
その豆のような種を、脱脂綿を入れた瓶へ入れて、コルクで蓋をする。サービスでピンクのリボンを結べば、ラッピングは完成だ。
マノンはそれを緩衝材を敷き詰めた箱の中へ入れて、封をする。
これで、結婚50年の記念に相応しい贈り物は出来上がった。
"安眠"の花の種は、周りにふわふわと綿のようなものが元から付いているので、過度な梱包は必要ない。種が自身を守る。
半ダースの種を一つずつ小袋へ入れて、ホチキスで留めて、『いつもご利用ありがとうございます。』のメッセージカードを1枚と一緒に封筒に入れて、封をする。
今日の発送準備はこれで整った。
マノンは箱と封筒を持って、アトリエから店の方へ出ると、目の前の光景に思わず顔を歪めた。
「……ヴァン。何をしている」
「何って、マノンの許可が出たから、ここでランチだけど?」
「そうじゃない。なんで、その子どもも一緒に食べているんだ」
少年は気まずそうに、それでももぐもぐと動かす口は止めずにマノンから目を逸らした。
「だって、可哀想だろう?俺たち大人がランチしているのに、子どもは一人食わずに、指咥えて見てなきゃならないなんて」
「そもそも、こいつにはとっとと帰れって言ってあるんだ。なのに、なんでまだ店にいて、その上、サンドイッチまで食ってるんだ」
「お客なんじゃないの?」
「断じて違う!こいつの注文は、注文にすらなんねぇ。母親を生き返らせろだ?そんな事が簡単に出来たら、今頃この世は人で溢れかえってるし、仮にできても、禁忌を犯して監獄行きだ。冗談じゃない」
マノンは、自分の分のサンドイッチとカフェ・オ・レを取ると、会計カウンターにある椅子に音を立てて座る。
「……でも、ここならどんな花も作れるって、聞いてきたんです。奇跡を起こす花を作れるって」
少年は相変わらず、気の弱そうな小さな声で話す。
「ネクロマンサーの知り合いがいる叔母さんも、ホムンクルスを作れる錬金術師の知り合いがいる叔父さんも、魔術だけや、錬金術だけなら無理でも、全部が集うここの花なら奇跡を起こせるって……」
「まぁ、たしかに。"花言葉の花"は一種の奇跡を起こす代物に見えるよな。魔術に錬金術、その上科学だろ?3つの力全部使ってるんだから」
そもそも3つの力、全てが集っている術具という時点で、とても珍しい物なのだ。
ただの花の種。ちょっとした願いを叶える程度の能力しかないと、"思わせている"から、"花言葉の花"の種は、3等級の契約書さえ交わせば、誰にでも販売できる商品。
それをわざわざ覆すような馬鹿な真似を、マノンがするわけがなかった。
「そもそも、うちの花で奇跡なんて、起きちゃいないんだよ。……ただ、人の想いに反応して育って、ちょっとした魔法効力を発揮するだけ。ヴァンはよく知ってるだろ?散々、アホみたいな"花言葉"で種を作らせて」
「アホみたいなとは、失礼だな!ボーナスを注ぎ込んで、作ってもらった、大事な俺の想いだぜ?」
「結果的にそれで、ボーナスが全部消し飛んでちゃ、どうしようもねぇだろ」
「あの……ちなみに、配達屋さんは、どんな花をお願いしたんですか?」
遠慮がちに聞く少年に、気を良くした配達員の男は胸を張って答えてやる。
「まず1つは、"金持ちになりたい"だろう?で、2つ目は、"女にモテたい"。3つ目は……あれ、何だったっけ?」
「"美味いサンドイッチが食いたい"だろ。自分で大事とか言っておきながら、忘れてるんじゃねぇよ」
「その、お願い。全部叶ったんですか?」
少年の希望を打ち砕くために、マノンはヴァンの代わりに答える。
「"金持ちになりたい"花が咲いた日に、こいつは仕事を積み上げられて過労で倒れかけた。金は確かに入ったが、身体を壊し掛けた。"女にモテたい"花が咲いた時、こいつは配達先のばあちゃん達から飴やら、ジュースやらもらって、持ちきれなくなって、配達用魔導バイクがもう少しで故障するところだった」
今でも覚えている。
出来立ての花屋に、魔導バイクで駆けて来たこの馬鹿な男の顔を。
3つも願いを書いて、花のデザインはマノンに押し付けて、気前よく料金を払った後は一文なしになったのだ。
そうして受け取った"花言葉の花"たちは、大雑把な願いの"花言葉"を、神秘の力に任せて、ねじ曲がった形で、その望みを叶えたのだ。
"花言葉の花"は、願望を叶える万能器ではない。
「それでも、ちゃんと願いは、叶っては居るんですね。……それに、"美味しいサンドイッチが食べたい"は、大成功したんですね。だって、僕、こんなに美味しいサンドイッチは、食べた事ないから」
少年の言う通り。
"美味いサンドイッチが食いたい"花が咲いた時、ヴァンはピエールのパン屋を見つけた。
結果は、今日もそのパン屋のサンドイッチを食べている。これだけで、十分だろう。
「お願いします。……少しでも、叶うかもしれないなら、僕の願いを込めた花を作ってください」
「嫌だね」
「なら、なら僕は、ここを動きません」
「アァン?何だって?」
マノンの凄む声と睨みにも負けずに、少年は口の端にサンドイッチの欠片をぶら下げていながらも、接客スペースの椅子に深々と座り直して、逆にマノンの目を睨み返す。
「こ、ここは接客するための場所だって、聞こえました。ここに僕が居る限り、花屋さんは僕に接客しないと、次のお客さんが呼べないでしょう?」
「営業妨害で警察呼んでやろうか、このガキ」
「そ、そんなことしたら、僕、僕、嘘つきますよ。花屋さんが僕を脅したんだって。……歯の妖精のコインは、成長を促す作用があるって、本で読みました。花屋さんは、そのコインが欲しくて、僕に貯金箱を持ってくるように言ったんだって、嘘つきます!」
少年の声は、小さい。
だが、意思は堅く大きいようだ。
睨み合う大人と子どもに、ため息を付いたのは、配達屋の男だった。
「マノンちゃん。とりあえず、受けるだけ受けてあげたら?」
「ヴァン。てめぇはどうして、そういつも無責任なことを言う」
「だって、この子のお願いは絶対叶わないんだろ?ならマノンが、花を咲かせることは出来ないだろうなぁって人に、種を売るのと変わりないじゃないか。それに、警察を呼んだとして、この子がたとえ嘘でも、マノンに脅されたって聞いたら、事情聴取に連れていかれて、この子の注文を聞くよりも時間がかかって、仕事に支障が出るよ?どうせ、マノンのことだから、納期ギリギリのやつが1件か2件あるんだろ?いいの、それほっといて」
ヴァンの問いかけに、思わずマノンも押し黙る。
ちゃらんぽらんとしている様に見えて、時々、嫌なくらいに物事の本質を突いてくる。
10年以上の付き合いになるが、本質を突いてくるヴァンに勝てたことは、1度もない。
「注文を受ければ、マノンにとっては売上げになるし、こうやって、受ける受けないで大騒ぎする時間を節約できる。少年は花の種を手に入れて、もしかしたら、が起こるかもしれない。仮に起きたとしても、この店で買った花の種だと言わないように、契約を魔法契約にして縛りを作ればいい」
「こんな小さいガキに、魔法契約まで結べって言うのか?」
「僕、もう10歳です!小さく、ない、です」
少年の声は段々と小さくなっていく。それでも、接客の椅子から離れようとはしない。
気は弱そうな癖に、とんでもなく頑固だ。
マノンはまた頭をガリガリと掻く。
「ダァッ!もう、わかった。注文を受けてやる」
「本当ですか?!」
今日一番大きな声が、少年から出る。
期待に目を輝かせているが、マノンはそんな輝きなど、見えないとばかりに少年に伝える。
「言っておくが、アタシがやるのは種の設計と魔術付与と錬成だけだ。成功するかしないかは、絶対に保証しないし、仮に成功しても、アタシは無関係を貫く。それも契約書に書かせてもらう。当然、代金は貰うし、契約書だけじゃなくて、誓約書も魔法契約で、縛りを作らせてもらう。それでいいなら、注文を受けてやる」
「よろしくお願いします」
少年は、豚の貯金箱を差し出しながらマノンに頼んだ。
❀・❁・❀・❁・❀・❁・❀・❁・❀・❁・❀・❁・❀
少年の頼んだ"お母さんを生き返らせて欲しい"花は、カーネーションをベースに、少年の母親が好きだったと言うナデシコを組み合わせた赤い花になった。
花の設計は複雑ではないが、そこへ付与する"花言葉"を組み込む事が難しい。
客の想いに反応する"花言葉"を魔術式として組み込むとはいえ、死者を生き返らせるだなんて、無理難題、エラーが何度吐き出されるかわからない。
「正直、いつ種が出来るのかすら、予測も出来ねぇ。今日できるかもしれないし、1年経っても無理かもしれねぇ。それでもお前は魔術による縛りが出る契約書にサインして、血判まで押す覚悟はあるのか?」
「……あります」
ここまで来たらもうマノンも納得、と言うより、諦めた。
羊皮紙に、いつもの契約内容に加えて、『今回の注文は他言無用とする。』の言葉を加える。
誓約書にも、『"花言葉の花"の効果があろうと、なかろうと、花屋は一切無関係である事を認める。』と付け加えた。
マノンは契約の内容をきちんと、少年に説明してから、サインをさせる。
少年は拙い筆跡で、リュカと自分の名前を書く。
マノンはサインを確認してから、アルコールで消毒をした針を少年へ差し出す。
「針で指を刺して、親指で血判押しな。自分の名前のところにな」
少年は、少し震える手で針を受け取ると、中指をぷつりと刺して、契約書と誓約書に血判を押す。
マノンも同じように、手持ちのナイフで指を突いて、血判を押す。
「ヴァン。お前もだ。名前書いて、血判押せ」
「何で俺まで」
「ここまで首突っ込んで置いて、無関係とは言わせねぇ。お前にも他言無用を貫いてもらわねぇとな」
マノンは、契約書をヴァンの目の前に突きつける。
ヴァンは仕方なく、サインと血判を押す。
ヴァンの血判が押された瞬間、契約書がスルスルと解けていき、光る鎖へと変わる。鎖はサインをした契約者それぞれの親指に絡まると、より一層強く光を放って、霧散する。
「これで、契約は完了した。もう誰も逃げられねぇからな」
花屋に集まる3人は、誰一人として文句は言わなかった。