殿下! 魔性の悪女になりたいとはどういうことだすか!?
「休みが欲しい……」
自身の執務室で死んだ目をした王太子が呟いた。
やらかした第二王子の後始末に連日追われ、王太子は疲れ果てている。第二王子の後始末だけでなく、王太子としての通常業務の方もあった。どちらかに穴を空けるわけにはいかず、ぎっちぎちに詰まったスケジュールをこなし、王太子は寝る間も惜しんで働いていた。
「休みが欲しい……」
王太子は書類の山に手を伸ばし、一番上の一枚を掴んだ。上から順に目を通していき、途中で不備を見つけて王太子は机に崩れ落ちた。
「休みが欲しい…………」
「おいたわしや……」
王太子の傍らで仕事する従者だけが、王太子の悲痛な声を聞いていた。
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時は流れて王宮の一室にて。
「殿下が休暇をとりたいそうだ」
従者は旧知の仲である文官Aに、王太子の惨状を話していた。王太子同様、連日の激務で文官Aも疲労困憊だ。話の途中から文官Aは眠気に襲われていた。
「私としても殿下に休みを取って頂きたいが……」
文官Aは鳥に襲われる夢を見始めた。従者の話は全く耳に入っていない。
「聞いているのか?」
「…………ああ、聞いてる」
文官Aは聞いていたふりをして、なんとか眠気を振り払い、虚ろな記憶をたどった。きゅうかが何とかと、とりの話……。そうか殿下は九官鳥が欲しいのか、と文官Aは寝ぼけた頭で考えた。完全に従者からの話と夢の内容が混ざっていた。
王太子が動物好きなことは有名だったので、王太子が九官鳥を欲しがっていても、文官Aは変だとは微塵も思わなかった。
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時は流れて王宮の文官部屋にて。
「王太子殿下が九官鳥を欲しがっているらしい」
文官Aは文官Bに九官鳥の手配を頼もうと考えていた。
「九官鳥と何だ?」
「言葉を話せるようになる鳥だと聞いたことがある」
九官鳥の存在を初めて知った文官Bは、感心した声を上げた。
「そんな鳥が世の中にいるのか」
「俺は今第二王子関連の仕事で忙しい。出来ればお前にその手配を頼みたい」
「そんな鳥をすぐに手にいれるのは、かなり難しそうだな。だが珍しい鳥なら、心当たりがあるかもしれないぞ」
王太子は珍しい鳥を欲しがっていることにされた。相変わらずの動物好き王太子としか、文官Bには思われていなかった。
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時は流れて王宮の食堂にて。
「殿下が珍しい鳥を欲しがっているらしいぞ」
軽い世間話のつもりで文官Bは、料理人Aに話を聞かせた。
「ほう」
話を聞いた料理人Aは、文官Bが自分に話すぐらいなのだから、料理の話をされていると考えた。つまり王太子は珍しい鶏料理を食べたがっていると。
王太子の要望に応えて、かつてない鶏料理を提供してみせようではないか。料理人Aのプライドをかけた戦いがここに始まった。
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時は流れて王都の高級料理店にて。
「殿下が珍しい鶏料理を食べたがっておってなあ」
料理人Aはアイデアに煮詰まり、料理人仲間に相談することにした。料理人Aは自身のプライドよりも、王太子のために美味しさを優先したわけだ。
「ふっ、料理界の爆弾魔と呼ばれた俺に相談するとは、お前は見る目があるぜ」
王都内に店を持つ料理人Bは料理人Aの話を聞き、キメ顔で語り出した。料理界の爆弾魔は料理人Bの自称だ。
料理人Aと料理人Bの料理談義は白熱し、様々な新しい料理のアイデアが生まれては消えてを繰り返した。途中から鶏料理の件はどこかに行き、ただの美味しい料理の話題になっていた。鶏は飛べないが、立つ鳥跡を濁さずだ。
料理人Aと料理人Bは古今東西の料理をヒントに試行錯誤を繰り返し、幾つか満足のいく料理が出来上がった。東国に伝わる料理を基に、この国の味覚に合わせたアレンジを加えたものだった。
「これはうまいのう!」
「東国では基になった料理を酒池肉林で出していたと、昔聞いたことがあるぜ。王太子殿下も喜ぶこと間違いなし!」
料理人Aと料理人Bのそんなやり取りを中途半端に聞いた見習い給仕は、王太子が酒池肉林したがっているかと思った。
おっと、ここで話が一気に大きくなった。
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その後聞くに堪えない下世話なやり取りが数度はさまり、『王太子が酒池肉林したいらしい』は『王太子はハーレムを築きたいらしい』に変化した。これを進化とするか退化とするかは、それぞれの判断にお任せしたい。
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時は流れて侯爵家にて。
「我らがお嬢様を婚約者としておきながら、王太子殿下はハーレムを造りたいとほざいているらしいっす」
侯爵家の料理人Cは、行きつけの酒場で得た情報を侍女に話していた。侍女は王太子の婚約者である侯爵令嬢に仕える身の上だ。令嬢が王太子と結婚した後も、一緒に王宮にあがる予定になっている。
料理人Cから話を聞いても、ハーレムが具体的に何をするものか、侍女はいまいちピンと来ていなかった。ただ令嬢にとって良くないものなのは分かる。
ハーレムについて魔性の女がたくさんいる場所ぐらいのイメージしかない中で、侍女は考えた。他の人から知らされる前に、自分が予め令嬢に知らせておくべきではないか。だが王太子がハーレム希望とストレートに伝えるのは、あまりに忍びない。
「殿下は魔性の女たちに憧れているそうでございます」
侍女のふわっとしたイメージを、オブラートに包みに包んだ結果だった。
「なんですって!?」
令嬢は『憧れている』の部分を『そうなりたい』のだと解釈した。令嬢が受けたショックは計り知れなかった。自分の婚約者が魔性の女になりたがっている。令嬢が一人で抱えておくには大きすぎる問題だ。
令嬢は悩んだ末に、父である宰相に相談することにした。宰相に会いに来た令嬢の表情は深刻だ。
「お父様、殿下は魔性の女になりたいらしいですわ」
え、何言ってるのん。混乱をおくびにも出さず、宰相ははっきりと言い切った。
「私に任せておきなさい」
宰相は内心ここ数年で一番混乱していた。混乱が令嬢に悟られないように、宰相はそれ以上何も言わなかった。
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時は流れて王宮の一室にて。
「殿下が魔性の女になりたがっているとは、どういうことだすか!?」
宰相は混乱したせいで訛った。
今この部屋の中には、従者や文官等々王太子に関係ある人員が集められている。宰相の話を聞いた誰もが、ストレスでついに王子ご乱心かと打ち震えた。笑いを堪えているわけではない。
令嬢が宰相に相談してからここまでは、奇跡的にまともに話が伝わっていた。いまさらまともに伝わってももう遅い! なのだが。
王太子がご乱心ならば、自分たちがそれを止めなければならないと、この場に集められた人々は思った。しかしその前に事実確認は行うべきではないだろうか。
「よしお前、殿下の所に行って今すぐ確かめてこい」
「そうだそうだ」
「行ってこい!」
「私が!?」
多数決の原理に従い、従者は王太子に所に行く羽目になった。部屋を叩き出された従者は、重い足取りで王太子の執務室へと向かった。
従者がばっくれたい気持ちを抱えて入った執務室では、今日も王太子が書類の山と格闘していた。目の下の酷い隈が王太子の痛々しさを、より一層際立てている。第二王子のやらかしの後始末が落ち着いたと思いきや、続けて第三王子がやらかしたので、王太子に気が休まる時は全く無かった。
ええいままよ。従者は勢いに任せて王太子に尋ねた。
「殿下! 魔性の悪女になりたいとはどういうことだすか!?」
悪はいらなかったと、従者は言ってから思った。あと宰相につられて訛った。
「誰が!? そんなことを言った!?」
こうして王太子の心労が、また一つ増えたのだった。
話は変わるが、後日王太子は隣国からペンギンを贈られたり、いつもに増して美味しい食事を提供されたり、令嬢からちょっとしたサービスをしてもらったりした。最終的に王太子はとりあえず元気になった。
またこの一連の流れの真相が、後に解明されたかどうかは定かではない。