好きな人
恋愛に作用反作用の法則が適応されるだろうか。僕が発する好きという力。それに彼女は同じだけの力を返してくれるか。
右二つ前の席にいる彼女を眺める。この席配置はまさに僕たちの関係そのものなのかもしれない。
授業を受けていると自然と彼女に目が移る。その視線に当の彼女は全く気付かない。無意識のうちに彼女を気にする僕とその僕が意識の中に入らない彼女。そんな関係はある意味、心地良いものだが如何せん刺激がない。
片耳を三十路の先生の声に向け、もう片耳でグラウンドの生徒の声を聞く。実際は逆ではないといけないはずだが、この季節の南中高度が、太陽に頑丈な天井をかいくぐり僕たちの席一列分の体を温めて眠気に落としてしまう力を与えてしまう。
まさにこの教室と一緒だ。彼女が僕の彼女でいるということへの喜びは確かにあるけども、それ以降の発展がない。たとえ38度のぬるま湯でも長く入っていれば皮膚はふやけてしまうのだ。
手で枕を作り、机に突っ伏して考えることに決めた。教科書のページにはパステルカラーで書かれた少女が写っている。
(しばらくはこの顔を見ることになるな)
そんなことを考えながらそのページの上に腕を置き、窓の方を向いて机に伏した。シシシという教科書の悲鳴とも言えない音が聞こえる。きっと僕たちの関節が鳴る音と一緒なんだろう、そう思えば罪悪感も薄れていく。
一息ついて思い出す。かつての自称恋愛マスターの彼曰く、
「恋愛はバランスを考えて接しな。」
そんなことを言われたが抽象的過ぎて正直ぴんと来ていない。そういった顔をしていたのだろう、押せばいいというものでもない。ということを念押ししていた。
つまり、僕が押せば押すほど、相手は押す力が弱くなるらしい。それが成立しないのは「ラブラブカップル」と呼ばれるものだけだと。基本、反比例の比例定数は変わらない。
なるほど。確かに彼女と僕ではラブラブカップルを理想とするのは難しい。とすれば、僕の彼女に対する姿勢を改めるべきなのか。つまり僕の中にある彼女への好意を露わにしないようにしなければならない。
(いや、無理だ!)
結局、一人では冷静に考えられても、彼女の顔を見ただけで赤面してしまうような奴が好きという感情を見せないようにできるわけがない。残念ながら僕は彼女にべったり惚れているのだ。
では、一体僕は彼女の何に惚れているのだろう。大人しい性格、穏やかな声色、努力している姿、少し幼いとも見える容姿だろうか。綺麗な黒髪もくりっとした目元も整った鼻立ちもつやのある唇も美しいと思っている。だが、それらは格別に僕のタイプというわけではなかったはずだ。少なくとも彼女と出会う前は。今までボーイッシュな先輩にもリーダシップがある委員長にも素敵な魅力を感じていた。
パステルカラーで塗られた少女に目を向ける。彼女も物語の中での生き方にも魅力を感じる。だがどうして、これほど彼女のことを想って悩んでいるのだろう。
頭の中がぐるぐると回っている。頭を上げて教室を眺めると、先生が黒板に何か書いていた。それを板書しているのが半分。残り半分は陽だまりの魔法にかけられまぶたが落ちていた。
彼女は凛として椅子に座り、先生の話を聞いていた。その黒髪を後ろで束ね、細く伸びる腕で白いシャープペンシルを使っているのが分かる。
あぁ、綺麗だ。
顔が赤くなっていくのに気づき、恥ずかしさのあまり顔を腕にうずめる。青緑を足せば僕の顔はきっと彼女のような真っ白な肌になるだろう。まぁ白くなるのは光の場合だが。そんな馬鹿なことを考えられるくらいには頭がやられているようだ。
恋は太陽だ。君のことを考えれば考えるほど心が熱くなる。
こんなことを長々と考えても結局、好きなところがあるから惚れたのではなく、惚れたから全部好きなのだということには最初から分かっている。本格的に眠気に抗えなくなりこの言葉を最後に締めよう。
「ほんとに惚れるが負けだよな」
そう思って僕は眠りに落ちたのだ。
人生初めての彼氏ができました。
周りの人が眠りにつく中、私は背筋を伸ばし、顔を上にあげている。後ろの君が気になるから。
私はこの席が嫌い。もし君と私の席が逆だったら、私はきっと君のことをずっと見ていられるのに。君が見てるかもしれないと考えるといつだって気が抜けません。てことは嫌いというよりかは不公平?って感じ。
特にこの授業はみんな寝ちゃうから私の姿が見えやすいので恥ずかしい。後ろの人に眠らないように願っても大抵寝てしまうからこうして気を張っている。
この頃、先生の声を聞いているふりをして教室の後ろの音に注意を向けている。
放課後、私といるときの君はどこかぎこちなくて、あまり顔を見えてくれません。でもその頬が赤く染まっているのを見て私も緊張して何も言えなくなる。でも夕日のせいにするには西の空はもう暗いからきっと君は私と同じ気持ちだったのだと思う。
あの時、黙って握ったその手が少し湿っていたのはポケットにこもった熱なのか、君か私の緊張していた汗なのか気になって寝不足になった。
「惚れるが負けだよな」
そんなことを考えていると小さな声でそんな声が聞こえてくる。間違いなく君の声。刹那、心臓が跳ね上がる。血が全身を回る感覚。緊張で何も考えられなくなる。思考がぶつ切りになる。いつもの悪い癖。君の声を聞くと考えが止まってしまう。
体感温度31度。恋の温度。あの時の汗は私だったかもしれない。
私は君が好き。告白されて付き合って何かあったわけじゃない。一緒に帰って、休日に遊んで、みんなにばれないように隠れて付き合っていることに新鮮な喜びと少しのスリルを感じている。それが吊り橋効果じゃないことを証明できるかといわれると不安になる。
私は君が好き、彼氏だから好きなのかと言われればそんなことないと即答できるけど、でもそれに対して不安を抱かないほど確信しているわけではない。
今私が怖いのは他の男の人にもこんな感情を抱く可能性があったかもしれないということ。彼氏という存在が好きなだけという可能性を拭えないことが恐ろしい。
恋は北風だと思う。好きな気持ちが募るほど、冷たい風が吹く。本当の恋なのかと。
それを見ないふりして私は信じる。初めて恋した君への気持ちが偽りではないということを。
この授業も残り五分を切った。私の左手は黒板をちゃんと板書している。見れば小説のオレンジの少女は自分に嘘をつかずに生きていた。自分の心に嘘をつかずに。たとえそれがどんな結末を招いたとしても。
顔の火照りは収まった。次の席替えでは彼の後ろになってほしい。横だと君と目が合いそうだから。
秒針は回る。放課後までの残りの授業を果たして集中できるだろうか。
そんな悩みをかき消すようにチャイムは教室に響き渡った。