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第四話 懐かしい声といつもの鍛練。そして不意の遭遇

 春人が第七男子寮についた頃には、あたりは夕陽に染まっていた。

 エントランスの受付でIDカードを受け取りごく普通のマンションタイプの男子寮に入っていく。


「えーと、八一五号室だったけ」


 しっかりと場所を案内図で確認して自分の部屋に向かう。

 とうが分かれているとはいえ、共有階には中等部の生徒の姿もあってなかなかに新鮮だ。すれ違う生徒がことごとく好奇の目で見てくることには面食らったが、春人はもう開き直ってにこやかに手を振って応じることにした。

 八一五号室はマンションの最上階にある修練場の一つ下になる居住区かつ角部屋で、真新しいネームプレートにも「東河春人」の文字が入っている。


「へぇ、思ったより広いんだ」


 細長い廊下があり左右に物置として使えそうな三つの小部屋、さらに進むとダイニングキッチン、トイレ。そして浴室とは別になった洗面所があり、最奥にリビングに寝室という一生徒に与えられた学生寮としては破格の待遇であった。

 東京で一人暮らしする新卒サラリーマンやフリーターが見れば羨ましがられることは間違いないだろう。

 寝室の中央に備え付けのシングルベッドがあり、その横には旅行用バッグが一つ無造作に置いてある。先に送っておいた春人の荷物だ。


「…………っはぁ」


 と大きく息を吐いて、制服姿のまま春人はベッドの上に転がった。

 寮には業者に頼んでここにあるバッグ以外を開けてもらって荷物の整理を済すようお願いしている。とはいえ、バッグに詰めてきたのは中学一年の頃に仲良くしてくれたオタク系男子グループから、クリスマスプレゼントとして頂いたサブカル関連本やらアニメのアダルト系DVDぐらいだ。インテリアとしての花瓶さえもない質素さで、まだ生活感はないに等しい。

 がらんとした空っぽの部屋。それは、現時点での春人――殲教騎士エクスキューター候補生としての春人を象徴しているかのようだった。


「ふぅ。……精神的に疲れたな」


 心の底からつぶやいて、春人はぼんやりと天井を見上げた。実家の自室とは違う天井が如実に環境の変化を物語っている。

 ――いま、東京にいるんだよな……。

 初めてに近い東京で、学生寮とはいえ初めての一人暮らし。昨日の晩などは心地よい解放感もあったのだが、残念ながらわずか一日で見る影もない。苦笑さえ起きない有り様である。

 それでも、ベンチに座って想定していた状況に比べれば、まだずいぶんとマシな方だろう。春人が東河だということにこだわっているのは、いまのところはエイングラム(異国の少女)だけのように思える。いま春人が感じている気疲れは、春人の出自とはあまり関係がないことだ。

 春人自身の問題なのである。

 この聖進館学園は殲教騎士エクスキューターについて多種多様なことを学ぶ。

 授業内容は、一般教養、騎士実務、戦術技法、専門科学の四分野に大きく分かれる。

 一般教養では国語・数学などの五科目に、発音言語として英語・フランス語・ドイツ語・中国語の四ヶ国語を日常会話出来るところまで習得し、情報学や刑事法について学ぶ。

 騎士実務としては、騎士として規律や霊力を用いた天言陣ザイフォンデビアの分析などを学ぶ。

 戦術技法として学ぶのは刀剣などの武具による剣技・素手を用いた闘技とうだの二つ。他には危険団体の潜入をするために必要な片手拳銃ハンドガンの射撃訓練もおこなわれる。

 専門官学では一般学科とは別に選択した専門学科教育にて殲務官せんむかん浄伐官じょうばつかん・調査官・捕縛官・倫理官・監視官・警備官・開発官・試作官しさくかん・教育官・地域官・法規官ほうきかんと十二に分かれた専門官の基礎について学ぶ。

 その他にも応急処置や自動二輪・四輪車運転操法までもと多岐にわたるので思っている以上に多い。

 その中の騎士実務だけでも、霊力がどういうもので、どういう手順で天言陣ザイフォンを展開するのかを天言陣ザイフォン基礎学で、それを用いることになった殲教騎士エクスキューターの成り立ちを殲騎史で、天言陣ザイフォンによっては声による音色が必要なものもあり、それを発音学で習う。

 さらに、霊力と時空間の関係性を霊力理論学で学び、そうした理論を基に複雑に使いこなすための天言陣ザイフォン応用学に、生まれながらに違いのある系統霊質学、あとは協会の魔法使いについてやら、騎士規律聖書を学ぶ必要があるのだ。

 あきらかに学習内容が多いので、これだけで退学をしていく生徒も少なからずいるほど。


「……困ったなぁ」


 これでも、聖進館学園の転入試験前は一生懸命に勉強した――つもりだった。しかし、その自覚がどれほど甘かったか、思い知らされた。勉強したなどと言ったところで、たかだか一年と数ヶ月にたない期間である。

 しかし、だからといってここまでついて来れないとは。


「……ちっ」


 と思わず、春人ほ舌打ちをしてしまう。

 中学時代が懐かしいと、そう思ったとき、ふと、殲教騎士エクスキューターとしての修行によって外部との連絡を禁止され、久しく出会えなくなった異性の友人の顔が浮かんだ。


「……美弥」


 毎朝、一緒に登校した気楽な時間が懐かしい。あの時間が永遠に失われてしまったと思うと、いまもまだ胸の奥にねばつくようなモヤモヤがしょうじる。

 ――久しぶりに電話してみるか。

 制服の内ポケットに入れてる携帯端末に美弥の電話番号を打ち込みながら、ベッドから立ち上がり玄関近くまで戻ると、数回鳴ったところで相手がこちらの呼び出しに応じた。

 電話の相手は、中学時代の同級生だった。つまりは彩月美弥という少女である。


『ひゃっ……あ、いや、久しぶり、です。春人君』

「はは、テンパり過ぎだよ。でも、うん。一年以上になるから仕方ないね。転入先の高校にある男子寮に居るんだけど、思ったより気疲れしたから久しぶりに美弥と話したくなったんだ。いまって、時間あるかな?」


 簡単なコミュニケーションから会話を切り出す。

 久しぶりだからか、双方ともに緊張からくる興奮によっていつもより高めの声量になっていた。

 とくに春人がこんなに落ち着きようがないのは、小学生以来のことだった。


『大丈夫、です。いま部活の休憩だから問題ないよ? 春人君、今日何か嫌なことでもあった?』

「全然、そんなことじゃないよ」


 心配してくれる美弥に春人はあっけらかんとした感じで、そんな心配は杞憂きゆうだと自然体で言いきる。


「最初に言った通りに、久しぶりに話したくなったって。つまり美弥の甘くて優しい声が聞きたかったってこと」

『~~~~~~~~っ!』

「……美弥?」


 どうして電話したのかの理由を春人が説明したところ、美弥からの返答が止まる。


『な、なんでそんなこと言うかな!?』

「え―と、言っちゃまずかったかな?」

『……い、いや、そんなことないけど、さぁ……驚いちゃうから困るの!』


 止まっていた会話を続けようと、美弥は相変わらずテンパりながら話していくものの、喋りの合間に『はぁ……はぁ……んっ』といった言葉にならない声が電話越しに時たま聞こえていた。

 なので春人は、


「なんか、今日の美弥はいつもより体調悪そうだね。電話はまた今度にしたほうがいいかい? ずいぶんと熱っぽい声が聞こえるからさ……」

『あっ、それは……えっと、その…………うん。ちょっと部活の疲れが出てるかも』

「部活で頑張るのもいいけど、ほどほどにね。美弥は中学のときから男子に人気だったから、僕が美弥を傷つけたらそいつらに殴られて泣いちゃうよ、よよよ~」

『……じゃ、じゃあ私は、春人君を痛めつけるそんな男の子たちに怒らないとね』


 軽めの甘えた声と悪ふざけを含んだ春人のキモい発言にも気味悪さを匂わせず、その場のノリに合わせた会話を美弥は投げかけてくれる。

 ――こんな明るく優しくて可愛らしい性格だから、中学の頃は周囲の男子が頻繁ひんぱんにラブレターやら花束を用意して、美弥に男女交際を申し込んでいたのだろう。

 だが、美弥は誰とも恋人にはならなかった。

 春人の知ってる彼女のモテ話だけでも、サッカー部の爽やかイケメン先輩から学年一の秀才である同級生、他校の鍛え抜かれた筋肉が目立つ空手部主将と幅広い人気を誇っていたほどである。

 恋人を作らない理由は簡単。人見知りだからだ。もちろん、人見知りと言っても誰もが想像出来るわかりやすいものではなく、男が女に情欲じょうよくたぎらせたとき見せる妙にギラついた目に恐怖心をいつも感じているからだ。

 だからどれだけ告白されようが、美弥は恋人になることを断ってしてしまう。

 それでも男性恐怖症にはならず、普通の会話どころかギャグで済ませられるような軽い下ネタ程度なら作り笑いで流してくれるから、多くの男子は無遠慮ぶえんりょに、そして一方的に、自分に好意を抱いてると思い込み勘違いして告白をし続ける。

 しかしそれゆえに、美弥という少女を知らぬ第三者もしくは嫌っている者からは、複数の男をもてあそ性悪女しょうわるおんなと見られ距離を置かれてしまっている。

 一応、美弥には小学生から付き合いかある同性の幼なじみである玲奈れいなという少女がいることにはいるが、その幼なじみ少女・玲奈はゲームセンターに入りびたるぼっち系色白ギャル街道を突き進んでおり、彼女の悩みを聞くことはない状況だった。

 ――中学時代の友人としてどうにかしてやりたいが、自分のことさえ不安定なのに極東最強の殲教騎士エクスキューターを目指すという無謀に挑む現状では美弥に何かしてやれることは、はっきり言ってない。それが偽りのない自分の本音だ。

 しかし、だ。本当にそれでいいのだろうか、と悩んでしまう。


「はは、ありがとう。美弥の優しさに痛み入るよ。でもそういうのは、これから出会う好きな恋人相手にしてあげて。……そう言えば美弥の高校は共学かな?」

『私は、その、き、気になる男の子は中学のときにいたって言うか。それに吹奏楽に力入れてる女子校に入学したから、全国大会に行くまでは、そっちをまずは頑張ると言うか。うぅ~、どう話せば伝わるかわからないよ』

「へぇ~、片想いの相手いたんだ。でも、いまの美弥は部活を頑張りたいってことね」

 

 色々と美弥に対して思い悩んでいたが杞憂に終わりそうだと感じ、春人は安心する。


『まぁ、その、うん……。そんなところかな。んで、春人君の通う学校生活はどんな感じかな?』


 美弥の問いに、春人は今日あったことを順序立てて頭の中で思い出す。

 学園早々話した生徒は風紀副委員長の千波明日菜せんばあすなであり、読心めいた思考予測が優れて油断出来ない人物であること。

 それに、自分の「東河」という家柄に不快感を示し、突っかかってくるヨーロッパの小国アルテリア王国の公爵家次女らしいリーズシャロナ=フォン=レインテンシア=エイングラムという欧州支部の学園から来た留学生のこと。

 他には学園の情報に詳しく、年上の恋人を大事にしてそうな御山宗次郎みやまそうじろうのこと。

 その全てを思い出した上で、美弥に春人は告げる。


「僕に話しかけてくれる面白いクラスメイトばかりで、それなりに楽しんでいけそうかなって感じだね」


 自分のクラスメイトで、普通の会話になっているのは今日現時点で宗次郎だけ。他のクラスメイトは南堂琴音なんどうことねとエイングラムが自分の転入に対してつまらないいさかいしたせいで、誰も話しかけてくれなかったのだから。

 むしろ、他のクラスメイトと話して連絡先交換を十数人としたぐらいだ。

 ――他のクラスメイトより先に自クラスの同級生とはまだ連絡先交換出来ないのは、やはり普通とはかけ離れた学園なだけはある。


『そっか。そんな感じなんだね』

「うん。そんな感じ」

『ま、春人君は私と違って強いからね』

「美弥のほうが強いよ。僕は単純なお気楽思考なだけさ」

『はは……そうだね。でも、本当に嫌なことがあったら……』


 が、遮って春人は言う。


「ああ、何か嫌なことがあったら美弥に愚痴ぐちを聞いてもらうから」

『うん。そのときは春人君の愚痴を、たくさん聞いてあげるからね』

「ありがとう。久しぶりに美弥と話しが聞けて良かった。じゃ、明日の準備があるから、こっちの都合だけど電話切るよ」

『……あっ……うん。明日は遅刻しないようにね、春人君』


 それで美弥との電話を切り、春人は玄関のドアノブにビニ―ル傘を立て掛け、夜間のトレーニングをするため寮の自室を出て行った。



 軽めにウォーミングアップがてら一時間半かけて三十キロ程度のランニングを春人は終え、 


「……久しぶりに、()()をやろうかな」


 そう言うと無手の春人は構えた。手を手刀に変え、右足を後ろに引く。息を吸い込んだと同時に、彼は動いた。掌底を打ち上げ、手刀を振り下ろす。他の者が見れば体術だろうと思うだろう。だが、これは体術ではなく、紛れもない剣技である。そう言えば、剣に精通していない誰もが首を傾げてしまう。なにを言ってるんだと。

 しかし、彼、春人が繰り出すその一つ一つを剣の達人が目にすれば、納得するはずだ。これは剣技だと。どこにも彼は剣を持っていない。だが、彼は剣を持っている。「剣客けんかくは剣がなければ、剣客たり得ないのか?」、否、そんなことはない。そもそも、剣がなければ剣客など弱いと語る者は愚か者だ。剣客は剣を持つから剣客ではない。その生き方が剣客なのだ。彼らには剣がなくとも、剣技を使うことが出来る。

 見立てればいい。己の身体を剣に見立てれば。簡単なことだ。足はさや、掌はみね、腕はやいば、肘はつか。足の鞘をはしらせ、腕の刃を振り下ろす。肘の柄を引いて腕の刃で突きを放つ。自身の身体を使えば、容易く擬似的な剣を再現することが可能だ。

 ――己が全身、是刀也これかたななりってね。

 この身体を剣に見立てる鍛錬は、に言われて日々早朝と夜間の二回ずっと続けてきた。手刀を振るい、掌底を繰り出す。それを繰り返して、数十分後に止まった。


「ふぅ。ん~しかし、久しぶりに無手でやったけど、やっぱ剣を持ってた方がいいな」


 別に無手でも、なんら違和感はないのだが、気分的に剣を持っていた方がもっと動ける気がするのだ。

 錯覚だと理解しつつもタオルで汗を拭いながら、今の時間を春人は確かめた。もう夜八時を回っており、そろそろ寮に戻ろうかと思案するも、


「……次は素振りだな」


 春人は鍛錬で火照った身体を、冷ましながら眼をつむる。そうしながら若干乱れた呼吸を口から吸って鼻から吐くという、深呼吸と呼ばれる動作を繰り返す。そのおかげで呼吸が整ったことを確認。近くに置いてあったバックから木刀を取り出し、素振り二◯◯回を始めた。

 木刀を正眼せいがんに構えた春人は、縦一文字に虚空を斬りつける。そして、再び正眼に構え、再び縦一文字に虚空を斬りつけ……ただそれだけのことを、ただひたすらに反復する。構え、斬撃ともに◯・一ミリの誤差ブレもない正確さで、ただひたすら反復する。思い描く最高の斬撃を、いつどのような状況でも完璧に近い形で振るえるよう、ただひたすら素振りをする

 ――昔は、五◯◯という数字に固執し回数をこなせばいいと勘違いしていたが、あのエセ関西弁の保さんに言われていまは回数より一振ごとの質を上げることが大事だと気づき、春人はこうして一振一振に全神経を集中してるというわけだ。

 そうして素振りを続けていき、二◯◯回目を終えると、


「さて、と。そろそろ帰るか」


 と、春人は呟き、春人は木刀をバックへと片付け帰路きろに立ったのだった。



「あれ? 間違ったな、通れないのかここは」


 寮への近道だと思い真夜中の公園を抜けようとした春人は、閉ざされた鉄門の前で難儀なんぎしていた。

 どうやら一定のの時間が経つといくつかのゲートが閉められてしまうらしい。

 五メートル程度なので乗り越えられない高さではないが、何しろ自分は今日が初日の転入生である。いきなり生活指導を受けるのは恥だ。ここはおとなしく戻ったほうがいいだろう。


「面倒だけど……まぁ、いいや。宗次郎のこともあるから、別に急いでるわけでもないしね」


 そもそもこの学び島のルールを、大まかにでも把握してない自分が悪い。

 そんなときに、ふと、春人は若い男の怒鳴り声を聞いた。何事かと思い、声のしたほうに向かうと、そこには小さな四阿あずまやがあった。その四阿で春人は四人の人物と遭遇する。その内の三人は男子生徒で見覚えがなかったが、残りの一人は忘れたくても忘れらない人物であるエイングラムだった。


「お前、何故ここに?」


 エイングラムの問いに春人は、偶然、と素っ気なく答えながらユリスに詰め寄っている三人の男子を観察する。中央に立っているリーダー格と思しき中央にいる男子は大柄な体躯に相当な威圧感を併せ持っていた。その両隣にいる少し太めのボブカット男子と痩せて髪が伸びきってる男子はいかにも取り巻き、といった雰囲気を出している。


「えっと、僕はただの通りすがり。何やらお取り込み中のようだし、失礼させてもらいますね」


 関わり合いになるのは面倒と判断し、春人はさっさとその場から立ち去ろうときびすを返した。しかし、そこで予想外の事態が起こる。


「あっ! 宗介そうすけ! こいつだよ! 例の転入生って!!」

「なんだと……?」


 どうやら春人のことを聞いていたらしく、太めの男子が背中を指差す。背後から聞こえてくる足音に春人は足を止め、内心でため息をつきながら振り返った。目の前には宗介と呼ばれたがっしりした男子が立っていた。改めて近くで見ると、相当にでかいことが分かる。二メートル近くはありそうだ。

 それでも春人は黙って顔を上げる。


「……」


 無言でこちらを見下ろしてくる宗介と視線がかち合う。視線に物理的な威力があったとすれば、要塞すらぶち抜きそうなほどの眼力がんりきだ。しかし、春人はそれを気にする様子もなく、エイングラムのほうへと目線を飛ばす。


「あの、エイングラムさん。この人って誰なの?」

「……間善宗介まぜんそうすけ。うちの序列九位だ」


 すなわち、エイングラムと同じ学園上位実力者の一人というわけだ。ふぅん、と言葉をこぼし、


「君もこの学園では相当強いんだね」

「……」

「あ、僕は東河春人。よろしくね」


 春人が、差し出した右手を見つめ、そんな舐めた態度に宗介は怒りに満ちた目を無言で見下ろす。


「こんな……こんなやつと言い争って……」


 間近で見る宗介は並外れて大きかった。身長も春人よりも高くて、肩幅は広く、その筋肉はかなり鍛え上げられている。

 霊力で身体機能を強化するから殲教騎士エクスキューターは一般人よりも常に筋肉が強靭かつしなやかであるが、ここまで目に見えて発達しているのは珍しい。よほどの過負荷かふかなトレーニングを積んだに違いない。

 短く刈られた茶色の髪は逆立つようで、ほりの深い顔立ちには憤怒ふんぬ形相ぎょうそうが浮かんでいた。

 わずかな沈黙のあと、宗介は握り拳を震わせながらエイングラムへと振り返った。既に春人のことは眼中にない様子である。


「ふざけるな!! 俺は絶対にお前を叩き潰すぞ! どんな手を使ってもな!!」


 エイングラムに迫ろうとする宗介の背に春人は一言だけささやいた。


「ダサいよ、さすがに」


 ピタリと宗介の動きが止まり、ゆっくりと回れ右をして春人へと向き直った。その形相たるや、憑依魔ノムデビアでも泣きながら逃げ出しかねない迫力を放っている。


「今、何て言った? あ?」


 こめかみの青筋をひくつかせながら宗介は春人の胸倉を掴んだ。身長差もあって、軽く持ち上げられる形になっているが、春人は臆する様子もなく口を開く。


「ダサいよ、さすがにって言ったんだ。君にどんな事情があるのか知らないけど、今の自分を客観的に見なよ。二人の取り巻き連れて女子に詰め寄ってるいまの姿をさ。同じ男として心の底から恥ずかしいね」


 オブラートに包みながらも的確な物言いだった。春人の歯に衣着せない言葉に更に激昂するかと思いきや、宗介ははっ、とした表情を見せる。


「間善さん、落ち着いてください! さすがにここじゃ……」


 痩せた方の男子が必死で宗介の腕にかじりついていた。


「ちっ!」


 小さく舌打ちし、宗介は突き飛ばすように春人を放した。燃えるような目でエイングラムを睨みつける。

 すでに宗介の目には春人は映っていないようだった。

 大きく腕を振り上げ、人差し指をエイングラムに向ける。


「俺は諦めねぇぞ。お前に必ず俺の実力を認めさせてやる……!」

「ちょ、ちょっと間善さん、本当に落ち着いてください……! 許可届けのない決闘はまずいですって!」


 痩せたほうの男子がなんとかなだめようとするが、まるで聞く耳を持っていない。

 エイングラムはこの年代の女子としては平均よりやや高い程度の身長なので、宗介との体格差たるや大人と子どものようだ。

 それでもエイングラムは一歩も引かずに毅然きぜんと返す。


「不可能だな。少なくともお前がその猪のような性格を改善しない限りは、いくらでもあしらえるぞ?」

「なんっ……このっ!」


 宗介は一瞬怒りを爆発させそうになったが、ここでそうしたらまさにエイングラムの言葉を肯定するようなものだとわかったのだろう。落ち着かせるために深呼吸をした。


「お、おまえら! あんまり宗介を舐めてると後悔するぞ! それにきっと次こそは……!」

「止めとけ源太げんた!」


 小太りの取り巻き男子を一喝いっかつし、苦虫を噛み潰したような顔で四阿を出ていく宗介。

 それに小太りの男子が唖然あぜんとしつつも慌てて追いかけ、残された痩せた男子は一息つきながら、春人とエイングラムの二人に一礼してからその背についていく。


「はぁ……厄介な話だ」


 宗介たちが完全に見えなくなってからエイングラムは小さく嘆息たんそくし、それから春人へと視線を向けた。問題ないよ、と返しながら春人は宗介に掴まれて乱れた服装を正す。


「あはは、余計なお世話だったかな」

「まったくだ。おかげで普段よりも余計に絡まれたではないか」

「それは……ごめんなさい――って、普段からあんなことを?」


 エイングラムは答える代わりに小さく首を横に振ってみせた。


「アイツはどうやら私が気にいらないらしい。その手の類いは少なくないが、こうまでしつこいのはアイツくらいだ」

「だけど、序列九位ってことは相当強いんだよね?」


 そのあとに「大丈夫だった?」と続けようとして思い直した。

 まだ半日もない付き合いでも、それが彼女の機嫌を損ねるような一言だということくらいは春人にもわかる。


「強い弱いかで言えば強いほうだろう。だが、私ほどではないし、そもそも序列なんて言うものは言うほどあてにならん。序列入りしてなくても本当の実力を隠す生徒はいくらでもいる。それより大丈夫か? いや、すまなかった。私に関係する変なことに巻き込んでしまったようだな」

「いや、別にエイングラムさんが巻き込んだわけじゃないだろう? たまたま、僕がここを通りすがって、君たちと遭遇した。それであの宗介に絡まれたってだけの話だよ……それにしても相当エイングラムさんご執心みたいだね、あの武人さんは」


 宗介とエイングラムの関係性はよく知らないが、それでもさっきの態度だけでも宗介がエイングラムに対して並々ならぬものを抱いていることは容易に理解出来る。


「ああ、それなら簡単な話だ。私は過去の戦闘であいつを三度退けている。これ以上はいくらやっても無駄だと判断したから、いつも決闘を断っている」


 それだけのことだ、とエイングラムは軽く両手を挙げる。大方の想像では、女性であるユリスに負けた自分を許せないのだろう。


「エイングラムさんが強いのかそれとも間善くんが弱いのか……いや、前者か」


 仮にも学園上位序列者に名を連ねているのだから、別に弱いということはないだろう。それに、エイングラムの戦い方と宗介の戦い方が絶望的に相性が悪い、という可能性も大いにある。

 それについては相性も重要なファクターになるぞ、と春人の言葉に付け足しながらエイングラムは春人を真正面から見据える。だが当の本人はとぼけた表情を浮べるだけだった。


「あと他にも聞きたいんだけど、エイングラムさんは何でこんなとこで戦っているんだよ? お嬢様なんだろう?」

「知っているのか? まぁいい。確かに私はアルテリアの公爵家の人間だ。しかし、そんなことは関係ない。私は私の欲しいもののためにこの聖進館に来てここで戦っているんだ。そこに身分や肩書きなんてものが入り込む余地などない」


 凛然とした、強い意志を秘めた声だった。


「不躾な質問だけどエイングラムさんの欲しいものって何?」


 何気なくたずねてみる。踏み入ったことなので、春人は返事は期待していなかった。だが予想外なことにエイングラムはあっさりと答えてくれた。


「莫大な資金だ」

「え…………?」

「私には金が必要なのだ。何十億ユーロ単位ほどのな。そのためにはここで戦うのが一番手っ取り早い」

 

 金かぁ、と呟きながら春人は疑問を禁じえずにいた。

 ――公爵家のお嬢様が金銭のために戦っている? それも日本円に換算すれば数千億円分を?

 普通に考えれば貴族のお嬢様は裕福な身分のはずだ。

 それがなぜ? と考えたところで春人は首を横に振る。エイングラムにはエイングラムなりの金銭が要る事情がある。それを詮索するなど、野暮を通り越して下卑の極みである。


「あまり時間の余裕も無いからな。区切りもいいし、今シーズンの聖騎祭クルセイダーをそれぞれ制覇するのが私の第一目標だ」

「三つの聖騎祭クルセイダーを全部って……」


 グランドスラム。それがどれだけ難しいことなのか。聖騎祭に大雑把な知識しかない春人だって知っていた。


「手始めにタッグ戦だ。最低でもここを優勝で通過しなくてはならん」


 聖騎祭クルセイダーとは十字教ローマ聖教派が観賞できるエンターテイメントであり、賞金は出場者の所属する学園の獲得したポイントに応じて決定するが、一度でも優勝すれば一生を遊んで過ごせるほどの褒賞ほうしょうが出ると言われている。


「ならタッグ戦のパートナーは決まってるの?」


 いくらエイングラム個人が強くても、パートナーがいなければ当然一人では出場出来ない。


「う……ま、まぁそうなるな」


 途端、強い意志を映していた顔がくもる。どうやら、パートナー探しはかなり難儀しているようだ。もっとも、エイングラムの性格上、パートナーを見つけるのはかなりの難易度だろう。


「べ、別にまだ私のパートナーが見つかっていないのは私に友人がいないからではないぞ? いやまぁ、確かにこの学園には友人と呼べる者は一人としていないが……とにかく、単純に私の求めるレベルにまで達している者がいないだけだ」


 ――友人がいないの認めちゃったよ。それはさぞかしハードルが高そうだ。


「で、どんな相方をお望みで?」

「そうだな……まず私と同じくらいの戦力、というのはさすがに高望み過ぎるから、せめて上位序列入りクラスの実力を持っていて、頭の回転が速くて、強い意志と清廉潔白せいれんけっぱく高潔こうけつな精神を秘めいさましさを内包した英雄のような人物だな」


 それを聞いて春人は確信する。この自分の目の前に立っている金色の少女は、自分とは最も縁遠い場所に立っていると。少なくとも、春人自身はそう考えていた。「ま、頑張って」、という春人の社交辞令のような声援にエイングラムは大きく頷く。


「そろそろエントリーの締め切りも近い。贅沢ぜいたくも言ってられんな」


 自分に言い聞かせるように呟き、ユリスは自身の携帯端末を確かめ春人に言う。


「さて、私はそろそろ寮に戻るが……そう言えば、お前はどうしてこんなところにいるんだ?」

「さっきも言ったろ。たまたま、通りすぎただけだって。僕も寮の自室へ帰るさ」


 くるりとエイングラムに背を向け、春人は四阿を出ようとするが、不意に足を止めた。不思議そうにエイングラムがその背中に視線を送っていると、ボソリと囁かれた言葉が聞こえてきた。


「……そっか。道がわからないんだった」


 一瞬、エイングラムは呆然とした表情を作り、


「ぷっ、はははは!」


 次の瞬間、小さく吹き出し、腹を抱えて笑う。

 その姿は年相応の、ごく普通の女の子のようであった。


「もう。そんなに笑わないでくれない? エイングラムさん」


 頭を掻きながら振り返る春人。多少、視線をきつくしてエイングラムを睨んでみるも、彼女に笑い止む気配は無い。しばらくして、すまんすまん、と謝りながらエイングラムは呼吸を整えながら目尻に浮かんだ涙をぬぐう。


「……そんな風に笑えるなら、いつも愛想よくしとけばいいのに」

「なっ!?」


 不意に言った春人の言葉に、見る見るうちにその顔が赤く染まっていく。


「な、ななななにをいきなり! わ、私だって笑うことくらいはある!」


 そしてすぐ不機嫌そうに、プイッと横を向いてしまう。


「だから、普段からもっと皆と仲良くしとけばいいのにってこと。可愛い顔がもったいないよ?」

「うるさい! うるさい! うるさい! 大きなお世話だ! 私の兄貴面をするな!」


 エイングラムが噛みつかんばかりに言い返す。


「だ、大体お前のほうこそその子どもっぽい顔をもう少し引き締めたらどうなのだ! 顔のゆるみは気の緩み! 今日初めて来たんだから学園の案内図を確認するなり、誰かに道を聞いておくなりしておけば良かっただろうが!」


 他のクラスメイトからの質問攻めでそれどころではなかったのだが、今更そんなことを言っても詮無せんなきことだ。そもそも、この学び島が広すぎるのだ。おまけに世間一般とは違う常識があるし、とにかく新参者に優しくない。

 せめて学園に詳しい生徒が案内してくれたなら……。

 

「あっ! なるほど」


 そこまで考えて春人はじっとエイングラムを見た。


「な、なんだ……?」


 なぜだかエイングラムは顔を赤くしながら後退あとずさる。


「――エイングラムさん。僕に学園を案内してくれないかな? せっかくだから街のほうも一緒に」


 むーっと春人の申し出にエイングラムは表情を悩ませた。そして、本気か、と春人に問う。


「本気も本気だよ。島全部、とは流石に言わないけど、せめて聖進館学園周辺の土地勘は知っておきたいんだ」


 そうしないと、おちおち外を出歩くことも出来ない。


「しかし私はお前を転校初日から邪険にしてるのだぞ? 危険性は感じないのか?」

「まったく感じないよ。というか邪険にしてた?」  


 春人は笑いながら、エイングラムの気にしていることを受け入れる。

 それにエイングラムは、だとするならば、と一言置き別の提案をしてくる。


「私の強さは、この学園に通う生徒の中では頭ひとつ程度ではあるが秀でている。私の力を借りるというのはどうだ?」

「つまり戦力としてエイングラムの力を貸してくれるってこと?」

「そうだ」

「それはいいや」


 春人はあっさりと首を横に振った。


「まずはこの学園に慣れるほうが先だと思うからね」

「……」


 あっけらかんと言ってのける春人を探るような目で見ていたエイングラムは、やがて苦笑してふぅっと息をつく。


「底の読めん男だ。あるいは本当に馬鹿か?」

「……その二択なら、まぁ、どちらかと言えば後者じゃないかな」

「ふん、よくも道化みたいなことを言う。だがまあいい。そういうことなら案内してやる」

「ありがとう、親切な優しさだね。助かるよ」

「し、仕方ないな、やや気に食わんがこれから勉学を一緒にするクラスメイトだしな。学園内の案内は明日の放課後、街の案内は……そうだな、どこか休日の予定を空けておいてやる」

「うん、そのときはよろしくね」


 これで当面の懸念けねんは解消されそうだ。


「よし、それじゃ今度こそ僕も寮へと向かおうかな……って、ぐあっ!」


 そのまま歩き出そうとした春人の襟を、エイングラムはガッと掴む。


「では早速一つ教えてやろう。ここから男子寮へ向かうなら第六区の総合デパートの横を抜けるのが一番最短コースだ」

「げほっ、ごほっ………っぁ! そ、それはどうも。ただ、出来ればもう少し優しくレクチャーしてくれると嬉しいんだけど……」


 首がまってむせる春人に、エイングラムは小さく微笑みながら答えた。


「それはさっきの条件にはなかったので却下だな」

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