第三話 最初に話しかける人物は高確率で善人である
「はぁ~、難しいな」
波乱の自己紹介が過ぎ、気まずい思いのままドタバタと午前の授業を終えた春人は、両肩に岩のような気疲れがまた乗ってきて、教室にある自分の机にて頭を抱えていた。
昼休み。生徒の多くは――例のエイングラムと琴音も――昼食をとるために教室を後にしている。無論と言うか、転入初日に起こる定番イベントの一つである校舎案内どころか、転入疑惑により嵐を呼んだ春人に、わざわざ声をかける者は皆無だった。
例外は前の席に座っていたこの男子ぐらいで、
「いや、いや、一般的な転校生より素晴らしいと思うぜ。東河の御曹司殿。それとも秘蔵っ子のほうか?」
「御曹司も秘蔵っ子も止めてくれ、恥ずかしさとダサさが一緒にくるから。それに何が素晴らしいんだか、第一印象最悪最低の間違いじゃないか。全世界で転校経験ある人間から嘲られてるよ」
「そう落ち込むことはないさ。初めに対立してから周りの反応を見るってのは、有効な戦術だ。一種の威力偵察で実に悪くない。ま、相手があのお嬢様じゃ失敗だったけどな」
そう話しながら精悍な顔に人懐っこい笑みを浮かべ手を差し出してくる。
せっかく友好的に手を差し出してくれるので握ると、その男子はわんぱく小僧のごとき嬉しさでブンブンと振り回した。
「おれは御山宗次郎。一応おまえさんと同じ男子学生寮で暮らすことになる隣人だ」
「男子学生寮って……ああ、第七の?」
「そういうこと。うちの学園は寮で共同生活しなくていいからな」
彼、宗次郎の言う通り西日本にあるもう一つの殲教騎士育成機関は複数の同姓と共同生活しなくてはならないのだ。
「じゃあ。今までは空き部屋だったのか。悪い、気遣うよな僕が来ると」
「ははっ、いいってことよ。おれは静かより賑やかなほうが好きなんでね」
宗次郎はいかにも快活に笑い、隣人である春人を受け入れる。
座っているのではっきりとはわからないが、春人と同じ背の高さくらい。仕草は子供っぽいのに、身体のつくりや表情はずいぶんと大人びて見える。右頬にやや目立つ火傷痕があったが、それが宗次郎のアンバランスな魅力によく似合う。
初対面でお互いのことをまだ知らないが、交際相手の恋人や密かな女性ファンがいると、宗次郎自身から明かされても驚きより納得が勝ると春人は確信持てた。
同時に、この普通じゃない学園生活で多大なストレスに苛まれてもおかしくないのに、そんなのを微塵も見せない姿に人間として尊敬する。
以前通っていた立木南中学校でもこういうタイプが一定数おり、そのすべての人間で性格が悪いと思ったことがないからだ。
――いい友人になりたいな。
そんな純粋な感情を自然と春人は抱いた。
「それにどうせ隣人になるなら、面白いやつがいいと思ってたしな」
「……いや、僕は別に面白くないと思うよ?」
「またまた、あの孤高のお嬢様であるエイングラムが興味を持つ男なんてこの学園にはあまりいないんだぜ? 謙遜すんなって」
春人としては謙遜してるつもりはなかったのだが、どうやらこのクラスでそんな印象を持たれたらしく、昼休みを通して噂という形でかなり浸透してしまうだろう。
実際、昼休みになりしばらくして、春人の周りには他クラスの生徒によるちょっとした人だかりが出来ていた。この一年六組の自クラスでは宗次郎だけなのに、である。
「中学のときモテた? 好きなタイプを私だけに教えて!」
「ねぇねぇ、東河くんってば前の学校で何かやってたの? こんな時期に転入なんて普通じゃないよね?」
「つーか、どうやってあのお嬢様に興味持たれたんだよ? もしかして昔馴染みってやつか?」
「もしかして過去にお嬢様と戦ったことあるとか?」
「だとしたら聞いてみたいな。あのエイングラムが突っかかって来るのだから、苦い思い出である敗北だろうからな。なぁ、頼む。攻略法を開示してくれ」
その一方で、あからさまに冷淡な態度のグループもいる。
「はっ、そんなの家の権力が介入したに決まってるだろ」
「まったくだ。この程度を転入生として受け入れるとは誠実さに欠ける」
「ま、これからボロが出るでしょ。……その前にお嬢様がコテンパンにするかもだけど」
「もし戦うことがあっても、実力あるエイングラムが勝つはずだ!」
「じゃあお嬢様勝利に一万円賭けとくかな」
などなど。
とにかく昼食をとる暇もなくそんな感じだったので、春人もやや呆れつつ答えていった。
「ん~…………」
「お疲れさん。話題の人気転校生は大変だな」
授業も次々に進み、放課後にて夕陽が差し込む教室で背筋を伸ばし筋肉をほぐしていると、宗次郎がその肩をポンッと労うように叩いてくる。
「まぁ、おかげさまで色々わかったよ」
「ふぅん、例えば?」
「まず、人気者は僕じゃなくてエイングラムさんだってことかな」
春人は隣の席を見ながら、わざとらしく肩を竦めてみせた。
その、席の主は授業が終わるなりこちらを一瞥してすぐ出て行ってしまったので、すでにいない。
「みんな僕の興味より、『エイングラムさんと絡んだ誰か』の話を聞きたいんだ。そうだろう?」
「おや、ご明察なこって」
宗次郎がパチパチと手を叩く。
よく出来ましたと言いたげな顔だ。
「でもそれならエイングラム本人に聞けばいいと思うけどね」
「それが出来れば苦労はないさ。なにせ、あのお嬢様ときたら人を寄せ付けない感じがあるだろ?」
「……確かに多少とっつきにくい感じはあるね」
それでもクラスに一人はいる矜持が異常に高いせいで孤立してるぼっち系女子で、少なくとも会話をすれば打ち解け、尊敬し合える類いのものだと春人は思った。
「ま、どんな理由か知らないが、あのお嬢様が他人と距離をとっているのは間違いない。そもそも……」
「あの、ちょっと待って。今さらだけど、そのお嬢様っていうのはエイングラムさんの愛称みたいなものかい?」
「ん―、愛称ってよりなんつ―か……正真正銘のお嬢様なんだよ、彼女は」
「…………は?」
春人はさすがに自分の耳を疑った。
「お嬢様って……あの、グリム童話とかに出てくるような貴族ってこと?」
「まあな。古代から始まり中世で権勢を誇ってたあの爵位のなんちゃらが意味を成す貴族だ。一部のヨーロッパ諸国では貴族称号は残ってるあの、貴族だ」
妙に詳しい西洋貴族史を教えてくれる宗次郎だった。有名な貴族と言えば英国王室やスペイン王室、ルクセンブルク大公家が有名だろう。
「ヨーロッパのドイツとポーランドの両国の間にあるアルテリア王国の四大公爵家の次女、それがリーズシャロナ=フォン=レインテンシア=エイングラムさ。英国が発行してる貴族名鑑にも載ってるぜ」
「なるほどね~……やけに詳しいね」
「へへっ、そいつが趣味と商売なもんでね。これでも一応新聞部なのさ」
宗次郎は不敵に笑ってみせた。
「で、なんでまたヨーロッパの大貴族のお嬢様がこんなところまで来てるのさ? ヨーロッパにも欧州支部があるはずだろ。それに普通貴族のお嬢様っていったら、英才教育受けてお淑やかに振る舞うんじゃないの?」
今日の自己紹介での一件を思い出し、春人は首をかしげる。
確かに普通のご家庭では中々身に付かないような気品はあるし、威厳や風格も十分過ぎるくらいだけど、あまりにも勇ましく好戦的過ぎやしないだろうか。
「さすがにそこまでは知らね―よ。とゆ―かおれが聞きたいくらいだよ」
宗次郎は真顔で頷きながら「そしたらうちの一面記事間違いなしなんだかなあ」と呟いた。
「もちろんあれだけ可愛くて、強くて、しかも公爵家のお嬢様ときたら、誰だってほっとくわけがない。彼女がうちに来たのは去年なんだが、それこそ今日のお前さんなんて目じゃないくらいのフィーバーぶりだったんだぜ? あっという間に沢山の人だかりが出来て、質問攻めさ」
「目に浮かぶね、それは」
「ところがだ。あのお嬢様はそんな連中に向かってなんて言い放ったと思う? 『うるさい、黙れ。私はこんな下らないことに興味がない、失せろ』だ」
「……まぁ、強気な彼女はそう言うだろうね」
「さすがにそれで大半は引いたんだが、当然そんな態度じゃ面白く思わないやつらも出てくる。んでまあ、ここのお約束としてその手の連中が次々と闘いを挑んでんだが、見事にみんな返り討ち。おまけにあれよあれよという間に、この学園全生徒上位十指に入る強さを示したのさ」
それはそうだろう。
欧州支部に配属する殲教騎士は何れの支部の中でも別格である。ヨーロッパ出身なら欧州支部が運営する学園に入学し、交換留学生としてこの聖進館学園に来たはず。だとすれば彼女の実力は相当なものだろう。いくら聖進館学園とはいえ、彼女より強い生徒がそういるとは思えない。
「結果、誰もが一歩引いてしまう孤高のお嬢様の出来上がりってわけさ。今じゃあのお嬢様に初対面で話しかけようなんて決断しうるやつは滅多にいないぜ」
「なるほど……ってことは、仲の良い友だちとかは?」
「少なくとも、おれの知る限りじゃ同学年では一人もいない……って、悪い、ちょい待った」
宗次郎は片手を上げて会話を止めると、内ポケットから細かく振動している携帯端末を取り出した。
「はいは―い、なんすか部長」
「なんすかじゃないわよ! 今日の朝一がゲラ校正の締切だって言ったでしょうが! なにやってんのこのバカ!」
ビデオ通話で画面が見えるなり、ポニ―テ―ルの綺麗な女子生徒が怒声を上げる。
「あ―、申し訳ないです。朝はちょっと別件があったんで連絡し忘れました」
「言い訳無用! いいからさっさと部室に来なさい! 五分以内よ」
「へ―い、わかりました。でも校正とかの仕事終わったら、今日の夜忘れられないほどに可愛がりますんで」
「馬鹿。そんなことを堂々と言うな! ……誰かにでも聞かれたら困るでしょ」
恋人同士らしい会話があり、スッとウィンドウが消え、宗次郎は苦笑いで鼻をかいた。
「……ま、そんなわけであの部長がおれのカノジョだから、今日から早速おれの部屋が騒がしくしちまうけど、よろしくな」
「はは、わかってるよ。宗次郎の部屋から艶かしい二人の声が聞こえてきたら、終わるまで外で軽いトレーニングして来るからさ」
予想通り恋人がいるわけだが、それで妬むとか怒る気にはなれない。それどころか二人の仲がもっと進展することを春人は心の底から応援しているのだから。
――宗次郎が紹介したくなったときに、自分の愛する恋人のことを教えてくれるまでこっちは素知らぬフリをすればいい。
その程度の問題だと春人はさっさと結論に達していた。
「わりぃ助かる。じゃあ急いで出頭してくるわ」
「なら僕は寮の場所を探して……玄関にビニ―ル傘を立て掛けておくよ。置いてたら留守だと思ってくれ宗次郎」
「本当に恩に着るぜ。新たな転校生にして我が友、春人よ。もし春人がこの学校で恋人が出来て、熱い夜を過ごすときはおれも同じ対応するぜ!」
実に楽しげな笑みを浮かべ、親指を立てながら宗次郎は軽やかな足取りで教室を出て行った。
実に男同士のバカでアホっぽい。しかし、二人の友情に亀裂を生じさせない必要なそして大事なやり取りをする。
宗次郎が出て行ったことによって、教室に一人取り残された春人はしばらく宗次郎が出て行った前方の扉を見つめていたが、やがて大きく息を吐く。
「好きな異性に誠実な純愛を向け続ける、か。……僕自身にとって最も遠い言葉だね」