第三話 少年は再び騎士を目指す
春人は、その身に起きた劇的な出来事とは裏腹に、静かに目を覚ました。普通ならば、悪夢などを見て叫び声をあげながら目を覚ましたりするのだろうが、そんなことは一切なく、それ以前に、夢すら見ないほどの眠りについていたようである。
目を覚ました春人の視界に入ったのは真っ白に塗られた見知らぬ天井だった。そして自分にかぶせられている布団を退けて、身体を起こした。病院なのだろうか、ベッドの周りには小さい机の上にペットボトルの水だけが置いてあった。彼女の寝ていたベッドの左側には外の景色が見える窓、右の壁に外へと通じるドアがあった。するとそのドアがゆっくり開き誰かが入ってきた。
入ってきたのは、ひょろりとした百八十センチはある背の高い男だった。
まだ若いのかも知れないが、妙に枯れた雰囲気がある。着古したワイシャツにネクタイに、安物っぽいジャケットとヨレヨレのスラックス姿だ。線の細い顔には優しげな笑顔が浮かんでいるのだが、それも「優しい」というよりは「頼りない」印象に見えてしまう。
ただ人目を引くのは、右手に持った短めの杖だろう。部屋に入る動きもその杖を突き、足を引きずるように歩いている――と思って春人が視線を落とすと、スラックスの右足からは、なんと金属製の棒が伸びていた。
義足だ。今どきまずあり得ない、古い義足である。義足を付けるにしても競技用義足で二~六十万するので一概に言えないが、ただの金属製の棒じゃなく日常用義足に変えれるはずである。
「目が覚めたんやな。まずはおはようと言っておこうか」
上半身を起こした春人に向かって名もわからぬ何者かが言った。
「えっと、その、おはようこざいます……? あの、自分はいつここに……?」
「わかってるで、一つずつ説明していくわ。まず、ここで寝ていた理由からやな。キミはあの公園で気を失い、過度の体力負荷と精神的疲労で倒れた。そのあとこのボク、辻原保がここまで運んだんやで~、そんでキミは一週間は眠ってたちゅうところや」
「一週間も!?」
思わず春人は大声を上げる。
「せやでー。でも気ぃせんでええよ? 霊力が生命の危機に高まることはよくある話やで? そして二つ目、ここはどこか。まあ、一応キミは中学試験受けたことあるからわかると思うけど、あの殺人鬼の魂を喰らい変貌させていった原因は魔や。そんでボクはその魔などを倒す者――殲教騎士や。そしてここは日本の殲教騎士を組織化し、運用している極東支部が管轄してる病院の一つやで」
「そう、だったんですか……」
不合格通知を貰ったあの受験を思い出しながら、春人は頷いた。
「理解して貰えて何よりや。殲教騎士の主な仕事は魔を討つこと。その他には国内外に対する諜報活動や情報操作、具体的には危険団体の潜入捜査やら指名手配犯の追跡やら、のおかげで日本政府は黙認の立場を取り、関係各所と連絡して秘匿になるよう最大限の調整をしてくれてるらしいわ」
自分が殲教騎士なのに肝心な部分が曖昧で、とにかく馴れ馴れしいのが伝わってくる。
おまけにこのエセ関西弁。
助けてくれたし懇切丁寧に説明してるのに、なんだか胡散臭いんだけど……。
と、非常に無礼と理解しつつ、春人は頬を微妙に引きつらせた。
「そういや、キミ。……いやキミというのは失礼やな。春人クンは霊力があの日に急速に高まって、あの魔と戦ったことは覚えているか?」
思わぬ話の急展開に戸惑いながら、「え、まあ、一応……」と春人は頷く。
あれを戦ったと言いきっていいなら、だが。
「なら話は早いちゅうこっちゃ。今の春人クンは殲教騎士になれる状態にあるって言ったらどうする?」
保と名乗った男は、春人にそんなことを告げた。
まるで、こちらの意思を確認するかの如く。
「殲教騎士に、自分がですか……?」
「そうや、魂から溢れる霊力を用いて戦える内なる力が、や。ボクは強制しない。春人クンが自由に決めればいい。答えは早くなくてもいい、一ヶ月ほど少し考えてから――」
「なります」
遮るように春人が言った。あまりにも早い言葉に、保の表情にも驚きの様子が見えた。
「……本当にいいんか?」
「今回の話を忘れて日常に戻る。そんな選択肢があるかも知れないですけど、自分は殲教騎士の名門である東河家の人間です。それが養子の出だろうと。まあ、それ以外にも家とは関係なく殲教騎士になる理由がある、ってのが目指す動機の大部分を占めてますけど」
そう笑いながらも真剣に語る春人の目は、底知れぬ力強さがあった。保は春人を見ると、何とも言えぬ表情になって、ふいに視線を一瞬外した。
「……正直、この選択肢を出されたら大概の人は悩むもんやけどなぁ。……う~ん、そうか。よっしゃ、わかった! 春人クンがそないに殲教騎士になるというのなら高校生になる前に、自身の討滅騎装を顕現させて、少なくともボクとの修行で殺されないぐらいまで強くなるんや。もし出来なければ、さすがに容認でけへん。記憶消去して強制的に平穏な日々へ戻ってもらうってことでええな?」
「……わかりました、よろしくお願いします。辻原さん」
春人は、屈託のない笑顔で保に挨拶を正式に述べた。そんな春人の姿勢に保は少し見つめてから、部屋をあとにしていく
「こちらこそ、よろしくな」
照れくさそうに面倒くさそうに、保はそう最後に春人に聞こえるか否かの小声で、言い去っていった。
それから数分後。
普段の学校や美弥のこと。自身を襲った異常者だった殺人鬼のこと。殺人鬼の犠牲になった名も知らぬOL女性のこと。魔と対峙したときのこと。そして殲教騎士になるための中学受験で不合格になったこと。と、様々な記憶を思い出し、
「僕は、極東最強の殲教騎士になる!」
静かになった部屋で眼を瞑り、春人は一言呟き自身の忘れかけていた決意を再度固めた。
◆
不気味さ漂う春人がいる夜の病院。昼間の喧騒はなく、代わりに支配するのは夜の静寂だ。
誰もいない、立ち入り禁止の病院の屋上に一人の男が立っていた。
「結局のところ、全部アンタらの思惑通りに終わったってことでええか?」
携帯電話を耳に当て、話すフリをしながら長身で鋭い眼を見せる男、辻原保は窓辺に留まる一羽の蝶に複雑な感情を含み話しかけている。
「かくして近年人間に取り憑くことがなかった魔に襲われ霊力を増大させることに成功。そして殲教騎士の道を選んだ春人クンはまた一歩、安定した生体兵器に近づいた、ちゅーわけや。しっかし分からんな。うっかり国を滅ぼしかねない危険な怪物を、どうしてわざわざ目覚めさせようとしてんやってことが」
保は、現在沈黙を貫く蝶に疑問を投げかける。しかし蝶は俄然沈黙。生物にあるべき生気を著しく欠けさせているせいか、保が置物に独り言を吐いているようにも見えてくるが、構わず保は言葉を紡ぐ。
「どうせアンタらのことや。あの憑依魔もなにもかも承知の上で襲わせたんとちゃうか?」
咎めるような口調で保が言う。
「最初から春人クンの魂を危機に陥らせる気満々だった、と。可哀想に、まさか自分が生体兵器の当て馬として送り込まれただなんて知ったら、あの魔と憑依体となった人間は浮かばれへん」
「世の中、知らないでいたほうが良いこともあるさ」
不意に蝶が口を開く。どこか無機質な、まるで感情があるようで綺麗に感情が消え去っている声音だ。
「それに、あの憑依魔が哀れなとは限らんさ。社会を乱した死刑囚の有効活用であり、兵器を動かす燃料になったのだから。そして兵器の燃料とはすなわち選ばれし材料ということだ」
「それは、そうかもしれんがな……自分としては複雑な気分や……」
言って保は真っ直ぐ正面を見やる。そこは春人とある普通の少女がともに登校していた学校へと続く視線だ。東河春人の人生を変えたる自分が、こんな報告をしていると知ったら、間違いなく春人クンに恋をしているあの少女は烈火の如く怒るだろうなぁ、とその姿を想像して保は背筋を震わせた。
「こちらとしては、そこに国を滅ぼしかねない生体兵器が存在しているならば、それを制御していく可能性は多く残して起きたいのだ」
「そのために平穏な日常の素晴らしさを春人クンに教えてあげた、と言いたいんか?」
ふっ、と蝶が笑うように喉を鳴らす。
「この国に生体兵器を置き残すことで表と裏双方の軍事パワーバランスを均衡させられる。なれば上手く立ち回るのは必要だよ。だとすれば素知らぬ人々に起きる悲劇にさえ嘆くように、少年の精神を躾るのは妥当な話であろう?」
冗談めかしたその口調には、しかし拭いきれない重苦しさが含まれている。
彼らにとっても、この計画は、大いなる厄災を招き寄せかねない諸刃の剣。火薬庫に火の点ったライターを放り込むかのような気分の賭けだった。
しかしどうやら今のところ、事態は彼らの望むように推移しているらしい。
憑依魔に襲われても、暴走せず霊力量が安定した上で増大しているのだから。
「さて、歴史を転換させかねない生体兵器を秘めた人間。果たして今代の適合者たる少年は何を求めるのか。せいぜい我ら連盟にとって吉と出ることを祈るとするか」
「祈る気なんて、まるでないくせによく言うわ。むしろ利用するだけ利用する腹積もりちゃうんか」
吐き捨てるように言う保。その表情がどこか挑発めいたものに変わる。
「だが、気ぃつけや。彼は、春人クンはアンタらの思惑通りに動いてくれるようなタイプやない。子供だと思って油断してると痛い目見るで」
「……なるほど、一理ある。ならそうならぬようより複雑な策を組み上げておこう」
冷徹に答えて、蝶の姿が解ける。構成していた霊子は大気と溶け合い、スッと消えていく。
夜の闇に消えていく霊子を見届けてから、保は思いを馳せる。
東河春人。極東支部において数多の殲教騎士を輩出してきた名門家の養子であり、今代の生体兵器を秘めし器、そして自分に取って初の弟子だ。
彼との付き合いは短いことになるだろう。だが、直接出会ったからこそ少しは分かる。東河春人という少年はどこか普通と違う。生体兵器だとか殲教騎士以前の問題だ。根幹的にどこかズレている。
そのズレの正体は、未だ理解できていない。
「謎多き弟子を持つと苦労するなぁ、ほんま……」
自分のことは盛大に棚上げして、保は重々しくため息を吐いたのだった。