目覚め
見慣れた天井が…霞んで見える。
ぼんやりとしか見えないが、周りには親愛なる部下のメイド達や敬愛するリクト様もいらっしゃる。これ程の旅立ち、この身に余る幸福だ。
「泣かないで下さいませ…リクト様…もういい大人でしょうに…」
「でも…でも!このままじゃクシャが!」
今年に入ってから急に、動悸が激しくなる事が多くなった。先月からは起き上がる事すら難しく、寝たきりになってしまった。
「あぁ…リクト様…願わくば…リクト様の立派になられた姿が見たかった…です…ね………………」
「…!!クシャーーーーーッ!!!」
86歳となった年の卯の月、こうして私はこの世を去った。
エルフ族の公爵家であるリーン家に拾われたのは、まだ16の時だった。両親が死に、親戚に家を追い出され、路地で座り込み途方に暮れていた私を見つけてくれたのが、当時まだ幼かったリーン家の長男、リクト様だった。
「そんなところで何してるの?」
最初は、エルフ族の貴族など知る由もなかったし、身なりの良い子供に同情を受けているとしか思えなかった。
「…あんたには関係無い……」
冷たくあしらったつもりだったが、リクト様は気にする様子もなくしつこく何で?何で?と繰り返していた。
「…帰る所が無いからよ」
正直に言えば質問攻めから解放されると思っていた。が、それは一瞬の間だけだった。
「それじゃ、僕の家においでよ」
「……は?」
それがリクト様と私の出会いだった。
それからはあれよあれよと話が進んだ。リーン家の公爵とその奥方には同情され、いとも簡単に職と寝床を用意された。
「クシャ、君にはこれから我がリーン家のメイドとして働いてもらう。勿論、給金は払うし前もって言ってくれれば長期の休暇も与えよう」
メイドとしての心得の勉強は辛かった。元々そんな心得などとは関わりのない生活をしていた為に、教育係だった当時のメイド長には、この世の地獄かとも思えるほどのしごきを受けた。
一人前のメイドとして認められた頃、既に36歳、人間で言えば9歳を迎えたリクト様の側仕えに任命された。
そこからは激動の毎日だった。近所のワルガキが可愛く見えるほどのイタズラの数々、ため息をつかない日など無かった。
私が40歳を越えた頃、リクト様一家の乗られた馬車が出掛け先で事故にあった。
長寿で知られるエルフとはいえ、それは寿命が長いというだけで生命力自体は人とさほど変わりはしない。私は居ても立ってもいられなかった。
公爵と奥方は特に深刻で、数日と持たず呆気なく旅立たれた。
リクト様はそれほど大きい怪我は無く、命に別状はなかった。
しかし、とっくに治っているにも関わらず、リクト様は目を覚まされなかった。それでも、ずっと看病をし続けた。
目を覚まされたのは事故から2ヶ月が経った頃、突然にだった。
「おはよう、クシャ」
その時は嬉しさのあまり泣きながら抱きついてしまった。
80を越えた頃、体調が優れない日が多くなった。旦那様に休暇をもらい、医者に行ってみると心臓を患っていた。もって半年、そう言われても実感は湧かなかった。
その時の当主代行をされていた前任のメイド長、リョーフさんにはその事を告げたが、リクト様に告げる事は出来なかった。
伝えなければと思ってはいても、余計な心配を掛けたくないという思いが勝ってしまう。
日に日に弱っていく自分を見せたくなくて、リクト様と距離を置くようになった。
「なぁ、クシャ」
「すみません、リクト様。今取り込んでましてまた今度でよろしいですか?」
「あ、あぁ…」
それでも、死に近付いていると気付く度にチラチラとリクト様の顔が脳裏に浮かぶ。
遂には仕事中に倒れてしまい、タイムリミットが迫っているのをリクト様に知られてしまった。
医者が呼ばれ、意識が段々と遠くなっていった。
「泣かないで下さいませ…リクト様…もういい大人でしょうに…」
「でも…でも!このままじゃクシャが!」
リクト様の泣き顔が見える。エルフらしい端正な顔つき、幼い頃の可愛らしい容姿からはだいぶ成長された麗しいその容姿につい思いを馳せてしまった。
「あぁ…リクト様…願わくば…リクト様の立派になられた姿が見たかった…です…ね………………」
ここで私の命は尽きた。
いや、尽きる筈だった。
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私がその異変に気付いたのはもう一度目覚めてからだった。
「イリア、そろそろ起きなさい」
聞き慣れたシャッ!というカーテンを開く音と共に視界が明るくなる。そこにいたのは、見知らぬ女性だった。
「あなたも今日で9歳になるんだから、そろそろ一人で起きれるようにならないとね」
「は~い」
9歳?何を言ってるんだ、私はとっくに80を過ぎて…あれ?
「朝ごはんはもう出来てるから早く降りてきなさいね」
そう言うと彼女は部屋を出ていった。
おかしい、私は彼女を知らない筈なのに何故か彼女が自分の母親だ分かっている。どういうことだろう。
ふと、窓を見た私は驚いて目を見開いた。見知らぬ外の風景ではなく、窓に反射して映った自分の姿に驚愕し、自身の目を疑った。
そこに写っていたのは、長年付き合ってきたヨボヨボの白髪の老婆の体ではなく、幼い、青い髪に透き通る湖のような深い蒼色の瞳をした少女の姿だった。
「う、嘘でしょ…?これが…生まれ変わりだとでも言うの?」
物語の中ではありきたりな現象とはいえ、実際に自分の身に起こった現象に戸惑いを隠せなかった。
間違いなくクシャという名の自分は一度死んだはず、しかし今はイリアという名の少女となって生まれ変わってしまった事実だけが残っている。
困惑する頭を抑えながら、記憶の片隅に残っているものを頼りに着替えを済ませる。
とにかく、今の状況をよく知らない事には対処法も分からない。疑問点はたくさん残っているが母の待つ下の階へと歩を進めた。
「おはよう、イリア。9歳の誕生日おめでとう」
「う、うん。ありがとう…お母さん」
慣れない…自分の中にイリアとしての記憶が残っているとはいえ、今の自分はクシャとしての記憶が戻ってしまっていて混乱しそうだ。
「あら、急にお母さんだなんてちょっとは大きくなった自覚があるのかしら?」
しまった、イリアとしての私はママって呼んでるのか、記憶がごっちゃになってしまっている。
「だってもう9歳だからね」
朝食を済ませ、たわいない会話をしながらイリアとしての記憶を思い出していた。
恐らく今は私、クシャが死んでから20年ほどだろうか、住んでいる所は、リーン家の御屋敷のあるエカンダ王国の南東の都市ウェルスの外れの方みたいだ。
出来ることならば、御屋敷でまた働かせてもらいたい…
だが、今の私は長年務めてきたクシャではなく、今日9歳の誕生日を迎えたばかりのイリアだ。
幾ら私がクシャだと言っても覚えているものも居るかどうか…
一度確かめに行ってみたいが、ウェルスは近いとはいえ、9歳の足では辛すぎる。
今はまだ、諦めるしかないのか…