第1話
空からの光は鬱蒼と茂る樹木の葉に遮られ、辺りは薄暗い。
遠くからは、謎めいた生物の不気味な鳴き声。
そして鼻腔を、土と植物の青臭さが混ざった森の臭いがくすぐり、全身をジメッとした空気が覆っていた。
「うん……。森。」
というより熱帯雨林の、かなり奥地。
タイムアップを告げたオッサンの手により異世界へと送り込まれた俺は、気が付くと熱帯雨林の中にいました。
いやいや、なんでだよ……。
もっと、こう……異世界生活の始まりってのは西洋式の町が遠目に見える小高い原っぱの上で目覚める……みたいな感じでワクワクとほど良い快適さに包まれた環境でスタートするもんじゃないのか?
初期装備は電車の中で身に着けていた学生服と運動靴、そして高校の授業で使う教科書などの勉強道具一式の入ったリュックサックだけ。
だってのに異世界生活初日から前途多難な環境に放り込まれるなんてのは民事訴訟を起こすレベル。
なんなら異世界転移なんてクーリングオフするわ。
しかし、このままだと死んでしまうため、まずは目先の問題を片付ける事に俺はした。
「とりあえず食料と寝床……。そして人里……」
まずは人間として必要な食糧、寝床、水を確保。そして次に人里である。
1番てっとり早いのは、人を見つけることなのでそれを第一目標と俺は定めた。
まぁ…あのオッサンも死ぬようなところには放り込まないだろうし大丈夫さ…。
と、考えた俺が歩きだしたところで、謎の生物の鳴き声が遠くの方から森に大きく響き渡った。
恐らく強化系スキルを取ったお陰だろうか。
俺の直感や感覚が明確に訴えかける。この鳴き声の持ち主は危険だ。
その音が右斜め後方の1キロ以上離れたところから聞こえたことが俺には分かったが、全く安心できなかった。
もしも遭遇した場合の自衛手段は…ない。
剣の才能があるとは言え剣が無ければ戦えない。いや、そもそも剣術ではなく才能の方を取得してしまったため、初戦は剣があってもロクに戦えないなんてオチもありそうだ。
俺はスキル選びを間違えたかもしれない。武器がないことを考えて、拳術系にしておけば良かった。
まさかリアル異世界サバイバルをやることになるとは思わない。
しかし、そんな事を考えたところで後の祭りである。
俺の五感は後ろから近付いてくる何者かの気配を鋭敏に感じ取った。
強化系スキルを取ったことを少しだけ恨めしく俺は思う。
俺は覚悟を決めて後ろを振り向くと、茂みに向かってカンフー風の構えを取った。
茂みの向こうから気配がする。映画で学習した俺の中国拳法をお見舞いしてやるぜ!
「フォーー」
息を甲高い声と共に口から吐き出した。
やがてガサガサと言う音と共に何者かが茂みから出てくる。
ブンと振り切られた何かによって茂みが辺りに散った。
「ペッ…ペッ…。口に入ったわ…」
その何者かとは、一振りの剣を持った少女だった。
茂みを剣で掻き分けてきたときに葉の欠片が口に入ったのだろう…ツバを吐きながら少女が出てくる。
俺は目が点になったものの、油断なく少女に対して構えを向け続けた。
異世界人との初コンタクトとは言え、向こうは剣持ち。慎重になりたい。
向こうはコチラに気が付くと少しだけ身を固まらせ、顔を引き締めるとすぐさま剣を構えた。
「貴方…何者…? 奇妙な格好をしているけれども……」
俺を警戒する少女は文句の付け所のない美少女だ。
血のような赤黒い髪に、爛々と光る紅い瞳。
整った顔立ちからは氷のような冷たさを感じる。
服装は簡単な革鎧…だろうか?素人の俺には分からなかったが、女っ気のない格好なのは確かだ。
そして絶対に少女は仕事が出来そうなクール系美人に成長すると俺は直感した。
なるほどオッサン……俺の異世界ハーレム要員第一号なんだなこの少女は…!
「もしかして剣の里の人間かしら…? それにしては武威を感じないし構えもド素人。なによりも剣を持っていないわね…。早く何者なのか名乗りなさい」
少女は目尻を上げ、威圧的に剣をスッと向けてきた。
俺は直感する。あ…たぶん黙ったままだと斬られるな…と。
この少女は見た目にそぐわず…いや、見た目通り冷酷な人間のようだ。
俺は構えを解いて両手を上げると、自分の状況を説明することにした。
独り言を聞いたところこの近くには人里があるようなので、下手に出て森を出るまで着いて行かせてもらおう。
「いや〜。どうにも道に迷っちゃったみたいでしてね…。気が付くとここに居たんですよ。学校に行く途中だったのに参ったな〜。あはは…。」
俺がそう言うと少女は警戒を強めた。
揺れた剣先がキラリと光を反射する。
「ここは世界一危険な樹海……何をどう間違えたらこんなところに迷い込むのかしら? 周辺に住む人間なら絶対に立ち入らないわよ。見苦しい言い訳ね……何を隠しているのか全て吐きなさい」
やばい……。斬られる……。
少女の纏う空気が剣呑なものへとドンドン変化していっている。
いったいどんな教育受けたらこうなるんだ。警戒心強すぎだろ。
「まてまて落ち着け。俺は君に危害を加える気はない」
思ったより冷静な俺。
興奮した犯人を諌めるようなテンプレートなセリフを俺は吐いた。
これも強化系スキルのお陰なのだろう。
「信用できないわね」
「冷静に考えれば分かるだろう。俺は武器も持ってないんだぞ」
「魔法があるわ」
「……い、いやいや。俺の魔力0だし。そんなことよりもガチで困ってるから人のいる所まで道案内を頼む。君の前を俺が歩くからさ。それなら安心だろ?」
「私にメリットがないわ」
「グッ……そっ…それは……」
この女……ああ言えばこう言いやがる。美少女だからって調子に乗りやがって。
俺がぐぬぐぬと唸っていると、少女が少しだけ考える素振りを見せる。
そして、暫くして口を開いた。
「まぁ……たまには人助けも悪くないわ。食料などは上げないけれど道案内をしてあげましょう。私の目的地は剣の里だからそこまでね。もちろん貴方には前を歩いてもらうわ」
「おぉ! ありがとう!」
こうして何故か助けてくれることにした少女と共に、俺は世界一危険らしい樹海を進むこととなった。
目的地は剣の里とか言う場所。
感謝する俺を馬鹿にしたような笑みで見てくる少女に若干の不安を覚えながらも、俺は異世界生活の1歩目を踏み出した。