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第5話

あの姫沢春海と出会ってから、早くも四年が経過していた。

四年もの月日の間で何もなかったのか、と思われるかもしれないが、男女の関係という意味合いでは特に何もない。

しかし、姫沢はあの後何度も道場にきたし、姫沢が遊びにきてくれることがいつからか俺も楽しみになっていたことは間違いない。


だが悲しいかな、俺の暮らす施設と姫沢の家はかなりの距離があるので、毎日会えてハッピー!というわけにはいかない。

まず歩いて行ける様な距離ではないし、これから通う中学校も当然学区が違う。

姫沢は電車で来てくれているが、毎回交通費を使わせていることに対して俺は、少しばかりの後ろめたい気持ちを抱えていた。


少し早いかな、と思うが思春期を迎えて、俺も生意気なことを色々覚えたりして館長に逆らったり姫沢に失礼なことを言って、よくぶん殴られたりしていた。

それなりの頻度で俺は、ボコボコにされていた気がする。

それでも俺の中での姫沢に対する気持ちが膨らんでいく一方で、出会ったその日にされたキスの件については、未だに聞けないでいる。


何であんなことをしたのか。

聞いてしまえば、今の関係ではいられなくなってしまうかもしれない。

そう思うと、何だか聞くのが怖くなってしまって、いつも通り遊んで終了、ということが続いていた。


そんなある日、良平から良平のクラスの一人が小学校の卒業式で女子に告白するらしい、という話を聞いてそいつのことをすごいと思った。

勇気あるなぁ、なんて思っていたのだが、良平はそんな俺を見てニヤリと笑う。


「お前は?告白しないのか?姫沢さん、きっと待ってると思うんだけどな」


キスの件も含めて、それなりに離れたところに住んでいるのに足まめにこっちまで来てくれるということからも、姫沢は俺を憎からず思っている、とは思っていた。

しかし、確証がない。

いや、ないわけじゃないんだけど……だけどキスまでしといて別に遊びだし、とか開き直られたら俺は多分引きこもっちゃうだろう。


恋愛経験など皆無の俺だったが、良平の一言に俺の心はこの時揺れ動いたんだと思う。

小学校の卒業式には間に合わなかったが、卒業して数日、俺は姫沢に思いを伝えようと決めた。


なるべく人気のないところで、と場所を念入りに探して、結局近所の公園で待ち合わせをして姫沢を待つ間、正直俺の心臓は今までにないくらいに鼓動が高鳴っていた。

手も震えたりして、姫沢が来るまでの時間が何時間にも感じる。

落ち着け、って心の中で呟いて深呼吸をしていたら、姫沢が現れた。


「お待たせ。何か今日は雰囲気違う?」

「え?そうか?特に変わってないと思うんだけど……」


今までと違うところがあるとすれば、それは俺の心構えだろう。

まぁ多分、こいつのことだからそんなの気づいてるんじゃないかなって思うんだけど。


「何か話があるとか言ってたけど、今聞いてもいいの?」

「あ、ああ……えっと……」

「どうしたの?らしくないね」


俺らしいって何だよ、と思うものの上手く言葉にできない。

過去に二度ほど空手の大会に出されたことがあったが、その時でもこれほど緊張したことはなかった。

だが、切り出さなければ前に進むことはできない。


仮にダメだったとしても、ここで躓いていたら俺に未来はないだろう。

一世一代の覚悟を決めて、俺は姫沢にあの日のことを聞くことにした。


「なぁ、何となく聞いちゃいけないかなって思ってたんだけどさ」

「何、突然」


そう言った姫沢だったが、俺の言いたいことは何となく伝わっている様に見えた。

姫沢の勘働きは、もはや常識を逸しているレベルだ。

昔から隠し事なんかはすぐにバレて、言いたいことは大体顔に書いてあると言って看破された。


今回に至っては俺の様子を伺う様な、言い出すのを待っていたんじゃないかという様な顔をしている様に見えた。


「何で、キスしたの?」

「…………」


あのキス事件からはもう四年が経っている。

周りはさすがにネタにもしなくなったし、覚えてるのは俺たち二人だけと言ってもいい。

俺の言葉を受けて、姫沢が少し顔を赤くしている様だ。


正直、こいつが顔を赤くしてるのなんかほとんど見た記憶はない。

だからなのか、普段から可愛いとは思っていたが、更に可愛く見える。

しかし、今日ばかりはそんな呑気なことを考えて終了というわけにいかない。


ここではっきりさせて、あわよくば前に進みたい。

だから俺はこの四年の禁を破った。


「俺たち、初対面だったはずだよな」

「うん……そうだね」

「理由が、あるんだろ?」

「理由……か」


以前、キスのことを聞こうと考えて、だが直球だとがっついてるなんて思われそうで、関係なさそうなところから攻めよう、と日本人かどうかを聞いたことがある。

当然のごとく日本人であるとの回答が返ってきて、キスが挨拶だなんていう習慣がないことは確認済みだ。

その質問の段階でバレていてもおかしくないとは思ったが、姫沢からの追及はないままその日は終了した。


「軽蔑したり、怒ったりしないって約束できる?」

「あー……うん、わかった。怒ったりしないよ。というか、俺が怒ったところでお前にゃ勝てないんだけどさ」


実際あの後、姫沢とは組手をやったりしたし、一度も勝てないまま今日まで来てしまっている。

無意識で俺が本気を出せなかったという可能性もゼロではないかもしれないが、本気を出せたとしても俺はきっと彼女に本気で打ち込むなんてことはもうできないだろう。


「茶化さないでよ……理由だよね。実はね……」

「うん」

「…………」


少しの沈黙。

この少しが、やたら長く感じる。

あれは遊びだったんだ、ごめんね!とか言われたら……なんて嫌なことを考えて胃が痛む気がしてくる。

正直気が気でない。


「……おい」


さすがに沈黙に耐えかねて、声をかけてしまう。

何てこらえ性のない男なんだ……。


「うん、ごめん。宇堂がさ、何か可愛らしく見えて」

「は、はああぁぁぁ!?」


想像もしていなかった返しに、思わず声がひっくり返ってしまった。

こいつは一体、何を言っているのか。


「か、可愛いって……」

「子どもみたいで……ていうか今も子どもだけどさ、私たち」


子どもみたい、か。

昔からよく言われてたよ。

小学校卒業に至っても、まだ低学年くらいの扱いなんかザラだったからな。


身長が低いことも起因しているんだろうが、何より発言と行動の幼さがより幼く見える原因なんだろうと気づくのはもう少し先のことだ。


「嫌だった……?」


珍しく、恐る恐ると言った様子で姫沢が俺に尋ねる。

明日雨が降ったりしないといいんだが……。

しかし、この顔に俺は何故かトキメキを覚えてしまって、軽く心臓が跳ねた。


「あ、いや……嫌じゃなかったよ。それどころか、あの後からそのことばっか考えていたわけだし……」


ときめいたからなのか口の滑りも良くなってしまって、ついつい本音が零れてしまう。

さすがにキスのことばっか考えてたとか、軽蔑されるのは俺の方だろう、普通に考えて……。


「スケベ……」


ほら言わんこっちゃない。

軽く軽蔑した様なまなざしを向けられて、俺はまたもドキドキし始める。

一応、男としては汚名返上しておかなくては。


「ば、バッカお前……男なんてのは大体そんなもんなんだぞ」


本当にそうなのかは知らないが、良平辺りはそんな感じに見えるし、きっと同類だろうと考えて知ったかぶった知識にもならない知識を振りかざす。

だが姫沢は、嫌悪しているという様子ではないみたいだった。


「ずっと考えてたってことは、さ……もう一回、したい?」


姫沢の思わぬ返しに、俺の心臓がこのまま止まっちゃうんじゃないかって言うくらいに高鳴る。

鼓動の速さがかつて経験したことがないほどに、異常なスピードを更新した。


「も、もう一回……もう一回って……」


したくないわけがない。

次はいつしてくるのかな、なんて考えたことだってあるんだ、こっちは。

それがしたくない、なんてのは偽善以外の何物でもない。


正直なことを言ってしまえば、ベッドの下に隠してあるセクシー系の漫画雑誌みたいに、もっと先まで色々と……なんて先走ったことを考えていると、不意に顎を掴まれてあの運命の日が再現された。

一度していることだし、そんなに俺が動揺するなんて思うなよ!?


「お、お、おま……」


――って考えていたはずなのに、俺の口は全く滑らかに動かない。

寧ろあからさまに動揺している。

どどど、どうしよう、本当にされたぞ……。


なんて考えていると、再度俺の口が姫沢によって塞がれる。

こ、今度は舌が……!!

これは……俗に言う肉食系女子ってやつか!?


「もっと、したい?」

「ま、待って!もう余裕ないから!!本当に!!ちょっと待って!!」


やっとの思いで半ば絶叫する様に哀願する。

このままだと男として、告白とかする前に色々やらかしてしまう。


「ごめんごめん」


こんなテンパった俺とは対照的に、姫沢は余裕の表情で薄笑いなど浮かべているではないか。

……と思ったが、俺はふと気づいたことがある。

ああ、こいつもやっぱり人間なんだな。


少しだけだが、手が震えている様に見える。

いや、まさかとは思うけど武者震いです、とか言われたら俺がこの後料理されるんじゃないか、って……いやないな。

恋愛経験皆無の俺でも、こればっかりはわかる。


「ひ、姫沢……お前も緊張してたの?」

「!!」


俺の一言にはっとして、姫沢が両手を後ろに隠した。

今だ、ここしかない!


「スキあり、っと……」


一体何をしているのかって?

実は以前……大分前のことだけど、姫沢とは一つの約束をしていた。


「私から一本取れたら、一つだけなんでも言うこと聞いてあげるよ」


こんな、世の健全な男子だったらけしからん妄想にまみれそうな魅力的な提案。

当然俺も良からぬ妄想をしながら、日々姫沢に挑んでいた。

もちろん、先ほど言った通り一度も勝つことはかなわなくて、ああ、これは一生かかっても無理だな、とか半ば諦めていたものだ。


もしかしたらわざと手を引っ込めてくれたりって、優しさなのかもしれない。

だとすれば、姫沢は俺の告白を断る気がないんじゃないか、という謎の自信が湧いてくる。


「……ず、ずるいよ!こんなの……」

「へ、へへーん!勝ちは勝ちですー!」


少しわざとらしく大げさに、勝ち誇って見せる。

こういうところも子どもっぽいって言われる部分なんだろうとは思う。

でも、嫌がっている様には見えない。


それどころか、何か艶っぽいっていうのか……とっても、魅力的です……。

卑怯な手を使いはしたが、こうでもしないとまずこいつから一本とか取れないからな……。

さっさとお願い、してしまおう。


「姫沢春海。これから俺はお前に一つの願いを叶えてもらうからな」


さっきまで散々震えてビビってたくせに、と自分でも思うのだが、一応こういう時くらいはカッコつけておきたい。

一方の姫沢は、何を言われるのか、という顔をしている。


「姫沢、俺はお前とこれからもキスがしたい」


姫沢は答えない。

俺ももう一言だけ、言いたいことがあるし好都合だ。

すっと深呼吸して、その一言を言い放つ。


「だから、俺の彼女になってください!!」


俺史上、これ以上ないくらいに声を張って、頭を下げた。

近所に丸聞こえなんじゃないか、とつまらないことを考えるが、それでも頭は上げない。

たとえ近所に冷やかされることがあったって、俺はこいつを手放したくない。


だから、頭を下げ続けた。


「ずるいなぁ……そんなこと言われたら……」


ぼそっと姫沢が呟くその声は、普段よりも多少戸惑っている様に聞こえた。


「顔、上げて?」

「いや、返事をだな……」


断るにしても正面から、とかそういう姫沢なりの慈悲だろうか。

そんな慈悲は、嫌だ……。

そんな俺のマイナス思考を打ち切る様に、姫沢は続ける。


「上げてよ。じゃなきゃ、キスできない」

「!!」


またしても俺の予想を裏切る返しに、一瞬は固まったが恐る恐る顔を上げる。

その瞬間に肩を掴まれ、そして。


「せやっ!!」


気合一閃、姫沢の右ひざが俺の腹に勢いよくめり込んだ。

さっき卑怯なことをした、意趣返しってわけね……。

目の前が真っ赤になって、こういうオチか……なんて思っていたところで唇に柔らかい感触があって、痛いはずなのに思わずニヤけてしまった。


「こっちこそ。よろしくお願いします、大輝」


こうして、俺と春海の交際は始まることとなった。

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