第47話
『うおおおおおおおお……おぼぼぼごごご……!!』
『ちょ、ちょっと大輝くん!!雄たけびあげながら食べたらそうなるわよ!!ちゃんと噛んで食べなきゃ!!』
私は昨日の大輝と望月さんの勝負のことを思い出していた。
あの時の大輝の変貌っぷり……。
どう見ても尋常じゃなかった。
人が変わったとか、そういうレベルじゃない。
何より、一瞬感じたあの黒い気配。
あれは一体何だったんだろうか。
あの時私は、大輝の胃の中身を何処か別のところにでも転移させようと思ってしゃしゃり出たわけだが、結果として私の力を使うことなく勝負は決した。
あの黒い気配が出た瞬間の得体の知れない不気味さ。
あれに私は一瞬怯んだと言ってもいい。
そして、手を引っ込めた直後に大輝は変貌した。
もちろん見た目が変わったわけではない。
『ヨコセ……オマエノブン……』
『え?あ、ああ……ど、どうぞ……』
まずこの時点で大輝らしくないところが満載だ。
大輝は基本的に礼儀を大事にする。
現に愛美さんといい仲になって尚、敬語は崩さずにさん付けで呼ぶし、何よりお前とか寄越せとか言わない。
明らかに年上であるところの望月さんを相手に、あんなことを言うというのは普段の大輝からは考えられなかった。
その辺はきっとみんな違和感を覚えていたんじゃないかと思う。
望月さんも動揺していたし。
何より決定的なのは、その後だ。
驚異的なスピードで自分のノルマ四十人前を平らげたと思ったら、望月さんの分まで食べちゃって、その後大輝はゆらりと立ち上がって望月さんの元へ行った。
『な、何だ……す、寿司ならもうないぞ……お前がもう食べてしまったじゃないか……』
何処か怯えた様な表情で望月さんは後ずさっていたが、この時点でもうおかしくなっていることは明白だった。
『オマエ……ウマソウ……』
これが物理的に食べたいという意味なのか、それとも女性として魅力的ですね、という意味なのかはすぐにわかった。
何故なら、動揺した望月さんの唇に一心不乱にむしゃぶりついて、大輝の本気のベロチューが炸裂したからだ。
最初は抵抗していた望月さんも、次第に蕩けた様な顔になって行って、これはまずいと思って私たちは止めに入った。
あれだけ望月さんを怖がっている様子だった大輝が、あんな行動に出るなんてのは不自然なところだらけで、何処から突っ込めばいいのかわからなかった。
大輝には申し訳ないと思ったが、少し手荒な手段を用いて大輝の意識を奪い、椅子に手早く縛り付ける。
蕩けて飛んでいた意識が戻った望月さんが泣き崩れるのを、明日香が宥めるという。
何だか意味不明な構図だった。
大輝はその後すぐに意識を取り戻したが、様子がおかしかった時のことは覚えていないと言っていた。
ということは、あの時大輝は何かに操られていた……?
そして私には、その下手人の当てがあった。
「おお、スルーズか。久しぶりだな」
「やぁヘイムダル。相変わらず掃除のおじさんみたいだな」
やってきましたお馴染み神界。
一応言っておくが、ヘイムダルが下手人というわけではない。
こいつの趣味は主婦業。
ヴァルハラ周辺及び内部の掃除と、中の住人の食事を作るのが何よりも楽しいという変人だ。
大輝にちょっかいかけてる余裕なんかあったとは思えないし、そもそも動機がないだろう。
「ノルンなら今オーディン様と話をしていると思うぞ」
「ああ、そうなんだ?大事な用事かな」
「いや、世間話がしたい、とオーディン様は仰っていた。大した用件ではあるまい」
「そっか。まぁ、今日はノルンに会いに来たわけじゃないんだけどね。……ロキは何処?」
ロキの名前を出した瞬間に、自分でも無意識のうちにオーラが漏れ出てしまうのがわかった。
そしてそれを察知したヘイムダルは、戦慄して一歩後ろに下がる。
「あー……多分ヴァルハラから出ていないはずだが……」
「そっか、ありがと。掃除、頑張ってね。もしかしたらまた散らかしちゃうかもしれないけど……その時はごめんって言っとく」
「あ、ああ」
そう、犯人はヤスではなくロキ。
確信があった。
というかこれから悪いことがあったら全部ロキのせいにしてやろう。
違ってたらどうするんだって?
……その時はその時でしょ。
逸る気持ちを抑えて、私はヴァルハラに足を踏み入れた。
しかし、オーディンの部屋以外全部見て回ってもロキの姿は見えない。
あの野郎、まさか逃げたのか……?
いや、私はいつもアポなしで来るから、さすがに今回のことも察知はできてないと思っていた。
となればオーディンの部屋か。
あんまり気は進まないけど行ってみることにするか。
一応の上司の部屋でもあるし、ノックをする。
するとノルンが出てきてびっくりした顔をしていた。
「あ、え、スルーズ?ど、どうしたの……?おっかない顔して……」
「どいて。ロキ、中にいるんでしょ?」
「い、いるけど……」
「や、やぁスルーズ……ご機嫌そうだね」
中から震え声が聞こえた。
いつものヘラヘラした様な感じではなく、心の底から怯えた様な声だ。
自分がどうして訪ねてこられたのかを、理解している様に見える。
「おお、スルーズか。どうした、久しぶりだが……」
「悪いけど、あんたに用事じゃないから。ちょっと引っ込んでてくれる?」
見た目は五歳くらいの男の子というカオスな見た目の、主神であるオーディンが友好的に話しかけてきたが、私は今それどころじゃない。
溢れる怒りを抑えるので精いっぱいだった。
「何があった?どうも穏やかでないのう」
「引っ込んでろって言ってんの。ガキは大人しくペロペロキャンディでも舐めてろ」
「ちょっとスルーズ、オーディン様にそんなこと……」
ノルンが慌てて止めに来るが、私のひと睨みでまたも後ずさる。
オーディンが本当はガキじゃないなんてこと、わかってる。
というか私よりも年上だったはずだし。
「それ以上そのクズを庇おうって言うなら、たとえあんたでも容赦しない。もう一回だけ言う、引っ込んでろ」
正直オーディンが楽な相手でないことは重々承知している。
そしてこの現状をヘイムダルが見たら、あいつもマジ切れして私とのバトルが始まってもおかしくない。
あの主婦はオーディンに心酔しているから。
「ほう、面白いのう。お前とやるのは何年振りだ?久しぶりにわしも運動させてもらおうか」
そう言って杖を取り出し、剣呑な雰囲気を纏うオーディン。
五歳の男の子という見た目に反して、尋常でない闘気がオーディンを中心に展開されていくのがわかる。
不覚にも血が騒いでしまうのを感じた。
こいつの繰り出す裁きの雷は、どの神をもってしても回避不可能と言われるほどの速度を誇る。
以前私も食らったことがあるが、とんでもない速さにとんでもない威力。
こんな見た目してあんな力持ってるなんて、反則だよなと思う。
「ちょっと待ってください、オーディン様!!こんなところで暴れられては困ります!!私だって巻き添え食いたくないし……」
必死な声で抗議するノルンだったが、後半が尻すぼみになっている。
その後半がノルンの本音であることはすぐにわかった。
確かに巻き添え食ったら、それこそ短くても三日は身動き取れなくなってしまうから。
だが、私だって何の策も持たずにこの強大な敵に喧嘩を売ったりはしない。
「面白いじゃないか。運動不足のショタジジイに何が出来るって?そのご自慢の杖で私を罰してみるか?それとも見た目だけじゃなくて、脳みそまで五歳児になっちゃったからお姉ちゃんが怖くて手が出ないんでちゅか~?」
「どうしてもわしを怒らせたいらしいな……」
見た目は変わらないのに、先ほどの剣呑な雰囲気にプラズマが纏われる。
どっかのエロ仙人みたいに筋肉モリモリになったりしたら面白いのに。
というかこんなつまらない挑発に乗るから、脳みそまで五歳児だって言ってるんだけどな。
「わしの裁きの痛み、忘れたというのであれば思い出させてやろう!!くらえ……」
「ガラ空きだよ!!食らうのはあんただ!!」
オーディンが叫んだ瞬間私も飛び出し、手にしていた杖を蹴り飛ばす。
部屋の隅まで飛んでしまった杖に気を取られて隙だらけになったオーディンに、私の攻撃を防ぐ術はなかった。
「ぐふぉ……」
五歳児に容赦ない腹パンがめり込み、オーディンは悶絶する。
いつまでも私がその雷に対策をしていないと思ったら大間違いだ。
「ふん、そのまま寝てろ。……さて、次はお前だ」
そのまま倒れたオーディンを、ノルンが介抱している。
どう見てもガキ相手の虐待にしか見えない構図だが、舐めてかかれば私がやられていた。
「ちょっとスルーズ、やりすぎだって……」
「うっさい。邪魔するやつは指先一つでダウンだ」
「指先どころか拳めり込んでたじゃん……」
後で怒られるかもしれない、とでも思っているのか不満たらたらのノルンはこの際放置することにして、私は改めてロキに向き直った。
私とオーディンが戦ってる間に逃げてるかも、と考えたものだったが逃げなかったのは評価できる。
「用件はわかってそうだね、ロキ。外出ろ。ここじゃ物が壊れる」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。落ち着かないか?」
「やめなって、スルーズ……ちゃんと聞けば話してくれると思うよ?」
「ノルン、あんたにも関係ないんだから引っ込んでろ。ロキ、出ないんだったら私が無理やり出してやるよ」
部屋の空気がピリピリしているが、これはおそらく私とオーディンのせいだろう。
散々暴れて暴力まで振るっておいて何だが、さすがにこれ以上上司の部屋で暴れるわけには行かない、と考えた私はオーディンの部屋の窓を開けた。
「ちょっと、スルーズ何処行くつもり!?」
「ぶっ飛べおらあああああああああ!!」
「う、うわあああああああ!!」
私は答えず、震えているロキの首根っこを掴んで窓から全力投球した。
そして直後に私も窓から飛び出して後を追う。
「さて、私は言ったはずだよな。大輝に何かしたら……ってさ」
ロキを追う途中、適当な森を発見したのでロキに追いついて地面に叩き落し、その後正座させている。
これから始まるのは尋問ではなく拷問だ。
「これから私がする質問に、お前はYesかはいで答えるんだ。口答えは許さない」
「ええ……それはちょっぼふあ!!!」
早速余計なことを口走ったロキの口に、回し蹴りを見舞う。
思いのほか良いのが決まってしまい、ロキは数メートル吹っ飛んで倒れた。
「立場ってものが分かってない様だから言っておくが……お前がやったんだってことは何となくわかってる」
「な、何となくって……」
よろめきながらロキが立ち上がり、理不尽だ、という顔をしている。
一瞬はこいつじゃないのか、なんて思いそうになったが他にあんなのを使いそうなやつの心当たりはない。
そしてこいつにはそれが出来るタイミングもあった。
だから私はこいつだと確信しているのだ。
さっきの蹴りで前歯が数本折れたみたいだが、まだ喋れるということは大丈夫ということ。
手当てなんか後でいい。
「じゃあ、何でお前は私を見て怯えた?答えは簡単だ。お前がつけたあの黒いのは、発動したらお前にもわかる様になっていたからだ。違うか?」
「…………」
「タイミングはそうだな……大輝と朋美の父親のバトルの時じゃないのか?お前はあの戦いを見ていたと言っていた。私に気取られずにそんなことができるとしたら、そのタイミングくらいしかないだろ」
「う……どうも、敵わないね……。大体合ってるよ。だけど、僕にも言い分はあるんだ。聞いてもらえないだろうか」
懇願する様な表情になったロキが、漸く説明する気になった様だ。
最初から素直に吐いていれば、ここまで痛い思いをせずに済んだだろうに。
「あ、あと……いくつか質問したいことがあるんだ。それも許してほしい」
「わかったからとりあえず座れば?……逃げようなんて思うなよ」
「逃げたりなんかしないよ……」
そう言ってロキは私の前に座る。
口が血まみれで痛そうだ。
まぁ、私がやったんだけどさ。
「まず……スルーズ、君は自分が失敗した、と思う様なことはなかったかい?」
「はぁ?何言ってんだお前……私が失敗とかありえないだろ。完璧なんだよ、私は」
厳密には私というか私がノルンから力を借りて、完璧な今があると言えるのだが。
だが一方で私自身は割とうっかりしていることが多い。
もちろんつけこまれる原因にしかならないからそんなことは言わないが。
「大した自信だと思うけど、君は確か宇堂大輝に稽古をつけていた。間違いないよね?」
「ああ、そうだな。だからあの戦いを大輝は何とか乗り切れたんだ。それがどうかしたのか?」
「あの時、君は間違いなく神力を宇堂大輝に付与しているんだ」
ロキの言葉に、一瞬頭が真っ白になるのを感じた。
私が、大輝に神力を?
こいつの言うことが本当なのだとすれば、私はとんでもないミスを犯していたことになる。
遥か昔……ラグナロク真っ只中の神界において、一人のエインフェリアの青年が悩んでいたことがあった。
それは他のエインフェリアとの力の差についてだ。
元々が人間である彼は、いくら強くなったからと言っても限界があることを知っていた。
だが、何とかして彼は自分の力を底上げしたかった。
何故なら自分の不甲斐なさのせいで、周りの足を引っ張っていると思い込んでいたその青年。
周りは当然、足りないところは補い合えばいいと言った。
だが彼は納得しなかった。
そして納得しなかった彼は、禁断の手段を取ることになる。
『私に神の力をお貸しいただけませんか』
そう願い出る彼に対して、名のある神は力を貸さなかった。
当時、まだ神力を人間に付与するという考え自体がなく、前例もなかったため付与した場合にその母体の神の神力が減ってしまって、結果的に戦力ダウンすることが懸念されていたのだ。
もちろん、今でこそそれをしたからと言って神の力が減ったりしない、ということは実証されているが、当時はそんな発想すらなかったのだから仕方ないことと言える。
結果、彼は力を得ることができた。
力を貸したのは当時まだ若い神だったバルドルだ。
彼曰く、放っておけなかった、とのこと。
そしてその時はまだ、誰も神力を付与された人間がどうなるか知らなかった。
だから単純に戦力強化ができた、と誰もが楽観していたのだが、答えは五日後に出た……誰も想像しない様な形で。
力を付与された人間の男の肉体は徐々に崩壊していったのだ。
これは後でわかったことだが、人間の体に神の力は定着しない。
体内を駆け巡って、一時的な力を与えることにはなるが、その駆け巡った力は肉体を崩壊させてしまうのだ。
人によっての個人差はあるみたいだが、適度な神力による中和が行われなければ、そのまま付与された人間は数日のうちに死を迎えるのみとなってしまう。
だから私も大輝を始めとする人間に接触する場合には、細心の注意を払っていた。
それが、抜けていた瞬間があったということだ。
私としたことが、何をしていたんだ……。
思い当たるのは、あの通背拳の時。
確かに大輝の上達っぷりが嬉しくて浮かれていたかもしれない。
気を抜いてしまった瞬間があった、ということかもしれない。
「まぁ、そういうことなんだけど……彼はまだ生きているだろう?」
「…………」
私のプライドの高さを気遣ってか、ロキが優しい言葉をかける。
鬱陶しい。
変な気遣いとかいらないから。
そう、ロキの言う通り確かに大輝はまだ生きている。
特に変わった様子もなく……少なくとも昨日までは。
そして私は同時に、こいつに借りを作ってしまったのだと瞬時に理解した。
全て上手く行っていたと思っていたのに、こんなところで……。
この男、どう処理してくれようか……。
全て吐かせた上で考えればいいか。




