第44話
「大輝くん、今日なんだけど」
放課後の学校。
桜子と俺、そして明日香が帰り支度をしながら今日はどうしようか、という話をしている時のことだった。
もうすぐ夏休みだというのに、まだあと一週間程度授業は通常仕様らしい。
「私の家に来ない?」
明日香が前触れもなく言う。
一応、以前から一度来てみないか、という様な話はあった。
しかし、その時は何となく春海とのことを思い出したりして憚られていたので、お茶を濁したりしてきてはいたのだ。
ただ今回に関しては春海のことはもう考える必要がなく、寧ろ行くならあいつも一緒にということになるので、たまには人の家に行くのも悪くないかなと言う考えに至った。
「今日どうするか決まったの?」
校門を出たところで、睦月が手を振りながら話しかけてきた。
俺たちがさっき授業終わったばっかなのに、何でこんな早くきてんの?と思わなくもないが、仮に同じ時間で終わっていてもあいつはその気になれば一瞬でこっちまで来られるのだ。
「ああ、明日香の家に行こうって話になってるんだけど、睦月はそれでいいか?」
俺に全てを決めさせようなんて、責任重大な真似は勘弁してもらいたい。
正直それで後々文句が出たりしたらちょっと凹んじゃいそうだから。
なので一応睦月にも聞いておく。
そういえば愛美さんは大丈夫なんだろうか。
時間的にまだ仕事中っぽいけど。
「私はそれでいいよ。寧ろ明日香の家って興味あるし」
「愛美さんは今日来られないのか?」
一応確認だけはしておかなくては。
後で何言われるかわかったもんじゃないからな。
「何か会社の飲み会があるとか言ってた様な」
顎に指を当てながら思い出す様に桜子が口を開く。
何その仕草、ちょっと可愛いんだけど。
「なら四人で行くか。明日香の家はそれで大丈夫なのか?」
「ええ、私の家は問題ないわ。というかもう、仮に他のメンバーがダメでも大輝くんだけは来るって想定されているみたいなの」
「は?どういう意味だそりゃ」
「どうしても大輝くんを連れてきてほしいって話でね。朝のうちに私も必ず連れて行くわ、と言ってあるのよ」
どうもよくわからない。
そこまでして会いたいって言ってる家族がいるってことか。
そういえば明日香の家の人間って何してる人なんだろう。
明日香って育ち良さそうだし、何となくお嬢様なイメージなんだけど。
あれか、娘を傷物にした男を……これどっかで見た流れだな。
軽く警戒はしておく必要があるかもしれない。
学校からそこまでの距離がない明日香の家。
歩いて大体十五分と言ったところだろうか。
蒸し暑い今日みたいな日は、その程度の距離でも汗ばんでしまいそうだが今日体育あったし、もう今更かな。
「……でかいな」
「おっきいね……」
「やっぱり明日香、お嬢様なんだね。そうじゃないかとは思ってたけど」
立派な旧日本家屋という佇まいの明日香の家。
ちゃんと門なんかもあって、門を開けるとその先には庭が広がっている。
池なんかもあって、お高そうな鯉が泳いでいるのが見えた。
「大したことないわ。先に言っておくのだけど……今日、両親は用事で出かけているの」
「え?そうなの?ってことだと、誰が俺に会いたがってるんだ?」
「ええと……父も母も見てみたいとは言っていたのだけど、今日はその……」
何とも煮え切らない。
まぁ、両親に会うにしても突然過ぎるし、前もって言ってくれよ、という気持ちがないでもない。
「そういえば明日香ちゃんはお嬢様っぽいけど……親御さんは何してる人なの?」
俺が何となく遠慮して避けていた質問を、桜子がさらっとしてしまう。
「あ、私何となくわかっちゃったかもしれない」
睦月は何でもわかっちゃうんだな。
さすがというか……でも、この家見ただけで思いつくのなんか政治家とか……それはそれで厄介そうだな。
でも育ちが良いのは納得かもしれない。
「それに関しては、家に入ればわかると思うわ。ついてきて」
そう言って明日香は玄関へと歩を進めていく。
後ろについて歩いている俺は、人の家という落ち着かない空間に足を踏み入れてキョロキョロしてしまう。
「大輝、もう少しシャンとして。キョロキョロしてたら失礼でしょ」
「あ、お、おう、そうだな」
春海の家で慣れていたはずの人の家なんだが……やはり初めて来る場所というのは落ち着かないのかもしれない。
玄関の中もそれはもう立派な作りで、俺みたいなのが立ち入ってもいいのか、と軽く罪悪感みたいなものが生まれてしまう。
そんなことを考えた直後、ドドドド、と地鳴りの様な音が家の奥の方から聞こえてきた。
「な、何だ!?」
「ああ、もう……来ないでって言っておいたのに……」
明日香が頭を抱えて俯く。
どういうことだ?
この地鳴りと関係があるのだろうか、と思ったところでその地鳴りの正体が見えた。
「明日香お嬢さん、お帰りなさいませ!!」
俺たちの前に立ちはだかる屈強そうな男が、何と十人以上。
顔に傷があったり坊主だったりと、これはどう見ても……。
「お、おい明日香……お前の家ってもしかして……」
「…………」
「なるほど……明日香ちゃんがあまり家のこと言いたがらなかったのってこういう……」
「うん、何となくわかってた。外に黒塗りの高級外車停まってたし。ヤクザ、ってことだよね」
さすがの桜子も今回ばかりは顔色が悪い。
そして睦月はこれを予見していたということか。
睦月だけは至っていつも通りに大勢の男どもを見ている様だ。
「……ただいま。今朝のうちに、出迎えはいらないって言ったと思ったのだけど……」
「お、おい誰か聞いてたか!?」
男の一人が慌てた様に全員を見回す。
いや、聞いてない、とかお前聞いてなかったのか?等々声が飛び交っている。
騒がしい家だな、それにしても。
「も、申し訳ありませんでしたお嬢!!俺が今朝聞いていたはずなのにすっかりと忘れちまって……」
男の一人が前に出て、姿勢を正す。
これまた屈強そうな男だ。
しかし身なりは正しい。
ってことは何だ、あの懐にはまさかと思うが拳銃なんて……。
「お嬢のお友達の前でこんな失態犯すなんて、俺、死んで詫びます!!」
そう言って男が懐から本当に拳銃を取り出す。
そして、銃口を自らの頭に当て、きつく目を閉じた。
「お、おい明日香!!何とかしろよ!!」
「ちょっと、やめなさい!!別に怒ってはいないわ!!」
「ですが……!!」
桜子が更に青くなってあたふたし始める。
睦月は何となく薄ら笑いを浮かべている様だった。
彼女の家でいきなりスプラッタとか勘弁してもらいたい。
「何騒いでんだ!!」
そう思った時、更に奥から甲高い叫び声が聞こえて、男たちが一瞬にして平伏した。
甲高い……女か?
玄関に詰め掛けていた男たちが道を空け、その道を歩いてくる凛とした雰囲気の女性がいた。
「マサ……お前そんなことでいちいち命を捨てるつもりかバカ野郎。しかもお嬢の友達の前で……お嬢の話を忘れていたってのは確かに重罪だけどな、次こんな騒ぎ起こしたらコンクリ抱かすぞ」
第一に凄く綺麗な人だと思った。
なんだけど、言うことが物騒だし物凄く迫力がある。
そしてタイトスカートの黒いスーツがとてもよく似合っている。
「望月、いいからまず彼らをどうにかしてもらえないかしら。せっかく来てもらったのに玄関で過ごせとでも言うつもりなの?」
「失礼いたしました、お嬢……それからお友達の方々、ようこそいらっしゃいました。今しばらくお待ちを」
そう言って望月と呼ばれた女性が男どもを奥に引っ込める。
この男どもをまとめる立場にいるということか。
どう見てもまだ二十代くらいの女性なのに、大したものだ。
「……お騒がせしました。改めまして、ようこそ皆さま方。私はお嬢の世話係兼、宮本組の若頭を務めさせて頂いております、望月と申します」
「世話係……とんでもない家だな……」
ぼそっと呟いた俺を、望月さんが見る。
目が合って、何となくの敵意を感じた気がした。
「あ、え、えっと宇堂大輝と言いまして……その、明日香……さんとお付き合いさせてもらっています」
「お噂はかねがね……お嬢がよく宇堂さんの話をされていました。それから、お仲間の皆さまのことも」
慌てて名乗ると、望月さんはキラリと目を光らせ、俺に名刺を渡してきた。
若頭、望月和歌とある。
可愛い名前だなぁ、なんて考えていたら、今度は明日香と桜子、睦月が鋭い視線を向けてきた。
「大輝くん、鼻の下伸ばしてないで早く入ってもらえるかしら」
「本当、綺麗な人だからってあからさま過ぎて引くよ、大輝くん」
「まぁ、大輝の好みっぽいしね」
「…………」
好き放題言ってくれるなこいつら……。
だが睦月の言うことはある程度的を射ていると言える。
正直なことを言えば、滅茶苦茶タイプな人だと思った。
それに年上のお姉さんとくればもう……。
俺の妄想が悶々と膨らんでしまう。
「はぁ。何となく言いたいことがわかってしまうから複雑だけど、まずは部屋へどうぞ」
呆れた様に明日香が俺たちを応接間っぽい部屋に案内してくれた。
こんな時でも俺は顔に出てしまっているということか、恥ずかしいな。
カバンを置いてお高そうなソファに腰かけたところで、先ほどの望月さんから声がかかり、何故か俺だけ呼ばれる。
まさか……もしかしてもしかしちゃう?
明日香が気を利かせて年上のお姉さんと縁結びを……いやそんなはずはないな。
「ちょっと呼んでるみたいだから行ってくる」
「大輝くん、本当に鼻の下が伸びてるわ。そんな色気のある話じゃないと思うからシャンとしてもらえるかしら」
「…………」
そんなことはわかっている。
大方俺を見てみたいと言ったのも望月さんなんだろう。
そして、俺を見て明日香に相応しいかどうかを見極めようとかそんなことだろうと推測される。
若頭ってことは明日香の親父さん辺りが組長なんだろうし……用事で見られないから代わりに見ておけとか言われてるんだろうな。
ちらりと明日香たちを見ると、既に三人だけで茶菓子なんか食べながら歓談を楽しんでいる。
何となくの疎外感に苛まれながら俺は望月さんの元へ行った。
「どうぞ、こちらへ」
望月さんについて歩いていくと、明日香たちがいる応接間からやや離れた場所にある部屋へ通される。
離れと言うやつか。
春海の家くらいしか、女の家なんてきたことないけどここはここで豪華だなと思う。
ここも宮本家の居住空間として利用しているのだろうか。
「おかけください」
丸テーブルに一組の椅子があり、その片方に座る様促される。
こんなところで美人と二人きりになると、どうしてもいかがわしいことを考えてしまうのは俺の年齢的にも仕方ないことだと思う。
もちろんそんな妄想に正直になっちゃったりしたら、俺の命が今日ここで終わる懸念の方が大きいので別のことを考えて脳内を誤魔化すことを忘れない。
そう思ってるはずなんだけど……何でこの人こんないい匂いするんだろう。
くそ、これは策略だな!?
俺を惑わして何しようって言うんだこの人!!
「どうかしましたか?」
「あ、いえ……」
苦悶していると、望月さんが怪訝そうな顔で俺を見ていた。
望月さんも俺の前に座って、俺をじっと見据えている。
やっぱこの人俺のこと口説こうとしてない?
「お嬢が惚れた男だというからどんな男かと思えば……」
「え?」
「貴様の様な男に、お嬢が……」
あれれー?何だか望月さんの雰囲気がどんどん変わって行ってるぞー?
綺麗な顔が歪み、笑顔なんだけど……口の端が物凄く引きつって、口裂け女ばりに口角が上がっている。
……怖い。
「え、えっと……」
「おい貴様。お嬢のどこに惚れた?言ってみろ」
「え?」
何その新しい拷問。
何で会ったばっかりの人にそんなこと話さないと行けないんだ?
「私はな、お嬢が三歳の頃から世話をしている。言わば第二の親の様なものだ」
「は、はぁ……」
「一生懸命、手塩にかけて育ててきたつもりだ」
世話係って言うくらいだからそうなんだろうとは思うが……そんな前から面倒見てたってことか。
というかこの人一体いくつなんだ?
明日香が三歳の頃からって言うと、十三年前?
見た目よりもずっと歳食ってるのかな。
「お嬢は物凄く可愛らしい子どもだった……わかるな?」
「え、ええ、まぁ……」
「そんな可愛らしく愛らしかったお嬢が……彼氏など……私よりも先に……いやそれはいいんだが……」
「……?」
今この人何て言った?
何か願望垂れ流してる様なセリフが聞こえた気がする。
もしかしてこの人、見た目通りの年齢だとしたら青春時代の大半を明日香の為に費やしてきて、空いている時間はヤクザの仕事が、とかそういう生活だったのか?
「とにかく、お嬢をどう思っているんだ、聞かせろ」
半ばイラついた様な表情で望月さんが再度問いかけてくる。
下手なこと言ったら撃ち殺されたりなんてこと……ないだろうか。
「え、えーと……そりゃ、大事にしてますよ。こう見えて恩もありますし、それにも応えたいって思ってますから」
「それで?」
「そ、それでって……」
「他にお嬢の魅力はないのか」
何なんだ本当、何が知りたいって言うのかこの人は。
「一応な、貴様らの関係についても聞いてはいる。貴様、その歳で四人も女を囲っているそうだな」
「…………」
何でそういうことこういう人に言っちゃうのかな……。
そしてこの人が知ってるってことは、ご両親もご存じってことですよね……。
「お嬢を、ただのは、ハーレムの一員だなどと考えているわけではあるまいな……!」
何だ、今この人噛まなかった?
エロい単語に抵抗でもあるのか?
いや、ハーレムなんて別に下ネタでも何でもないと俺は思うけど。
「そうは考えていません。ですけど、ハーレムのメンバーは俺にとって全員、掛けがえのないやつらです。代わりなんていませんよ」
「言うじゃないか。……だったら、もう一つ聞きたい」
「何でしょう?」
明らかにさっきまでのおっかない顔から一転、顔が紅潮して何となく可愛らしく見える。
「わ、私は……貴様から見てどう見える……?」
「は?」
予想もしない質問に、つい間抜けな声が出てしまう。
一体何を言ってるんだろう、この人は。
質問の意図を測りかねてしまう。
どういうことだろう……俺を試しているのか?
間違った答えを出したら即射殺、みたいな展開になったりしないだろうか。
俺はとりあえず、じっくりと望月さんを観察して答えを出すことに決めた。




