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第30話

春海が入院してから早くも二週間。

何となくわかってはいたが、最初の頃落ち着いてきたといわれていた春海の病状は、やはり良くなっていたというものではなかった様だ。

日を追うごとにやつれていく春海を見て、俺の予感が正しかったなんていう、嬉しくもない結果が待っていたのだと痛感してしまう。


そして……これは当然と言えば当然なのだが、春海が入院してから数日ほどで、春海のクラスの人間も春海の入院を知ることとなり、一時騒然となったと宮本から聞いた。


割と最近までは気軽に見舞いにも行けていたはずなのに、春海の病状の悪化に伴って面会にも制限が入る様になる。

春海はもはや自分の力で立ち上がることすら困難な状態に陥っていた。

あの春海がここまで弱ってしまうなんてことを、誰が想像できたというのか。


「春海、苦しくないか?」


俺はと言うと、バイトがある日以外は全て、春海の見舞いに訪れている。

元々部活にも入っていないし、バイト以外に大した予定が入ることもない。

授業は何とかやり過ごせば良いし、学校が終わればもう春海の為の時間だ。


春海がこんなことで倒れたりするなんて、ありえない。

そう思い込むことで、俺は自分を保っていた。


「私なら大丈夫だから」


入院直後よりも更に弱弱しく、か細くなった声。

少なくとも、俺の知る春海の声にはもっと覇気があった。

目の前の春海を否定するわけではないが、もはやまともな食事をとることも出来なくなってきていて、点滴や流動食で命を繋いでいる春海を早く元に戻してやりたい。


「腹減ってないか?リンゴ擦ってやるけど、食べれそうか?」

「ありがとう、でも大丈夫」


あれほど食べることが好きで、ある程度肉感的だった彼女が今や、吹けば飛ぶなんて言う比喩の当てはまるほどにやせ細った姿。

頭のどこかではもう、ここまできてしまったら……なんて考えも少しずつだが浮かんできてしまっている。

今直面している現実が、俺にとって大ダメージであることは否定できない。


それでもバイトがある日はバイトに行く。

それが彼女の意志で、望みだったから。

俺としては彼女が望むのであれば、俺は二十四時間どんな手を使ってでも春海の傍にいてやりたいと考えているのに……。


「お前、ちゃんと飯食ってるのか?何だかやつれてきてる様に見えるけど……」


柏木さんの口の悪さは相変わらずだが、それでも俺を心配してくれている様だ。

この人にだってこの人の人生があるはずなのに。


「必要最低限は食べてますから、大丈夫ですよ」


周りに心配をかけているという自覚はある。


春海の病気についてはさわりだけ話してあるが、柏木さんはそれである程度を察した様に見えた。

病気のことを知る以前は、それはもう凄まじいほどの下ネタ絡めたいじりがあったりしたものだったが、病気のことを知ってからはあの柏木さんが言葉を選んで話そうとしているのが窺えた。

正直あのいじり方は俺としては少し辟易していた部分もあったので、助かったといえば助かったと言えるかもしれない。


「なぁ、少し休んだ方がいいんじゃないか?見てて危なっかしいよ、お前……」

「大丈夫ですって。心配かけてるのは申し訳ないですけど、俺は平気なんで」


もう少しだけ正直なことを言ってしまうと、今の俺にとって他人からの気遣いや良心が煩わしくて仕方ない。

こうなってしまうともう、何気ない一言で相手を傷つけてしまいそうだということもあって、俺はやんわりと突っぱねる様にしていた。

そして、そんなことを気取られない為に仕事は異常なほどの笑顔でこなす様にしている。


お客さんと接するときの異常な笑顔は、自分でもわかるほどに気持ち悪い。

こんなのは俺の知る俺ではないということも頭ではわかっている。


「何か最近のお前……何て言うか気味が悪い。本当に大丈夫なのかよ?」


いつか言われるかな、とは思っていたがとうとう柏木さんからもそんなことを言われてしまった。

それでも俺は、この姿勢を崩すことはできなかった。

崩してしまえば最後、俺の中で必死で堰き止めている何かが崩壊して、全てがダメになってしまう気がしたから。


そして学校では昼休みを除けば基本的に一人だ。

時折クラスメートが話しかけてきたりということはあっても、俺はそのほとんどに生返事を返していた。

何故か声は聞こえるのに、話の内容が頭に入ってこないのだ。

そのうちクラスメートは俺に必要以上に構わなくなった。

一人になって色々考えたい俺にとっては好都合とも言える。


その反面、昼休みがいつからか俺には苦痛になっていた。


野口と宮本の二人が俺を心配して色々気遣ってくれる。

何も返せない俺としては、それが何より申し訳なくてトイレに逃げ込んだこともあった。

二人もそんな俺の心境をある程度察していてくれているとは思うが、それでも二人が俺を放っておいてくれることはなかった。


実はそのことで、俺たち三人は多少の衝突をしたこともあったのだ。


「頼むから、必要以上に俺に構おうとするな。今の俺の心境的に、お前らに対して何しでかすか自分でもわからないんだ。お前らを傷つけたいなんて思わないし、理解してくれないか?」


春海の入院初日、あれだけ感謝していた二人にもこんなことを言ってしまう。

ある意味で俺も病気なのかもしれないと思った。

しかし、俺の自分に酔った様なセリフを引き金に、野口も宮本もここで初めて反発してきたのだ。


「何でそんなこと言うの?私たち、友達だよね?宇堂くんには申し訳ないけど、傷つけることも傷つけられることも、とっくに織り込み済みなのに」


野口はこう言って少し悲しそうな顔をした。


「誰がどう傷つけられるって言いたいのかわからないけど、今更でしょう。やつれてしまっている姫沢さんに、それを見て憔悴している宇堂くん。そんな二人を見て痛ましく思う人間がここにはいるの。それに姫沢さんのことに関しては私たちももう無関係ではないわ」


宮本は顔色一つ変えずに言う。

お人よしにもほどがある、と思うものの素直に受け入れられない。


「そうだな、全くもってその通りだと思うわ。だけどな、頼んでないよ」


一体どの目線から言ってるんだ、と自分でも思ってしまう。

これ以上ないくらい最低なことを言っているという自覚はある。

じゃあお前は頼まれなかったら誰の心配もしないのか、なんて考えも浮かんでくる。


なのに俺の意志とは関係なく、口が勝手に言葉を紡いでしまっていた。

今までにないほど心がささくれ立っているのを感じる。

やり場のない無力感と苛立ちが、俺を蝕んでいる気がした。


結局こんなのは八つ当たりなんだけどな。


「俺みたいなのに構って、お前らが限りある時間を無駄にするなんて、俺は望んでないんだよ。お前らにはお前らの人生があるし、やりたいことだってあるんだろ?」


これ以上話していると更に傷つけてしまいそうだ、と考えた俺は早々に話題を切り上げるべくわざわざ突っぱねる様な言い方をしてしまう。

しかし、二人はそんなこと微塵も気にしていないどころか、それがどうしたの?とでも言うかの様に返してくる。


「それこそ余計なお世話なんだけどね。私がやりたいことなんて、私が自分で決めるんだからさ。まぁ、それができるかどうかは別の問題かもしれないけどね」

「そうね。あなたの言う通り、私の人生だもの。仮にあなたと付き合った結果、時間を無駄にしたとしても、それは私の責任であって、あなたに責任なんかないのよ」

「…………」

「宇堂くん、私たちに話せることなら何でも話してくれていいんだよ?私たちにできることなら何でもするつもりでいるんだから。それにこれからも私は……いや、私たちは、宇堂くんが困ってたら助けてあげたいし、助けてほしいときだってあると思うから」


「大体私も同じ意見ね。さっきみたいなつまらない気遣いなら不要よ。こんな状況になってまで、無理する必要があるの?どんなにカッコ悪くたってあなたはあなたでしょ?」


お人よしが多すぎて本当に嫌になってくる。

そしてこんなに心配してくれる友達の、真っすぐな心遣いさえも思わず突っぱねてしまいそうな、矮小な自分に腹が立ってくる。


「宇堂くん、今のあなたには厳しいことかもしれないし、さっきも言ったけど、姫沢さんのことはもうあなただけの問題じゃないの。私も野口さんも、既に当事者なのよ」

「どうせ宇堂くんのことだから私たちを巻き込みたくないとか考えてるんだと思うけど、それこそ今更だよね。宇堂くんと春海ちゃん、そして朋美。二人と付き合いだした時から、私はもう巻き込まれてる様なものなんだから」


何故それを今言った……。

お前は何でそう余計な一言ばっかり……。


「え?二人と?二人って何が?まさか彼女が二人いるってこと?」


野口の言葉に宮本が混乱してあたふたしている。

まぁ、言ってしまったものは仕方ないとして……こうなるのももう仕方ないことかもしれないな。


「何?えっと……二股かけてたってことなの?」


あちゃー、と口で言いながらバツの悪そうな顔をしている野口だが、お前が加害者で俺が被害者だからな、一応。

二股という響きは俺としては不本意だが、世間的に見たら二股以外の何物でもないだろう。

だができれば高校ではその事実は知られないでおきたかった。


宮本に事情を説明すると、「一応」の納得はしてくれた様だった。

あくまで一応であって、完全に納得したという様子ではなかったが。


「姫沢さんも宇堂くんも、変わり者なのね」


やや誤解がありそうではあったが、これ以上語ることは自ら墓穴を掘る様な行為だと思い直し、もうそれでいいや、と開き直る。

俺の説明を聞いている最中の宮本の、ゴミとか汚物を見る様な視線はきっと、忘れられないんだろうな……。


そしてバイトがない日で、宮本と野口の都合がつく日は三人で見舞いに行くこともある。

最初午後八時までだった面会時間は、春海の体調悪化に伴って徐々に短くなっていく。

今日は確か午後六時半までだったか。


「春海、聞いてくれよ。野口がさ……」


野口が以前口を滑らせて宮本に朋美とのことまで話してしまったことを話すと、春海は薄く笑って、その後申し訳なさそうな顔になった。


「あれは確か私の提案が発端だったね。後悔してる?」

「してるわけないだろ。春海も朋美も、今でも大事に思ってる」


そう答えて気付いたが、俺は最近朋美にメールなどの連絡をしていないかった。

忙しかったり、こちらに心の余裕がなかったりと色々事情はあるが、どれも向こうからしたら言い訳にしかならないかもしれない。

井原や野口は連絡を取ってるんだろうか。


いや、いくら朋美のこととは言っても、今他の女の子のことを考えるのは何か違う気がする。

今は春海に集中しなければ……。


「宇堂くんの言ってたこと、本当だったのね」


なんて考えていたのに、宮本が話題を掘り返してしまった。

一体何をしてくれてるのか、本当に……。


「だからそうだって言ったと思うんだけどな。二股って言われるのはちょっと心外だけど……」

「世間的に違いが見いだせないのであれば、それは間違いなく二股よ」


ぐうの音も出ないほどの正論。

だけど、本人たちの自覚一つでその辺の認識は変わっていくものだとも思う。


「そういえば大輝、朋美とは連絡とってる?」


自分の体が辛いはずなのに、何でこんな時にそんなこと、と思うが心配そうな表情の春海を前に、その言葉を呑み込んだ。


「……いや、最近はメールもしてない」

「ダメだよ。朋美だってちゃんと大輝と約束した相手なんだから」


声音は弱弱しいのに目の光は強く、俺はその目を直視できずに逸らしてしまう。

今まで自覚していなかったのに、ここへきて俺の中での優先順位がはっきりしてきている様に思える。


「わかった、帰ってからでも連絡してみるからさ」


そう答えなければこの話題からは離れられそうになかったので、俺も無難な返事をしておく。

春海にはこんなの、きっとバレてるんだろうけどな。


「うん、そうしてあげてね。きっと待ってると思うから」


春海も安心した様に頷くが、きっと俺の言いたいことを汲んでくれたのだろうと思う。


「なら、私から朋美に連絡しておく?宇堂くんが言いにくいんだったら……」


野口が閃いた!とでも言う様に携帯を取り出す。

一瞬任せちゃってもいいかな、なんて考えてしまったがよくよく考えてみるとこれは春海の意向でもあるのだ。

完全に無視して任せるなんてこと、出来るはずがない。


「ありがとう、野口さん。だけど、大輝に任せているから……だから、ひとまずはオフレコで」


そう言って俺を見た春海と目が合って、思わず苦笑いの表情でお茶を濁すことにした。

きっと俺がどう考えてるかなんてバレバレなんだろうし、誤魔化し切れてなんかいないんだろうけどな。


「朋美さん?っていうのはどんな人だったの?きっと変わり者だったんだろうとは思うけど」

「お前失礼だな……まぁ、親父がめちゃめちゃおっかなかったよ。危うく俺、殺されるところだったし」

「え?ご両親に会いに行ったの?普通に考えたらあり得ないと思うのだけど……その勇気だけは称賛に値するわね……」

「何か引っかかる言い方だけど、ありがとうよ。とりあえず最終的には認めてもらえたんだけどな」


その認めてくれた両親の恩を仇で返す様なことに、今現在はなってしまっている。

だけど、春海が今もう既にこんな状態で、他の女の子のことを考える余裕は俺にはなかった。


「あなたの周りは変わり者だらけなのね……類は友を呼ぶってやつなのかしら」

「否定はしないけど、お前もその一人に数えられてるって事には気づいてるか?」

「私は自分が普通だなんて考えたことがないもの。そのせいでクラスでも浮き気味だったし。だからこそ姫沢さんには感謝しているのよ」


その話は少しだけ聞いた覚えがある。

いじめにこそ発展してはいなかった様だが、春海が出席番号の近さから話しかけたことで宮本もそこまで寂しい思いをしなくて済んだ、という様なことを言っていたと思う。


「私も変わり者だけどね。だから宮本さんみたいに話せる人がいるのは嬉しかったよ。宮本さんの存在は私にとっても大きかったから」

「野口は……まぁ俺たちがいるし、それにちゃんと友達作ってたもんな」

「私は仮に一人でいるときでもちゃんと妄想って言う友達がいるから」

「ああ……その先は言わなくていいです」

「ひどい!!言わせてよ!!」


こんな感じで春海を少しでも元気づけたくて、くだらない話だと思いながらも花を咲かせる。

そんな風に考えながらも俺自身心のどこかで楽しんでいる部分があるのか、気づけばもう午後六時半ちょっと前まで迫っていた。


「ああ……もうこんな時間なのか……」

「春海ちゃん、ごめんね。もっと早く来られたらいいのに……」

「ううん、学校は大事だよ。私の為なんかに貴重な学校の時間を削るなんて、ダメだからね」

「……俺は、正直学校休んで見舞いに来るのもありかもって、ちょっと思ってる」


元々この高校は春海の志望校で、俺の志望校じゃない。

その張本人である春海がいないのであれば、正直行く意味がない。

だけどきっと、春海は……。


「ダメだよ。来てくれるのは嬉しいけど、それならちゃんと学校が終わってから。そうじゃなかったら、看護師さんに言って面会断ってもらうからね」


まぁ、そう言うよな。

わかってた。


「……そうだよな。春海ならそう言うだろうってわかってたよ」

「また会えるから、必ず。大丈夫だよ、大輝」


俺は春海の頭を軽く撫でて病室を後にした。

二人も後ろからついてくるが、俺は後ろを振り返らない様にしながら病院を出る。

この間もまた会える、とか言ってたけど……どういう意味なんだろうか。


もっとも俺みたいな凡人が考えたところで、春海の考えなんか掴める気は全然しないのだが。


病院からの帰り。野口と宮本に誘われて喫茶店で二時間ほど話をした後、俺は帰宅の途についた。

そのせいもあってか今日は何だか疲れがひどい。

だけど春海に言われたことでもあるし、朋美に連絡は入れておかねば。


春海との約束は、出来る限り尊重して優先したい。

とはいえ、朋美に連絡って……近況とか聞かれたらどう答えればいいんだよ……。

俺だってまだ実感湧いてないっていうか……現実味がなくて混乱してるってのに。


それに……春海が死んでしまうなんてことを、俺自身が認めたくない。


雨が降りそうに見える。

降られる前に帰っておきたいところだな……。

そう考えて少し早足で施設への道を歩く。


夕飯はさっき喫茶店でサンドイッチを食べたしもういいか……。

多分春海はきっともう、寝ているんだろうな。

そう思った矢先、携帯に着信があるのがわかった。


「こんな時間に、誰だ?」


ぼやきながら携帯を取り出すと、着信画面に表示されていたのは春喜さんの名前だった。

突如湧いてくる、嫌な予感。

通話ボタンに指をあて、携帯を耳に当てたところでポツポツと少しずつ雨粒が俺を叩き始めた。

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