第29話
「入るよ、春海」
ドアがノックされて、パパの声がした。
大輝とママも一緒に病室に入ってきて、息を呑む音が聞こえる。
点滴などがついているこの体を見て、三人とも感じるものがあるのだろう。
「面会可能時間は二十時までとなっております。近い時間にまた参りますので、よろしくお願いします」
看護師さんが三人に挨拶をして、病室を出るのが見えた。
「春海……」
大輝は怒っている様な、泣き出しそうな顔をしていた。
大輝の性格を考えたらこの顔は想定の範囲内ではあるが、やはり生で見てしまうとこちらとしても堪える。
「ごめんね、その顔……もう全部聞いて知ってるんだよね?」
「まぁな。お前、全部わかってたんじゃないのか?しかも大分前から」
やっぱり、大輝の中で私は普通の女の子の枠を超えた存在だと思われてるのかもしれない。
もちろん確信はないんだろうし、百パーセントそう思ってるってこともないんだろう。
だけど私がこんな病気なんかで倒れるはずがない、そう思っているのが顔から見て取れた。
「何で、そう思ったの?」
「それがお前っていう人間だからさ。考えてみたら思い当たることもあったしな」
泣き出しそうだった顔がやがて悔しそうな顔に変わり、姫沢春海は全能などではないのだということを痛感しているのだと思う。
「そっか……上手いこと隠せてたつもりなんだけど、最後にドジったなぁ」
悪いことをしている、という意識はもう朋美と別れたあの日から抱え続けている。
なのに大輝や両親の顔を見ていると、更に罪悪感がとめどなくあふれてくる気がした。
「あのな……俺、言っとくけど怒ってるからな。何で言ってくれなかった?」
大輝の言う怒りとはきっと、単純に私だけに向けられたものではないのだろうと思う。
あれだけ長いこと一緒にいたのに、私の状態に全く気付くことができなかった自分への怒りも含んだ目を、大輝はしていた。
「だよね、大輝だし……。ごめん、って言ったところでもう遅いかな」
泣くつもりは全くなかったし、わかっててやっているはずなのに涙があふれそうになって思わず天を仰ぐ。
私はこの件に関して、泣く権利など持っていない。
そして、次へのステップと割り切らなければ大輝との別れが怖くなってしまう懸念がある。
「春海、俺も気になってたんだけど、何で黙ってたんだい?先生の話じゃ、相当な苦痛を伴っていたはずだって言うじゃないか」
私の問いに答えない大輝に代わってパパも質問してくる。
親として知っておきたい、と言うことなのかもしれない。
大輝に生きていてもらうために私が死ぬことを選んだなんて言えないが、この時おおよその表面的な部分は語っても良いかもしれないと思い始めていた。
「ごめんね、春海。私も気になるわ。気づかなかったことは私も悪いと思うんだけど……」
あれで気づけるんだったら、ママは人間の能力を超えた力を持つことになってるわけだし、そんなに自分を責めないで。
ここまで全て順調に行っていて、上手くみんなを騙せているのに、何でこんなにも胸が締め付けられるのか。
今までこんな胸の痛みを覚えたことはなかった。
これはきっと病気とは全く別の何かだ。
先ほど大輝に感じた罪悪感に似てはいるが、違う気もする。
上手く説明ができない。
「何で……か。心配かけたくなかったっていうのはもちろんなんだけど、せっかく入った高校だったから、っていうのが一番の理由かな」
もちろん、大輝の死亡を回避するというのが大前提ではある。
それでもやっぱり、病気の辛さをここまで隠し通すことができたのは、大輝との高校生活が楽しかったからなんだと思う。
しかし三人の悲痛な顔を見ているうち、私はやはり意図的に騙すことに罪の意識を感じ始めているのかもしれなかった。
「お前、もしかして……俺との高校生活の為に、そんなになるまで……?」
「そうだよ。大輝からしたら、そんなこと、って思うかもしれないけど……私からしたら長年の夢だったから。大輝と一緒に高校通って、一緒に高校生活過ごすっていうのが、ずっと楽しみだったから」
何度も春海の人生をやり直してきた私、スルーズにとって今回の高校生活は今までで一番楽しい時間だった。
それこそ何万回もやり直してきた成果とも言えるし、やっててよかったと思えたものだったのだ。
「俺……」
大輝が俯いて、ぼそっと呟く。
「大輝……?」
「俺がいなかったら、もしかしたらお前は、こんな人生を歩んだりしてなかったのかもしれないのに……」
やはり大輝には、こんな風に考えさせてしまった。
私は、こんな顔を見たくて今我慢しているわけではないのに。
これは通過点に過ぎないはずなのに、この顔を見て私はここまでの道のりを、激しく後悔した。
後悔はしたが……ここまできて引き返すわけにはいかない。
大輝に春海の死という事実のみを押し付けて、不幸なままにさせるなんてこと、私にはできない。
もうとっくに引き返せない段階まで来てしまっている。
これは私に与えられた試練だ。
同時に、私だけでなく私を取り巻く人間全てに課せられた試練でもある。
ここで誰一人脱落させてしまう訳には行かない。
「ねぇ、大輝」
「……何だ?」
俯いたまま横目で大輝が私の方を見る。
その瞳には怒りも悲しみもごちゃ混ぜになった様な、複雑な色が浮かんでいる様に見えた。
「パパとママが言った通り、私は大輝と一緒にいたかったの。だから今日まで我慢できたんだと思う」
「そうかもしれないけど!!だけど、それでお前が……」
「聞いてよ、大輝。人が人を思うって気持ちは凄いんだってこと、大輝には覚えていてほしいな。だって、確かに辛かったけど……こんなに頑張れたんだよ?」
ゆっくり体を起こして、大輝に微笑みかける。
今感じているその辛さや痛みを、必ず笑顔に変えてあげるからという思いを込めて。
「だからね、大輝。私のことは最悪忘れてもいい。だけど、大輝には誰かを思う気持ちを忘れてほしくないの」
「ふざけるなよ、お前……忘れられるわけねーだろうが!!」
大輝の性格からして、確かに私を……姫沢春海を忘れろなんて言ったってきっと、引きずるだけだと思う。
だけど、思い出までを忘れなければ姫沢春海はちゃんと、大輝の心の中にも両親の心の中にも生きていられるはずだ。
随分と人間臭いことを考える様になったな、と自分でも思うが三人にとっての私が決して小さい存在ではないことを理解した上での考えだ。
「大丈夫だよ、大輝。今はまだ時期じゃないけど、いつかまた絶対会えるから。約束するから」
私はこの一言に、今後の大輝の可能性を込める。
私が姫沢春海でなくなったとしても、必ず大輝は私を求めてくれる。
そして私も大輝を求める。
だから、絶対にまた会える。
その後三人は、面会時間の終了と共に帰って行った。
特に会話らしい会話はできなかったが、大輝の精神状態を考えれば仕方ないことだと思う。
明日はママが着替えを持って来てくれるらしい。
パパは残念ながら仕事の用事でどうしても来られない、ということだったので無理はしない様に言うと、間に合う様なら必ず来ると言っていた。
そして大輝は明日バイトだと前もって聞いている。
大輝は休んででも来ようとしていたみたいだが、私がそれを止めた。
この先大輝の足を引っ張る真似なんか、最低限で済ませておきたい。
大輝からはメールも来なかったが、あの状態では致し方ない、と諦めて私はそのまま眠りについた。
そして翌日。
ママは午前十時過ぎに見舞いに現れた。
手土産に私の着替えと女性向けファッション誌を持ってきてくれたみたいだった。
「春海、食べたいものない?あれば私、買ってくるから」
そうは言ってくれたが、ママの荷物にお弁当が入っているのが匂いでわかっている。
昨夜も今朝も病院食で済ませてしまっていた私としては、早くもママの料理が恋しくなってきていた。
「ママが作ってくれたなら、そのお弁当食べたいかな。病院のご飯、美味しくなくてさ」
うんうん、と頷きながらママが涙目でお弁当の包みを開けてくれる。
箸を受け取ってママの作ってくれたお弁当を開けると、やっぱり美味しそうだ。
多分私の胃腸が弱っているだろうと推測して、油ものを意識的に避けて作ってくれたんだろう。
お肉とかお魚の類は入っていなかったが、それでもやっぱりママのご飯は美味しい。
食べながら歓談を楽しんで、その後ママは昼過ぎくらいに帰って行った。
話し相手もいなくなって、雑誌も一通り読んでしまうと一気に暇になってくる。
もう一回雑誌を、と思うが何となく読む気にならない。
今日は大輝、バイトなんだよな……カッコつけて歩みを止めてはダメ、なんて言わなきゃよかった……。
きっと今日はもう、この後誰もこないだろうし、急激に寂しさがこみあげてくる気がした。
姫沢春海の人生を全うすると決めてから、こうなることは大体わかっていた。
だから学校でも仲良くなる人は最小限、と決めていたのだが、もうあと一人か二人くらい仲良しの人を作っておけばよかった、なんて思った。
そういえば大輝のバイト先を一度だけ見に行ったことがある。
めちゃくちゃ気まずそうな顔してたけど、その理由は一緒にいたお姉さんの……何て人だっけ。
柏……何とかさん。
柏……柏餅食べたい気がする。
この時期だと売ってるとこそんなになさそうな気がするけど。
あ、柏木さんだ。
綺麗な人だったな。
何となく影のある感じだけど、百戦錬磨って感じがした。
大輝は何となく噛みついてるっぽかったけど、心の底から嫌がってる様子ではなくて仲が良いんだろうってことはすぐわかった。
大輝は毒婦なんて呼んでたけど、あの人が大輝を見る目は優しさと生意気な小僧を見る感じに見えた。
そして昼寝もできないまま夕方。
もうすぐ夕飯なのに、お腹が空かない。
病院食不味いから、あんまり食べられなくても、なんて思うけどあんまりにも食べないとみんなにも心配かけちゃいそうだからな……。
少しお腹の中身を減らすべく努力をしよう。
(ノルン!聞こえてんでしょ!!応答せよ!!こちらスルーズ!!)
心の中でちょっと強めに念じてみる。
おそらくあいつは私の様子を見ていてくれている。
確かめたわけじゃないが、そんな気がした。
だから、返事は必ずくるはずだ。
(おいこらノルン!!聞こえないの!?応答しないと、あんたの失態を神界中に触れ回るぞ!!)
寂しいんだよ!!腹が減らなくて困ってんだよ!!早く応答しろ!!
(ちょっと?誰に何を言うつもりなのかな?)
やっと聞こえた、のんびりとした口調のノルンの声に思わず安堵する。
やっぱり見てたか。
(おお、心の友よ……こんな時だけど一つ聞いておきたいんだ。いや、こんな時だから、かな)
(何?下らないことだったら怒るよ?)
(私の次の体って、もう目途立ってるの?)
(あー……えっと……)
何だろう、歯切れが悪いな。
ノルンらしくないというか何と言うか。
(あ、もしかして取り込んでた?便秘とか。あ、自家発電の最中だったり?)
(バッカじゃないの!?違うから!!大体何で私に男がいないと決めつけるの!?……いや、いないんですけどね……)
じゃあ便秘で合ってたのか。
(でも、これはまだスルーズは知らない方が賢明かもしれないよ。というか、スルーズの為に、私はその時のお楽しみってことにしとくのがいいと思う)
そんな言い方されて、気にするなって言う方が無理だ。
私じゃなくても誤魔化されないだろ。
(うん……やっぱりその時のお楽しみ。そうしよう?ね?)
(何だよ、中途半端に……)
(聞いたら多分スルーズは動揺すると思うし、そうなってもし今のミッションが失敗しちゃっても、スルーズは後悔しないの?)
(む……痛いとこ突いてくるな……私が動揺する様な相手ね……まぁいいや、準備はしてるってことだよね?)
(それは間違いないよ。だからまぁ、こちらとしても失敗とかしてほしくないし)
(まぁ、用意ができてるんだったらそれがわかっただけでもよしとしようか。ところでしばらくそっち帰れそうにないんだけど、みんな元気にしてる?文字通り殺しても死なない様なやつらだけど)
(んーとね、こないだトールとスクルドが喧嘩してたかな)
(は?何でまた……珍しい組み合わせじゃない?)
(トールが酒飲んで絡んだのが原因みたいだったけどね)
そういえば二人ともご無沙汰だなぁ……特に用事もなかったんだけど。
(まぁ、喧嘩両成敗とか言われてオーディン様の雷食らって沈黙してたけどね)
(…………)
雷神の二つ名を持つトールが雷でお仕置きされるとか、トンチが利き過ぎじゃないか?
ヘイムダル辺りはオーディン大好きだからな、雷から愛情を感じる、とか言いながら何時間でも浴びてそう。
……うん。腹減らす為に話してたのに、何か気持ち悪くなってきた。
ノルンは特に忙しそうな様子でもなかったが、そろそろ夕飯が運ばれてくる時間だということで会話を打ち切る。
次の体はどんなだろう、と想像してみるもそもそも女と決まったわけではないのだ。
だけど、女じゃないならさすがに……まぁ最悪の最悪、男だったら女に変えちゃうだけだけど……。
『返事遅くなってごめんな。昨日言った通りバイトだったんだ。落ち着いていたっていうなら、それは喜ばしいことだと思う。明日、見舞いに行くからその時また詳しいこと聞かせてくれよ』
午後十時を少し過ぎて、大輝からメールが入る。
私同様あっさりとした文面だが、これは昔からのことだから気にしていない。
私も昔から素っ気ない感じのメールばっかりだったし、人のことは言えないんだけどね。
蔑ろにされているわけではないことはちゃんとわかっているし、明日は漸く大輝に会える。
一日千秋の思いで待った明日という日を、少しでも楽しもう。
大輝も今日は疲れているだろうし、私はそのまま携帯を枕元に置いて眠りについた。




