第191話
「なぁ、和歌。何であたしたちこんなとこにいるんだ?」
「えっと……すみません、私にもちょっとわかりません」
愛美さんの言う通り、私たちは来たこともない場所に来ている。
私は仕事を終えて、帰ろうかなと思って事務所を出たところで、いきなりこの場所に転送された。
愛美さんも会社の玄関をくぐったらここに出た、と言っている。
「ごめんね、二人にちょっと手伝ってもらいたいことがあって。あんまり時間がなかったから二人の職場に転送用の力を使ったの」
「まぁ、お前がここにいるってことはそういうことなんだろうとは薄々気づいていたよ。けど、あたしたちは何を手伝うんだ?あの橘って子のことか?」
あいが玲央を抱いて頭を下げるのを見て、愛美さんも観念した様だ。
しかし……何というか子ども連れで来る様な場所ではまずないという、この場所。
ここは駅前の少し裏通りに面したホテル街。
私の組でもいくつかホテルは保有しているが、この辺りは管轄ではない。
なので当然私は来たことがないし……愛美さんはどうだろう。
「今スルーズたちと大輝は、別々で動いてるはずだけど……多分みんなが思ってるよりも時間はないんだよね。それに大輝に任せてたら来年になっちゃうかもしれないから」
「…………」
大分酷いことを言われているが、何となく言わんとすることはわかる。
橘という娘については私もお嬢から聞いているし、ちょっと厄介な話になっている、という様なことを言っていた。
既にこの世の人ではない、という話も。
一家惨殺、という事件は昔ニュースで見た記憶があったが正直そこまで関心を持っていたわけではないから、お嬢から聞いてそういえばあったな、程度の認識だった。
「ということは、犯人について何かわかっている、とかそういうことになるのか?」
「うん。正直人間の感情なんかには疎い私でも、ちょっと腹立たしい感じの結果になってる。それに橘さんが幸せに全てを完結できる結果は、これしかないんじゃないかなって思って」
そう言ったあいの目は憎悪に満ちている。
一体どこから情報を得たのかはわからないが、あいには確信がある様に見えた。
「あいがそこまでキレるってことは相当なんだろうな。で、あたしたちは何すればいいんだ?」
順応性高いな、愛美さんは。
もちろん私もここに呼ばれたってことは、出来ることがあるって言うことなんだろう。
お嬢が別に動いて頑張っているということなら、私だって頑張らない理由はない。
「もうすぐここに送られてくると思うんだ、その男。そしたら愛美さんはそこの建物の前で男にちょっと誘惑してる感じで話しかけてくれたらいいよ」
「は?」
「あと和歌さんは、その愛美さんが話しかけてるところに割り込んでそいつの襟首でも掴んでくれたら」
「…………」
あいは私のことをどういう人間だと思っているんだろう。
まぁ、職業的に決して間違ってはいないんだが……普段から私はそんな風に人の襟首掴んで凄んでる様なイメージなんだろうか。
「そいつね、今家庭持って幸せに暮らしてるみたいなの。許せないと思わない?人殺しておいて、自分だけ幸せになろうなんて」
「まぁ、捕まってないって言ってたもんな。百歩譲って出所した後とかならまだ許せるけど……よしわかった。任せろ、あたしの得意分野だ。和歌も得意だろ?」
「え、ええ……そうですね……」
大食いキャラに続いて暴力キャラの称号まで手に入ってしまうのか。
暴力キャラって言うと朋美の担当だと思っていた私としては、ちょっと不本意なんだが。
私は大輝に暴力を振るったことはないし……。
「あ、きたよ。手筈通りにお願い」
そう言ってあいが闇に身をひそめる。
神ならではの芸当だよな、と思うが愛美さんはあいが指さした男を目指して悠然と歩いていく。
余裕すら見えるその姿は見事の一言に尽きる。
これが逆の役割だったら、私にはまず務まらなかっただろう。
誘い文句すら出てこなくて、どもりまくって珍妙な結果になっていたに違いない。
「へいへいお兄さん!ちょっと遊んでいこうよ!」
「!?」
「!?」
物凄く元気よく、愛美さんはその男に話しかける。
歳の頃は三十代半ばくらいか?
よく見も知らない男にあんな風に話しかけられるものだ、と思わず感心してしまった。
「い、いや……私はこれから帰るところでして……」
「そんなつれないこと言わないでさ?色々溜まってんでしょ、最近。あ、指輪してる。奥さんいるんだ?最近奥さんと充実してるの?」
とんでもなく突っ込んだところまで行くな、と思う。
ていうか普段と違い過ぎて、これは大輝が見たら卒倒するんじゃないだろうか。
かく言う私も頬が引きつって、笑いを堪えるのが大変だ。
「い、いや私には子どももいるから……」
「そう?体はそう言っていなさそうに見えるけど?」
愛美さんは指でつつーっとその男のあごを撫でる。
うう、とか呻きながらその男は顔を赤くしていた。
「今だよ、和歌さん」
「え?あ、おう」
よくわからないが、このタイミングでどうすれば……。
そう思いながらもあいが今だと言うのであれば、行ってみる他ない。
どうしよう、何をしよう、そう考えながら男までの距離を詰めていく。
その距離はどんどん縮まり、愛美さんと一瞬目が合う。
軽くウィンクなどしていて、余裕がその表情から見て取れた。
そして。
「おい貴様ァ!!妻子持ちの分際でこんな所を歩いて女侍らせているとは、どういう了見だ!!あぁ!?」
男の胸倉をつかみ、力いっぱい凄む。
普段あんまりこんな声を出さないのだが、思っていたよりもドスの利いた声が出た気がする。
「ひっ!?い、一体何なんですかあんた!!」
「あぁ!?私が何者かって!?こういう者だ!!」
「ちょっと、あんた何よ!この人は私が……」
「引っ込んでろズベタァ!!」
名刺を取り出して男に叩きつけると、男は一瞬で顔を真っ青にした。
つい勢いで止めに入ろうとした愛美さんを恫喝してしまい、一瞬しまったと思うがまぁ、わかってくれる……と思いたい。
「み、宮本組って……」
「私はなぁ、貴様の様なクズが見ていて反吐が出るほどに嫌いだ。事務所で話するか?おう?」
「い、いやだから私は……」
「あら、高村さん。こんなところにいたんですか。相変わらず女の人と仲良いんですね」
「!?」
今度はあいが玲央を抱いたままで現れる。
こいつ、高村っていうのか。
まぁ正直どうでもいいし、私の役目は大体終わったと言っていいだろう。
「あ、この子あの時の子です。高村さんにそっくりでしょう?ほら、パパに挨拶しよう?」
あいがそう言うと、玲央もだー!とか言いながらぶんぶんと手を振る。
本当に可愛いなぁ、玲央は……。
「な、何を言ってるんだ、私はお前なんか知らない!は、離してくれ!!」
「逃げるつもりか、おう?コラ」
「ちょっと、何なのよ!この人は私と遊ぶのが決まってて……」
「高村さん、二人目仕込んでもらってもいいですか?」
「や、やめろ!!私はそんな……うわあああああああああああぁぁぁ!!」
高村という男が顔面蒼白で発狂したのを見届けて、私たちは顔を見合わせる。
そして軽く離れてやると高村はその場から一目散に逃げだした。
「……ぷっ」
「ぶふ……」
「あっはっはっはっは!!」
三人がそれぞれの様子を思い出したのか、腹を抱えて笑う。
あの男の様子も大概だったが、愛美さんの演技もあいのセリフも悉くハマっていて、出来れば動画で残しておきたい出来だった。
「さて、これで第一段階完了だね。あとはこれを……」
そう言ってあいが先日大輝から買い与えられたスマホを取り出して、あれこれ操作し始める。
「ん?何してんだ?」
「さっきの一部始終動画と写真で残してあるんだ。こっそり奥さんのメアドもゲットしといた」
「…………」
「…………」
いつの間にそこまで……。
私は全然気づかなかったが、おそらく愛美さんもその顔色を見る限り気づいていなかったということだろう。
そして第一段階ということは、おそらくまだこれは続きがあるということ。
「さて、編集するためにいったん帰ろうか。楽しみだなぁ」
あいがそう言って、私たちまで家に転送する。
これは少し、楽しみかもしれない。
今夜は退屈しなくて済みそうな気がする。




