第175話
「で、話って何なの?私も今日バイトだし、大輝だって今日はバイトだって言ってなかった?」
何だかんだ言いながらも俺のことはよく覚えてらっしゃる。
もちろん今そんなことを口にするのは愚策だと理解しているので言わないが、これも一種のツンデレというやつか、なんて考える。
もっとも顔はほとんどこっちを見ないし、会ってくれただけでも儲けもの、というレベルに怒っているのは間違いないんだが。
「あ、ああ……そうなんだけどそれよりお前のことが気になってだな……」
「へぇ。それは何?バイトをドタキャンしてでも私に弁明する覚悟があるってこと?」
首はそっぽを向きながら、目だけでこっちを見る。
ただそれだけの所作が、少しおっかなく感じるのはきっと俺に疚しい気持ちがあるからなんだろう。
というかバイトをドタキャンはちょっと困るかな、なんて。
「も、もちろんだよ。多少時間がかかっても、俺は朋美にちゃんと謝らないとって」
「謝る?何を?」
今朝の明日香と同じ様な目で俺を見る朋美。
こいつら、見た目はそんなに似てないのに内面はそっくりなんだよなぁ……。
「それは、あれだ……昨日はっきりしない態度を取ったりとか……」
「ふむ、それだけ?」
「え、いや……あとはあの……」
俺の答えを待つ様に、朋美は黙って俺を見守る。
俺自身でその答えは見出さなければならない。
それが出来ないのであれば、こんな時間は無意味だと言うかの様に。
俺だってわざわざ長崎まで来て時間を無駄にするつもりはない。
何とかしていつもの朋美に戻ってほしい。
そう考えているからこそ、ここに立っている。
「試練の媒介になっている朋美を、蔑ろにしていた気がする」
「…………」
俺が答えるのと同時に、朋美がこちらに向き直る。
少し目を伏せて、朋美は薄く笑った。
俺はまた、間違えたのだろうか。
「大輝はさ、私のことめんどくさいって思う?」
「え?」
笑ったかと思えば突拍子もない質問。
一体どうしたと言うのだろうか。
その質問に答えるとすれば――。
「この世にめんどくさくない人間なんているのか?お前めんどくせぇよ、とか人に言うやつだって、一定のめんどくささを抱えて生きてるって俺は思うけどな」
きっとこんな答えが聞きたかったわけじゃないんだろうな。
そう思いながらも俺は言わずにいられなかった。
人間誰しも何かしらの葛藤や後悔を抱えて生きていると、俺は思っている。
そんな人間が、めんどくさくないわけがないのだから。
「大輝らしい考え方だよね。そういう答えは想定してなかったけど、今はそれでいいや」
「…………」
やっぱり違った。
もちろんそれで命を奪われるとか、そんなことはないと思うが。
「じゃあ、大輝は私だけじゃなくてみんなのことを面倒だと思ってるってこと?」
「面倒だってのは既にわかりきってるから、気にしないだけだな。かく言う俺だって、めんどくさいやつだと思うし」
あと三十分くらいしか時間ないな、と思いながら俺は朋美から目を離さない。
これはまだ和解に至ったと考えるにはちょっと甘い気がするし、気を抜いた途端にどんでん返しなんてのはごめんだ。
「なら、私はめんどくさいけどそこは気にならない、ってことでいいの?」
「……まぁ、そういうことか?俺もめんどくさい人間なんだし、人のこととやかく言う資格ないと思うから」
俺がそう言うと朋美はすっと抱き着いてきて、俺の胸元に顔を寄せた。
珍しいな、こんな風に甘えた感じになるのは。
「最近私、変なの。本当は大輝にあんな態度とか取りたくないのに……これも試練の影響なの?私が時々私じゃないみたいな気がして……」
「…………」
そうなんだとしたら、今回の試練は相当根が深いということになる。
一筋縄でいかない部分が多いだろうし、明日香や和歌さんの時の様に簡単には終わらないかもしれない。
というか朋美でもこんなことで不安になったりするんだな。
実際朋美は普通の女の子なわけだし、そんなことすら失念していた自分が情けない。
「私、ちゃんと元に戻れるかな……?」
「大丈夫だろ。それにお前は元々ただの人間なんだから、こんな一時的なもので悲観的になることないんだって」
そう言って頭を撫でるが、どうも俺の中で違和感を覚える。
ちょっと前……俺が女神になって少ししてから感じる様になっていた違和感。
他の誰にもないのに朋美からのみ感じるそれは、未だに正体がわからずにいる。
かと言って俺の思い過ごしだったら、と懸念して誰にも相談できずに来てしまったがここへきて何となくただの違和感で済まないことになるんじゃないか、という予感がしてきている。
そしてそれがただの予感ではないことが、すぐに判明する。
「大輝、お願いがあるの」
「ああ、何でも言ってくれ。俺に出来る限りのことはするから」
今すぐ死んで、とか言われなければ別に何でもいい。
そんな風に思っていた時期が、俺にもありました。
「神の力を使って、私の体を隈なく調べて。絶対私、普通じゃない」
「え、それって……」
朋美は自らの体の中を、俺に調べてほしいと言っている。
体内に何か違和感がある、ということなのだろうか。
何か飲み込んだとか、そういう経験でもあるのかもしれない。
「私の中で、何か今までにないものが目覚める様な感覚があるの……怖いの」
目尻に薄く涙を浮かべ、懇願してくる朋美。
こんな朋美を見たのはいつぶりだったろうか。
中学卒業の、あの別れの瞬間以来かもしれない。
つまりそれだけ朋美の中で不安に感じる材料が増えてきている、ということ。
自分でもわからないこと、というのは確かに恐怖だろう。
「……わかった。つってもここじゃな……」
急遽の呼び出しだったから、ということもあって朋美の暮らす家の近くにある公園で話していた俺たちだったが、さすがにここでそんな作業を、というのはいささか気が引ける。
別に服を脱がしたりする必要はないんだが、神の力を存分に使うとなると、俺が変身しなければならない。
できれば目撃者がいない方が都合はいいだろう。
更に言うのであれば、時間がもうほとんどない。
あと十五分ほどでバイトの時間でもあるのだ。
「ダメ、大輝。ちょっと待って」
「え?」
背後から声をかけられて、思わず振り返る。
朋美の声ではない。
そして気配は三人。
「あいちゃん?」
「何でお前、ここに……?」
そこには玲央を抱いたあいの姿があった。
そしてもう一人、久しく見ていない男の顔。
「ロキ、お前まで……」
「久しぶりだね、宇堂大輝」
睦月が見たら嫌がるであろういつものポーズを取りながら挨拶をするその男を見て、朋美も顔を歪める。
邪魔をされた、という思いとロキをあまり好ましく思っていない朋美が故の反応かもしれないが、ロキはまだ何もしていない。
「今回はその子か。桜井朋美、だったかな」
「大輝、朋美さんの事実についてどれだけ知ってるの?そしてそれを知ったとして、そのまま伝える勇気がある?」
「朋美の、事実?」
「何よ私の事実って……」
それは俺の感じていた違和感に通じるものなのだろうか。
あいの表情はいつもよりも少し固く見える。
「今の桜井朋美にそれを伝えるのは危険だと、僕は思う。どう転がるかわからないからね。もし話すんだとしたら……時間があるなら、少し落ち着いて話せる場所で頭を冷やしながらが好ましいと思うんだが、どうだろうか?」
時間なんかねぇよ……もうすぐバイトが……。
「大輝、落ち着いて。バイトなら今スルーズが行ってくれてるから」
「……は?」
「大輝が朋美さんに会いに行くって言った時に、スルーズはまず高確率で時間内に戻ってこられないと思うから、って既に手を打ってたんだよ」
「マジかよ……」
正直不安しかない。
あいつ、滅茶苦茶なことしなきゃいいけど……。
「宇堂大輝の懸念事項は消えたということでいいかな?あとは桜井朋美の意志一つなんだけど」
ロキがそう言った時、気配が一つ増える感覚があって、俺もロキもあいもそちらを見る。
「ちょっと待てよ。ロキてめぇ、人の娘に何吹き込むつもりだ?」
俺たちが見た方を見て、はっとした表情を浮かべる朋美。
そこにはいきり立ったタコ坊主……朋美の父親の姿があった。
 




