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第121話

何て言うんだろう。

味……という概念が俺の中で疑問符に変わっていく様な、そんな感覚。

人間に生まれたからこそ味わえる感覚なのかもしれない。


愛情というスパイスだけでは到底カバーしきれない、強烈な焦げの味と酸味、あと何か辛い。

そしてそれらは容赦なく俺の嗅覚までも襲撃する。

今の俺はどんな顔をしているのだろう。


みんなが何やら呼び掛けてきている気がするが、よく聞き取れない。

一心不乱に手を、そして口を、ただひたすらに目の前の怪物を咀嚼して飲み下す為だけに動かしていた。


「ダメ!!それ以上は死んじゃう!!」


ガシッと手首を掴まれる感覚があって、俺の意識は現実に引き戻される。

今まで気づかなかったが、サウナにでも入ったのかってくらいに物凄い汗をかいている。

そして俺の手首を掴んでいたのは、桜子だった。


「わかったから……伝わったから……大輝くんの気持ち……」


俺の手首を掴み……縋り付く様にして桜子は嗚咽を漏らす。

目の前の怪物は、大皿の半分弱程度までその量を減らしていて、俺自身も驚きを隠せない。

胃が何かムカムカする。


しかしここで吐き出すなんて以ての外だ。

耐えろ……俺にはその義務がある。

桜子は、おそらく技術や知識のなさを、愛情でカバーしようとしたんだ。


この小さな体からは想像もつかないほどに大きな殺意……じゃなくて愛情は、更に強大な苦みと酸味に打ち消されてしまっていたが、俺の中に息づいている……と思う。


「桜子……」

「え……?」

「正しいやり方、覚えよう。レシピ見たりするのが面倒だって言うなら、俺のやるの見て覚えてくれたらいいから」

「……教えてくれるの?」


俺の汗を拭いながら、桜子がまたも泣きそうな顔をして俺に尋ねてくる。

俺の汗より、お前のその涙を拭けよ……なんてカッコいいことは俺には言えなかった。


「当たり前だ。お前はまだこれから光るんだよ。ちゃんと教えれば、お前はちゃんと吸収して覚えられる。そうすれば、みんなと同じかそれ以上にお前の料理は上達する」


口の中がヒリヒリして涙が出そうだったが、懸命に堪えて俺は桜子に訴えかける。

ここで桜子の心を折ってはいけない。

奮い立たせなければならない。


桜子に正しいやり方を教える……これこそが、俺の思う第三の試練だ。


「だけど……まずは腹ごしらえ、しようか」



誠に残念ながら桜子作、凶悪殺人オムライスは睦月の手によってナイナイの神様の刑に処された。

食べ物を捨てるなんて、って思う一方であればっかりはさすがにもったいないとか、そういう意地だけで何とかなるレベルを遥かに超越していると確信した。

そう、これは確実に俺を成長させてくれている。


いや、マジで死ぬかと思ったけどな。

完食したとして俺が神じゃなかったら、即入院コースだったに違いない。

あの味を思い出して戦慄するほどに、桜子の料理は驚異的だった。


しかしこれを俺が、ちゃんと食えて人様に出せるものに作り替えてやるんだ。

そしてゆくゆくはあの親父さんにも手料理なんかを振舞ってやれるレベルにまで昇華する。

そうすることで、あのぎくしゃくしていた親子関係の修復にだって、一役買ってやれるはずだ。


つまりは桜子の身辺の問題を解決すること。

これが俺の今回の試練の概要なのだと俺は理解した。


「桜子、親父さんに何か食べさせるとしたら……何がいいと思う?もしかしてさっき考えてたメニューって、本当は親父さんに食わせたかったんじゃないのか?」


明日香が買ってきた弁当をみんなでつつきながら、俺は桜子に尋ねる。

わからなかったら聞いてしまえ。

わからないからって、神の身だからと言って心を読んでしまおうなんて言うのは、人間出身の俺がやっていい手段ではない。


少なくとも彼女である桜子にそれをしてしまうのであれば、俺はもう人間を、桜子の彼氏を名乗ることができない。

そう、思った。


「お父さんに……どうだろ。そんなこと、考えてたのかな私」

「いや……俺にもわかんないけどさ。だけど、少なくとも料理をって思ったのも……お礼って言うのは嘘じゃないんだろうけど、他に出来ることを増やしておきたかったからなんじゃないか、って俺は思ったからさ」

「桜子さんの親とは、仲良くないんだっけ?」


あいも弁当を食べながら俺に尋ねてくる。

実際には良くないというよりは、確執があったってだけで、今は解消されている。

しかし桜子がそれをどう捉えているのかはわからない。


暴言を吐いた、傷つけた、そう言った事実が消えてなくなるわけではないし、桜子が忘れてしまっているわけでもないから。

桜子の意識の中でどんな風に考えているのか、それは桜子本人にしかわからないことだ。


「仲悪かったのは、もう解消されてるんだけどな。ただそれを何もしないで埋められるほど単純な関係ではなかった、ってところか」

「どうして、そう思うの?」

「……俺なら、やっぱり仲直りだけで罪悪感が消えないだろうな、って思ったからかな」


俺にとってこれがいいことなのか悪いことなのかはわからない。

おそらくは状況によりけりと言うところなんだろうが、俺は感情移入して自分に置き換えて考える癖がある。

もちろんそれによってあいは救えたと言えなくもないが、必ずしもそれが正しいとは言えない。


考え方も捉え方も人それぞれであることを知っているから、こうして尋ねているのだ。

たとえ彼氏彼女の関係であっても、思想までもが統一されて……なんてそんな気持ちの悪い関係は望まない。

そう言った部分に違いが見いだせて、そこに魅力を感じるから興味を持つ、ってことにもつながるんだろうから。


「そうだね……大輝くんの言うことは大体合ってるんだと思う。私ね、昔はお父さんすごい好きだった。それこそ普通の女の子みたいに、将来お父さんと結婚する、とか言ってた時期もあったんだよ」


桜子がまだ一人っ子だった時期のことなんだろう。

懐かしむ様な顔で、桜子は過去に思いを馳せる。


「私、普段ちゃらんぽらんに見えるかもしれないけど、案外思い込み激しいタイプでさ。妹が出来て弟が出来て、お父さんが私だけに向けてくれてた愛情が、二人に分散して……って話はもうしたよね」

「ああ、聞いたな」

「あの時ね、私割と本気でお父さんが取られたって、思ってたんだと思う」


桜子の顔は暗い。

あまり思い出したくないことなんだろうか。

しかし、他のメンバーは不思議そうな顔で桜子を見ていた。


「ふむ……なぁ、明日香とか朋美はその辺どうだった?」

「私は父結構好きだったわね。あんなちゃらんぽらんな人だけど、私に向けてくれていた愛情は本物だったと思うから」

「私もそうかな。おっかない人だけど、本気で心配してくれてるのはわかったし。だから大輝と衝突した時は正直どっちの味方したらいいかわからなかったかも」

「だそうだ、桜子。別におかしいことでも特別なことでもないみたいだぞ?」

「でも、私には大輝くんがいるし……」


変なこと気にするんだな、こいつ。

未だに親父さんと風呂入ってます、とか一緒に寝てます、とかまで行くならさすがの俺もヤキモチ妬いちゃうかもしれないけど、そういう感じには見えないし仮にそうだったとしても、それこそ小さい頃のことなんだったら普通だと思うしな。


「お前、柔軟そうに見えて割と頭固いのな。俺が誰かれ構わず嫉妬するとでも思ってるのか?」

「…………」


あ、思ってるんだ、この顔。

いくら何でも俺だって、そのくらいの分別はつく。

いや、そうしてほしいならそうする……ことも出来ないことはないかもしれないけど。


けど、俺案外あの人嫌いじゃないんだよなぁ。

あの人もあの人なりに桜子を大事に育ててきたんだって言うのが、何となくわかる気がするし。

ただただ不器用で口下手だったってだけなんじゃないかと、俺は思っているから。


ちょっとすれ違っただけの親子なんだったら、修復は簡単なんじゃないかと思う。

だったら俺たちにできるのは、そのきっかけを与えてやるだけのことなんだ。


「まぁそれならそれでいいんだけど……いやよかないけどそれでいいってことにしよう」

「まぁ、大輝だから仕方ないよね。無欲そうに見えて案外欲張りだし」

「欲張りって……だって、手を伸ばせば届くものなら別に手に入れておいて損はないだろ」


もちろんその手を伸ばしまくった結果が今なんだけどな。

言い換えれば貧乏性ってだけだし、反省はしてない。

もちろん、後悔もな。


「今回の料理がきっかけで、ぎくしゃくした部分が少しでも解消するなら……俺も協力は惜しまないつもりだよ」


食べ終わって箸を置くと、桜子は俺を申し訳なさそうに見つめてくる。

そんな顔しなくても、さっき食ったものはもう、下水に転送済みだから大丈夫なんだけどな。


「桜子、見て覚えるのは得意そうだものね。現にオムレツは凄く上手に作れていたわ」

「明日香ちゃん……」

「味は今となっては知る由もないけど、形は確かに見事だったかな」

「捨てたのお前だからな。一人で逃げやがって」

「大輝、これは大輝の試練だから……」


くそ、睦月のやつ都合のいい逃げ方しやがって……。

しかも割と正論だったりするから、強く出られないって言う。

誰かの力を借りてはいけない、ということはないけど、最終的には俺が乗り越えなければ意味がない。


だから睦月も下手に手を出さないってことなんだろう。

けど何か釈然としないなぁ……。


「大輝も料理はそれなり出来るし、大輝は何でも割と丁寧に教えてくれるから。桜子もちゃんと大輝のやり方見てれば出来る様になるんじゃないかな」


朋美め、中学の時の飯マズ事件、忘れてないからな俺は。

そのくせそれなりって……まぁ今は確かに朋美の方が上手く作れているんだろうと思うが。


「さっきのメニュー、俺が作り方教えてやるからさ。……つっても今飯食ったばっかだから、教えるのは夕方だな。晩飯はそれになるけど、みんなはいいか?」


特に異論も出ることなく夕方に、桜子へ料理を教えることが決まった。

これによって桜子の中の葛藤が少しでも解消されれば、俺としてはありがたい。

これからずっと、まだまだ長い付き合いになっていくんだから。

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