第100話
あいつがあんな顔で謝ってくるなんて、もう八年くらいの付き合いだけど初めてかもしれないな。
俺が目を覚ました時、さっき助けたエイルさんが俺を完全に回復させてくれたみたいで、痛むところなんかも特になく俺は目覚めることが出来た。
ヘルは何だか申し訳なさそうな顔で俺から目を逸らしていて、ノルンさんが睦月を呼んで……でもどういう訳か動かないあいつを、何か見覚えないおっさんが蹴り入れてたのを見た。
「もう、仕方ないんだからスルーズは……」
「まぁ……あんなことになった責任を感じてるんだろうからな。いつもの傍若無人っぷりからは想像できないヘコみ方してるし」
ノルンさんもロヴンさんも、呆れてはいるが怒っている様には見えない。
そういえば、オーディン様はまだ目を覚まさないのだろうか。
バルドルやヘイムダルさんは、大丈夫なんだろうか。
「オーディン様なら、この後私が診ますから。バルドルとヘイムダルは……まぁ、そのうち目を覚ますんじゃないですかね」
エイルさんがそう言って、オーディン様の元へと駆けていく。
オーディン様を診る、とエイルさんが言った時、少しだけヘルが表情を固くしたのが見えた。
やっぱり衝動とかで動いたことを悔いているのかもしれない。
「大輝……」
「……やっときたか、何て顔してんだお前」
つい笑ってしまいそうになる様な、泣き出しそうな顔で睦月は俺を見る。
普段真っすぐ俺を見るあいつが、こんな顔で視点の定まらない感じとか、貴重かもしれない。
「ごめん、大輝……あんなことになって……」
「気にすんなよ、エイルさんのおかげでもうすっかり良くなってるから。ていうか、俺こそごめんな。多分誤解させたんじゃないかって思うから」
「誤解……?」
そんな涙目で見るなよ……みんなが見たらきっと笑うぞ、そんな顔してたら。
「ヘルを庇ったってことがさ。いや、庇ったんだけど……一つ言い訳していいか?」
「…………」
声を出すと泣きそうとか考えてるのか、睦月は黙ったまま頷く。
こいつ、こんなやつだったっけ?
「ヘルを庇うってことはさ、お前から見たらちょっと衝撃だったかもしれないんだけど……結果としてはお前のことも庇うってことに繋がるんだぜ?」
「……どういうこと?」
「黒渦が絡んでるってことは、倒しちゃったら試練失敗になることも考えられたわけで……神の体を持っているとは言っても、そうなったらどうなるのか、って誰にもわからないじゃん」
「……まぁ、確かに」
「そうなっちゃったら睦月はきっと、ずっと自分を恨んで生きることになってたんじゃないか?」
俺がそう言うと、睦月ははっとして俺を見た。
そして、先ほどまでのことをまた悔いているのか俯いてしまう。
「さっきも言っただろ?ヘルのことはほっとけないけど、俺が選ぶのはお前なんだって。納得してもらえたか?」
「……うん、ごめんね、大輝……」
「スルーズって本当、大輝の前だと乙女みたいになるよね」
ノルンさんがぼそっと呟いて睦月に睨まれていたが、まぁこれは仲良しの証拠ってことでいいだろう。
問題はヘルだな。
くしゃっと睦月の頭を撫でてやって、俺はヘルのところへ行った。
「えっと……ヘル、調子はどうだ?さっき手ひどくやられてたみたいだけど」
「……大丈夫。大輝は、スルーズが大事なんだね」
「まぁ……お前らの感覚で行ったらまだまだ短いかもだけど、俺からしたら長い付き合いだからな。だけど、お前が大事じゃないってことじゃないから、そこは誤解してほしくないな」
一見すると、本妻に浮気現場を襲撃されて浮気相手を庇った挙句に、それでも俺は本妻も大事なんだ、みたいなことを言っているクソ男的な感じだが……ニュアンス的に間違ってないかもしれないな。
「だけど、私は……こんなことしちゃって、正直どうしたらいいのかわからない。他のみんなにも迷惑かけまくったから」
「そうか?神界ってそういうの、あんま気にしないって聞いてるけどな。実際ヘルに戦う意志がもうないってわかってからは、ピリピリした感じしないし」
「そうじゃの。特にお前を罰する決まりなどもない。戻ってきたいなら、お前はいつでもこの神界へ戻れるんじゃぞ」
エイルさんの治療が効いたのか、オーディン様が杖を突きながらゆっくりと歩いてくる。
割と手加減なしっぽい雷まともに食らってたけど、もうあれだけ動けるって、やっぱりエイルさんは凄い神なんだな。
「オーディン……」
「オーディン様、もう平気なんですか?」
「おお、大輝……聞いたぞ。此度の騒動の鎮静化は、お主の活躍によるものだとな」
そんな風に言われると、さすがに恥ずかしい。
結局俺は、母にもらった力を半分も生かせないままで無様に転がってただけだった気がするし。
「俺は……ほとんど何もしてないですよ。結果的にスルーズとヘルの二人を守った、ってだけで……あとは転がってただけですから」
「それがなかなか出来んことじゃから、お主のしたことは凄いんじゃよ。神界には誰かを罰する決まりはないが、感謝は大いにするという世界でもある。代表して礼を言わせてほしい」
そう言ってオーディン様は俺に向かって頭を下げる。
正直尻がむず痒くなる様な思いだ。
「いや、ほんと……何もしてない様なもんですから。せっかく母さんにもらった力も、半分も生かせなかったですから」
「それじゃがな、おそらく力をもらってなかったらお前は未だに眠ったままだったかもしれん」
「え?」
思いもよらないところで、母の力は役に立っていたってことか?
絶対量が上がったりとか、そういう関係なんだろうか。
「耐久力や神力の絶対量の増加、そういったものが今回生命力を上げたと言えるじゃろ。そしてそれらが、スルーズとヘルを罪の意識から救う結果にもなっておるのじゃ」
「…………」
まぁ、もっとも母ならもっとスムーズに終わらせていたんだろうけど……結局俺が来なかったら解決にならなかったわけだし、母が出しゃばりな神でなくて良かったとは思う。
とは言ってもまだ睦月は何となくヘコんでいる様だし、ヘルだって何となくまだ寂しそうに見えるんだけどな。
ちゃんとした解決に至るには、まだ時間が必要なのかもしれない。
「ヘイムダルやバルドルもいずれ意識を取り戻すじゃろうし、この件そのものは終息したと言っていいのじゃろうが、肝心の後始末が残っておる……そうじゃな、ヘルよ」
「…………」
「ま、待ってください!たった今、罰する様なことはないって……」
オーディン様の言葉に思わず飛び出しそうになるが、それをオーディン様は手で制する。
「落ち着け。何やら早合点しとる様じゃから言っておくが……後始末というのは他でもない、わしの謝罪じゃ。すまなかったな、ヘル」
「オーディン……」
オーディン様が謝る、ということはヘルが冥界に閉じ込められるに至った原因はオーディン様にある、ということか?
どうにも話が見えてこない。
フレイヤから聞いた限りの情報と繋がる部分が見えてこない。
「とまぁ、その前に……聞かせていなかったやつらにも、話しておく必要はあろうな。今回の件で、無関係ということもなくなってしまったのじゃから」
そう言ってオーディン様は少し離れたところにいる、他の神々を呼びに行く。
睦月もノルンさんもみんな呼ばれて、集められた。
ヘイムダルとバルドルはまだ目が覚めないが、いいのだろうか。
「そこの二人にはあとでわしなりノルンから伝える様にする。さて……じゃあ」
「ああ、先に酒!祝勝会やりましょうや!!辛気臭いムードで話す様な話なんですか!?」
オーディン様が話そうとしたところで、さっきの金髪のムサいおっさんが叫びを上げる。
いつか睦月に聞いたことがあるけど、あれがもしかして戦神だか雷神だかって言う、トールか?
聞いていた情報と合致する部分が多いし。
今言ってたみたいに酒好きなところとか。
とは言うけど、祝勝会って……誰が勝って負けた、とかあるのか?
「ま、そうじゃの……あんまり盛り上がったところで話すのも何じゃから……程々にな、トール」
「へへ、ありがたや……」
そう言いながら何処からかトールは酒を取り出すと、飲めるらしいメンバーに振舞っていた。
俺のところにもきたけど、俺はさすがに遠慮しておく。
まだ一応未成年だし、いずれこっちで暮らすことがあるとしても、人間界で今は暮らしているし、ルールはちゃんと守らないとな。
「…………」
「お、きたか睦月」
「本当、しおらしいスルーズとか気持ち悪いね」
「おい、ヘル……」
俺の隣に来てぴったりとくっついて座った睦月は、そのまま頭を俺の肩に……これが、噂の肩ズンか。
トールやらの冷やかしが聞こえて睦月がまたも睨みつけているが、こんなところで暴れられてはたまらないので、睦月の頭に手を置いて、落ち着く様宥めた。
すると、背中に重みがあってヘルが背中合わせで座ったのだとわかった。
「これくらい、いいでしょ」
「お、俺は構わんけど……」
「…………」
何か言いたそうなのに言わない睦月は何となく新鮮な気もするが、心境的には複雑なのかな、なんて思う。
ここで反対することは俺の受けた傷を無にする様な行為だ、なんて考えているのかもしれない。
「そういえば睦月、お前のあの姿……もう戻っちまってるんだな」
「見られたくなかったんだよね、あれ……」
「は?何でだよ。超カッコいいじゃん!俺もああいうのが良かったなぁ……」
「……ええ?」
あんな風にトゲトゲした感じの禍々しい強そうな羽に、腕……あと顔にも紋章みたいなの浮かんでたよな。
あれ、正直俺もほしい、なんて思っちゃう。
もちろん普段からあんなカッコして人間界歩いたりなんてイタい真似は出来ないけど、こっちでなら全然ありでしょ。
って思ったのに、睦月もヘルも信じられない、と言った顔で俺を見た。
何故なのか。
「じゃあ、ある程度飲み物も行き渡ったようじゃし……まずはみんな、此度の戦ご苦労じゃった。とは言ってもわしも一瞬でのされて操られておったという失態を晒したわけじゃが」
ここで笑いがどっと起きる。
過去のことは所詮過去、ってことなのか早くも笑い話になってしまっている辺り凄いと思う。
「ではな……わしとヘルの確執……というかこれもわしの失態なんじゃが……話しておこうか」
気が進まない、と言った様子のオーディン様が深くため息をついて、改めてみんなを見回す。
ヘルの顔も少し緊張しているのか、強張っている様に見えた。
ともあれこれで、神界のほぼ全域を巻き込んだ今回の騒動の発端になった出来事が、これから明らかになるのだ。




