第9話:アクシデント(大地サイド)
※今回は大地の視点で物語が始まります
直憲に告白の返事をできないまま数日が経っていた。
そろそろあいつに返事をしなければならないのだが……
俺は未だに直憲の告白を断るべきかについて悩んでいた。
ごめんなさいっ、あたしには他に好きな奴がいるから……
その言葉を何度も口から出そうとするも、いざ直憲を目の前にすると何も言うことができなかった。
何をやっているんだろうか……
俺は一歩を踏み出せない自分自身を責めていた。
絶対に紅葉のことは俺の方が愛している!
その自信はあっても彼女が俺のことをそこまで好いてくれているかは不明である。
もし仮に直憲の告白を勝手に断ったことを知られてしまったら俺は紅葉から一生嫌われるかもしれない。それにあいつに対する申し訳なさも相まって紅葉に告白する以上の苦悩を抱え込んでいた。
どうすればいいんだろうか……
俺の悩みは尽きることなかった。
んっ?あれは……
俺が物思いに耽っていると校門には俺のことを待っていたと思われる紅葉が何やら他の高校の奴らと揉めていた。今は紅葉が俺の姿なので正確に言うなれば俺と揉めているということになる。
「あいつらは……」
俺は紅葉と揉めている生徒達の服装を見て菜緒に絡んでいた不良達のことを思い出した。彼らはどうやら奴らの仲間のようだった。
なんか……やばくないか?
そう思っていると紅葉はそいつらに引っ張られて何処かへと行ってしまった。
追い駆けなければっ!
俺は紅葉の窮地を察して慌てて彼らの後を追跡した。いくら外側が俺の身体であっても中身は紅葉なのである。そんな女子が不良達に絡まれるなんて死ぬほど怖いに違いないだろう。
だけど、この身体で一体何ができるというのか?
紅葉は運動部に入っていたわけでも身体を鍛えていたわけでもない。とてもじゃないが、人を殴れば自らの拳を痛めかねなかった。故に空手の打撃系の技は使えない。
紅葉の柔い身体でできる戦い方は基本的に相手の力を利用する合気道であるが、合気道は習ったことがないため、簡単には真似できそうにない。
唯一できそうなことは相手の攻撃を受け流す『捌き』だけであるが、それではほぼ相手を倒すことはできない。ましてや、相手は複数人いる。そんな状況では相手を捌いてもあまり意味がない。
つまり、俺が紅葉の身体で助けに向かったとしても彼女を助けることはできそうになかった。だが、そんなことを気にしていられるほどの余裕もなく俺は無我夢中で彼女の下へと走っていた。
とにかく助けなければっ!
そんな気持ちが頭の中を駆け巡っていた。そして、彼らの目的地に辿り着くとそこには予想通り以前ボコボコにしてやった不良達が待ち構えていた。
「こないだのお礼をたっぷりとしてやるよっ」
不良達は一斉に紅葉のことを取り囲むと今にも殴りかかりそうな臨戦体勢を整えていた。
紅葉……
俺は紅葉が泣きそうなのではないかと想像していたが、彼女は目付きを鋭くさせると毅然とした態度で不良達に立ち向かっていた。本当は死ぬほど怖いはずなのに……。
どうする?
俺はこの状況になって初めて自分が紅葉の身体であることを思い出した。彼女の身体では颯爽と騎士のように窮地を助けに行くわけにはいかなかった。
「やっちまえっ」
俺が物陰で躊躇していると不良達は周囲の生徒達に飛び掛るように指示を出した。
とにかく行けっ!
俺は紅葉に飛び掛る不良達の動きを少しでも抑えるべく彼女の後ろから迫ってくる男子生徒に向って思いっ切り体当たりした。
「ぐあっ」
不意を突かれた男子はバランスを崩して地面へと転がった。
「……大地っ」
紅葉は突然あらわれた俺に驚きの声を漏らした。
「どうして、ここに……」
「話は後だっ。背中は俺に任せろっ」
俺は困惑する紅葉に目の前に集中するように指示を出した。
「なんだ、この女は……」
「構わねえ、一緒にやっちまいなっ」
不良達のリーダーらしき男は混沌とする状況を一蹴すると喧嘩を再開するように命令した。
「良いか、よく聞け……俺が肩を押したタイミングで拳を突き出すんだ……」
俺は紅葉の背中に自らの背中を密着させると彼女の身体を使って相手を倒すことを思い付いた。そして、自らは目の前から来る敵の攻撃を受け流すことに意識を集中させた。
「……今だっ!」
俺は紅葉に迫る不良が攻撃の範囲に入った瞬間、自らの肩を後ろに引いて紅葉の肩を前へと押し出した。
紅葉は俺に身体を委ねるように拳を前へと動かすと不良の腹目掛けて拳を放った。そして、拳が不良の腹に当たる瞬間、今度は反対側の肩を押して拳に反動を乗せた。そうすることで彼女に見事な正拳突きを繰り出させた。
「ぐはっ」
よしっ!狙い通りだっ!
腐っても流石は俺の身体であった。空手で磨いた感覚は中身が紅葉であっても覚えているようで上手く機能していた。
「てやあああ」
俺は目の前から迫り来る敵の攻撃を受け流すと足を後方に動かして紅葉を反転させた。そして、同じ要領で反対側の敵を打ち倒した。
まさに一心同体の行動だった。少しでも紅葉が俺の動きに疑問を懐いてしまっていたならば、こんな真似などできなかった。
それはダンスを踊るが如くお互いの呼吸を合わせながら1人、また1人と確実に倒していった。
「な、何なんだ、こいつら……」
不良のリーダーは周りの生徒達が全て倒されると泡を食ったように慌てふためいていた。
「紅葉……あいつに睨みを効かせて言うんだ……。2度と来るんじゃねえぞっ、次はこんなもんじゃ済まさないと……」
「あたしにできるかな?」
紅葉は俺の要求に戸惑っていた。まぁ、喧嘩を知らない女の子にそんな台詞を言わせるのはかなり過酷なことだったが、今は俺の身体である。
彼女がやらなければ、あいつはまた紅葉に危害を加える可能性が高かった。俺ではなく喧嘩に加担した紅葉にだ。
「大丈夫だ……。俺に説教たれる姿を思い出して俺に対する不満をぶつけるようにかましてやれっ」
俺は紅葉を後押しするとリーダーへと立ち向かわせた。
「おいっ、お前……」
紅葉は不良のリーダーの襟首を掴むと俺が今まで見たことないくらい恐い表情でリーダーを凄んだ。
……こわっ!俺ってあんな怖い顔できたんだ……
俺は紅葉の作った形相に言葉を失いかけた。その顔はかなりのものでリーダーも言葉を失っていた。完全にビビッているようだった。
「2度と俺達に絡むんじゃねえぞっ!次に絡んできたら……」
紅葉は拳を固く握り締めるとリーダーの顔の横を微かに掠めた。
「ひぃぃぃ」
その行動にリーダーは悲鳴を漏らした。俺達の完全勝利であった。
「わかったなら……行けっ」
紅葉はリーダーの襟首から手を離すと思いっ切り彼の身体を突き飛ばした。
「ひゃあああ」
尻餅を突いたリーダーは倒れている仲間を見捨てて、そのまま何処かへ走り去っていった。
「……よくやったな、紅葉」
俺が紅葉に話し掛けると彼女はヘナヘナとその場に腰を落とした。
「どうしたんだ?」
「ごめん……終わったと思ったら急に力が抜けちゃって……」
紅葉は見た目が男でも中身は歴とした女の子なのだ。そんな女の子があれだけのことをやってのければ、腰が抜けるのも無理もなかった。
「ほら……手を貸せよ」
俺は紅葉の手を握り締めると力一杯腕を引いた。
「……ありがとう」
紅葉は志雄らしくお礼を言うと目尻に涙を溜めていた。余程怖かったのだろう。
無茶しやがって……
「肩を貸すから……」
俺は紅葉の右側に立つと彼女の右腕を持ち上げて脇腹に身体を密着させた。
「ごめんなさい……」
「何を謝ってるんだよ」
「迷惑を掛けてしまったから」
「それは俺の台詞だ」
紅葉が不良達に絡まれたのは軽率な俺の行動のせいだった。
菜緒を守るためとはいえ暴力を振るって彼らを押さえつけたのは間違いだったのかもしれなかった。
「それにしても……よく逃げなかったな」
俺は紅葉が不良達から逃げずに立ち向かったことが不思議でならなかった。まぁ、彼女の性格からすれば逃げずに戦うことは至極当然なことなのかもしれないが……。
「大地の行動は間違っていないと思ったから……」
「それはどういう意味だ?」
俺は紅葉が言わんとしていることがわからなかった。
「大地は女の子を守るために以前あの不良達と揉めたのでしょう?」
「どうして、お前がそれを……」
「こないだ、本人から聞いたの。ありがとうって……お礼を言いにきた。だから、あたしは逃げたくなかった」
紅葉は俺の行動を肯定するために大人しく不良達に付いて行ったようであった。
「そんな理由であんな無茶なことをやったのかよ」
俺はあまりに無謀すぎる紅葉の行動に心底呆れていた。
「それに……大地の誇りを汚したくなかったから……」
「馬鹿野郎……それでお前に何かあったらどうすんだよ。俺はお前が無事ならば誰に笑われたって構わないぜ」
俺は紅葉が俺のために恐怖を押し殺して耐えてくれていたことに涙が零れそうな思いであった。だが、彼女にそんな怖い思いを何度もさせたくなかったので今後は素直に逃げることを勧めた。
「大地が良くてもそんなのあたしが嫌だ。好きな人には恰好良いままでいてほしいから……」
「それって……」
俺は紅葉から思わぬ言葉を聞いて思わず言葉を飲み込んだ。
告白するなら今が絶好の機会なんだろうけど……
俺には彼女に告白する前に1つやらなければならないことがあった。
それは直憲の告白に対する返答である。こればかりは彼女に負わせるべき責務ではないと感じていた。
「……どうかしたの?」
紅葉は急に黙り込んだ俺を心配そうに見つめていた。
「大丈夫だ。何でもない……」
俺は紅葉に心配させまいと精一杯の笑顔を浮かべた。
「それにしても……俺のサポートがあったにしろ、よくあそこまで上手く戦えたな」
俺は改めて先程の喧嘩を思い出して紅葉が予想以上に戦えていたことを褒めた。正直、恐怖心でもっと動きが鈍くなっていると思っていたのだが……彼女はごく自然に身体を動かせていた。
「ずっと大地の空手の練習を見ていたから……だから、どんな風に動きたいのか、どんな風に呼吸を合わせればいいのか、何となく大地の気持ちが伝わってきた」
「マジか……」
紅葉が見取り稽古の要領で動き方を覚えていたことにとても驚かされた。まさに「門前の小僧習わぬ経を読む」と言った感じであった。
「そんなに俺のことを見ていたのか?」
「うん……だから、言ったでしょ?大地が頑張ってきたことは誰よりもあたしが知っているからって……」
紅葉は恥ずかしそうに頬を紅く染めると微かな笑みを溢した。
確かにそんなことを言っていたな……
俺は紅葉の言葉を思い出した。そして、彼女が本当にずっと俺のことを見続けてくれていたことを理解して身体を震わせた。
まだ駄目だ……まだ……
俺は紅葉の熱烈な気持ちを知って思わず『好きだ』と言ってしまいそうになっていたが、必死で堪えた。彼女に告白する前に何としても直憲との関係にけじめを付けておかねばならなかった。
「紅葉……」
「何?」
「後で謝ることになると思うけど……」
俺は紅葉に直憲から告白されたことを打ち明けた。
「ふ~ん、それで……あんたはどうするつもりなの?」
紅葉は大して驚いた感じもなく俺の行動について確認してきた。
「俺なりにけじめをつけたい」
「……わかった。直憲のことは大地に任せるわ」
「それが終わったら……お前に話したいことがある」
それは紅葉への告白であった。
今度こそ俺は彼女から逃げずに告白することを腹に据えていた。
「それも楽しみに待っている」
「それじゃ、また明日……あの神社で会おう」
俺は紅葉に約束を取り付けるとその場を後にした。
※次回は紅葉の視点から物語が進みます