ハナビホタルに恋した女の子とハナビホタルの王様と物語を書く人の話
その世界にはハナビホタルという昆虫がいる。
しっぽが花火のようになっており、一生に一度だけ空を飛ぶときに花火を使う。
ハナビホタルは10年生きる。
夏の始まりに生まれて、10年後の夏の始まりに死ぬ。
ハナビホタルには知性がある。
文字書きも教えれば覚えるし、言葉も話せる。
ハナビホタルは魔法が使える。それは一生に一度だけ使える、不思議な魔法。
そんなハナビホタルだけど、最近絶滅に瀕している。
ハナビホタルが交尾をするため、しっぽの花火にを火をつける夜、人間たちは『水鉄砲まつり』なんていうくだらないお祭りで、ハナビホタルのしっぽの炎を消してしまうのだ。
生まれて間もなく、母を失った成虫になったばかりの幼いオスのハナビホタルがいた。
弱りきったそのハナビホタルを保護したのは、まだ少女といえるような年齢の女の子だった。
少女は自分の手の平にハナビホタルを抱きかかえ、一目散に家へと走った。
ハナビホタルにせっせと砂糖水を与え、土を常に新鮮なものに変え、甲斐甲斐しく世話を焼いた。
ハナビホタルはそんな生活を続けていくにつれて、自分はハナビホタルの王様なのだと思うようになっていた。だから少女はハナビホタルに『王様』と名前をつけた。これで、彼が王様であろうとなかろうと、彼女の中では『ハナビホタルの王様』になった。
小さな王様を連れて、少女は時々散歩に出かけた。
いつか野生に返そうと思っていたハナビホタルだ。少しでも外の世界の危なさを知っていてくれたらいい。
王様は見るもの全てに「あれはなんだ」と少女に訊ねた。
その度に少女はあれはネコという生き物です、と答え、動くものを狙う危険な肉食獣です、と教えた。
「あれはなんだ」
「自動車です。小さな物には目もくれず走ります。王様もお飛びになる時はお気をつけて」
「あれはなんだ」
「自動販売機です。明るいからと言って近づくと、熱で死んでしまうかも知れません。王様もお飛びになるときはお気をつけを」
「従者」
「はい、王様」
「お前のおかげで我はずいぶん賢くなったぞ」
「それは良かったです」
「従者、おまえはメスか」
「はい、王様とは種族が違いますが」
「我はお前を花嫁にしてやろう」
少女は自分の顔が赤くなるのを隠せなかった。
初めて誰かに求婚された。
それも、小さなハナビホタルに。
いつかしっぽに火を付けて、一夜の恋の相手を見つけ、花火のように散ってしまうハナビホタルのオスに。
「ですが王様、王様は子孫を繁栄させなければ」
「ミズデッポウマツリ、というものがあるのだろう。我はそれに生き残れそうもない。ならば、相手はお前がいい」
「ですが大きさが違いすぎます」
「我の魔法でお前を小さくしてやろう。お前は我に抱かれて飛び、木陰の裏で子を成すのだ」
喜びと困惑で混乱する少女に、ぼさぼさ頭に帽子をかぶった若い人が声をかけた。
「ハナビホタルだね、お嬢ちゃん」
「この人はわたしの王様です」
「そしてこの者は我が花嫁だ」
食い違うふたりの物言いに、ぼさぼさ頭はくすりと笑い、ぽつりと言った。
「心臓のない人形が恋をした話を知ってる?」
「知らない」
「知らない」
ぼさぼさ頭は売れない物書きだった。ぼさぼさ頭は少女とハナビホタルに、自分が書いた物語を簡潔に説明する。
「……そして、心臓のない人形は、恋の苦さを知ったんだよ。わかるかい?」
「わからない」
「わからない」
「そっかぁ、やっぱり自分の話はウケが悪いなぁ」
苦笑いするぼさぼさ頭は、少女とハナビホタルに「今年の水鉄砲まつりの時に放すのかい?」と訊ねた。
少女は小さく頷き、ハナビホタルも頷いた。
「そう、わかった。君たちに幸運を」
「ありがとう」
「ありがとう」
そうして、水鉄砲まつりの夜が来た。
街には水鉄砲を構えた若者が闊歩し、火が着いたものがないか探し歩いている。
王様は約束通り、少女に魔法をかけて自分と同じ大きさにした。これで種族は違っても、子供を作るのに問題はない大きさになった。
そして少女に渡された燐でしっぽをこすり、火をつける。火花が散り、王様はふわりと浮かび上がった。
「いくぞ、従者」
「はい、王様」
少女と王様は水の弾幕が飛び交う街へと繰り出した。
しかし、少女は奇妙なことに気がついた。
例年よりハナビホタルの数が多いことに気がついた。
やがて、それが飛び交うロケット花火だと気がつくのには時間はかからなかった。
誰かが、どこかで、たくさんのロケット花火を打ち上げている。
水鉄砲を構える若者はロケット花火を撃ち落とすのに夢中になっている。
これなら、王様に目が行く人間も少ないかも知れない。
王様のしっぽの花火はどんどん激しさを増し、スピードを上げて綺麗な水辺のある公園へと向かっていく。
しかし、坂の上で、水鉄砲を構えた若者が待ち構えていた。
「ハナビホタル、ゲットー!」
悪びれもなくそう言う若者の目の前に、閃光が走った。
若者は咄嗟に閃光に水を浴びせ、王様と少女は難を逃れた。
やがてたどり着いた公園の水辺で、しっぽの花火が消えかかった王様が少女に言う。
「子を成せば我の命もそう長くないだろう」
「はい、王様」
「従者、お前は我とお主の子を守れ。人の血の混じったハナビホタルなら、少しは寿命も伸びるだろう」
「はい、王様」
涙にくれる少女の頬を、王様の手が撫でる。
昆虫独特のちくちくした痛みを、少女は大事な宝物にしようと心に決めた。
そこにぬう、と現れる影。
少女と王様はぎょっとするが、それは水浸しになったあのぼさぼさ頭だった。
「0才の大人が人魚に恋した話を知ってる?」
「知らない」
「知らない」
ぼさぼさ頭はたくさんのロケット花火を担いでいる。
そして、手には消えた手持ち花火。髪から水をしたたり落としながら、ぼさぼさ頭はにんまりと笑い、自分の書いた物語を語りだす。
それを聞いた王様と少女は顔を見合わせて言った。
「そして、ふたりは幸せに暮らしたんでしょう?」
ぼさぼさ頭は目を丸くする。
「そうだよ、よくわかったね」
「だって、前に話してくれた話を書いた人とおんなじ人だもん」
「そうかぁ、やっぱり自分の話はワンパターンだなぁ」
何十年か後、ハナビホタルの平均寿命が少し伸びたと、ニュースで報じられた。
あまり売れない年老いた物書きはペンを置きながら、コーヒーをひと啜り飲んでそっと笑う。
それが彼らの子孫かどうかは、誰も知らなくていい物語だ。