序章 2
そして、今日の講義が全て終わって、愛川は自らの住まいへと帰ってきた。
帰り際に男性とも会えて、都合のいいことに男性の自宅と愛川の住まいが、そう遠くない場所にあるということも分かった。
「ああ、愛理栖、お帰り」
「ただいま、理子お姉ちゃん……で、今の名前はいいんだよね」
緑色の髪の眼鏡をかけた女性が椅子に座りながら声で出迎え、愛川はそれの返事をする。
所々湾曲した緑色の髪の女性は愛川の姉である愛川理子である。
「そう、いいわよ。家の中だったら本当の名前でもいいけど」
理子は肯定の意で返答した。
サキュバスは基本的に名字は存在しないが、サキュバス世界で日本や他国に行くことを認められたサキュバスはサキュバス世界公認で偽の形だが、名字を与えられることになる。
理子の本名はリコリスである。
「とはいっても、愛理栖もこれから日本で生活するんだから、日本式の名前も慣れなきゃいけないんだよ。家でも日本式の名前で呼んだ方がいい」
どこかで買った弁当をテーブルに運びながら、長く伸ばした青い髪の女性は理子とは違った意見を愛川に述べる。
彼女の名前は愛川理沙。
理子の一つ上の姉であり、三人の中で日本での生活が一番長い。
「はーい」
愛川はこれに応じる。
日本の生活が一番長い姉がそう言うのであれば、そうせざるを得ない。
「ここで三人だけなら間違ったところで、咎めはしないけどここにいるときでも気を付けることよ、愛理栖」
「はーい」
理沙の補足に愛川も再度の了承をする。
「あと、私は食べたら仕事だからあとは休んでいていいわよ。鍵も私が持っているから、鍵もかけていいわ」
「はーい」
「うーい」
理沙は食べながら愛川と理子に出て行った後のことを話した。
愛川、理子の順に二人はそれを受け入れる。
夜が近い時間だが、理沙はこれから水商売の仕事なのだ。
サキュバスらしい仕事ではある。
また、理子は少し前は仕事はしていたのだが、今は別の職を探していると聞いている。
そんな理子は椅子に座りながら愛理栖の方に体を向けて話し始めた。
「愛理栖は慣れない雰囲気に浸って疲れたんじゃない? 明日からまた大学に行くんだから、今日はゆっくり休んだ方がいいよ」
「うん、ありがとう、そうするね」
理子の気遣いの言葉に愛川は少しだけ心が安らいだ。
愛川は生まれてから二人の姉によく世話になっている上に迷惑もかけている。
そんな長い付き合いどころか母同然でもある姉二人に、何気ない優しい言葉でも愛川には安らぎがあった。
「あと何か大学で面白いことがあったら聞かせてね、勉強とかはサキュバスの世界でもやったけど、私は大学生活は全くないからね」
「そうね、今日はちょっとしたことがあったから、それでも聞く?」
理子の提案を受け入れた愛川は大学の話題を切り出す。
「お、あるの? じゃあさっそく、その話を聞きたいね」
理子はその話に乗り、愛川は会話を続けていった。
途中で、プログラマーはサキュバスにも鬼にも絶対にやってはいけない話が理子から出てきたが、三人のサキュバスはそれぞれの時間を過ごしていった。
そして、深夜間近の時間帯。
愛川は夜の空気を吸いに行きたいと理子に言ってから、外に出た。
理子も怪しい人には気を付けてと付け加えて了承をしてくれて、難なく出ることになる。
「さて、と……」
真夜中の歩道に立った愛川はぽつりと呟く。
先ほどの男性の家が近いことによる都合のいいこと、それはサキュバスの食料として他の人の生命力を分けてもらう必要があるためだ。
生命力とは簡単に言えば化者や一般人が生きていく上での活力である。
それをサキュバスは他人から頂くことができる。
ただ、一日三食、生命力を摂取しないといけないわけではなく、そこはサキュバスによって差異がある。
食事のほとんどが生命力を必要としないサキュバスもいれば一日に定量の生命力を欲するサキュバスもいると、愛川の知識のうちにはある。
(あの人から生命力を分けてもらおうかなっと)
愛川は内心で呟き、今日出会えたあの男性の家へと向きを変える。
生命力の確保に男性の家の場所が分かったことは都合がいい。
そして、今の時間帯は深夜、周りには誰もいないし、遠くの道にも人の気配はない。
「それじゃあ、本当の姿へと変わっちゃいましょう」
愛川は言葉と共に、その場を中心に回った。
すると、瞬く間に黒を中心とした衣装へと変わり、髪の色もピンク色から紫へ変化する。
そして、背中には黒色の翼も身につけていた。
これが、愛川のサキュバスの姿である。
「飛んで行った方が手っ取り早いからね」
愛川は飛ぶ方向を定めて真上に飛んで呟く。
「ふふふっ、あの人もきっと寝ているだろうし……頂くなら、今!」
言葉と共に愛川は空を飛んで行った。
夜空を割くように真っ直ぐに飛んでいく。
愛川の邪魔をする生き物はなく、安全に目的地へ進んでいく。
(あの人の生命力はどんな味なのかな……?)
愛川の思考は男性の家に着いた後のことしか考えてない。
男性の家までもう少しで、邪魔するものはいないからだ。
だが、それは愛川の目に映る範囲の話だと、愛川は知ることとなる。
「ちょっと待て」