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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

自然の子ら

作者: 濱野乱



亜美と鹿子は、とある動物園を訪れた。パンダはいないが、ライオンや象など、手堅い所は押さえているというから家族連れや、カップルなどの憩い場所となっている。


入場券の販売所の前で亜美は、ずっと仏頂面をしていた。


日曜の朝早くに友人の鹿子からラインが入り、無視していると今度は電話がかかってきたのである。あまりにしつこいので出てしまった。


「動物園に参りません……? はぁはぁ」

 

電話の向こうから荒い吐息と共に誘いを受ける。亜美は出かけるのを渋った。鹿子の目的が見えない。不気味だ。


「動物の生態を観察するだけですから。フフフ……」


血も凍るような笑い声に、亜美はとっさに電話口から耳を離す。しかし、胆力で劣る亜美は会話を続ける以外の選択肢を持たなかった。

 

「ねえ、どうして動物園に行きたいの? 動物園じゃなくちゃいけないの」


「奇異なこと仰るのね。友人と動物園に行くのに理由がいるのですか。しいてあげるなら観察。そう、観察です」


鹿子は観察、という言葉を繰り返し用いた。一見、客観的で公明な言葉でも、鹿子が用いると一種不吉な響きを帯びるようになる。小学生の頃に、クラスメートの行動を分単位で記したノートを夏休みの宿題に提出したことのある記録魔だ。慄然とせぬ者があろうか。


それを知っていながらも亜美は同行することを承諾した。


すると、あれだけ熱情をほど走らせていた鹿子の声が急に平坦なものに転じ、どこどこで待ち合わせしましょうと一方的に通話を切られた。


お互いが矛盾する言動をしているわけではなく、二人の間で論理を越えたコンセンサスが醸成されているのだ。


そして販売券を買ってきた鹿子が、亜美の目の前に戻ってきて今に至る。


鹿子はきりっと口元を結んだ人形のよう女の子で、背中に届く黒髪はこれまで一度たりとも乱れた試しがない。

 

嫉妬を込めて、亜美はそのことをからかう。

 

「ねえ、あんたの髪って変じゃない?」


「変とは?」


「本物臭くないっていうかさ。実はヅラだったりして」

 

「ええ、実はその通りですよ。これまで黙ってましたが」

 

そう言って、淡々と側頭部の髪を上に持ち上げて見せる。

 

亜美はからからと笑った。


「ちーがーうだーろ。動いてないから。ほら、行くよ」


二人は通っている高校の制服を着ている。示し合わせたわけでもなくお揃いになったが、二人は驚かない。


亜美は嫌だなと思う反面、連帯感を得ていた。鹿子もまた同様だった。出だしは好調である。


意見の一致を見たのも束の間、色鮮やかなオウムや、精悍な虎の勇姿を期待していた二人は出鼻をくじかれることになる。


檻に動物が一頭も見あたらない。地図を見ながら一通り、巡ったが動物はおろか人の気配すらない。風が吹いても、動物園独特の湿った臭いは感じられなかった。


「変ですね。休園日だったのでしょうか」

  

怪異めいた状況に、鹿子が深刻そうにつぶやく。亜美は鳥肌が立った。

 

「だとしたら入り口が閉まってるだろ。やだなー、あたし寒くなってきたよ」


初夏の日差しは二人の体を温めてはくれなかった。黒ずんだ鉄格子を無人の檻の内奥は湿っていて暗く、よくないもののの吹き溜まりに思えた。


「それにしてもどうして動物園に来たかったの、鹿子は」


「ほら、私、同人作家じゃない?」


「え、初めて聞いたけど。何それ」


「獣姦作品を書きたくて勉強に来たんです。リアリティーの追求のためにね。でも日曜の真っ昼間から一人で動物園に入るのがどうしても恥ずかしくって」


鹿子は恥じらう乙女らしく、腕をもじもじさせた。

 

「獣姦の方が恥ずかしいでしょ。確実に」


亜美は白い目で、偏見に満ちあふれた目で、鹿子を見た。

 

「ねえ、私が動物園に一人で入る度胸もないチキンだからって、私のこと嫌いにならないでくださいね、ね」


すがりつく鹿子を、亜美はぞんざいに突き飛ばした。

 

「嫌いにならないでええええええええ!」


 座り込んだまま、鹿子はミュージカル顔負けの美声を園内に響きわたらせた。

 

「やはりおかしい」


亜美は警戒心を一層強くした。


鹿子が騒いでも、従業員はおろか野鳥の羽ばたきすらしない。


全く相手にされない鹿子は、「うん、そうね」と、後輩の前でヘマをした時の沢○みゆきのようなくぐもった声で答えた。


「鹿子、出るぞ……むぶっ!」


脱出を口にした途端、二人の頭に黒いポリ袋が被せられ、後ろ手で縛られる。そして丸太を担ぐように持ち上げられ、拉致されてしまった。



 二


 

亜美は、湿ったアスファルトの上に頃がされていた。傍らでは鹿子が体育座りをしている。


「これは劇場型犯罪よ。間違いない」


確信めいたことを言って、鹿子は悔しげに唇を噛んだ。正面には規則正しく伸びる鉄柵がある。二人は動物用の檻に入れられているのだった。


亜美は体を丸め、隅に生えていた苔に目を注いだ。


「あによ、それ……、信じらんない」


柵の向こうには熱気がある。芋洗いのように男たちの頭が並んでいた。



「JK見学店ってあったでしょう? 未成年の女子がいかがわしいことをしてお金をもらう奴。規制が厳しくて最近は減ったけど。その代わりに増えたのがこういったトラップ型の犯罪。JKを罠にはめ、贄へと変える」


亜美は檻の向こうを見ないようにしていた。男たちの正確な人数はわからないが、夥しい気配と熱気に当てられているのだ。それにもかかわらず、誰一人口を開かないのが不気味だった。獲物を狙う獣のようにじーっと、亜美たちの一挙手一投足に注目している。


 「その通り」


檻の天井隅に設置されていたスピーカーから肯定する男の声が突然流れた。


「ここから出せー!」


亜美は声だけで食ってかかりつつ、鹿子に近寄った。同時にスピーカーから最も離れた対角線に移動している。

 

「それは君たち次第だ。客を満足させたら帰してあげよう。おこづかいもあげる」


「いらないよ。そんな汚い金は」


気丈に振る舞う亜美だったが、怯えを押し隠すのが必死だ。鹿子は、生気のない顔で檻の向こうの世界に目をやっていた。


「汚い……」


「でも君たちはそんな汚い大人たちからお金を巻き上げる力を持っているんだよ。さあ、やってごらん。檻があるから身の危険はないはずだ」


鹿子はふらふらと檻に近寄り、向こうにいる男たちに気軽に話しかけた。


「みなさん、見たところ良い年ですけど、私たちと同じくらいの年の娘さんとかいないんですか。国連に通報しますよ。人権侵害……」


あまりに観衆の反応がないのを訝った鹿子は自分のスカートを試しに持ち上げてみた。


「ダメダメ、そんなんじゃ。今時の客は喜ばないぜ。どうにも盛り上がりに欠けるな。協力してあげよう」


檻の奥にある小さい出口から一人の男が腹ばいで入ってきた。

 

腰にバスタオルを巻いただけの若い男。涼しげな目元に、緊張をほぐすようなやさしい笑み。 

 

亜美は腕を組んで、無碍にあしらう。

 

「ははは、イケメンだからって誰彼構わず飛びつくと思うなんて安直なんだよ! そうだよね、鹿子」


同意を求められた鹿子は下唇をなめ、イケメンをはすに見る。


「そうですね、七十九点って所かしら」


「思いの他、高評価じゃん。やめときなよー、どうせろくな男じゃないよ」


「そうかしら? 案外やさしく手ほどきしてくれるかも」


亜美は鹿子の言葉が信じられなかった。異様な空気に飲まれてしまったのだろうか。


鹿子は制服をぽいぽい脱ぐと、イケメンの前に進み出た。

 

「やさしくしてね」


「もちろん」


 二人は人工岩の陰にいそいそと引っ込み、すぐに苦しげなうめきが聞こえてきた。


「おいおい生殺しかよ」

 

ブーイングがわき起こる。亜美は耳を塞いでいた。


突然、岩陰からこれまでとは違う甲高い悲鳴が聞こえた。亜美は鹿子がひどい目に遭わされると思い、助けに向かうべきか迷った。しかし怖くて足が動けない。


そうこうするうち、口の周りを赤黒い血でべとべとにした鹿子が岩陰から出てきた。


「し、鹿子、血が」


「大丈夫。私の血じゃありませんから」


鹿子は、血液混じりの唾をぺっと地面に向けて吐いた。

 

亜美は鹿子に抱きついた。無事を確かめたことによる歓喜で顔がぐしゃぐしゃになった。


「鹿子ー!」


「敵を騙すにはまず味方からってね」


鹿子の機転により、男優の危機はひとまず去った。


「あのー」


檻の向こうから、控えめに二人を呼ぶ者がいた。亜美と鹿子はぴったりくっついたまま檻に近寄る。


  

「はい、はい、何ですか。童貞臭いあなた」


鹿子が雑な対応をすると、最前列にいた大学生風の男が頭をかいた。

 

「ひどいなあ。事実童貞だけど。ここではあんまり殺伐なのは受けないよ」


「じゃあエロいことをしないと出られないの?」


男優は死んでしまったし、二人でできることなど限られている。


「普通にしてればいいんじゃないかな。動物園の動物がやる気なさそうにしてても怒られないでしょ。自然体でいいんだよ」


鹿子はヒントを得て合点がいった。男たちは、自分が動物園でしようとしていたことをしているだけだったのだ。つまり、観察だ。


それからどれほどの歳月が経過しただろうか。解放されることなく、まして世間から忘れられてしまったかのごとく二人は檻での生活に馴染んでしまった。


ホースで水を浴び、人参としいたけで飼育される。服が破れると代わりの衣装が用意された。


時々、写真を撮られることもあったが、二人は恐らく自然体だった。


ある日、鹿子だけが檻から出されることになった。数日前から鹿子はよく咳をするようになった。自慢だった髪は抜け落ち、食も細くなって、別人のように年取って見えた。亜美が呼びかけても声もなく唇を薄く開くだけだった。


鹿子がいなくなり、亜美は考えた。自分達は本当に自然体でいられたのだろうか。


動物園の動物も、元は全く別の環境で暮らしていたのだ。たとえ、動物園で生まれたものでも、人工的な施設の元では完璧な自然体とはなりえないのではないか。


まして亜美達は別の場所から連れて来られた異物だ。鹿子は自然体ではなくなったから、排除されたのだろうか。元々自然なものなどここにはないというのに。


檻の向こうで、子供が笑っている。すぐに亜美の破れたスカートを嘲っていると気づいた。


手を振ってから湿ったアスファルトの床に横たわる。床ずれが痛むので、仰向けにはなれない。


檻の外は雨だ。鹿子はどこかであの雨に打たれているだろうか。自然のままで。





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