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雇用契約書の裏には、この城の見取り図までついており、自分の新たな職場までは迷いもせずにつけそうだった。
その前に、自分にあてがわれた部屋へと向かう。
部屋は、先ほどいたレヴィナギア様の部屋の真下だった。扉を開くと一人で暮らすには十分すぎる広さに、洗面台やシャワールーム、クイーンサイズのベットなどの家具、日本語で書かれた世界各国の料理の本が収納された本棚。小さなキッチンまで付随されていた。
「社宅……というには豪華すぎる」
まるで自分が異国の姫にでもなったような錯覚を起こすくらいに、そこにある品々は素人目に見てもいいものなのだろうと思う。
クローゼットを開くと、そこには複数用意されたエプロン、コック帽などが並んでいた。一着だけかけられたメイド服は見て見ぬ振りをした。
さすがに魔界に割烹着はないか……。
家で料理をするときは割烹着を着ていた。それは数年前に亡くなった祖母の形見のようなもので、とても愛着のあるものだった。
少しだけの寂寥感も一緒にしまう様に、いつもより力を込めてクローゼットを閉め、元の世界への身支度を済ませ、自分の部屋を後にした。
この城は、広さはあれど迷うほど複雑な作りにはなっていない。
厨房は一番下の階の左端にあった。
中は塵一つないほど綺麗に片付いており、調理器具も一式揃っている様だった。
しかし、食品をしまっておく冷蔵庫だけが見当たらなくて不安になった。
もしかしたら自給自足……そう心配していたところ、目の前にワイン箱のようなものがあることに気づく。上には注文票が置かれており、そこに貼られた付箋には『必要な品を記入して、箱の中に入れると品物が出てくる。保存しておきたい食材もここに貯蓄しておくことができる』と書かれていた。
これで、食材についての心配はなくなった。
自分が入ってきた扉の他にもう一つ、扉があるのを見つけた。小さな窓からの様子だと外につながる勝手口のようだ。
扉を開くと、そこはそれなりにスペースのある広場になっていた。
「オイ、げぼく!!」
上からひゅ、っと降りてきた先ほどの烏がわたしの前に着陸した。
「おれはセンパイだからな!!」
「あ、そうでした。今日からお世話になります。えぇっと……貴方の通り名は?」
すると烏は、今まで普通に話していたのにかぁかぁとけたたましく鳴き始めた。
どうやらその様子から、名前を聞いたのが地雷だったらしい。
「す、すみません……!!」
「レヴィナギアさまのぷれぜんと、もらってない!!でもおれがセンパイ!!」
ここに住む以上、この烏ともうまくやっていく必要がある。
まずはお伺いを立てながら、コミュニケーションを取って、何と呼べばいいか伺わなくてはならない。
「ところで……先輩の瞳、とっても綺麗ですね」
すると今までの威嚇が嘘のように、宝石のようなその瞳を更に輝かせた。
「これ、レヴィナギアさまにもらったぷれぜんと。おれがむかし、ヤンチャしてたときにドラゴンとやりやって、りょうめがみえなくった。そのときにはじめてレヴィナギアさまにであって、しりょくといっしょにもらったもの」
烏にとってこの瞳はレヴィナギア様と自分を繋ぐもので、とても誇りに思っているらしい。
レヴィナギア様は恩人で、忠誠を尽くす主人。その点はわたしも同じだった。
ここで雇ってもらえなかったら一人魔界をさまようところだった。
「レヴィナギア様はどんな方なんですか??」
大好きな主人の話を聞かれて、嬉しいのか、羽を少し広げてウキウキしている姿は可愛らしいと思えた。
……きっとそう言ったらこのプライドの塊の烏は怒るのだろうけど。
烏が語るその話は、とにかく長くて、そもそもが自分のヤンチャ話から始まるものだから、なかなかレヴィナギア様の話にまで進まなかった。
それでも我慢して聞いていると、どうやらレヴィナギア様はどこかの高貴な方のご子息だが、訳あってこんな僻地で働いていること。
太陽が出ているのに少し暗くみえたのは、統治している範囲全体にレヴィナギア様が結界を張っているから。
ここには魔族としてもどこか欠陥のある、弱い立場の者だけを集めて、住まわせていること。この中だけは平和でも他の地は、とても危ないし、人間の私が一歩でも出ようものならすぐに心身共に餌食になるということだった。
「……大変有意義な話を聞けました。ところでレヴィナギア様は先輩のことをなんとお呼びなんでしょう?」
「なまえなんてよばれたことない……。そもそも、レヴィナギアさまによばれてあらわれたこともない」
どうやら烏の熱烈な主人愛は片思いだったようだ。名前での眷属の契約もしていないらしい。
確かに、先ほどの様子は烏に対しての当たり方が強かったように思う。
うな垂れた烏をみて、散々下僕だの言われていたけれどほんの少しだけ同情をしてしまった。
誰かに必要とされていない、自分の居場所が不安定なものなのはとても辛いことだから。
「……それでは、僭越ながら私に先輩の名前を考えさせてはもらえませんか?私が呼んでいれば、いつかレヴィナギア様も呼んでくださるかもしれません」
その提案を喜んでくれたようで首を上下に何度も振る烏をみて、これは真剣に考えなくてはと思った。
一番特徴的な瞳。その赤色と宝石のカットのせいか、はまるで薔薇のようにみえた。
「わかりました。その瞳を見て思いついたのですが……ロージアさん、なんていかがでしょう?」
「ロージア……おれのなまえ……いい!!」
それからもぶつぶつと、何度も自分の名前を反芻し、その度に嬉しそうにしている様子を見て、こちらも少しほっとした。これならなんとか仲良く、とまではいかなくても普通に接することができるかもしれない。
「ところで、私のことを下僕と呼ぶのはやめていただきたいんですが。レヴィナギア様に頂いた通り名があるので……」
「それは、おまえがレヴィナギアさまにぷれぜんとされたもの。だいじにしろ。……しかたない。げぼくじゃなくて、おんなにかくあげしてやる」
それもそれで、嬉しくはないけれど、下僕よりは幾分かマシだ。
広場からは全部屋のバルコニーが見ることができた。
ふと気配がある気がして、レヴィナギア様の部屋のあたりを見たけれど、そこには誰もいなかった。
けれど、煙が残っているのを見て、どうやらロージアの片思いではなさそうだと思ったらくすりと笑いが出てしまったことを、ロージアは訝しげに見ていた。