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「離して!! 今すぐ手当をしないと!!」
「はぁ? こんなの手当なんてする価値もないだろ。しかもお前は俺様の物。主人に許可なくそんなことが出来ると思ってんの?」
爪が思い切り肩に食い込み、今にも悲鳴をあげたいほどに痛む。
けれど、皇太子だろうがなんだろうがこんな非道な奴の前で弱音をみせるなんて、絶対にありえない。ぐっと歯を食いしばり、その痛みに耐え、生暖かいものが流れる感覚も含めて遮断した。
「へぇ……無駄に我慢とかするんだな」
「皇太子様、再度申し上げます。その者は私が契約を果たした者。今すぐお渡しください!!」
長い髪を振り乱しながら、ここまで切迫した表情のレヴィナギア様を私は初めてみた。
それをさせているのが自分だと思うと、とても心が痛む。
彼はいつだって、この地を収める絶対的な支配者だった。その人にここまでさせているのが自分だなんて……。
「レヴィナギア様……私……」
「何も言うな。君は私が必ず守る」
「……ふーん、そこまでだとは予想外だな。
お前が人間を飼い始め、しかも今までこの土地を封鎖してきた結界が乱れてるっつー噂を聞いて暇つぶしに来たんだよ。
で、次は俺様の物になる王宮にこいつを持って帰るんだけど。飽きれば魂でも心でも肉体でも喰って捨てりゃいいんだし。
……で、お前いつまで皇太子サマの邪魔すんの?」
皇太子はにやりと笑いながら、私の方を向いた。
その瞬間、背中にぞわりとした感覚が襲う。
再び私を一気に赤い炎が纏わりつく。
「なぁ人間。忠誠の証に、俺にキスしろよ」
交わした瞳が私の心を侵食して、呆然と何も考えられなくしていく。
その感覚はひどく気持ちが悪いのに、目の前の赤眼のアクマに触れなくては死んでしまうような錯覚に陥る。
自分ではどうしようもない引力にひかれ、顔を近づけていく。
けれど、この絶望の状況下でも揺るがないものが私の中にはある。
私は、レヴィナギア様が好き。それはもう悲しいほどに。
この気持ちだけは誰にも譲りたくない。
皇太子に掴まれている方の腕は、自分の魔力への過信のためか、かろうじて魔法の力は薄い。
自ら更に爪を食い込ませるように、腕を上にあげて、大きくその頬に平手打ちをかました。
「くっ……!! てめぇ!!」
激昂の皇太子は更に魔力を強め、完全に炎で体を拘束した。
無理矢理顎を持たれ、今度こそ微動だに出来ない私に近づいてくる。
今度こそ私は……。諦めかけたその時、目の前に水流が巻き起こり、私の体に纏わりつく炎を消していく。
それと同時に、私をかばうようにレヴィナギア様が立ちはだかる。
「……私のキュイジニエールが次期魔王にこのような非礼をしたこと、代わってお許し願いたい。
しかし、この地に下僕も家畜もおりません。彼らの名誉と自由だけは穢さないでください。
……どうかこの愚民めにご慈悲を」
深々と頭を下げたレヴィナギア様に、悔しくて涙が溢れる。
卑劣なアクマにこの方が謝る必要なんて全くない。けれど、彼が自ら尊厳を捨ててでも守ろうとしたものを私の言葉で覆らせるわけにもいかず、何もすることができない自分に一番腹が立つ。
「……ふははは!! お前が俺様にへりくだるなんて傑作だな!! ま、今日のところはこのまま帰ってやってもいい」
腹を抱えながら笑い続けた皇太子が、ぴたりとそれを止めた。
「けどな、お前は相変わらず悪魔としては中途半端なんだよ。血も何もかもな。
……お前如きが、全て守れるなんて本気で思ってんの?」
卑しい笑いを孕みながら発せられたその言葉に、レヴィナギア様の表情まではわからないけれど、ぐっと握り拳を作り耐えているのが見て取れた。
その手に、上から包み込むように触れると、肩をびくりとさせながらこちらを振り返り、心配させまいと、レヴィナギア様は瞳以外で笑いを浮かべた。
「おい、そこの女。俺様に刃向かうなんていい度胸じゃねーか。……気に入ったぜ」
その言葉と共に、炎が皇太子の身を包み込み、あっという間に消え去った。
私は安心感からか、それとも貧血からかその場にしゃがみ込んだ。
けれど、そんな私をレヴィナギア様が抱きとめてくれた。
その温もりが、感覚が嬉しくてぎゅっとしがみついた。




