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キュイジニエールに捧ぐ悪魔の落款  作者: 睡蓮
Sorbet〜ソルベ〜
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意識を取り戻してから少し経つと、リハビリの甲斐もあり、車椅子でなら自力で院内を自由に動けるほどまでに回復していた。

記憶に関しては、あまり進捗はない。

もしかしたら、意識のない間に見た夢だったのかもしれないと自分を納得させようとしている。


人がたくさんいるような中庭は好きではなくて、病室の近くにいるのも結依が来て落ち着かない。

日中は、人気の少ない小さい屋上にいる事が多かった。多くの人が利用する広い屋上とは違い、いつも沢山の洗いたてのシーツが干されていて、その影にいると完全にプライベートな空間に様変わりする。

ここで、病院で貸し出されている本を読んだり、こっそりお菓子を食べるのが密かな楽しみだ。

まだ少しだけ日差しが強い日もある為、病院の売店で売られていた、夏場の売れ残りであろう麦わら帽子をかぶり、今日もその場所にいた。


今日のおやつは林檎のシャーベット。

市販のものだが、甘さと冷たさが口の中を満たすと心地いい。

満足した気持ちのまま、借りて来た本を開く。

今日たまたま手に取ったのは古事記。

最後に読んだのは高校の授業の時だっただろうか。



「またこんな所にいるのか」



声のする方を向くと、そこにいたのは優人。

本を閉じて、彼の方を向くように車椅子を移動させた。



「珍しいね、こんな時間に」


「いや、ちょっと……話があって」



曇った彼の顔を見て思い出した。

そういえば、あの日は話があると呼び出されたんだった。



「本当なら病人にこんなこと言うなんて最低だと思うんだけど……向こうのこと思うと早く決着つけさせてやりたくてさ」



強い風が吹く。

シーツの隙間から、先程優人が通ってきた出入口から二人の人影が見えた。

それは、間違いなく結依と……先生だった。

優人の話を聞かなくてはならないと思うのだけど、私の視線も意識も、優人のその先にある2人に注がれていた。



「実はあの日お前を呼び出したのは……」


「ふふっ、先生って本当にイジワルなんですね、私の気持ちに気付いてて今まで知らない振りしてたんですかぁ?」


「……いいから、さっさと済ませますよ」



意識しないと聞こえないほどに小さい囁きを、結依が先生の耳元に落とす。

結依の恍惚とした表情と対照的に、先生の顔はいつもと変わらない無表示だった。

眼鏡を外し、ゆっくりそれを胸ポケットに閉まった。後ろで結んだ髪を解き、結依の頬へ手を添えた。

瞳を閉じた結依の顔へと徐々に先生の顔を寄せる。



「……俺、結依が好きなんだ。付き合ってる」


「嫌……っ!!」



その声は目の前にいる男に対してじゃない。届けたかった人にまで聞こえるくらいに、大きく叫んだ。

車椅子から無理矢理立ち上がろうとすると、足元から崩れていく。


倒れる。


瞬時にそう思った私は、痛みに耐えるようにぎゅっと瞳を閉じた。

けれど、遠のく意識の中で感じたのは洗いたての洗剤の香り、大きく安心できる腕、そして、いつの日かの髪が頬をかすめる感覚。



「……まったく、君は本当に異分子だ」



呆れるようにいうその声があまりにも嬉しくて、思わず涙が溢れる。

私にとってみればこんなに泣かせるこのひとが異分子なのだけど。



「レヴィ……ナギア様……?」



何とか声を絞り出したところで、私の意識はぷつりと途切れた。

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