第二話。
(人は何のために生まれてきたのか…)
裕太はこんな哲学的とも言える問いが、しょっちゅう頭の中を駆け巡る。
これは、つまり裕太が人生に行き詰っている事の証拠であり、こんな不毛な問いをしていられるほど、暇だとも言える。
しかし、それでいて裕太は真剣だった。
(俺には何も、ない)
その事の劣等感は凄まじかった。
子供の頃は「絵が上手い」と周りから褒められ、将来は漫画家になる事が夢だった裕太だが、大人になるにつれ、自分の画力なんぞ、広い世間に出てみれば、全く対したレベルではない事を思い知らされ、絵がイマイチでもストーリー作りで魅せてやる…と思っても、出てくる話しは凡夫のそれであり、まぁ、これじゃあ漫画家なんて無理だな…と、痛感し、挫折した苦い過去がある。
(でも、それでも俺は漫画家になるんだッ)
と言うような、ガッツが裕太の中で湧き出てこなかった。
なので、単に挫折した、という結果だけが裕太の中で残るハメになった。
しかし、それでもたまに思う、
(あの時、諦めずに漫画家を目指していたら、今頃どうなっていたんだろう…)
…と。
何故、そのような思いに駆られるかと言うと、色々なプロの漫画家の過去を見ても、必ずしも皆、恵まれた環境にいなかったり、最初は鳴かず飛ばずの状態が長く続いたりと、一概に順風満帆なサクセス・ストーリーを歩んでいるわけではないからだ。
寧ろ、彼ら彼女らの中には、裕太以上に過酷な状況から、プロとして成功した者は多い。
すると、結局自分には根性が足らなかっただけでは…という思いが芽生えてくるのだ。
人から、なんと言われようが、続ける。
結果的には、そういう強さが夢の実現には不可欠なのだ。
(俺にはそれがなかった)
裕太はそのことを素直に認める他なかった。
しかし、どれだけ悔やんだところで失われた時間は戻ってはこない。
それでいて、また漫画家を目指すという気持にもなれない。
裕太は完全に不完全燃焼な生き方をしていた。