第一話
「言っておくが、俺は何も悪くない」
それが、田中裕太の口癖だった。
裕太はもう今年で30になり、立派な中年の仲間入りを果たしたにも関わらず、未だに仕事が定まらない。
どこの職場でも最初は真面目に仕事に取り組むが、途中でうんざりして、ほっぽり出すように辞めてしまう。
裕太はそんな自分が嫌だったが、かと言ってそのまま仕事を続けるという選択肢を取るのは更に嫌だった。
だから、結果的にあっちに行ったりこっちに行ったりして、気付けば30になっていた。
(あんまりだ…)
裕太は正直にそう感じる。
金もない、女もない、将来も、ない。
あるものと言ったら、漠然とした将来の不安だけ。
(神様なんていないんだな)
裕太はどんな判断をするにしても、自分が正しいと感じた行動しかとってこなかった。
どれだけ周りが非難しようとも(俺には俺の言い分がある)と、思い続けてきた。
裕太に反省という概念はなかった。
…と、こう書いているとまるで彼が一方的に非があるかのように見えてしまうが、実はそうでもない。
自分が上司という立場だからと、権威に胡坐をかいて面倒な仕事を部下に押し付けてる上役や、筋が通らない理不尽を押し付けてくる先輩など、裕太はこの世の表ざたにならない不正が大嫌いだった。
その手の事を見てしまうと、どうしても迎合できないのだ。
つまり、裕太は人並みはずれて真面目で正義感が強い男なのだ。
しかし、そんな理想的ともいえる性格も実社会では殆ど役に立たなかった。フィクションの世界では、そういう人間が最後には良い思いをするのに、現実の自分はクソみたいな人生を歩んでいる…。
裕太にはそれが納得いかなかった。
気付けば、いつも不機嫌そうな顔をしていた。
(人は何のために生まれてきたのか…)
裕太はこんな哲学的とも言える問いが、しょっちゅう頭の中を駆け巡る。
これは、つまり裕太が人生に行き詰っている事の証拠であり、こんな不毛な問いをしていられるほど、暇だとも言える。
しかし、それでいて裕太は真剣だった。
(俺には何も、ない)
その事の劣等感は凄まじかった。
子供の頃は「絵が上手い」と周りから褒められ、将来は漫画家になる事が夢だった裕太だが、大人になるにつれ、自分の画力なんぞ、広い世間に出てみれば、全く対したレベルではない事を思い知らされ、絵がイマイチでもストーリー作りで魅せてやる…と思っても、出てくる話しは凡夫のそれであり、まぁ、これじゃあ漫画家なんて無理だな…と、痛感し、挫折した苦い過去がある。
(でも、それでも俺は漫画家になるんだッ)
と言うような、ガッツが裕太の中で湧き出てこなかった。
なので、単に挫折した、という結果だけが裕太の中で残るハメになった。
しかし、それでもたまに思う、
(あの時、諦めずに漫画家を目指していたら、今頃どうなっていたんだろう…)
…と。
何故、そのような思いに駆られるかと言うと、色々なプロの漫画家の過去を見ても、必ずしも皆、恵まれた環境にいなかったり、最初は鳴かず飛ばずの状態が長く続いたりと、一概に順風満帆なサクセス・ストーリーを歩んでいるわけではないからだ。
寧ろ、彼ら彼女らの中には、裕太以上に過酷な状況から、プロとして成功した者は多い。
すると、結局自分には根性が足らなかっただけでは…という思いが芽生えてくるのだ。
人から、なんと言われようが、続ける。
結果的には、そういう強さが夢の実現には不可欠なのだ。
(俺にはそれがなかった)
裕太はそのことを素直に認める他なかった。
しかし、どれだけ悔やんだところで失われた時間は戻ってはこない。
それでいて、また漫画家を目指すという気持にもなれない。
裕太は完全に不完全燃焼な生き方をしていた。