幕間:猫娘は水がお嫌い
6月半ばと言えばまだ水泳には早く、学園のプールの使用許可が下りるのはもう少し先の話である。
だがこの日の朝は学園長――アラド伯爵――に許可された数人の女性が訪れていた。
この中で、たった一人泳げない少女の水練のために集まったのだった。
「迦月、早く」
その中の一人、講師役の少女がプール中央から別の少女を呼ぶ。
呼んだのはリヴリア。
長い銀髪は結ってあり、めったに見せないうなじを晒している。
その高い戦闘能力から最終兵器とも揶揄される彼女ではあるが、体つきは柔らかそうで、そこらの凡夫が束になっても余裕で勝てるようにはとても見えない。
身に纏うのは紺のビキニ。普段は着やせして意識されないが、大きな双丘が大胆なまでに主張されている。
「ぐぬぬ、これが格差社会というやつか……っ」
呼ばれた猫耳少女はプールサイドからリヴリアを見ている。
いや、少女は目の前の少女のごく一部を親の仇でも見るように凝視している。
彼女が身に着けているのも同じくビキニ。露出の割合は同格だが、その戦力差は絶望的なまでに広がっている。なまじ同じビキニであるために、それはよりわかりやすく証明されていると言えるだろう。男性側の主義主張は多様であれど、豊かな双丘と表現されるものと、慎ましい膨らみでは、女性は前者を「勝者」とする傾向にある。
迦月の背は低く、発育も同年代に比べれば劣っていると認めざる得ない。17歳ではあるが、外見は日本の中学生に間違われるレベルなのだ。
憤怒のあまり、迦月の尻尾はピンと立っている。
「迦月様、今は水練の時間です」
「(この場にアルヴィースさんを招かなくて正解でしたね)迦月様、時間が勿体無いですよ」
そんな迦月の後ろに控える二人の女性。
普段メイド服標準装備の莉理と楓だ。彼女らもまた、水着着用でこの場にいる。
二人が身に着ける水着は露出こそ少ないものの、標準以上の戦力によりアンバランスな色気を醸し出している。特に楓の側は露出が少ないからこそ逆に強調され、夏の海辺に出れば男性陣の目を集めるのは確定的な存在感がある。
ギギギ、と、迦月は錆びたロボットのような動きで振り返り、同い年の幼馴染たちを見る。
目を下に向け自らの戦力を確認し、再び二人を見た時には目の端に涙が浮かんでいた。
「なぜじゃ!! 同じように過ごし、同じものを食し、なぜこうも――」
「迦月、早く始める」
世の不条理に叫び声を上げようとした迦月の後ろにはいつの間にかリヴリアがいた。
呼んでも一向に来ない迦月を軽々と抱えると、無造作にプールに向けて放り投げる。
「に゛ゃあ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁ~~!!!」
着水と同時に立つ水柱。
このプールの水深は150~200㎝。投げ込まれたあたりは170㎝程度で迦月の足は届かない。
冷たい水。足のつかない場所にいる恐怖。泳げない迦月は慌てて水をかくが、奮戦むなしく顔を水面より上に出すのも精一杯。しばらく暴れていたが慣れない行動で無駄に体力を消耗し、迦月の体力はすぐに尽きる。すぐに水底へ沈んでいく。
そうなってからようやくリヴリアはプールに飛び込み迦月を回収する。
意識のあるうちに助けようとすると暴れる要救助者により救助側も溺れることがある。これはそれを実践したように見えるが、少し意味合いが違う。単純に、容赦しないことを体に教えただけなのだ。
本来なら助けるはずのメイド二人もそれは了解しているので手を出さない。
泳げるようになる前に水への恐怖を植え付けられる可能性もあるのだが、それよりも目の前の人物への恐怖を植え付けられる方が早いしより恐ろしい為、一定の効果があると判断したのだ。似たようなことは刀の修練や実戦で散々経験しているので、今更という考えも二人にはある。
こうして、リヴリアによる迦月の特訓が始まった。
プールの端では犬耳幼女が楽しそうに犬かきをしているが、そちらに訓練の必要はなさそうである。
「水中で息を止めて潜る訓練。簡単。がんばれ」
リヴリアが最初に出した課題は水に慣れるだけの訓練。技術は何も必要なく、精神面の余裕を作るために行われる。
先ほども息を止め潜り、30秒も我慢できれば床を蹴って移動すればそのままプールサイドまで移動できたのだ。プールだから足を攣ったりしなければ、慌てずにいるだけで何とでもなる。
このプールには迦月の足が着く場所は無い。今は壁に手をかけて水没しないようにしている。
その手を離し、潜るだけなのだが迦月はなかなか手を離そうとしない。
しばらく何も言わず待っていたリヴリアではあったが、すぐに諦める。諦めて、強制的に水の中に沈める。
迦月の腰をつかみ、壁から無理やり引き剥がす。そしてそのまま一緒に水の中へ潜る。
抵抗のまもなく水中に沈められた迦月はというと、精神的余裕の無さからパニックに陥る。
暴れようとするが、それを許すリヴリアではない。リヴリアは口を押さえ、息が漏れないようにする。ついでに両腕をどこから取り出したのかロープで縛り上げる。魔法かスキルか、いずれを使ったにせよ見事な手際である。
そのまま30秒水中に押さえ込み、我慢させてから陸に上げる。
息を止めていたので意識を失うことなく、パニックのまま水中にいた迦月は酸素を求め荒く呼吸を繰り返す。
何とか息を整え、ようやく落ち着いたと思えば再び口を押さえられ、後ろから声をかけられる。
「暴れるの禁止」
その言葉に反応する間も無く水中に放り出される迦月。
それを2度3度、それ以上に繰り返し、ようやく水中で脱力できるところまで強制的に慣れさせられる。
2時間が経過し、潜る練習が終わったころ。プールサイドに設けられた休憩スペースに戻っても起き上がる気力を失った迦月が残される。
「鬼じゃ……鬼がおる…………」
うわごとのようにつぶやく迦月。
体はピクリとも動かず、死に体である。
その様子を見てリヴリアはため息ひとつ。
彼女の頭の中では水に潜るのはすぐに終わり、この時間帯ならバタ足まで進んでいるからだ。
潜るだけでここまで抵抗されるのはさすがに予想外だった。
とはいえリヴリアには迦月が水を嫌う理由を聞き出すほどの興味も持てず、ただ頼まれた仕事を完遂することだけを考える。
「迦月、次のが上手くいかなかったら」
「な、なんじゃ?」
「剥く」
「ナニを!?」
「水着を」
「横暴じゃ!! 莉理、楓! おぬしらも何か言わんか!!」
遅れを取り戻そうと迦月に必死さを求めるリヴリアの提案は迦月に呑めるようなものではなく、従者二人に助けを求める。が、
「……諦めてください」
「ここには女の子しかいないから大丈夫ですよ~」
「裏切った!?」
「迦月様の為です」
「そうそう、頑張りましょう」
「頑張るぞ!? 頑張るのじゃが、上手くいかぬからと裸に剥かれるのは嫌なのじゃ!!」
結果を出せなければ全裸というのは、迦月の立場を考えればありえないものだ。この場には女性しかいないが外から覗かれないという保証も無く、迦月は受け入れることが出来ずにいる。
しかし彼女の従者である二人は当然のように要求を呑んだ。思わず迦月が裏切り者というのも無理は無い。
実際にはノルマなど胸先三寸で決まるものである。リヴリアや従者二人にしてみれば、先ほどまでのように特訓を拒否しなければ罰を与えるつもりは無い。
ただ真剣にやってほしい。それだけの事だ。
そうとも知らず、迦月は一人地団駄を踏んで悔しがる。
そうやって、動けないという擬態をといた迦月にリヴリアは言う。
「動けるようになった。特訓を再開する」
「待て、安全のため、コンディションが万全になるまで――」
「問答無用」
「みぎゃっ!」
あれだけ言われても抵抗を試みる迦月の言い分など聞く気になれず、再び水の中に放り投げる迦月。自身もすぐに飛び込み、迦月の手を取る。
迦月にプールの壁をつかませ、まずは手本を見せるリヴリア。リヴリアも壁をつかみ、体を伸ばしてバタ足を行う。
「ちゃんと見る。こうやって、足を動かすだけ。簡単」
声をかけ、自分を見るように言うリヴリアだが、迦月はそちらを見ようともしない。
必死に壁をつかむだけで精一杯になっている。
「剥かれたい?」
その一言に、ようやくリヴリアを見る迦月。
リヴリアはそれを確認して見本を再開し、今度は迦月にやらせる。迦月のおなかに手を添え、バランスを取っての練習だ。
顔を水につけるわけでもない、上手くできるかどうかは別にして、足を動かすだけなら誰にでも出来る内容だった。そう、簡単な目標設定だったにもかかわらず。
「早く。早く足を動かす」
「うぅぅぅ……」
「はぁ」
「に゛ゃあっ!」
リヴリアは萎縮して一向に動く気配を見せない迦月からビキニのトップを剥ぎ取る。
驚き、両手で胸を隠す迦月。それで水中での支えがリヴリアの添える手だけになり、思わず足を動かす。
「ん。それでいい。とりあえず動かす」
カタチは滅茶苦茶だが、とりあえず足を動かしたことに満足するリヴリア。
いつの間にか迦月をはさみ、リヴリアの反対側に楓が移動している。彼女は苦笑し、リヴリアから受け取った水着を迦月に着せる。
「助かったのじゃ……」
「次に手を抜こうとしたら、下を剥く」
その言葉に嘘を感じなかった迦月は戦々恐々としながらリヴリアを見る。今の発言が冗談ではないかと一縷の望みを託し。
しかしリヴリアは100%本気で、冗談などかけらも見えない。
その後浮き輪を使っての25mバタ足を始め、いくつかの練習が行われたが、迦月が全裸に剥かれたかどうかは定かではない。
ただ、迦月は水を嫌うものの一応は泳げるようになり、アルヴィースの前では無様を晒さなかった。
とりあえず、そこまで特訓が行われたことを、この場にいたものだけが知っている。
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