自分勝手
過去の過ち?
《苦しまないように死にたい》勝手な言い分だ。
その勝手な言い分で私は構成されている。
【死にたい】という気持ちは変わらない。でも、《痛いのはヤダ》《苦しいのはヤダ》《熱いのもヤダ》《恐いのもヤダ》と《ヤダ》ばっかり。
当たり前。当然。今の私には自我がある。自分の意識がある。だから【死にたい】と思っても本当に死にたいのかというと【死にたくない】のだろう。
過去、数回、家族やその周囲の人間に迷惑をかけた。基本は薬物多量服用いわゆるOD。その他に、痛み止めを多量服用してからの切腹。睡眠導入剤を多量服用してからの首吊り。どれもこれも失敗し、こうして生を永らえている。
死ねない理由は簡単。理性を失っても本能が死を恐れているから。薬物の多量服用は薬が《ラムネ》に見えた。美味しくなかったが、不味くもなかった。けれども、今の薬では死ねない。嘔吐を繰り返して胃洗を免れただけ。
睡眠導入剤と痛み止めを多量服用してからの切腹の時の意識はない。意識はないけど、遺書のつもりだったのだろうか? 助けて欲しかったのだろうか? あらゆるところに電話して、「今、腹、斬る。死ぬ。恐い。けど死ぬ。今、包丁持ってる」と言っていたらしい。らしいというのは、何故だか知らんが、自分で会話を録音していたから、意識が正常になってから聞かされた。腹に傷など殆どなし。本能の恐怖の勝ち。
睡眠導入剤を多量服用してからの首吊りは、ロープがなかったのと私が長身であったので、ドアノブで敢行。いくら引いても切れもしなかったスーパーのビニールレジ袋の輪。これをドアノブにかけて首を入れて……。眠った。ドスッと音がして目が覚めた。ビニールレジ袋が切れたから、身体が下に落ちたらしい。運命は私を生かそうとした。
ビニール袋を被って、首を紐で結んで二酸化炭素中毒の窒息死、起きたらビニールは外されていた。息苦しくなって、自分で取ったのだろう。
風呂に入って湯舟の中で息をしようとした。鼻の奥までお湯が入ってきたところで恐怖が先行。むせ返っただけ……。
【死にたくない】から【死のう】としても、【死にたい】と言って【死のう】としても、【死ねない】いや【死なない】だって【死】を恐がっているんだから。
理性と本能が本当に【死】を求めた時、はじめて自身の命を絶てる。その境地わかりますか?
だから私は自分勝手《苦しくないように死にたい》
「バッカみたい!!」そう言われても仕方がない。