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本が欲しかった。
持て余していた時間を、本を読むという行為に没頭することで、何とか一日を終えられていたから。昨夜まで読んでいた本の続刊を手に入れようとして、外に出たのがいけなかったのだろうか。
こんな風にぼんやりと過ごしていいわけがない。
嫌な思いをしたからといって、簡単にアルバイトを辞めていいわけがない。
頭では分かっていたが、どうしても、体が動かなかった。
何故、自分は他人の家でシャワーを浴びているのか。
出先で急な雨に濡れた。その格好を見て、入浴を勧められた。
おかしくないか、と素直に従ってしまったことを、今更後悔した。いくら笑顔を浮かべていても、善人だとは限らないのに。その場の雰囲気だけで、どうしてこんなに簡単に逃げられない状況に身を投じてしまったのだろう。
一人になり、考える時間ができて。
冷静になればなるほど、自分が恐ろしく思えた。
抜けている、と言われても仕方ない。彼らはこれから、自分をどうするつもりか。分かっているのは、初めに自分に声をかけた、蒼羽という青年と。それから、家の中にいた、ベリルという、自分よりは幾分年嵩の男性が。
とても。
とても、驚いていたこと。
蒼羽が、自分に問いかけた時。ベリルが、蒼羽に問いかけた時。
目を瞠り。
信じられない、ありえない、と言うように、二人とも驚きの表情でこちらをまじまじと見ていた。
きれいな金髪に青い目。アイロンのかかった白いシャツと黒のズボン。その上から長い黒のエプロンをつけていたベリルは、どう見ても外国籍の人間なのに、すらすらと日本語を話す。それに違和感なく受け答えしてしまったのは、彼の持つ、何か柔らかで拒否しがたい空気のせいかもしれない。にこにこと笑って話すので、こちらとしては緊張がほぐれたのだけれど。
逆に、蒼羽の方は、明らかに不機嫌そうで、簡単に話しかけていいような雰囲気ではない。まったく笑わない蒼羽が少し怖く思えた。自分の腕を強く引っ張って、強引にここへと連れてきた行動に驚く反面、向けられた冷たい視線が痛くて。顔をきちんと見ていないけれど、冷たい美貌の持ち主。同じように整った顔のベリルは明るい感じがするのだが、蒼羽の表情は氷のようで、美しくても何かが違っていた。ベリルと言葉を交わすのはいいが、彼は怖い。逆らえない圧力のようなものがあり、聞かれもしない住所などを勝手にしゃべってしまっていたのだ。
話とは何の事だろう。
時間はあるか、話したい事がある、と。タオルを渡しながら困ったように笑って、ベリルがそう言った。
付け足すように、長くなりそうなんだけどね、用事とか約束とか何かあるのかな、と聞かれてどきりとしたのは、自分の今日の行動が大して何の意味もない暇つぶしだったからだ。
「っくしゅ」
また自分のくしゃみに自分で驚く。いつのまにか考えをまとめるのに集中してかなり時間がたっていた。
もう出たほうがいい、と。音をたてて半透明のガラス扉を開ける。乾燥機をそっと開けるとちゃんと服が乾いていた。自分の家には乾燥機がないから、こんなに短時間で乾くのは便利だな、とぼんやり思う。
ドライヤーで髪を乾かしながら、何をしているのか、自分でもよく分からなくなっていた。
流されてはいけない、礼を言って、家に帰ろう。
鏡の中の、情けない顔をした自分を見て、表情を変える。
気合を入れないと階下の二人に、それを伝えられない気がした。