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「それでね、お前、手、出すなよ、って。あれは、かなり、かっこよかったですよー」
顔馴染の門番が、勤務が終わって、意気揚々と自分に報告しにきてくれた。朝の蒼羽の行動を、昼休みに言いたかったが、当の本人がいたので、ずっと我慢していたらしい。
「あはは。私がけしかけたんだよ。すぐに反応して面白いなー」
ぱたん、と玄関の扉が閉まる音がした。
「あ、噂をすれば。帰ってきたみたいだね」
門番が奥の廊下をのぞいて、口を開いた。
「あれ? 緋天さん、どうしたんですか、顔。真っ赤ですよ?」
その言葉に緋天を見る。かわいそうな位に頬が赤く染まっていた。その双眸が、若干潤んでいるから。思わず、からかいの言葉を投げる。
「どうしたの? 蒼羽になんかされた?」
緋天は自分を見上げると、ますます赤くなる。
「かっ、」
「え? 図星?・・・どうしよう。何された?」
彼女のあまりの動揺ぶりに、急に心配になってしまった。まさか蒼羽は、彼女の意思を無視して、何かとんでもないことをしてしまったのではないか、と。
「か、」
「緋天ちゃーん? か、って何? どうしたの?」
「・・・髪に、キスされたっ・・・こ、これって、あいさつですか?」
すがるように、緋天は細い声を出す。
彼女は自分で自分の気持ちに気付いているのかと。そう思っていたのに。
どうやら誤算だったようだ。同時に、その程度で済んでいて良かった、とも。
「緋天ちゃん・・・・・・。そうだ、君が、この前、同級生に髪を触られた時、どう思った?」
「・・・別に、何も」
うつむきながら、緋天は答える。
「じゃあ、蒼羽は? その同級生と同じ? 別に何も感じない? どうでもいい? それともすごく嫌な感じがした?」
矢継ぎ早に出した問い。蒼羽の望みに気付いてほしい。そして、彼のことを同じように望んでほしい。純粋な彼女に、いきなり濃い気持ちを持て余した蒼羽をぶつけるようで、罪悪感もあったけれど。こうして蒼羽が手を伸ばしているなら、それを助けてやりたかったのだ。
下を向いた彼女が、必死で首を横に振って否定の声を上げた。
「そっ、どうでもいいなんて思ってません! それに、嫌な感じなんて、して、ない、で、す・・・」
「なら、答えは判ってるんじゃない? さあ、蒼羽を探してきて。多分、その辺でふてくされてると思うから」
「っ、・・・はい」
「いやー、びっくりしましたねぇ。蒼羽さんって意外と手が早いなぁ。なんか、ゆっくり見守るって感じだったから」
赤い顔のまま、また外に出た緋天の背中を見送って。
門番が、心底驚いた、という顔で自分を見た。
「まあねえ、緋天ちゃんってモテるくせに鈍そうだし。だから落ち着いて見守るなんて事、出来なくなったんじゃないかな? 私がけしかけたせいもあるけど」
「あぁ。これからどうなるんだろう? なんか微笑ましいですねー」
にこにこしながら、門番が言う。
「君、見たいよね? そうだよね?」
ある事を思いついて、共犯になりそうな目の前の人間を誘う。
「ええ!!何言ってるんですか!そんな事・・・見たいです」
「さあさあ!!二階に行こうじゃないか!きれいな夕焼けを見に!!」
「はい!!どこまでも貴方について行きます!!」
「良く言ったね!!・・・これで共犯だ」
「う・・・分かってますよー。でもそんな近くに蒼羽さんいるかな?」
門番がいぶかしげな声を出した。
「大丈夫!!蒼羽が一人になりたい時は、いつも近くで寝転がってるんだ。二階の窓から見える!!」
「おお!さすがベリルさん!!」
気になるから、仕方ない。
最後まで、見届けたい。
そんな事を言い訳にして、二人を遠くから見守るために、二階に移動した。
彼が、初めて自分の名前を呼んだ時。
怖くて。怖くてたまらなくて。
それなのに、自分で抜け出せなかった暗闇の中に、光が差した。
優しくなだめてくれた、その声も。
背中をそっとなでてくれた、その手も。
全てが自分に安らぎを与えてくれて、涙がこぼれて止まらなかった。
いつまでも、蒼羽の腕に、包まれていたい、とさえ思った。
どこまでも、優しいあの人は、この気持ちを察しているだろうか。




